あとがき

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 志保から電話を受けた雅史、そして浩之とあかりは、運び込まれたという病院に向かった。
 受付を全く無視して、屋根に取り付けてある看板を頼りに、まっすぐ手術室に向かったが、『手術中』の赤ランプは消えていた。
 急いで戻り、受付の看護婦さんに現状を聞く。内容を聞いて、全員胸をなで下ろした。琴音をぶつけた車は大破したにも関わらず、琴音自身は頭に数針の怪我、軽い衝撃を負っただけで、手術するほどの怪我をしなかったらしいのだ。
 しかし、注釈をつけるように、その後の経過が少しおかしいらしいことを告げられた。
 病室に行ってみると、入り口の近くのベンチ志保が祈るような格好で座っていた。全身がかたかたと震えている。茫然自失、といったようだ。
「志保……」
 雅史がそういったことで、志保は頭を上げる。瞼を腫らしてぽろぽろと泣いていた。
「雅史……、ごめん、ごめんね……、私が、助けて、なんて言ったからかもしれない……」
「え?」
「ごめんね……ごめん……、姫川さんが事故起こしたの……私のせいなの……私が呼んだから……」
 志保は、ただ、雅史に謝り続けた。雅史に謝ったところで仕方がないはずであるが、誰かに謝らなければ気が済まず、雅史は琴音とよく一緒にいたこともあり、雅史に謝れば許しを得られる、という錯覚にも等しいこと感じたのだった。
「志保……志保のせいじゃないよ」
 とあかりは言ったが、それに怒りを表す志保。
「……違わないわよ! あたしが、あたしが、あたしがっ……あたしが呼んだから……っ」
 嗚咽混じりに息を継ぐ間もなく言うだけ言ったあと、息を吸い、吐くことを繰り返したあと、はっ、と気がついたような顔になり、下にうつむく。そして、
「ごめん……あかり……ありがと……」
 と詫びた。
「でも、大した傷とかじゃないんだろう?」
 浩之が志保に問う。志保は、こく、と頷いた。
「でも……、目が覚めないんだ……。医者が言うには、脳波とか、脳圧とかは全く異常が見あたらないんだって……、でも、目が覚めないんだって……、しばらく様子を見るしかないって言ってた……」
 雅史は、その間何も言わず、ただ、扉を見つめる。
『面会謝絶』とは書いていないことを確認して、ドアをノックしてみた。
「はい」
 その声を確認して、ドアを開ける。返事をしたのは医者だった。
「容体はどうですか?」
「頭部にいささか外傷はありましたがそれほど大したものでもありません。CTなどで、頭部、頸椎部、脊髄、内蔵各部分など、すべて確認させていただきましたが、どこにも異常は見あたりません。昏睡状態に陥るような状態ではないはずなのですが……」
 一呼吸おいて。
「申し訳ありませんが、この方とはどういった……」
「友達です」
 雅史はとりあえずそう答えた。
「そうですか……ご家族にも連絡をお入れしたのですが……」
 真っ白なシーツ、真っ白な布団、真っ白な枕、頭には綺麗なラベンダー色の髪を覆い隠すような白い包帯。その中にとけ込むような白い肌を持つ琴音が眠っている。シーツに覆われた胸が軽く上下していることから、息はしっかりしていることだけは伺える。
「眠り続ける原因は不明です。医学的なことで治療できることはすべて施しました。あとは、目覚めるのを待つだけなのですが……」
 コンコン。
 そんな話をしていると、扉をノックする音が聞こえる。
「はい」
 扉が開くと、そこには、40歳くらいの男女が立っていた。
「申し訳ありません、お手数をおかけします。姫川琴音の母です」
 深々と頭を下げる母親に対し、父親の方は何も言わず、ただいるだけ、という感じだ。この様子に雅史はどうしようもない寂寥を感じた。
「あの……それで琴音はどうなのでしょう?」
 医者は、雅史に言った内容と同じことを両親に伝えた。
 第三者がこれ以上邪魔してはまずい、そう思って、とりあえず病室から出ていくことにした。

 病室の外に出、雅史は3人と顔を合わせる。 
「どうだった?」
「うん……ただ普通に眠っているだけだった。怪我も頭に包帯を撒いていたけど、ほかは全然問題ないって」
「明日、普通に起きてくれればいいよね……」
 4人同時に目を合わせたが、同時に俯いた。
「あの……」
 4人同時に顔を上げると、そこには琴音の母親がいた。
「あなた方は、琴音とはどのような……」
「あの、あのっ……」
 志保が何かを言おうとしたが、雅史が割って入った。
「僕たち、姫川さんとは友達なんです」
「えっ? ……そうですか……よかった……高校に入っても、お友達が出来ないものとばかり思っていました……」
 胸を撫で下ろすかの様にそう言う彼女は、まさしく、『母親』の顔をしていた。
「おい、帰るぞ!」
 そんなことはお構いなしに琴音の父親が怒鳴る。
「……では、失礼いたします……」
 そう言い残して去っていった。そんな二人のやりとりを見て、あかりは一言、
「いやだなあ、ああいうの……」
 そうつぶやいた。


……………


 琴音が眠りはじめてから1週間が立った。栄養分を点滴に頼らざるを得ず、見るからに痛々しい。
 かちゃり。
 ドアが開き、雅史が入ってくる。そして、琴音の横の椅子に座り、顔を静かに見つめた。
「…………一週間、か」
 誰にいうというわけでもなくつぶやく。
 部活が終わったあと、まっすぐ病院に来て、顔を見ては、仕事で遅くなる琴音の母親が来るまで、ただ、本を読んだり、花を取り替えたりして、時にはぼおっと、琴音が目覚めるのを待つ日々。
 ふぅ、とため息をひとつつく。
(どうして目が覚めないのかなあ……)
 すうすうと声を出しながら眠る琴音。
(……ずっと眠りっぱなしだなんて、童話に出てくるお姫様みたいだね……)
 はぁ、とため息をつく。
(……最近考え方が少し危なくなってきたかもしれない……)
 そんなことを考えてしまった自分に、ひとりだけで、寂しそうに、あはは、と笑い、すっと立ち上がると、少しずれている布団をかけ直す。
 こん。
「あっ……ご、ごめん……」
 手に琴音の顔が当たったことで反射的にそう謝ったが、もちろん返事はなかった。目覚める様子もない。点滴のため腕を出していて、少しやつれてはいるが、今でも普通に起き出して、普通に生活しているとしか思えないような、本当になんともない琴音の寝顔。ときどき寝返りも打つし、「ん……」と、いかにも目が覚めそうな声を出したりして、周囲を期待させたが、それをことごとく裏切られているのも、また事実であった。
「…………雑誌でも読もう……」
 もう一度椅子に座り直すと、鞄の中から、サッカーの雑誌を取りだし読み始めた。セリエAやブンデスリーガなどの、ヨーロッパ方面の様々な試合や、選手の情報、さらに日本に至ってはプロサッカーであるJ1、J2だけでなく、社会人リーグや、高校、中学、果ては各都道府県のサッカーに関するイベント情報まで網羅している雑誌で、毎週購入している。
 この雑誌を買って帰ったときに、彼女は事故に遭っていたんだ……。
 全然関連性のないことの筈だが、なぜかそう思い、買うことをしばらく止めようとも思ったが、だからといって、もう6年も買い続けている雑誌ということもあり、結局買ってきてしまった。

 こち、こち、こち、こち……。

 普段は殆ど聞くはずもない秒針を刻む音が確かに聞こえてくる。
 ときどき、廊下から看護婦さんがぱたぱたと走る音、入院しているのか、お見舞いに来たのかわからないが、外からきゃあきゃあと子供達が騒ぐ声が聞こえるが、それ以外は、全くの静寂に包まれる。
 一応雑誌の方を見ているが、どうにも文章や写真が目に入らない。連載ものも、前の記事が全く思い出せない、というより先週号は全然読んでいなかったことを思い出す。
 結局、雑誌を鞄の中に入れ直した。
 
 こち、こち、こち、こち、かち……

 1分が経過し、長針が動いた音も聞こえる。手を祈るような形に組み、ベッドに膝をついて、琴音の顔を見つめた。

 すう……すう……すう……すう……

 規則的に流れる呼吸音。
 点滴でいくら栄養分を補給しているとはいえ、琴音の身体は、生活最低限の動きさえしていないので、日々衰えているのが見た目だけでもわかる。今は器械をつけていないが、そのうち、肺や心臓の筋肉の衰えにより自発的な呼吸も困難になってくるだろうことを予想するのは容易だ。元々健康的ではない顔が少しやつれてきているのが余計に危機感を増した。

 すう……すう……すう……すう……

 ぼぉっ、と琴音の顔を見つめる。

 こち、こち、こち、こち……

 時間がゆっくりと、しかし確実に流れる。来たときから15分経っていた。組んでいた手の部分に顎を載せていたが、徐々に下がっていき、顎の代わりに頭が乗る。目もうっすらと閉じてきた。
 最近、よく眠れなくなっていた。今日など、授業中に初の居眠りを経験してしまったのだ。
(……心地よい一瞬に誘われるままの浩之の気持ち、少しわかる気がする……)
 木林先生に説教を受けながら、そんなことを考えていたことを思い出す。
(でも、少し、これは、急、すぎる、ような……)
 ………………結局、本日二度目の睡魔の甘い誘いに乗ってしまった。



『あはっ……』
(……え?)
『ふふっ……』
(……う……)
 目を開けると、とても強く感じる日差しが目に入った。
 周りを見渡すと、知っている風景……、そう、幼稚園になる前のころ浩之、あかり達とよく遊んだ、あの公園だった。
 手に何か感覚がある。
 目の前にだれか二人いて雅史の右手と左手をぎゅっとそれぞれ一人ずつ握っている。顔も、姿も、おぼろげでよく見えないが、声だけ聞くと、男の子と女の子のようだ。そのまま二人に引きずられるようにどんどん奥に進むと、木漏れ日をところどころに受ける、プラスチックの柵に囲まれた半径20mくらいの小さな芝生のスペースがあって、その真ん中に、おなかに本を載せて横になっている女の子がいた。
(あ……!)
 琴音だった。
 そう……あの病院のころのように、すうすうと、可愛らしい寝息を立てて眠っていた。
『あれ? 寝てる〜?』
『ねえねえ、起こそう?』
(うん、そうだね……)
 雅史は素直にそう答えた。
『あ、そうだ! こうやってずうっと寝てたとき、童話のお姫様みたいに起こしたんだよね?』
『うん言ってた! 『しらゆきひめ』みたいだった、っていってたもん!』
(え?)
『ねえねえ、そのときみたいに起こそうよ!!』
(な、なにを、言って……)
『またまたぁ、べつに照れなくても』
(こぉら、そんなませたことを言うんじゃない)
『あはっ……ごめん』
『ふふっ……ごめんなさぁい』



「……はっ?」
 いつの間にやらうたた寝をしていたようだ。時計を見ると、先程から20分も経っていない。
(……はぁ……僕ながら、なんて夢を……)
 はっきりと覚えている夢に自分で呆れながら、体を起こす。
(白雪姫のように……か)
 琴音をちらりと横目で見る。

 すう……すう……すう……すう……

 相変わらずよく眠っている。
(でも、確かに、お姫様みたいに綺麗だなぁ……、名前にも「姫」があるし……前世はお姫様だったかもしれないなぁ……)
 と、はたから見れば「?」と疑いたくなることを極めて真剣な表情で考えた。
 そして、いきなり、すっ、と立ち上がると、琴音の顔に近づいていく。

 僕は……なにを……?

 夢のせい。
 そうして自分を正当化している。
 犯罪者。
 間違いなくそうだと思う。
 でも………。
 なぜかこうすれば目が覚める確信があったのだ。
 
 琴音の可愛らしくもやつれてしまった顔が目の前に迫っていく。
 吸い込まれるように引きつけられていく。
 
(僕は……、絶対に、許されない、罪を背負う、かも……
 でも、もう、そんなこと、どうでも、良く、なってきた……)

 鼻で息を吸い、ぴたりと止める。
 5,4,3,2,1っ!
 ぱちっ。
「え……佐藤さん?」
「え……?」
 真っ正面から琴音に見つめられ、目のやり場に困る雅史。
「え、え、ええっ!?」
 あたふたと慌てて、がばっと身を起こす。

 がんっ!!

「うっ!!」
「あっ!!」
 
 雅史が一番近づけた場所に、互いに接触する。

 ……姫川琴音。彼女のファーストキッスは、唇5%、歯95%の感触だった……。

「いたた……、ひ、姫川さん?」
「……おはようございます……佐藤さん」
「……あ、あは」
「……」
「……あははっ、おはよう……」
 ぎゅぅっ。
「あ……」
「おはよう……おはよう……っ姫川さん」
(…………)
 躰がつぶされそうなほど、骨が折れそうなほど。とにかく、力任せに抱きしめられた。
 苦しい、痛い、でも、それ以上に。


 ――暖かだった。


(8へ続きます)


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