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次の日の月曜日の放課後。1−Bの教室では、雅史が怪我をした話でもちきりだった。
「ねえ、雅史様が怪我したってホント?」
「うん、かなりひどそうだよ。コーチが病院に連れていったときもとても痛そうだったし…」
「え〜!! 誰よ怪我させたのは!!」
「それがさあ、2−Dの加藤だって。ボールを頭で取り合ったとき、後ろから突き飛ばしたそうよ」
「うわ〜、なによ、あのデブ!! よりによって雅史様を怪我させるなんて!!」
「あんなデブこそ怪我すりゃ良かったのよ、ねえ!!」
スポーツで怪我をするのは半ば当たり前だが、させた相手はさんざんな言われようだ。怪我したのが美形だと特に。
「ほんっと…普段、加藤はデブでのろまで役立たずなんだから、そのまま豚箱にでも住んでなさいってね!!」
「あの…」
「あーうるさいうるさい! 私の腹の虫は収まらないわ!」
「ね、ねえ……」
「え? 何後ろ指してんの…?」
その女の子が後ろを向くと、そこには、彼女には後光が差している錯覚さえ感じる人物が立っていた。
佐藤雅史本人である。
女の子は後ろを向きながら、驚きのあまり、口をぱくぱくさせている。好きな人には絶対見せられない顔だ。
「あの…、姫川琴音さんはこのクラスだよね?」
「え、あ、ああ、あの、疫病神…はっ!?」
「疫病神?」
「い、いや、あの、姫川さんですね、ちょっとお待ちください…姫川さん!!」
ちょこんと椅子に座って、下の方をじっと見続けていた彼女がちら、と横を向く。だが、雅史の顔を見つけると、すぐさま下を向き直してしまった。
「姫川さん、ちょっと来てもらえるかな?」
しかし、琴音は動く様子もない。
「(さ、佐藤さん…、余計なことかもしれませんが、彼女はやめておいたほうが…)」
小声でささやくふたりの女の子。
だが、そのふたりの言葉に耳も貸さず、代わりに、
「あ、加藤は一つも悪くないよ。……じゃあ、失礼します」
とだけ言って、教室の奥に座る琴音の席に向かって歩き出した。ふたり揃って顔を見合わせる。
「(雅史様はおやさしいわ…、あの加藤をかばうなんて…)」
「(それにしてもあのデブ…こんなに優しい佐藤先輩を怪我させるなんて…)」
……所詮、格好いいヤツがこんなことを話しても、格好悪=悪人が成立する年頃であるらしい。
「なにか…ご用ですか?」
「うん、超能力の話…、聞かせてもらったよ、でも…」
「それなら…、私に近づかないでください」
「どうして?」
「超能力…、聞いたんですよね? だったら…」
「あれは姫川さんのせいじゃないよ」
「違います!!」
バン、と机を叩き、睨むような顔で雅史を見据える。
「あれは、私が、私が、予知したから…」
「でも、姫川さんじゃないよ。あれは、僕が単に飛ばされたときに、ちゃんと着地できなかったのがいけなかったんだ。予知はまるで関係ない。予知なんか無くても、ああ云うことになっていたんだ。今日はそれを言いに来たんだ。姫川さんの予知は全然関係ないってことをね」
「違います! 私が予知しなければ、怪我をすることもなかったんです! あなたは…あなたは、なにも、なんにも知らないくせに! 知ったような口をきかないでください!!」
それだけ言うと、教室の外に駆け出していってしまった。
「……軽はずみだったかなあ?」
雅史は、軽く指で頭を抑え、そうつぶやくと、教室の出入口近くまで移動し、さっきのふたりに声を掛けた。
「ねえ?」
「は、はいっ!」
「さっき、姫川さんのことを、『疫病神』って言ってたよね?」
「え、ええ、まあ…」
「どうして疫病神なの?」
「は、はあ…、彼女は、自分自身の不幸は予想しないんです。周りだけ、不幸になる予知ばかりで…。でも、彼女に近づきさえしなければ、その予知は起きないんです、だから、彼女が近づくと不幸が起きるってことで…」
「ふぅん…ありがとう、じゃあ」
軽く礼を言うと、雅史は教室を後にした。
(……おかしいな、予知は、近づいたときにだけわかる、というものじゃないはずだ。それに、僕と彼女は会ったこともないはずなのに、僕に関してだけは予知できたらしいし…、これはどういうことなんだろう? うーん………。まあ、とりあえず、姫川さんには謝っておかなくっちゃ…)
そして、とりあえず彼女がいそうな場所を探すことにした。
そのころ、琴音は。
屋上で、入り口から隠れて見えないような場所にいた。
「……私は…どうして……こうなの?」
溢れる感情を涙に託して、次々と零れていく。
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
「佐藤さんは全然悪くないのに…、私が全部悪いのに…っ」
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
「どうして…私に…近づくの…?」
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
「も、もう…佐藤さんには、絶対、近づかない…!!」
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
強くかぶりを振る。
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
「いやあ…っ、もう、もう…っ、考えさせないでっ…」
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
すがりたかった。たとえ、自分の"ちから"が無くならなくても。
誰かといたかった。たとえ、現状が変わらなくても。
でも、"ちから"が無くならない限り、すがる相手が不幸になる。
でも、現状が変わらない限り、いる相手が不幸になる。
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
安らぎを激しく求める自分とそれはしてはならないと言い聞かせる自分。
言葉を素直に受け入れようとする自分と言葉のどこかに疑いを掛けてしまう自分。
"ちから"を失わせたい自分と"ちから"を認めてくれる人を求める自分。
どちらが本当の自分? どちらも本当の自分? 自分がわかる? 自分がわからない?
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
「うわあぁぁぁぁっ……」
どんなにぐしゃぐしゃな顔になったのだろう。
とにかく泣き続けた。
それこそ、頭からつま先まで。
現状が変わるわけでもないのに、答えがほしくて。
どんなに時が経っても目から零れるものだけはずっと止まることはなかった。影ははるか彼方へ頭が離れていき、最後には自分の存在をかき消すように暗やみに沈む。
(姫川さんのせいじゃないよ……)
(姫川さんの予知は全然関係ないよ……)
「やっと、見つけた…」
顔をばっと上げる。
琴音は、何が起こったか気付かなかった。いや、気付きたくなかった。近くにあの人がいることに。
一番遠くへ行って欲しい人であって、それでも近くに来て欲しい人が。
顔を見せてはいけない、とりあえずはそう思って、声の聞こえる方の反対方向へ向く。
「何ですか…? 佐藤さん…?」
「ごめん……」
「……なぜ謝るのですか?」
「確かに姫川さんの気持ちを殆ど考えずに、不注意な発言だった。そのことを、お詫びしなきゃと思って」
「……」
「それだけ言いたかったんだ」
「それだけで…」
「?」
「たったそれだけで、こんな時間まで、私を捜したんですか?」
「? うん、どうして?」
「私…帰っていたかもしれませんよ?」
「机の上に鞄があったから、それが無くなるまでは探そうと思ったんだ」
「どうして…ほっといてくれないんですか?」
「え?」
「どうして…私を…放っておいてくれないんですか?」
「え? えーと…」
「私は…誰からも放っておいてもらいたいです…」
この質問は、雅史には安易に答えられない重みを感じた。雅史自身わずかに感じた、『孤独感』。この質問には、自分では到底理解できないほどの孤独感を感じたのである。自分のような、『勘違い』とは違う、本当の孤独。
「僕は……」
ぐっと、腹に力を入れて、言う。
「僕は…姫川さんを放っておきたくないから…これじゃダメ、かな?」
「!」
「姫川さんさえ良ければ、僕と『友達』になってくれない?」
予想外。頭ではひとつも回答欄として考えなかった雅史の答えに、琴音は戸惑いを隠せなかった。心の底から、はい、と言いたくて、口に出かかる。だが、それを直前で飲み込む。自分には、近くにいる人だけ不幸にする『不幸の予知』があるからという思いが、かろうじて上回ったからだ。
「ダメです」
「どうして?」
「私といると…絶対に、不幸になります」
「姫川さんと『友達』になれるのなら、僕としては今、これ以上の幸せは無いんだけど」
雅史が言うとさくっと誤解されそうなセリフだ。
「佐藤さん…あなたは、私といるとどれだけ不幸になるか、わからないからそんなことが言えるんです!!」
「うん、わからない。だから、わかりたい」
「!」
「それに……、どうせ逃げられないなら、真っ正面から向かっていったほうがいいじゃない。その時は、一人より二人の方が、勝ち易いんじゃないかな?」
「……私は……もう、向き合うだけ向き合って、解決出来ないんです…。もう無理なんです! 絶対に無理なんです! だから! 私を! 放っておいてください!!」
琴音の強い剣幕に、雅史も、少し身が退けてしまった。
「では…失礼します」
出入り口に向かうため、雅史の横を抜けるとき。
「でも、ときどき。姫川さんに会いに行っていい?」
「……」
琴音は一瞬立ち止まったが、何も答えず、するりと横を抜けていった。
答えられなかったのだ。ここで、嫌です、と言えば良いはずなのに、出来なかった。
彼女に住まうパンドラの箱に、最後に残るべきもの。消えて無くなったと思っていたそれが、心の中で確かな存在を感じられ、それに再びすがりたくなっている自分もいたことに、彼女自身、戸惑ってしまった。
……琴音は、振り向くこと無くすたすたと出入り口に向かい、扉を開けて校内に入っていく。雅史はそんな後ろ姿を、ただ、目で追うだけだった。
(5へ続きます)