必殺料理人

written by 李俊

「なにっ!千鶴さんが失踪!?」
耕一が電話に向かって叫ぶ。
『そうなんだよ、今朝部屋を見たら書き置きがあって!』
電話の相手は梓だ。
その声は、かなり取り乱しているようだった。
「書き置きって、何て!?」
聞き返す耕一。
『それが…【しばらく料理修行の旅に出ます。探さないでください】って…」
「え」
「…耕一?ねえ、耕一ってば!」
ちん…。
梓の声が聞こえないのか、彼はそのまま電話を切ってしまった。
…その後、耕一は熱を出してしばらく寝込んだという…。


☆☆☆☆☆

「…ふぅ」
私…柏木千鶴は、旅に出かけました。
お料理の修行をすると、勢い込んで出てきたのはいいんですけど…。
…何をすればいいのでしょう?
それに…。
…ここは、どこなんでしょうか?
<迷ってるんじゃないっ!>
うーん…。
…まずは、何か美味しいものを食べてから考えましょう。
朝から何も食べてませんし、歩くのにも疲れました…。
あっ、ちょうどいいところに定食屋さんがあります。
…『桜木食堂』と書いてありますね。
あそこに入りましょう。

からからから…。(引き戸を開ける音)
「こんにちは…」
中は、夕方という時間帯のせいか、ほかにお客はいないようでした。
「いらっしゃいませーっ!」
店に入った私を、アルバイトでしょうか、高校生くらいの女の子が出迎えてくれます。
「こちらへどうぞー。メニューはこちらになりまぁす」
ちょうど梓くらいの歳でしょうか、黒いエプロンがよく似合っています。
顔もどことなく梓に似てますね。
…胸も梓くらいありそうです…。
「…お客様…?目がコワいんですけど…」
…はっ!知らないうちに嫉妬していたようですぅ。
「す、すみません…え、ええっと、何にしようかなぁー」
さりげなくごまかしておいて…と。
<…どこがさりげないんだ…?>
あら?
メニューの一番上に太字で書かれているものが、気になりました。
「あの…この『必勝カツ丼』ってなんでしょうか…」
「あ、これですか?これはですねぇ、ズバリ納豆入りカツ丼なんですよー」
私の質問に、女の子は答えてくれます。
「納豆…ですか?」
あの、ねばぁーっとした納豆、ですか?
「ええ、父…店主が言うには、納豆にカツ丼で『粘り強く勝つ』ということで必勝カツ丼なんだ、ってことらしいですけど」
「そう…ですか」
この子、この店の子なんですね。
それにしても…カツ丼に、納豆…ですか。
………。
…けっこう、面白いかもしれませんね。
今度梓にでも作ってあげましょう、あの子受験生ですし。
<へ、へぇ…優しいんだね>
「お決まりですかぁ?」
注文を聞いてくる女の子。
「そうですねぇ…」
私は迷わず…。
「きつねうどんお願いします」
…さすがに必勝カツ丼を自分で食べるには、コワいので止めときますぅ。
<…あんたって人は…>
「わかりましたー。きつねうどんひとつーっ!」
女の子はそう言って奥の厨房に入っていきました。


☆☆☆☆☆

しばらくして、厨房から女の子がお盆を手に出てきました。
「お待ちどうさまー、きつねうどんですー!」
とん、とテーブルに置かれるどんぶり。
ああ…このおつゆの匂い…。
ほのかに香るカツオだしの香り…。
やっぱりきつねうどんに限りますね!
では、いただきますぅ。
パキンと割りバシを割って、うどんを2,3本つるつるっと…。
「お、おいしいです!」
このうどんの柔らかさ、それでいてコシも無くさず、長さも太さもちょうどいいです!
「次はおつゆを…」
どんぶりを持って…。
ずず。
「な、何という味でしょう!」
見た目は薄めですが、飲んでみるとダシがよく効いており、それでいてしつこくない。
これほどのうどんは、今まで食べたことがありません!
ずぞぞぞ…。
「ああ…幸せ…」
<なんて安上がりな幸せだ…>

ちーん。
「550円になりまぁーす」
女の子がレジに立って、代金を言ってくれます。
550円ですか、あの味でこの値段は安いですね。
さて…お財布を…。
…あれ?ない…。
お財布がないです…。
バックの中を調べてみても…ない。
…どこかで落としたのかも。
「お客様…どうしました?」
怪訝そうな顔で女の子が聞いてきます。
「えっと…駅を降りるまでは確かに持っていたんですが…」
それに対して上目遣いに見る私…。
「ということは、お金がないんですね?」
にっこり。
とびきりの笑顔で聞いてきます。
「は、はい…すみません…」
そう私が答えると、キッと彼女の表情が変わりました。
「じゃ、『無銭飲食』ですねっ!」
がーんっ!
む…無銭…飲食…?
鶴来屋の会長である私が…!?
こ、こんなことが世間様に知られたら…。
『まさか!?有名旅館の美人会長が無銭飲食!?』とテレビや週刊誌に出てしまいます!
<自分で『美人』と付けるところが…何だかなあ>
そうなってしまうと…社の皆さんや、梓、楓、初音、それに耕一さんに迷惑をかけてしまいます!
…そんなことはできません!
「す、すいません!お金は後日用意いたしますので、どうか今日は…」
「ダメダメ!ウチは即金じゃなきゃダメなの!ほら、警察行きましょうか!」
彼女は聞く耳を持たず、ずりずりと連れて行こうとしますぅー。
ううーっ、こんなところまで梓に似なくても…。
しょうがないので、当て身を食らわせて逃げちゃいましょう…と考えた時。
「あずき!ちょっと待て!」
そう言って店の奥から、料理人らしいおじさまが出てきました。
年は40歳前後でしょうか、耕一さんのお父様…賢治さんくらいシヴイおじさまです。
<…オジさん趣味か?>
「あずき、ちょっと待て。きつねうどん一杯くらいで、何を目くじら立ててんだ」
「父さんは黙っててよ!こういうのは甘い顔しちゃいけないんだから!」
諭すおじさまに、あずきと呼ばれた彼女は言い返します。
「何も大目に見ろ、なんては言ってない。ただ、警察沙汰は止めとけって言ってるんだ」
え?どういうこと…でしょうか。
「わかったわよ…」
しぶしぶと私の手を放すあずきさん。
「さて、お嬢さん…警察に行かない代わりに、条件がある」
「…条件?何でしょう…か」
な、何かイヤな予感が…。
「料金分、体で払ってもらおうか…」
が、ががぁーんっ!
一難去ってまた一難!?
そ、そんなぁ…私の体は、耕一さんだけのものなのに…。
「よし、それじゃあずき、奥に連れていってくれ」
「はいはい」
でも…これくらいかっこいいオジさまならいいかな…。
<…オイ>


☆☆☆☆☆

「あ、あの…体で払うって…」
「お、着替えてきたか。けっこう似合ってるぞ」
服を着替えてきた私を見て、オジさま(あずきさんの話では、耕治さんというらしいです)は褒めてくれました。
…私が今着ているのは、この店のエプロンです。もちろん、服は着てますよ。
<何だ…裸エプロンじゃないのか…>
「じゃ、接客と料理の運搬を頼む。まあ、大して客も来ないと思うがな」
そう言って耕治さんは奥に入っていきました。
どうやら…体で払うというのは、働いて返す、ということだったようです。
…えっちなことを考えてた自分が恥ずかしいですぅ。
でも…。
接客業なんて、鶴来屋で一日体験でやったくらいですので、か弱い私に勤まるのでしょうか…。
がらがら…。
あら…早速お客さんのようですね。
「い、いらしゃいませぇ〜」
精一杯の笑顔で出迎えます。
…ちょっと引きつってるかも。
「おや、姉ちゃん新入りかい?」
「けっこうかわいいじゃねえか、へっへっへ」
しかし、入ってきたのは…ガラの悪いチンピラ風の男2人。
こ、こういう場合はどうしたらいいんでしょうか。
…私がオロオロしていると、奥からあずきさんが出てきました。
「なんの用ですか!また邪魔しにきたんですか!?」
先ほど私を警察に連れて行こうとした時よりもコワイ顔ですね…。
「へへへ、邪魔しようにも客がいなくて邪魔のしようがないぜ」
チンピラAが意地悪そうに笑います。
「どうした、あずき」
奥から耕治さんが出てきました。
「あ、父さん…」
「おや、旦那。そろそろ娘を嫁に出す気にはならないかい?」
チンピラBが耕治さんに話しかけます。
「また君たちか…その気はないと何度も言っているだろう」
イヤな顔をして答える耕治さん。
…どういうことなのでしょう。
もしや、この方たちの親分さんが、「借金を払えねえなら娘をよこせ」と…。
そして「ああっ、おやめになって」などと言って手込めにされてしまう状態なのでは!?
<それじゃまるで時代劇だ…>
そして散々もてあそばれたあげく飽きられた彼女は、哀れにも殺されて川に捨てられる…。
それを偶然にも、遠○の金さんが発見するんだわ!
もしくは長谷川○蔵様でもいいわね!古典的に水戸黄○様でもOKよ!
<もしかして…時代劇ファン?>
「…おい、この姉ちゃん、さっきから何かブツブツ言ってるぞ。危ねぇんじゃねえのか?」
「さ、さあ…今日初めて会った人だから、そこら辺は何とも言えないですけど…」
…はっ!?いけない、私は何を…?
<『何を』じゃないよ…>
見ると、チンピラ2人も耕治さんもあずきさんも、怪訝そうな顔で私を見つめています…。
………。
「そんなに見つめちゃいやですぅ」

私のかわいい言葉に、なぜかみんな脱力しているその時。
「ちょっと、お邪魔いたしますよ」
がらがらと戸が開き、ハデハデな白いスーツを着た男性が入ってきます。
カッコ悪くもないですけど…何か見てる人に生理的にイヤな印象を与えますね。
…胸ポケットに入っているアレ…もしかして薔薇でしょうか?
彼は、つかつかとあずきさんの前に来ます。そして…。
「ハァイ、ハニー。今日もつい君に会いにきてしまったよ。なんて罪作りな人なんだ…」
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞっ!
い、今、すっごい寒気がしたんですけどっ!
…言われたあずきさんも、これ以上ないくらいイヤな顔をしています。
「あのね…いくら言い寄っても、いい返事は聞けないですよ!」
あずきさんのにべもない言葉。
…しかし彼はへこんだ様子もなく。
「フッ…あなたのその気丈なところ、とても好きです…しかし、時に人は自分に正直にならなくてはいけない…」
ううっ…気持ち悪い…。
…どうやらこの人が、チンピラ2人の親分さんのようですね…。
「あたしは、じゅうぅぅぅぅぅぅっぶんっに自分に正直なんですけどっ!」
「フ…いくら隠してもムダです…。私にはわかりますよ…あなたの本当の気持ちが、ね…」
そう言って薔薇の匂いを嗅ぐ親分さん…。
…相当なナルシーさんですね…。
どう見ても好かれているようには見えないんですが…。
「あー、ぼっちゃん。何か用があって来たんじゃないなら、帰ってくれないか」
耕治さんもイヤそうですね。
「いえ…今日はひとつ提案がありまして…」
「提案?」
あずきさんと耕治さんが同時に聞き返します。
「はい。ひとつあずきさんを賭けて、私と勝負してもらいたいのです」
えっ!?勝負…?
ヤクザさんの勝負と言ったら…麻雀、花札、丁半博打といったところでしょうか!?
「ダメです!昔のことは知りませんけど、今の耕治さんはカタギの人じゃないですか!そんな、勝負だなんてっ…」
こんなかっこいいオジさまにそんなことさせてはいけません!
「何を言っているんですか?私はただ、料理勝負で決着を着けようと言っているんですが…」
親分さんは意外そうな顔をしてます…。
「…え?料理勝負?」
「それと誤解があるようですが…私は、近くのレストラン『葉端苑(はっぱえん)』のオーナーの息子です」
…レストランのオーナーの息子?
「え、え、え?ヤクザさんじゃ…ない?」
「はい」
が、ががーん。
じゃあ…そのガラの悪い2人組はなんですか…?
…その私の視線を見てとったのか、おぼっちゃま(←すでに呼び方が変わっている…)が説明してくれます。
「あ、この2人は私の友人です…別にヤクザ関係の人じゃないですから」
ゆ、友人…?ただの一般人…?
それにしては、ガラが悪すぎですよぉ…。
…放心状態の私を放っておいて、耕治さんは話を進めます。
「とにかく…ぼっちゃん。私は、その勝負受けるわけには…」
「いいえ!」
「千鶴さん!?」
いきなり復活して叫んだ私に、あずきさん以下5名はびっくりしたようです。
私は、おぼっちゃまにビッと人差し指を差して、言い放ちました。
「その勝負、受けましょう!まな板を洗って待っていなさい!」
「ふむ…わかりました。勝負は明後日、私の葉端苑で行います。…いいですね?」
「いいですよ!」
耕治さんたちが返事をする前に、私が答えました。
「…千鶴さん!?何を…」
耕治さんは、何をどうしたらいいか戸惑っているようです。
「メニューは『定食』ということで、食材を集めておいてください。…出られない場合、不戦敗とみなしますからね」
そう言い残し、おぼっちゃまは2人のチンピラと共に出ていきました。
私はその出ていった戸を指差し、決めゼリフをびしぃっと!
「来るなら来なさいっ!この耕治さんが、あなたたちをぎゃふんと言わせちゃいますよっ!」
がらっ…。
「今時ぎゃふんなんて言いませんよ…」
いきなり戸が開いて、出ていったはずのおぼっちゃまが!
「えっ!?出ていったはずでは!?」
「いえ、そこで財布を拾いまして。…これ、見たことないですか?」
そう言っておぼっちゃまは財布を見せます…。
「…それ、私のです!」
何ということでしょう、店の前に落ちてたなんて…。
「それはよかった。これはお返ししますよ」
よかったです…これで被害届け総額1000万円を出さなくてすみました。
<…そりゃすげぇや>
「ありがとうございましたっ!」
「いえいえ。では、明後日お会いしましょう…」
ああ、何ていい方なのでしょう!
<おいおい…>

「千鶴さん!どういうことだ!」
3人が去った後、耕治さんが問い正してきました。
「まあまあ…耕治さんの腕でしたら、どんな料理勝負でも勝てますって」
私は何とかなだめようとします。
「確かに父さんの腕は認めるけど…あっちに対抗できるほどのいい食材を買えるほど、余計なお金はウチにはないですよ!」
あずきさんの抗議も、財布の戻った私には、何ともありません。
<余裕だねぇ…>
「…その点は心配いりません。私が用意しましょう」
私の言葉に、耕治さんが聞き返します。
「千鶴さん…あなた何者だ?」
「そんなことはこの際どうでもいいじゃないですか。余計な心配しないで、ちょちょいと勝負しちゃいましょう♪」
…ここで私の正体を明かしてしまうと、サインを求められてしまうので止めておきましょう…。
<あんた何様やねん?>
2人は納得できない様子でしたが、とりあえずは明後日の勝負に向けて動き出したのです。


☆☆☆☆☆

次の日の夜になりました。
…いよいよ明日が勝負の日です。

この間、とりあえず私はスポンサーということで桜木家に泊めてもらいました。
桜木家は、耕治さんとあずきさんの2人暮らし。
耕治さんは、元々は葉端苑で料理長をしていたらしいのですが、自分の店を持ちたくて独立したそうです。
世話になったオーナーの息子なので、おぼっちゃまに対して強く出られないとのことでした。
オーナーの息子じゃなかったら、ぶん殴って追い返してやる…とか言ってましたね。

カリカリカリ…。
耕治さんは、居間で書き物をしていました。
明日の勝負のために、いろいろ調べ物でもしていたのでしょうか。
「…耕治さん…」
「…千鶴さん?」
ガラッと戸を開けて、私は居間に入りました。
「千鶴さん、どうしたんだい?夜更かしは美容の大敵だよ。二十歳過ぎてるんだし」
耕治さんは笑って話しかけます。
どうしてでしょうか、梓にこんなこと言われたら半殺し…いえ、その…注意するところですのに。
耕治さんの言葉だと素直に聞けてしまいます。
「…あの、私、夜食を作ってみたんですけど…食べていただけますか?」
ささっと隠していたお盆を前に出す私。
「千鶴さん…ありがとう。喜んで食わせてもらうよ」
…よかったぁー。指を5回も切ったかいがあるというものです。
「明日の勝負に勝つために、必勝カツ丼を作ってみたんです」
「そうか。うれしいなあ、自分の考えたメニューを人に作ってもらえるなんて」
そう言って箸を取る耕治さん。
ぱくっ。
…どきどき…。
味見してないので、どんな味かわからないんですよねぇ…。
<…オイ>
「うん…初めて作ったにしては、けっこううまいよ」
一口食べた耕治さんは、にこっと笑って褒めてくれました。
「本当ですか!?」
がんばって作ってよかったです。
「ああ、舌にピリっとくる感覚がなかなか…」
「え?」
ピリっ?
香辛料のたぐいは、入れた覚えがないんですけど…。
「山椒…いや、違うな。カラシ…のようでもないし…ん…んぐっ!は、腹がっ!ぐおっ!いででででででで!」
耕治さんは、いきなりお腹を押さえて苦しみだしました!
「耕治さん!?大丈夫ですかっ!」
<腐っているものはぴりっとした味がします:経験談>

ぱーぽーぱーぽーぱーぽーぱーぽー。


☆☆☆☆☆

耕治さんが原因不明の食中毒で入院しました。
<原因不明ってあんた…(汗)>
もちろん、その前に証拠(カツ丼のどんぶり)は隠滅しておきました。
<自覚あるじゃねーか!>
お肉がちょっと古かったのでしょうか…。
耕治さん、医師の診断では3日は絶対安静らしいです。
とりあえず私とあずきさんは、家まで帰ってきましたが…。
…なんという神のいたずらでしょうか。
<神様のせいにすなっ!>
これでは明日の料理勝負は出られません。
どうしましょう、このままでは不戦敗になってしまいます!
「千鶴さん…」
気が付くと、傍らにあずきさんが立っていました。
「どうしたんですか…?」
どうも表情が暗いようですけど…。
あずきさんがゆっくりと口を開きます。
「考えたんだけど…父さんがあれじゃ、明日の勝負は出られないわ。あたし、電話して謝ります」
!?
「あずきさん!?」
彼女の衝撃的な言葉に、つい私の声が大きくなります。
「あたしがあいつと結婚すれば、全部丸く収まるんですから…」
彼女は…悟ったような、諦めにも似たような表情です。
「ダメ!そんな弱気なことでどうするの!?そんなことで、お父様が喜ぶと思うの!?」
その言葉に、彼女はビクンと反応しました。
「でも、どうすればいいです!?あたしは父さんやあいつほど料理はうまくない!負けるのは目に見えてる…」
震える声で訴えるあずきさん。
彼女の目から、ポロポロと涙がこぼれていきます…。
私はまるで…梓が泣いているような錯覚を覚えました。
「私に…任せてもらえないかしら」
「千鶴さん…?」
私の言葉に、うつむいて泣いていたあずきさんが顔を上げます。
「今まで黙ってたけど、私、修行のために旅してる料理人なの…」
<う、うそつきぃっ!>
…ちょっと過大広告かも知れないですけど、一応『料理修行の旅をしている人』ではあるわけですし…。
それに心を込めて作れば、何とかなるものです。
<な、なんて無責任な…!>
「千鶴さん、料理人だったんですか!?」
驚きの声をあげるあずきさん。
「あずきさん、私に任せてください。絶対に勝ってみせるわ!」
「千鶴さん…。ありがとう、お願いします!」
<どうなっても知らねぇぞ…>

かくして、勝負の酢豚…もとい、火蓋は切って落とされるのです!


☆☆☆☆☆

場所は、葉端苑の厨房。
ここであずきさんを賭けた、料理勝負が始まるのです。
すでに私も、例のおぼっちゃまも、戦闘態勢は万全です。
かつかつかつ…。
革靴の音が厨房に響き渡ります。
…審判員が到着したようです。
ちゃーっちゃ、ちゃっちゃちゃー。
「!?」
どこからともなく、料理の○人のオープニングテーマが!?
こっ…この展開は!?
…審判員と思われる1人が、中央へ歩み寄ります。
その派手ぇなスーツの老人がゆっくりと口を開く…。
「わぁたしの気が確かならばぁ…」
…がくっ。
そこにいた全員がコケました…。
「お爺様!『記憶』です、『記憶』!」
おぼっちゃまが訂正します。
…どうやら彼のお爺様のようですね。
「お、おう、そうじゃった…。緊張しての」
お茶目に笑うお爺様…。
「ま、細かい話は抜きにして…。孫が勝てば、あずきさんを嫁に貰う。柏木さんが勝てば、結婚はあきらめる。そういうことじゃの?」
「そうです、お爺様」
おぼっちゃまが頷きます。
「ワシら審判団は、厳粛に審査する。孫だからおなごだからなどということは一切考慮せぬから、そのつもりでな」
そう言ってニッと笑うお爺様。
この方、けっこう食えない方ですね…。
…って言っても、本当に食べたりはしませんよ。
<当たり前だ>
「わかりました」
私の返事に頷くと、お爺様はルールの説明を始めました。
「審判はこのワシと、怪腹幽残先生、耶麻丘死牢先生で判定する。ルールは1時間で、1つの定食を作ること。食材は各自それぞれ持ってきた物…ということでよろしいな?」
頷く2人。
「よし…それでは、あーれきゅいじーぬじゃ!」
料理の鉄○を知らないと分からないネタを言われるお爺様。
とにかく、運命のゴングは鳴ったのです。

『さあ、運命のゴングが鳴り響きました。実況は私、無事テレビの復位顕示アナが担当しております』
「キャー、おぼっちゃま頑張ってー」
『特設の観客席より、おぼっちゃまに向かって黄色い声援が飛んでおります。
これは葉端苑の従業員たちですねぇ。
…さあ、両者とも食材を出しております。
おぼっちゃまの方は、高級牛カルビ肉が目に付きます。
どうやら牛カルビ定食に持っていくつもりなのでしょう、出来る前から食べてみたいです。
柏木さんの側は…あれは魚ですね。マグロの切り身でしょうか、なかなか鮮度が良さそうです。
その他には…な、何でしょうか、緑色の物体、紫色の液体、ピンク色の固体…怪しげなものが並んでおります!』

この厳選された食材の数々、これなら勝てる!…はず。
「ち、千鶴さん…これ、何です…?」
助手をしているあずきさんが、緑色のぷるぷるした物体を指差してます。
「あ、怖がらなくもいいですよ。すでに生きてはいませんから」
「すでに生きて…!?…じゃ、生き物!?」
あずきさんの顔が青ざめます。
…なんででしょう?別に害はないのに…。
<…あんた一体何者だ!?>
…とにかく、私の実力をフル稼動して、美味しいものを作ります!
まずは、お味噌汁用のほうれん草を切って…と。
トントントントン…。
なかなかいい感じで切れてます。指を切ったりはしませんね。
うふふ♪
スポ。
「あれ?包丁が…?」
いつのまにか手から包丁が消えています。
…たんっ!びよよん…。
「だあっ!危ない!」
その時、変な音と共に背後からおぼっちゃまの声が聞こえます。
見ると、私の包丁が彼の近くのまな板に刺さって揺れていました。
彼は、その前で座り込んでいます。

『こ、これは危ない!柏木さんの包丁が、おぼっちゃまのすぐ横まで飛んできました!』

あら…それは危なかったですね。
「ごめんなさぁい、すっぽ抜けちゃいましたぁ」
そう言ってにっこりと笑う私。
この天使の笑顔で、許してもらえますね♪
<天使?悪魔の間違いでは…>

『ちょっとハプニングがありましたが、両者何もなかったかのように再開しました。
おぼっちゃまは予想通り牛カルビ定食、一方柏木さんはさっぱりわけのわからん物を作っております!』

ふう…大体出来てきましたね。
さて、調味料をぱらぱらっと…。
「…あ」
「…千鶴さん!?どうかしたんですかっ?」
私の思わず洩れた声に過敏に反応するあずきさん…。
「え?いえその…何でもないですよぅ」
「それじゃさっきの『あ』ってのは何ですかっ!?」
あずきさんはものすっごい心配そうな顔をしています。
…失礼しちゃいますね。
塩と硝酸を間違えてたくらいで、大して味は変わりはしませんよ。
<うん、大して…って何入れてんじゃぁぁぁぁぁっ!>
さて…出来上がりですね。
盛り付けに入りましょうか。
お皿をこちらに…と。
…つるっ。
がっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!
………。
やってしまいました…。
こ、この場は何とかフォローしないと。
「千鶴さん!お、お皿がっ!」
あずきさんが慌ててます…。
「…心配はいりません。この割れたお皿に盛り付けます」
「え?」
「割れたお皿に盛り付けることにより、今までにない演出効果が現れるのですっ!」
ぐぐっと拳を握り、力説…。
「そ、そうなんですかぁ…?」
…あずきさんは納得してくれたようです。
とりあえずちゃちゃっと盛り付けちゃいましょう。
………。
しかし盛り付けにくいですね…。
<自分が悪いんだろが…>

『さあ、両者完成した模様です。これより審査に移ります。まずは、おぼっちゃまの牛カルビ定食からです。
見た目にも食欲をそそり、なかなかに良い出来栄えです。お味のほうはどうなのでしょうか!?』

まず怪腹幽残先生が箸をつけました。
「うむ、これはなかなか。厳選された和牛の、脂の乗ったカルビを見事に生かし料理している。それでいてしつこくなく、調和の取れたものに仕上がっている…」
次は耶麻丘死牢先生ですね。
「おお、付け合わせも彩りが鮮やか、かつ味も格別なもの…。肉との相性も、栄養面でも味の面でも最高のものだ」
最後はお爺様…。
「うむ、これならご飯何杯でもいけるぞ…わが孫ながら、あっぱれじゃ。かっかっか…」
…なんか水○黄門様みたいですね。
おぼっちゃまは満足気にこちら…というかあずきさんを見てますね。
…あ、今ウインクした。…気持ち悪い…。

『さあ、次は柏木さんの料理です!
見た目には緑や紫と彩り鮮やか、気になるタイトルは【千鶴のらぶらぶ定食】だそうです!
どこらへんが【らぶらぶ】なのかわかりませんが、とにかくものすごそうです!
審査に入ってもらいましょう!』

今度は私の番ですね…緊張しますぅ。
「うーむ…見た目は鮮やかすぎて、むしろ毒々しいといった感じだが…」
審査員の方たちは、ゆっくりと試食に入ります。
ぱく。
3人がほぼ同時に口に入れました。
「…こっ、これはっ!?」
驚きの声。
「うおおおっ!何だかよくわからないが、とにかくうまい!この紫色や緑色のものも、舌でとろけるような味わいがあり、なおかつ後味もすっきりとぉっ!」
「こちらのピンク色の品も、この世の物とは思えぬほどのうまさだ!濃厚でコクがあり、それでいてさっぱりとしており、口の中に広がるまったりとした味わい…絶品だ!」
「うむっ!これほどの物は、ワシの長い生涯の中でも食したことはない!それにこの割れた皿に盛り付けることによる、既存の盛り付け方にはない色や形が斬新だ!」
お3方とも、絶賛です!
まさか、ここまでの評価をいただけるなんてっ!

『さあ、両者の料理の審査が終わりました!審判長より、判定をお願いします!』
ちゃっちゃっちゃっちゃー、ちゃっちゃっちゃ…。
また料○の鉄人の音楽ですね。これは判定の時の音楽です。
ゆっくりと口を開くお爺様。
「勝者、柏木さんじゃ!もう文句無しじゃっ!」
…!
「やったぁーっ!やったのよあずきさん!」
「千鶴さんすごいっ!すごいですよっ!」
手を取り合って喜ぶ私たち。
…おぼっちゃまはというと、呆然としているみたいですね。
ふふふ、私の実力を見ましたか。
…あ、復活した。
あ、あれ?こっちに来ます…。
「柏木さん」
「な、何でしょう?言っておきますが再戦なんてしませんよ…」
しかし、私の言葉に首を振るおぼっちゃま。
「…この私を負かすとは…何という方だ。あなたと戦えて、良かったと思っています」
あら…けっこう潔いのですね…。
「そんな…ありがとうございます」
「そこでお願いがあるのですが…私とお付き合いしてくださいませんか?美しいあなたに、私は心奪われてしまいました…」
え?
な、なんです?
さっきまであずきさん一筋だったはずなのに…。
確かに私の美しさに心奪われるのは判りますが、でもダメです。
私には、耕一さんがいますので…。
「い、いえ…けっこうですぅ」
丁重にお断りして、私たちは葉端苑を後にしました。


☆☆☆☆☆

翌日。
私は家に帰るべく、電車を待っています。
あずきさんはもう少しいてほしい様子でしたが、そろそろ帰らないと仕事が山積みになりそうですので…。
あと、耕治さんと顔を合わせづらいっていうのもありますけどね。
耕治さんですが、順調に回復して、今日退院だそうです。
あずきさん、私を見送った後に迎えに行くと言ってました。
ガタンゴトン…。
遠くから、ゆっくりと電車がやってきました。
「千鶴さん…ありがとうございました」
そう言ってあずきさんはゆっくりと頭を下げる。
「あずきさん、元気でね」
「千鶴さんも…それにしても、ホントにすごかったです。あそこまでの評価をいただくなんて」
話し方が少し興奮気味です。
ふふふ、無理もないですね…。
「いえいえ…そんな美しいだなんて…照れちゃいますぅ」
「…んなこと言ってません」
彼女はジト目で返します。
…ほんの冗談じゃないですかぁ。
「ほんとはお礼をしたいんですけど、ウチって大した稼ぎがないですし…」
お礼ですか…できればその胸を少し分けてほしいのですが…それは無理ですね。
<そんなにうらやましいのか…?>
「いえ、お礼なんてかまいませんよ。気持ちだけで十分です」
にっこりと笑って答える私。
キキキィ…。
電車が到着しましたね。
「また来てくださいね。その時は、一人前の料理人になって、美味しい料理をごちそうしますから」
そう言って手を振り見送ってくれます。
プシュー。
ガチョン。
ドアが閉まり、電車は走り出しました。
あずきさんは目を潤ませて、手を振っています。
それに手を振り返す私。
ガタン…ゴトン…。
…あっという間に、ホームが見えなくなりました…。


☆☆☆☆☆

自宅に帰ってきた私は、梓にこってり叱られました。
一家の長たる自覚を持てとか、会社のことも考えろとか、せめて一人じゃなく誰かを連れて行けとか、胸なしとか、偽善者とか、ずん胴とか、散々言いたいことを言われました。
でも、今回のことは全部私が悪いので、黙って聞きました。
…まあ終わった後に、そのままじゃ癪なので一発殴っておきましたが。
でも…今回の旅は、大いに意義があるものでしたね。
私もやればできるんだってことが判りましたし、良い出会いがあったのですから。
それにしても…。
「何にやにやしてんだよ、千鶴姉」
頭をさすりながら、憮然とした表情で聞く梓。
「うふふ、何でもないわよ。梓も、あの子くらい素直だったらなぁ…」
「???」
梓は訳が判らないといった表情。
ふふふ。
「…そうだ梓、今日は私がご飯作ってあげるわね♪」
「な…それだけはカンベンしてくれっ!」
「なによー、修行の成果を見せてあげる!」
「だからよけい心配なんだーっ!」

…柏木家は今日も相変わらずである。




補足。
例のお爺様、怪腹幽残先生、耶麻丘死牢先生の3人は…お約束のごとく、ほどなく近くの総合病院へと緊急入院したという…。
合掌…なーむー。


ちゃんちゃん♪




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