夕暮れの教室。
そこにいるのは、俺とあかりだけだった。
「浩之ちゃん…」
あかりは、うつむいていた。
「どうしたんだ、あかり?いつものお前らしくないぞ」
俺は笑った。
…しかし、あかりは悲しそうな目を俺に向ける。
「…浩之ちゃん。話があるの…大切な話が」
真剣な眼差し。
「…なんだよ、大切な話って」
…あかりは、すうっと息を吸うと、口を開いた。
「私たち、別れましょう」
・
・
・
しばらくフリーズ。
…ややあって。
「な、ななななななんだとぉぉぉぉぉっ!?別れるぅぅぅぅぅぅぅ!?」
…あかりは、悲しそうにうなずいた。
「なんでだ、あかりっ!!俺のどこが嫌になったんだっ!?」
たまらずに俺は叫んでいた。
「う、ううん、別に嫌とかそういうわけじゃ…」
あかりの声をさえぎり、俺はまくし立てる。
「た、確かに俺は、
イライラしてるときにちょっとヤツ当たりでぺしっと叩いたり待ち合わせに2時間も遅れてきたり道を歩いていてかわいい子がいると必ず『あかりが偏差値50なら彼女は…』とかやったりおまえの首に首輪をつけて『おまえは犬だ』とやったり1週間もパンツ替えずにそのまま履いてたり平気でデカイ屁をこいたりおまえの部屋からパンツ盗んでそれをかぶって『パンツマァ〜ン』と叫んでみたりエッチしてるときに『やっぱり貧乳だなあ』とか思ったりもしたけどっ!!」
…しかし、あかりはふるふると首を振った。…額には怒スジが出てはいたが。
「た、確かにそれは嫌なんだけど…違うの」
「違う…?」
あかりは、ふぅ、と一呼吸おき、
「…私、他に好きな人が出来たの」
・
・
・
「他に好きな人だあああああああああああああああああああああああ!?」
そ、そんなっ!?
「誰だっ!?その好きなヤツってぇ!?」
俺よりも、あかりが好きになる相手って誰だよ!?
「…わかったわ、今会わせてあげる…入ってきて」
そうあかりが言うと、がラッと俺の後ろの扉が開く。
「おや、久しぶりですな、藤田殿」
ひきっ。
そ、そそそそそそそそのダミ声は…。
「紹介するわ、彼が…」
あかりは手振りで後ろを向くように促す。
ぎぎぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃぃ。
俺は固まった首を、両手で無理やり後ろへと向かせた。
そこには…。
「あかり殿の彼氏の、セバスチャンでございます。以後よろしくお願いします、藤田様」
かこーん。
…俺は、その場で石になった。
☆☆☆
「…それでね、セバスチャンちゃんがその時、ボカーンってその痴漢を倒しちゃって、私それで一発で参っちゃったの」
俺は、延々と二人が出会った時の話を聞かされていた。
…そのセバスチャンちゃんて言うのやめろ。
「あの時ほど、私は胸がときめいたことはございませんでした。死んだ妻のことなど、かすんでしまうほどでございましたぞ」
「いやだ、セバスチャンちゃんったら。昔の女の話なんてしてぇ」
…セバスチャンちゃんはやめろって。
「はっはっは、これは失礼。私もこの通りのジジイですしな、勘弁してくだされ」
「ふふふっ、いやね、セバスチャンちゃん。まだまだ若いでしょ…」
…セバスチャンちゃんはやめてくれよぉぉぉぉ(泣)
「あかり殿…」
「セバスチャンちゃん…」
…そっと寄り添う2人。
「も…もうやめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
…俺はそう叫ぶと、カール・ルイスも真っ青のスピードで走り出していた。
☆☆☆
なんでだ!?なんでセバスチャンなんだ!?
セバスチャンなんて、馬ヅラ長瀬一族の長じゃねえか!
確かに一族の中には祐介みたいにカワイイ系の顔もいるけど、
他の某教師や某刑事や某開発主任なんてみんな似たような馬ヅラじゃねえかよぉぉぉぉぉっ!
俺のどこが、ヤツに劣るってんだよぉぉぉぉぉっ!
(ぴーん!)
…そうかっ!白髪か!
白髪があかりのツボにハマッたんだな!
よぉし、俺も脱色してロマンスグレーの渋いオジサマにへぇ〜んしん!
………。
…ってわしゃ〜まだ17歳じゃぁぁぁぁぁっ!
(ぴーん!)
いや、そうか!俺が高校生で、収入がないからか!?
ヤツは来栖川家の執事…給料も、けっこういい額もらってんだろうなあ…。
高給取りには勝てねえのか…くぅぅ、貧乏人はつらいぜぇ。
こうなったら、ヤツを超える高給取りになってやる!
それには…やはり手っ取り早く銀行強盗か!
………。
…ってそれじゃ犯罪人じゃねーかぁぁぁぁぁっ!
もっとまっとうな方法で金を得るには…そうだ。
これしかないぜ、夜の街に繰り出して体を売る。
………。
…ってどこがまっとうじゃぁぁぁぁぁっ!
それ以前に誰に体を売るんじゃぁぁぁぁぁっ!
男はいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
(以上、藤田浩之暴走中の心のつぶやき)
☆☆☆
「ふん、もういいぜ…あかりなんてよ」
走るのに(妄想に)疲れた俺は、とぼとぼと歩いていた。
そうさ…女なんて、女なんて、星の数ほどいるのさぁ。
あんなジジイを選ぶ女なんか、こっちから願い下げだ。
…俺はそう心に言い聞かせていた。
あかりだけが女じゃない!
「いいもん、いいもぉぉぉぉん!まだ、俺には志保がいるもぉぉぉぉぉん!」
気付くと俺は海の前で、夕日に向かって叫んでいた。
だっぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!
激しく打ちつける波の音。
…そうさ、俺にはまだ志保がいる!
あいつは、あかり攻略失敗後でも唯一攻略可能なキャラだもんなっ!
俺はそう気持ちを切り替えると、今度は通常のザクの3倍のスピードで走り出していた。
だだだだだだだだだだだ…
だだだだだだだだだだだ…
だだだだだだだだだだだ…
しばらく走り続けると、コンビニ前にたまねぎ頭発見!
見つけたぁぁぁぁぁっ!志保だ!
「しほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ざざざぁぁぁぁぁっ。
志保の近くまで走ってきた俺は、両足を踏ん張り急制動をかけた。
どかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
「うぴょおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
…志保との間にいた矢島を思いっきりはねてしまったようだが。
まぁそんなことはどうでもいいっ!
「あら、ヒロ。どしたの?」
笑顔の志保。
…普段はムカツク女なんだが、今日はどこか違う。
なんかこう…女っぽいというか、カワイイというか。
「し、志保…お、俺と…」
付き合ってくれ。
…そう言おうとした時。
「あれ?どうした長岡さん」
コンビニから出てきた誰かが、志保に声をかける。
そいつは…。
「…橋本先輩!?」
その人は、いつぞや図書館で志保にエッチな行為をしようとし、止めに入った俺に必殺パンチを食らい、おまけに志保の必殺跳びヒザ蹴り『桃色の風』も食らったことのある、橋本先輩であった。
「ん?ああ、君は確か…」
ちょっとキザっぽく考える仕草をする橋本先輩。
…以前、この人と校門の前で会った時は、もっとオドオドしていたのだが。
「…藤田浩之です」
「ああ、藤田くんね、はいはい」
ぽんと手を叩き、うなずく先輩。
「それより、ヒロ。何か今言おうとしたんじゃないの?」
志保が聞いてくる。
…う〜。橋本先輩がいる前で言えるものじゃないって…。
「いや、俺とゲームで勝負してくれ…ってなあ。はっはっは」
…それを聞いて、志保はバツが悪そうな顔をする。
「…ごめんヒロ、これからデートなの」
「なんだぁ、デートか。それじゃ勝負はお預けだなー。はっはっは」
そうだな、デートじゃなあ…。
………。
…で?
…でえと?
「…デートって…誰と?」
「なーに言ってんのヒロ。ここにおわす橋本先輩が目に入らないの?」
い?
「…長岡さん、そうはっきり言われると照れるよ…」
そう言って鼻の頭を掻く橋本先輩。
…なんですと?
ポカンとした俺の顔が気に食わないのか、志保は不機嫌そうな顔になる。
「なによぉ〜。私と橋本先輩がデートしちゃいけないってのぉ?」
「いや…なんで以前張り倒した相手とデートなんだ…?」
俺の率直な疑問を、ふっと橋本先輩が笑って答えた。
「…ああ、君は知らないのか。…あの後、しばらくしてから俺が彼女に謝ったんだ」
謝った?
「そう、それで橋本先輩がね、『これからは君を大切にするから、真面目な付き合いをしてほしい』…って言ってくれたのよ」
志保がポッと頬を赤らめて話す。
「…俺も以前は若かった…というか、自惚れすぎてたんだね。あのことがあってから、真面目に女の子と付き合おうと思って…」
そう言って先輩は志保の肩を抱く。
「それから、先輩とまた付き合うようになったのよ」
「君には感謝してるよ、藤田くん。俺を目覚めさせてくれたのは長岡さんと君なんだからね」
…すでに2人はラブラブモードに入っている。
「そう…なんですか。それはよかった。は、は、は…」
俺はズタボロの心を何とか奮い立たせ、棒読みゼリフを口にした。
「じゃ、ヒロ。ゲーム勝負はまた今度ね〜」
「じゃあ、藤田くん」
そう言って去る2人を、俺はヘロヘロと力無く手を振って見送った…。
☆☆☆
志保も…すでにダメだったとはな。
ふ…ふふ…ふふふ…ふふふふふふふふふ。
認めたくないものだな…自分の若さゆえの過ちというものを…。
…気が付くと俺は、また荒れる海辺に立っていた。
ちなみにまだ夕日のままだ。
ざっぱ〜ん。
波が浜に打ちつける。
「海よ…俺は何のために生きてきたんだろうなあ…」
独り呟く俺。
…死のう。
もう…生きていてもしょうがない。
このまま雅史エンディングを迎えるより、死んだ方がマシだ…。
「…くっそぉぉぉぉぉぉっ!死んでやるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
そのまま俺は、海に向かって駆け…出そうとした。
…その時。
「こおぉぉの、バカヒロユキがぁああああああああああああっ!」
バキィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!
いきなり、俺の目の前に金髪少女レミィが現れたと思うと、彼女は鉄拳で俺の頬を殴りつけた!
「ごふうううううううううううううううううっ!」
ばうんっ!
ゴム毬のように勢いよく吹っ飛ぶ俺!
「ヒロユキ!ワタシは、お前をそんな風に育てた覚えはありませんよっ!」
びっと人差し指を突きつけ、叫ぶレミィ。
「…いや、実際育ててもらってなんていないんだが」
「マァダ口答えするかコノ馬鹿弟子がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ベキィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!
い…いつから俺はレミィの弟子になったんだ…?
「い…痛いぜ、レミィ…」
「…痛い?なら、ワタシの手を取って…一緒に行きまショ。そして、もっと強くなるのよ」
そう言ってレミィは倒れた俺に手を差し伸べる。
「強く…?」
「ソウ…強く。今よりももっと、強く、強く、強く強く強くなるのヨ!」
…頭がぼうっとしてくる。
そうか…レミィと一緒にいれば、強くなれるんだな…。
レミィの手に自分の手を重ねようとした、その時。
「ダメだ浩之!それは催眠術だっ!」
背後から聞き慣れた声が。
「ていっ!タイガーショットォォォォォォォォォ!」
ゴオッ!
勢いのついたサッカーボールが、レミィに直撃しようとする!
「ハッ!」
しかしレミィは、2つのデカイおもりを胸にぶら下げているにも関わらず、身軽にそのボールをかわした。
「…クッ…惜しい、実に惜しい、モースコシで楽にヒロユキを手に入れることがデキタというのに…」
レミィが不敵に笑う。
「大丈夫、浩之?」
倒れている俺の元に駆け寄ってきたのは…雅史だった。
「雅史…お前、俺をムリヤリ雅史エンディングに連れて行こうと…」
「何言ってるんだよ浩之、もう少しでレミィに連れ去られるところだったんだよ」
連れ去られる…?
「どういうことだ、レミィ?」
「フフフ…アメリカに戻っても、誰もいないのヨ…。だから、だからヒロユキと一緒に行こうと思ったのヨ」
つうっ…とレミィの瞳から雫が流れ落ちる。
「レミィ…!?」
「オレゴンでヒロユキを追いかける私…そんなことを夢見ていたのに…」
レミィ…そんなに俺のことを!?
「…ウウッ…そして浩之をライフルでハンティング…ウウッ…そんな楽しい日々が待ってると思ったのに…」
待てい。
「じゃ何か!?俺は獲物かっ!?」
「当たり前ネ。浩之は狩られるためだけに生きているのヨ」
ひ…ひでえ!
「浩之は連れて行かせないぞ、レミィ」
ざざっと雅史が俺をかばう。
「フン…モウいーわよいーわよ、帰ってやるわよっ!リメンバーパールハーバーネッ!」
謎の言葉を言い残し、レミィは消えた。
☆☆☆
ざざぁ…。
「大丈夫かい、浩之?」
「ああ…」
砂浜に寝転がった俺の横に、雅史が座っている。
日は暮れている。…しかし、俺はそこから動きたくなかった。
ざざぁ…。
さっきまで荒れていたのが嘘のように、今は穏やかに波が寄せては返していく。
「ねえ浩之…さっき、なんで死のうとしたんだい?」
「それは…」
俺は、恋破れてズタボロになったことを正直に話した。
「浩之…甘い!」
突然、雅史の口調が変わった。
「ま、雅史?」
「甘い甘い甘い!福島土産のままどおるよりも甘いぞ、浩之!」
「そ、そんなローカルなお菓子の名前出されても…」
俺のツッコミを無視して、雅史は続ける。
「浩之!なぜ君はフラれた!?」
「ボウヤだからさ」
「………」
「………」
…ハズした。
雅史は、ひとつ咳払いをして話を続けた。
「浩之、君はあかりちゃんに何かしてあげたか!?あかりちゃんが離れないように繋ぎとめるようなことを、したことがあるのかっ!?」
「…い、いや。別にこれということは…」
「だろう!?そんなことで、彼女の心を放さないでいられるなどとは、笑止千万!ヘソで茶が沸くぞっ!」
なんかキャラクター変わってるぞ、雅史。
「…雅史」
「所詮、お前は拳と拳でしか語り合えない、不器用な男なんだっ!」
…言ってることがだんだんズレてきとるが。
「…雅史、錆びた刀で木を切れとか言うなよ」
「何を言っているんだ浩之!僕は、僕は浩之のためを思って言っているのにっ!」
会話が全然噛み合ってないような気がする…。
立ち上がった雅史は、海を指差す。
「見るんだ浩之!明けない夜はない!太陽は、沈んでもまた昇るんだっ!」
…こらこら、まだ夜だぞ…。
雅史の言葉を、俺は心で笑った。
…しかし、その時…海の向こうの空がだんだん白み始める!
「ばかなっ!さっき日が沈んだばっかりだろがっ!」
「嘘じゃないぞ浩之!現にこうして、太陽は昇ってきている!」
雅史の言う通り、海から顔を出した太陽は、序々に昇り始めている。
…って。
「おいおいっ!なんで日が沈んだ場所と同じ所から日が昇るんだぁぁぁぁぁっ!?」
「そんな細かいことはどうでもいいっ!見るんだ浩之!」
ど…どうでもいいのか?
しぶしぶと太陽を見る俺…。
………。
「どう浩之、昇る太陽を見て何を感じる!?」
「まぶしい(きっぱり)」
「…そ、それだけ?」
「おう」
………。
『アホー』
どこからかアホウドリの鳴き声が聞こえた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!浩之のバカァァァァァァァァァァッ!」
突然泣き出した雅史は、砂浜を駆けていく。
次第に泣き声は小さくなり、姿が見えなくなった。
☆☆☆
………。
ぽっつぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん。
俺はひとり、砂浜に取り残された。
「ふっ…結局、俺はひとりぼっちか…」
自虐的な笑い。
ふふっ…なんて無様なんだ、俺は。
「…惨めですね…藤田さん」
不意に、声が聞こえる。
「え?」
きょろきょろと周りを見まわす…がしかし、誰もいない。
空耳か?いや、確かに聞こえた…。
「藤田さん…ここです」
「おおっ?声はすれども姿は見えず、ホンにあなたは…」
「姫川琴音です、藤田さん」
「そう、琴音ちゃん…って…え?」
ざばあっ!
「どひょおおおおおおおおおおおおっ!?」
いきなり足元の砂が盛り上がったと思うと、そこから琴音ちゃんが砂まみれで現れた!
「藤田さん…この程度で驚くようでは、まだまだ修行が足りませんね」
冷ややかな口調で話す琴音ちゃん。
この程度…!?
「な、ななななんつう奇抜な登場方法を!?」
ウンコチビるほど驚いた。…ちょっと臭い。
「…恋人にも友人にも見捨てられて…なんて惨めな人」
「う…」
…はっきり言ってくれるな。
「藤田さん…今のあなたは、誰にも必要とされていないです」
ぐさっ!
「ちょっと…キツイ一言だぜ」
「でも本当のことですよね?」
ぐさぐさっ!
「人間のクズですね」
ぐさぐさぐさっ!
「生きている価値もないですね」
ぐさぐさぐさぐさっ!
…琴音ちゃんの言葉の槍に、俺の心は穴だらけになっていた。
「そ…そんなこと、どうでもいいだろうっ!」
「よくないです」
俺の言葉に、琴音ちゃんは首を振った。
「え?」
「私、藤田さんに協力して欲しいんです」
「協力…?」
こくりとうなずく琴音ちゃん。
「私は、今の藤田さんが必要なんです」
必要…。
俺が…必要…。
「う、うれしい…地獄で仏を見たような、そんな感じだ…」
砂まみれになっている琴音ちゃんが、まるで菩薩のように神々しく見えた。
「私の力に…なってくれますか?」
「おう!なってやるぜっ!」
琴音ちゃんのために俺は今、生まれ変わった!
藤田浩之は死んだのだ!
「これより俺は、スーパーアサルトバスター藤田浩之DXターボRと名乗るぜっ!」
ざっぱぁぁぁぁぁぁん!
波が打ち寄せる。
「そうですか…じゃ藤田さん、この契約書にサインしてください」
「いや、スーパーアサルトバスター藤田…」
「サインしてください、藤田さん」
「…しくしく…」
しょうがなく、俺は琴音ちゃんから手渡された契約書にサインする。
さらさら…。
「ハンコもお願いします。…拇印(ぼいん)でいいですから」
「え?でも俺、胸がないからなあ…」
…我ながら寒いギャグ。
ぴくっ。
さっきから表情を変えなかった琴音ちゃんの眉が、かすかに動く。
「それは…胸のない私に対しての挑戦…と受け取っていいんですか?」
その瞬間、急激に気温が低くなったような気がした。
ちら…ちら…。
何か、白いものが空から降ってくる。
…げっ!雪!?
「ごっ、ごめんなさい!そーいうつもりは毛頭ないですっ!くだらないギャグ言ってスミマセンでしたっ!」
「そう…。ならいいです」
琴音ちゃんがそう言うと、さっきの寒さが嘘のように気温が元に戻った。
よく見れば雪もぴったり止んでいる。
…て…天気を怒りで操る女…。怖すぎる…。
俺は、琴音ちゃんが出した朱肉をつけ、親指をギュッと契約書の名前のところに押し付けた。
「…契約成立、ですね」
ふっ…と笑う琴音ちゃん。
「琴音ちゃん…俺は何をすればいいの?」
「ここに書いてありますよ…ほら」
そう言って琴音ちゃんは契約書の裏を見せる。
『会員義務…幸せそうな人を見つけたら必ず不幸にすること』
………。
「こ…琴音ちゃん…」
「なんでしょう?」
俺は引きつる顔で琴音ちゃんに質問する。
「これって…何の会員?」
にこり、と笑う琴音ちゃん。
…天使のような、悪魔の笑顔。
「滅殺不幸クラブですっ♪一緒に世界を、不幸のどん底に叩き落しましょうっ♪」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」
☆☆☆
「だあっ!」
がばっっっ!
…あり?
…ここは…俺の部屋。自分のベッドの上。
………。
なんだ…夢かあ。
「ふう…」
それにしても…わけがわからないが、恐ろしい夢だった。
…あかりがセバスチャンと付き合うなんて、よく考えればあるはずがないんだよな。
「はははっ」
ひとり、笑う俺。
…そうだよ、全ては俺の夢だったんだ…。
「浩之ちゃ〜ん」
あかりの声。
時計を見れば、もう学校に行く時間だ。
今日もまた、あいつは俺を迎えにきたようだ。
…そうだ、この夢の話をあかりに聞かせてやろう。
あいつはなんて言うかな?
「浩之ちゃ〜ん」
あかりがまた、俺の名を呼ぶ。
なんでだろう…いつもは恥ずかしいのに、今日はあの『ちゃん』付けがものすごく嬉しい。
「浩之ちゃ〜ん」
3度目。
そろそろ返事をしてやろうか…。
…そう思った、その時。
「藤田どの〜っ」
え。
こ、こここここここの聞き覚えのあるいいいいいちど聞いたら忘れられないダダダダダダダダミ声はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
・
・
・
・
・
・
悪夢は当分…醒めそうもない…。