221年05月
5月。漢中の陽平関。
意気揚々と天水へ向け出陣した饗嶺が、一月も
経たずに兵を失い、重傷を負って戻ってきた。
饗嶺
鴻冥
饗 嶺「ううっ……」
鴻 冥「饗嶺さま!」
生きて戻った安心からか、饗嶺は関の中へ戻ると
馬上から倒れ落ちてしまった。
留守を任されていた鴻冥がそれを助け起こす。
饗 嶺「鴻冥、すまない……。天水城にたどり着く
ことすら出来ず、大事な兵を失ってしまった」
鴻 冥「何を言われます。
貴女が生きて戻ってきてくれたのです。
今は、それだけで十分です」
饗 嶺「いや、そういうわけには行かない。
この敗戦の責は、私が追わなければ……」
ちょうどそこに、劉備と孫尚香が居合わせていた。
劉備
孫尚香
劉 備「こりゃまた、派手にやられたものだなぁ〜」
孫尚香「ちょ、ちょっと。
アンタも負けは何度も経験しているでしょ。
もう少し気を遣いなさいよ」
劉 備「は? 気を遣う?」
孫尚香「もう少し彼女に配慮しなさいってこと。
絶対、今の聞こえてるわよ」
劉 備「勝敗は兵家の常。
負けたことをとやかく言うより、まずは
その負けの中から得られるものがあるのか。
そっちの方が大事だと思うがね」
孫尚香「……そういうアンタは負け続けたことで、
実にいろんなものを得たんでしょうね」
劉 備「そうさなー。いろいろ得たな。
たとえば、お前とか……」
孫尚香「な、何言ってるか、このアホ!」
ばきっ
饗 嶺「……なんか馬鹿らしくなってきたので、
とりあえず休むことにする」
鴻 冥「そうしてください」
今回、饗嶺は2万の兵を失ったが、陽平関には
7万の兵が残っている。まだ涼との兵力比で
不利な状況に立たされたわけではない。
また、孫桓、呂岱、全綜といった元呉の将が
新たに登用されており、人材の面では涼よりも
幾段も揃っていると言える。
江州にいる饗援も、饗嶺の敗戦の報を聞いても
さほど落胆はしていなかった。
饗援
櫂貌
饗 援「あれにはいい薬になっただろう。
以後は、他の将と協力して事に当たるように
なってくれればいいがな」
櫂 貌「母を意識してか、自分で何でもやらないと
気の済まない性格をしてますからね」
饗 援「フフ、母親からして我が強いからな。
さて、天水の敗戦以外の事で、涼に何やら
動きがあるというのは本当か?」
櫂 貌「はっきりとしたことまではわかりませんが。
何やら今まで以上に、兵の調練が活発に
なってきておるようです」
饗 援「天水を攻められたからではないのか?」
櫂 貌「いえ、それなら天水でも活発になるはず。
しかし今回、その動きが著しいのは長安、
次いで安定となっているのです」
饗 援「長安、か……。
……では、風向きが変わったのか?」
櫂 貌「さて、一時的な気まぐれかもしれません。
ですが、この風向きがこの先も続くとしたら……」
饗 援「楚には悪いが、我等には追い風となるな。
炎と涼の戦いに一切介入していない楚が、
これからは我ら、炎だけの味方になる」
櫂 貌「炎涼の戦いに決着が着く気配がないのも、
良くも悪くも大国楚が干渉してきていないから、
と言えますからね……。さて、どうします?
計略を用い、楚と涼の仲をさらに悪化させる
という手もございますが……」
饗 援「やめておけ。
下手にバレたら怒りの矛先がこちらに来るぞ。
せいぜい人の良い隣人のふりをしておけ」
櫂 貌「ははっ」
饗 援「漢中には、動くのはしばらく待てと伝えよ。
仕掛けるのは、涼が動き出してからだ」
☆☆☆
魏国、上党。
元呉の将だった徐盛は、魏国の登用を受け、
現在、軍師諸葛亮のいるこの地にいた。
徐盛
諸葛亮
徐 盛「軍師。以後、よろしくお願い致す」
諸葛亮「ふむ。いつぞやは私の邪魔をしてきた貴殿が、
こうして味方になる日がくるとは。(※1)
いやはや全く、面白いものですねぇ」
(※1 続金旋伝52章を参照)
徐 盛「あの時は仕えていた家が敵同士でした。
ただ、それだけのことです。
過去のことは水に流していただきたい」
諸葛亮「元より、恨みに思ったりはしませんよ。
しかし、呉が恋しくなったりはしないのですか」
徐 盛「いいえ、全く。元々、私は徐州の出。
主家が滅んだ今、呉に何の未練もありません。
ただ、己のために戦うのみです」
諸葛亮「では、貴殿はなぜ魏に来たのです?
元呉将の多くは楚に降り、炎にも流れた。
貴殿が魏を選んだ、その理由は何ですかな?」
徐 盛「失礼な話になりますが、消去法です」
諸葛亮「消去法?」
徐 盛「涼・炎は勢力の大きさで楚魏に劣ります。
そのうち第二の呉になるのは目に見えている。
残る楚魏のうち、楚は勢いを増すばかり。
降将にそう出番は回って来ないでしょう」
諸葛亮「だから、魏ですか」
徐 盛「ええ。魏ならば、私の歩兵と水軍の腕を
高く買ってくれるだろう、と判断しました」
諸葛亮「フフフ、流石ですね。貴殿のような知勇を
備えた将が来てくれれば、軍師の私も心強い。
いずれ、貴殿の戦いの時は来るでしょう。
それまで、楽しみに待っていなされい」
徐 盛「ははっ! その時はこの徐盛、必ずや、
手柄を立てて御覧にいれましょう」
一方、その頃。
涼から帰ってきていた武統は、滝に入り、
冷水に打たれて精神統一の修練を行っていた。
武統
武 統「くっ! まだまだ、修練が足りん……!
妖(あやか)しを自在に操るには、精神を鍛え、
もっと気を練り上げていかねば……!」
妖しを統べ、その力を振るう、妖術。
その数少ない使い手である武統は、来たるべき
古巣との戦いに備え、自らの修練に余念がなかった。
武 統「気だ、気を練るのだ……。
練る、練る、練れば練るほど色が変わって
こうやってつけて……うまい!」
テーレッテレー♪
武 統「私を軽く見た者たちを、見返してみせる。
拾ってくれた魏公のためにも、やらねばならん。
よし、次はドンパッチだ」
彼が古巣を相手に妖術を使う日が来るのか。
☆☆☆
魏国の次は涼国である。
元呉将、朱然は馬超のいる天水を訪れていた。
馬超
朱然
馬 超「お前が朱然か」
朱 然「はっ。朱然、字は義封。
こちらが私の名刺でございます」
馬 超「名刺……ふむ、本物のようだな」
朱 然「この朱然、涼の将として働きたく思い、
馬超どののお許しを頂きたく参りました」
深々と頭を下げる朱然。
馬超は、その彼に質問を投げかける。
馬 超「いくつか質問がある。
なぜ、我が父、涼公馬騰のいる安定ではなく、
この馬超のいる天水に参ったのだ?」
朱 然「馬超どのは涼公の嫡男であり、涼軍の中枢に
おられるお方です。貴方さまとの誼みこそ、
涼に仕える上で一番大事だと判断したのです」
馬 超「嬉しいことを言うじゃないか。
だがお前は元々、孫家に仕えていたのだろう?
孫権の妹の孫尚香は蜀炎に仕えたらしいぞ。
お前はこちらについてしまっていいのか?」
朱 然「私は孫権さまに仕えていたのです。
孫家との繋がりは、呉が滅び孫権さまが
亡くなられた時点で消えてなくなりました。
この後は、私は私の道を行くのみです」
馬 超「ふむ、元の家はどうでも良いか。
しかし、お前の義父、朱治は楚に仕えていると
聞いたが、そちらは大丈夫か?」
朱 然「そちらも同じことです。
所詮は義父、血の繋がりのない他人です。
もし敵として我が前に現れたとしても、
躊躇なく討って御覧にいれます」
馬 超「……では、なぜお前は涼に来た?
楚でもなく、魏でもなく、炎でもない。
この涼を選んだ理由があるのだろう?」
朱 然「は……。
私はただ、一番自分の才を発揮できるで
あろう勢力を選んだまでです」
馬 超「ほう」
朱 然「失礼ながら、涼は将の数が一番少ない。
また、騎馬は強いが、それ以外の才を持つ将は
それほど多くはない……。この私の才を十分に
発揮する場が、ここにあるということです」
馬 超「明け透けに言ってくれるな。
まあいい……。合格だ」
朱 然「では……」
馬 超「ああ、お前の才を買おうじゃないか。
父上にもこの旨、伝えておく」
朱 然「ありがとうございます」
一方、安定にて、涼公馬騰は軍師の楊阜、
庖徳と楚の脅威について協議を行っていた。
馬騰
楊阜
馬 騰「どうだ、楊阜。
楚との戦いについて、どう思うか述べよ」
楊 阜「どう見積もってみても、戦力が足りません」
馬 騰「足りないというと、どれくらいだ」
楊 阜「兵数で言えば、最低でも10万は足りません」
馬 騰「むむむ。それほど足りないか……。
では、兵がいないならミサイルでどうだ。
大陸間弾道ミサイルとかはないのか?」
楊 阜「はぁ?」
馬騰の言葉を聞いて、それまで傍らで黙って
座っていた庖徳が、涼公を嗜めた。
庖徳
庖 徳「涼公……。
何を馬鹿なことを言っているんです」
馬 騰「ば、馬鹿なことだと?」
楊 阜「全くですよ、もう。庖徳どの、
この際ですから、言ってやってください」
庖 徳「ええ。よく聞いてください、涼公」
馬 騰「なんだ」
庖 徳「いいですか。
大陸間弾道ミサイルなど無用の長物です。
使うなら短距離ミサイルで十分です」
馬 騰「おお、なるほど。確かにそうだ。
大陸を跨いでいるわけではないからな!」
庖 徳「そうです。使い所を間違ってはいけません」
楊 阜「おお……もう……」
前任の軍師だった法正が、捕まった魏からの登用を
すんなりと受けた理由が、なんとなくわかってきた。
楊阜は心の中で泣きながらそう思っていた。
楊 阜「昔はそれでもマシだったのに……」
馬 騰「何か言ったか、楊阜」
楊 阜「いいえ、何も。……とにかくです。
兵も足りなければミサイルなどもありません。
こんな状態で楚と戦うことは、戦略として
最初から負けています。承服できかねます」
馬 騰「そこまで言うか」
楊 阜「はい。そもそも、今、楚と涼は良好な関係を
保っておるのですし、こちらから彼らの手を
払うような真似はしないほうが良いかと」
馬 騰「楚はかつて手を結んでいた呉を滅ぼした。
安心していたらガブリと食われてしまうぞ」
楊 阜「だからと言って……」
庖 徳「軍師、攻め込まれてからでは遅いのだぞ。
攻められて先に不利な状態に立たされれば、
国力の差で押し切られるのは目に見えている」
楊 阜「では、蜀炎と講和をしてください。
蜀炎を味方につければ、楚とも戦えますが」
馬 騰「それは却下だ。
漢中を奪った奴らを許すわけにはいかん」
楊 阜「では、どうしろと!?」
楊阜は涙目だった。
涼の軍師になることは、胃潰瘍になることと
同義なんじゃあないかとさえ思えた。
庖 徳「軍師、兵が足りないからいけないのだな。
兵さえいれば、楚とも戦えると……」
楊 阜「え? ええ、まあ……。
最初に言った通り、最低10万は揃えないと」
庖 徳「では……。
その10万の兵を用意すればよろしい」
馬 騰「なに? アテがあるのか」
庖 徳「は、羌から借りましょう。
涼公とは良好な関係にある彼らでしたら、
10万の兵、喜んで貸してくれましょう」
楊 阜「羌から借りる……?」
楊阜は驚いた。
そんな裏技的な方法で、兵を調達できるのか。
馬 騰「しかし、借りたものは返さねばなるまい?」
庖 徳「危機を脱し、自前の兵で賄えるようになれば、
その時に返せば良いのです」
馬 騰「ふむ、それなら良かろう。
では、その方法で兵を調達することにする。
良いな、楊阜。それなら楚と戦えよう?」
楊 阜「え? あ、はい。確かに10万加われば、
どうにか戦える数にはなりますが……」
庖 徳「では、楚との戦いに向け準備に入ります。
いつでも開戦に踏み切れるようにしておきます」
馬 騰「うむ。では楊阜、兵の調達はよろしく頼む」
楊 阜「……はい?」
馬 騰「はい?ではなかろう。
お前が、羌から兵10万を借りてくるのだ」
楊 阜「な、なんですとぉぉぉ!?」
てっきり庖徳が窓口になってくれるものと
思っていたのに、いきなり自分に御鉢が回ってきた。
涼軍の軍師、楊阜。
涼の未来は彼の頑張りにかかっている。
楊 阜「はぁ……大丈夫かなあ、この国」
いや、ダメだろう。
☆☆☆
楚国、許昌。
数年前に献帝が洛陽より疎開して来てからは、
一応、漢の都となっている都市だ。
現在は、司馬懿、郭淮らと5万の兵が駐屯しており、
洛陽・宛・新野などと連絡を取り合う、楚国北部の
防衛構想の上でも重要な都市となっている。
楽淋
張虎
楽 淋「おー、張虎。ただいまー」
張 虎「ただいま? ここ数日姿を見なかったが、
どこに行っていたんだ?」
楽淋と張虎。
共に曹操の部下だった楽進、張遼の子であり、
歳もひとつしか違わない。
互いにソリが合わず仲が悪かった父たちとは違い、
彼らは幼少の頃から仲が良かったようだ。
敵味方に分かれて一時交流は途切れてしまったが、
張虎が楚に降ったことで、再び親交を深めていた。
楽 淋「あれ、言ってなかったか?
官渡港まで、ちょいと焼き討ちにな」
張 虎「官渡に焼き討ち?
魏領だが、兵はいない所じゃなかったか。
そんな所を焼き討ちしてどうするんだ」
楽 淋「ああ、お前は楚に来て日が浅いからな。
楚じゃな、前線にいる武将は暇さえあれば
どこかに焼き討ちしに行くんだ」
張 虎「そ、そうなのか?」
楽 淋「ああ。まあ、自己鍛錬の一環だな。
どこを焼くのかはそれほど問題じゃなく、
いかに成功させるかが問われるわけさ」
張 虎「なるほど……」
楽 淋「何度も成功させてると武力も上がるぜ。
俺なんか、昔と比べると4も上がっているぞ」
現在の楽淋の武力は79。
所持する七星宝刀の補正と合わせると89になる。
張 虎「なんだって?
昔は俺とほぼ同じくらいだったのに」
楽 淋「へへへ。
羨ましかったらお前も焼き討ちしまくれよ。
ま、追いつくことは難しいだろうがなー。
七星宝刀のパワーアップ分もあるからな」
張 虎「むむむ……。七星宝刀か。
親父の持ってる方天画戟があればなぁ……」
楽 淋「方天画戟?
昔、呂布が使っていたという、アレか?」
張 虎「その方天画戟だ。
少し前に親父が魏公から貰ったやつでな。
ああ、楚に降ることになると分かっていたら、
親父の所からくすねてきたのに……」
方天画戟を所持すると武力は8上がる。
武力74の張虎が持てば、82になる計算だ。
楽淋の89ほどではないが、楚軍内で見れば
一線級の将となるのは間違いない。
楽 淋「……こりゃ今言うべきことじゃないが、
お前、親父と違う勢力に来て良かったのか」
張 虎「いいんだ。親父と俺とは違う。
俺は楚で未来を掴んでみせるさ……」
楽 淋「いや、そういうことじゃなくて。
俺が言ったのはそういうのとは違う意味でだ」
張 虎「じゃあ、どういうことだよ」
楽 淋「お前さ、もし親父さんに会ったら……。
ぶっ殺されちゃうんじゃないか?」
張 虎「……ぁ」
張虎の顔から血の気が引いた。
怒りに満ちた親父の顔でも想像したのか。
楽 淋「……考えたことなかったのか。
せいぜい、会わないよう努力するんだな」
張 虎「な、なあ楽淋、親父に手紙書いてくれ。
張虎はいい奴だ、楚で真面目に頑張ってると」
楽 淋「何で俺がそんなことを」
張 虎「いいだろ!
ひとつ歳上の兄貴分が頼んでるんだぞ!」
楽 淋「はあ? ひとつ上くらいで偉ぶるなよ」
張 虎「なんだと!? お前、長幼之序を守れよ!
年下は年上に敬意を払うもんだぞ!」
楽 淋「何が敬意だ、俺より武力低いくせに!」
張 虎「言ったな、てめえ! 数字には現れない
俺の強さを思い知らせてやろうか!?」
楽 淋「へっ、上等だ!
どうせ数字通りの結果になるだろうけどな!」
仲がいいほど喧嘩するとは良く言うが……。
その一触即発の事態を救ったのは、ただそこに
通りかかっただけの男だった。
???「ど、どうなさったんですか。
なにやら険悪な雰囲気ですが……」
張 虎「いや、別に。何でもない、気にするな」
楽 淋「……あれ?
お前、確か、涼に潜りこんでた……」
楽淋は、その男の素性を思い出した。
確か、密偵として涼に潜りこんでいる男である。
密 偵「はい、定期連絡のため戻って参りました。
これから司馬懿さまに面会する予定です」
張 虎「ほう、そりゃご苦労さん」
楽 淋「涼の様子はどうなってんだ?」
密 偵「すいません。一応機密になりますので、
司馬懿さま以外には口外できません」
張 虎「そうなのか?」
楽 淋「ああ、許可されないとダメなんだっけ」
密 偵「申し訳ないです。では、失礼します」
密偵の男は、一礼して司馬懿の部屋へと向かった。
それを見送った二人は、先ほどの険悪な空気が
嘘のように、普通に会話を再開した。
楽 淋「涼か……。
炎とやりあって勝ったってのは聞いたけどな」
張 虎「馬騰のことだ、どうせまた調子に乗って、
変なことをやらかすんじゃないのか」
楽 淋「ああ、ありうるなー。
馬騰はウチの親分以上の奇人らしいし」
張 虎「ただ見てる分には面白くていいけどな」
楽 淋「違いない」
……密偵は、司馬懿と面会した。
涼の国内の様子をつぶさに報告する。
司馬懿
密偵
密 偵「各都市の情勢は以上です」
司馬懿「ふむ。戦力分布はそう変わりませんね」
密 偵「は。……ただ、それとは別にありまして。
長安で不穏な動きがあります」
司馬懿「不穏?」
密 偵「楚が長安に攻め込むかもしれない、
という噂が民の間に広まっております。
また、兵も慌しく動いているようです」
司馬懿「ほう」
密 偵「長安の南にある商県の城塞でも、
同様にせわしなく動き始めております。
これは私の戻るすぐ前、ごく最近の話です」
司馬懿「長安と商県が、か。
ということは、彼らはおそらく……」
密 偵「おそらく?」
司馬懿「……いや、何でもありません」
密 偵「差し出がましいことを申し上げますが、
我が軍の涼に対する防備は薄いと思います。
是非とも兵力の増強を」
司馬懿「その必要はないでしょう」
密 偵「司馬懿さま?」
司馬懿「これは魏の計略です。
楚と涼、互いに警戒感を抱かせ、仲を違える。
諸葛亮あたりの考えそうなことです」
密 偵「しかし、すでに涼は動きを見せております」
司馬懿「以前に呉が攻め込んで来たのも、
我が軍が兵を南へ動かした後のことでした。
今考えれば、あれも魏の計略だったのでしょう。
今回は、同じ轍を踏むわけには行きません」
密 偵「そう、ですか……」
司馬懿「貴方は涼へ戻り、情報を収集してください」
密 偵「わかりました。では、これにて……」
司馬懿「ああ、言い忘れました。涼に戻ったら、
天水周辺を重点的に探るようにしてください」
密 偵「天水? 長安周辺ではないのですか」
司馬懿「天水です。長安は無視して結構」
密 偵「ですが先ほども申しました通り、長安は……」
司馬懿「私がいいと言っているのですよ」
密 偵「……は。承知致しました」
司馬懿「それと、先ほどの長安や商県の話は、
絶対に他言しないようにしてください」
密 偵「は、ははっ。では、失礼します」
退室した男は、首をひねる。
密 偵「司馬懿さまはどういうつもりだろう……。
確かに兵を動かさず、涼を刺激しないように
したいというのも分かる話ではある。
だが、もし今、涼がこちらに攻めこんできたら、
防備が間に合わないのではないか。
まるで、わざと負けようとしてるかのようだ」
そんな様子で歩いていると、顔見知りの兵が
彼に話しかけてきた。
楚 兵「おー。涼から帰ってきてたのか?」
密 偵「ん、ああ。すぐ戻るけどな」
楚 兵「なんだ、そうなのか。
まあ、俺も寿春に行かなきゃならないから、
どっちみちすぐ別れることになるが」
密 偵「寿春に行くのか?」
楚 兵「ああ、定期報告の書類を持っていくんだ。
そのついでに、これも届けるんだ」
そう言って、手に持っている手紙の山を見せる。
密 偵「なんだ、それ」
楚 兵「皆が寿春まで行くなら届けてくれって
いろんな手紙を預けていったんだよ。
俺は郵便屋じゃないっつーのになー」
密 偵「鞏恋さま宛てのファンレターとかもあるな。
ん……? そうか、手紙!」
楚 兵「なんだ、お前も送る相手がいるのか?
1通増えても大して変わらないだろうし、
届けてやってもいいぞ」
密 偵「そうか。じゃあ、頼む。
ちょっと書いてくるから待っててくれ」
そのまま男は近くの事務室に乱入すると、
手紙を速攻で書き上げて戻って来た。
密 偵「こいつを届けてくれ。重要な手紙だ」
楚 兵「どれどれ、誰宛てに書いたんだ?
……え? 金玉昼さま宛てだって?」
密 偵「ああ。ちゃんと届けてくれよ」
楚 兵「お前、そうだったのか。
わかった。必ず、手渡しで届けてやる!」
密 偵「頼むぞ」
男は手紙を託し、涼へ戻っていった。
一方の兵士は、寿春へと向かった。
☆☆☆
寿春。
兵の異動作戦はまだ行われている最中であり、
それが終わらないうちは本格的に動くことも
なさそうな状態だった。
そんな中、金旋の前に現れた金玉昼は
深刻な顔で彼に話しかける。
金旋
金玉昼
金 旋「どうしたんだ玉、表情が硬いぞ」
金玉昼「うん……。ちょっと、ねー」
金 旋「恋の病?」
金玉昼「何でそうなるのかにゃ。
実は、深刻な問題が表面化したのにゃ」
金 旋「深刻?」
金玉昼「実は……」
金 旋「ちょ、ちょっと待て!」
金玉昼の言葉を遮ると、一旦深呼吸をする。
そして、すぐ続きを促した。
金 旋「よし、心を落ち着けたぞ。では、続きを」
金玉昼「……なんだかにゃ。ま、とにかく。
これは軍全体の問題なのだけど、実は……」
金 旋「実は?」
金玉昼「米が足りなくなってきたにゃ」
金 旋「は?」
金玉昼「だーかーらー。
兵糧の備蓄が足りなくなってきたのにゃー」
金 旋「備蓄が足りないって? 去年の秋は豊作で、
蔵もパンパンになるくらいだったろうに」
金玉昼「でも、呉との戦いで兵を多く動かしたから、
消費も大きかったのにゃ。それに……」
金 旋「それに?」
金玉昼「兵の異動にも、兵糧が多く使われてるのにゃ。
だからこのまま行くと、秋の収入が来る前に
米が尽きてしまう可能性も……」
金 旋「米がないならパンを食えばいいじゃない」
金玉昼「……その台詞、兵士たちが揃っている前で、
もう一度言ってみてほしいにゃ」
金 旋「いや、すまん。冗談だ。
しかし、このままだと兵糧が足りなくなるのか。
そいつは、確かに困った事態だ」
金玉昼「かと言って、兵の異動作戦を一旦休止に
してしまうわけにもいかないし……」
金 旋「止められないのか?」
金玉昼「すでに多くの人を投入して実行してるのにゃ。
一旦止めてしまうと、その人たちをしばらく
遊ばせて無駄にしてしまうことになりまひる」
金 旋「じゃ、どうするんだ」
金玉昼「お金は一杯あるから、各地の商人を通じて
兵糧を買って補充するしかないかにゃ」
金 旋「だったら、最初からそうすりゃいいだろ。
別に足りなくなることを心配せんでも……」
金玉昼「現状だと、どうも兵糧を使う量と買える量の
差がほとんどないのにゃ。
つまり、劇的に増やすことはできない」
金 旋「ということは?」
金玉昼「戦争なんかやったらアウト、ということにゃ」
金 旋「ふむ。深刻な顔にもなるってわけか。
でも、戦争で足りなくなるって言ったって、
数万から十万規模の兵を動かした場合だろう。
倭が来ても甘寧なら2、3万で迎撃可能だし、
魏はまだ動く気配ないようだしな」
金玉昼「でも、油断はできないにゃ」
金 旋「大丈夫だろ。秋まであと2ヶ月もないんだぞ。
秋になればすぐ、米も入ってくるんだし」
金玉昼「んー。でも一応、無駄遣いするなって通達は
出しておくことにするにゃ」
金 旋「わかった、それは許可する」
そんな話をしていると、許昌からやってきた
例の兵士が目通りしてきた。
楚 兵「失礼しまーす。郵便でーす」
金 旋「郵便?」
楚 兵「あ、間違った。すいません。
定期報告の書類をお持ちしましたー」
金 旋「ああ、いつものか。
とりあえず、秘書課に回しといてくれ」
楚 兵「了解であります。
あ、それとですね、軍師さまにこれを」
金玉昼「ん? 何にゃ、この手紙」
楚 兵「この手紙は私の友人からでして。
そいつから軍師さま宛てのファンレターっす」
金 旋「ファンレターか。アイドルみたいだな。
ラブレターなら俺が検閲を入れるところだが」
楚 兵「いえいえ、ファンレターっすよ。
鞏恋さまと並び、軍師さまは俺ら楚軍の
兵士たちのアイドルっす!」
金玉昼「ファンレターでも、ラブレターでも、
どっちだろうとちちうえには見せないにゃ。
……ま、とりあえず貰っておきまひる」
楚 兵「読んでやってくださいねー。では、これで」
兵士は退室していった。
金玉昼は、手渡された手紙を見てため息を吐く。
金玉昼「ふぁんれたー、か〜」
金 旋「なんだ玉、あんまり嬉しそうじゃないな」
金玉昼「以前貰ったファンレターが、変な内容で。
『貧乳はステータスです!
希少価値です!
需要はしっかりとありますから
胸を張っていてください!』
……なんてことが、延々と書いてあってにゃー」
金 旋「そんなん書く奴がいるのか」
金玉昼「冗談ではなく本気で書いてるらしいあたり、
その人の将来が心配になるにゃー。
それに、私は貧乳なわけじゃないのにゃ!
他人よりちょっと控えめなだけにゃー!!」
金 旋「俺にキレられても困る」
金玉昼「ま、ファンレターなんてどうでもいいにゃ。
とりあえず、兵糧を無駄遣いしないよう
通達を早めに出しておかないと……」
金 旋「明日から大根メシにするか?
米が3割、大根が7割くらいで」
金玉昼「流石にそれはブーイングの嵐になりまひる。
ウチの軍は、他国よりご飯が美味しいのが
売りだからにゃー」
金 旋「飯で高い士気を保ってる面もあるからな」
再び兵糧の話に戻った。
男が金玉昼に送った手紙は、彼女の持つ書類の
間に挟まれたまま、しばらく彼女の記憶からも
忘れさられてしまうこととなる。
涼に吹き始めた風は、やがて大きな嵐となり、
中華全体を巻き込もうとしていた……。
|