220年12月
呉郡に入城した楚軍を民は歓迎した。
城に入った金旋は、まず捕虜の孫権を引見する。
金旋
孫権
金 旋「さて、呉公孫権よ。釈明を聞こうか」
孫 権「釈明……?」
金 旋「それまで盟友であったはずの我が楚国に、
どうして攻め込んできたか、という釈明だ」
反曹操連合を組むなど、盟を結んでいた楚呉だが、
217年11月、呉が戦線を布告し荊州へ攻め入ろうと
したことから、両国は完全に敵対関係となったのだ。
孫 権「はっ、何を言うのかと思えば。
こちらが攻めねば、そちらが攻め入っただろう。
開戦前にそちらが兵力を南部に移したことで、
我ら呉との関係は切れたも同然であろう。
そちらが先に暗黙の宣戦を布告してきたのだ」
金 旋「暗黙の宣戦布告か。
ふ、なるほど……ものは言い様だな」
孫 権「貴様の罪を弾劾状として送ったであろう。
見ていないなどとは言わせんぞ」
金 旋「弾劾……あの難癖つけた布告状か。
まあいい、呉には呉の都合もあったのだろう。
これ以上は時間の無駄だ、やめにしよう」
孫 権「そうか。
こちらも無用の問答をする気はない。
さあ早く斬れ、これ以上は時間の無駄だ」
金 旋「そう急くことはあるまい、孫権。
それよりどうだ、楚に仕えてみないか?」
孫 権「は?」
金 旋「お前は呉を潰した。君主としては失格だ。
しかし一家臣としてなら、お前の統治能力は、
なかなか優れていると思うぞ」
孫 権「呆れた話だ。今まで敵対していた君主に、
そんな馬鹿げたことを言うとは思わなんだ。
わしがその申し出に頷くとでも思ったか」
金 旋「では、拒否か」
孫 権「当たり前だ! さあ、早く斬れ!」
金 旋「……甘寧」
金旋は、孫権のそばに立っている甘寧を呼んだ。
甘寧
甘 寧「何ですかな」
金 旋「孫権を縛っている縄を切ってやれ」
甘 寧「は!?」
孫 権「おい、何を勘違いしている!?
斬るのは縄ではない! この首だ!」
金 旋「勘違いなどではない。さあ、甘寧」
甘 寧「し、しかし」
金玉昼
金玉昼「ちちうえ、それはどうかと思うにゃ」
金 旋「ん?」
金玉昼「旧呉国の将は大体捕らえてはいるけれど、
数名の将は逃げ、放浪している状態にゃ。
この状態で旧主である孫権を野に放てば、
その者らと共に再び反抗してくることは明白」
金 旋「すでに揚州は平定されている。
もはや、兵を集めるような地盤はないんだぞ」
金玉昼「それでも、憂いは無くしておくべきにゃ」
金 旋「俺はそうは思わんな。なあ甘寧、
楚国の将兵はそこまで弱くはないよな?」
甘 寧「は、強大な国家を相手にするならともかく、
残党程度にやられるほどヤワではありません」
金 旋「それじゃ、縄を切ってやれ」
甘 寧「は、そういうことであれば。
おい、孫権の縄を切ってやれ」
金旋の横で、金玉昼が仕方ない、という顔を
見せたのを確認し、甘寧は孫権のそばで待機
していた兵に縄を切るように指示を出した。
兵は、孫権の身体を縛り上げていた縄を切る。
金 旋「どこへでも好きなところへ行くがいい。
再び刃向かうも良し、どこかで隠棲するも良し。
移動に関して、お前の行動を制限はしない」
孫 権「……勝手に話を進めるな、金旋。
わしに行くところなど、もはや無いのだ」
金 旋「そんなことはないだろう。
現に、妹の孫尚香は捕縛できなかったのだ。
妹共に生きていくのもまたひとつの道」
孫 権「いや……そうは行かない。
わしがいたとて、あれの足枷にしかならない。
それにわしは呉を潰した責を負わねばならん」
金 旋「責だと? 責任をどう負うというのだ」
孫権は、その金旋の言葉に答えを返さなかった。
彼はすぐに、そばにいた兵士に肘打ちを食らわせ、
ひるんだ隙に剣を奪い取る。
甘 寧「いかん! 衛兵、取り囲め!」
衛兵が、剣を手にした孫権の周りを取り囲む。
号令ひとつで、いつでも矛を突き出せる状態だ。
だが孫権は、周りの衛兵には全く目もくれず、
金旋を睨み、言葉を放った。
孫 権「楚王金旋。
貴様は敗者の心を知らぬと見える。
それでは天下を取ることなどできぬぞ」
金 旋「なに?」
孫 権「貴様がその程度でしかないなら、
孫家の再興も十分果たせるだろうな。
望みが出てきたというものだ」
金 旋「孫権、お前は……」
甘 寧「剣を捨てろ、孫権!」
孫 権「見ているがいい。再びまた貴様の前に、
孫家の者が立ちふさがることになる。
楽しみに待っているのだな」
金 旋「……甘寧! 孫権を止めろ!」
甘 寧「えっ?」
孫 権「……わしの死から孫家は再び蘇る!
孫家は不死鳥なり!」
ザッ!!
孫権は、自らの首筋を切り、果てた。
金 旋「敗者の心を知らぬ、か……。
俺の態度が高飛車すぎたのだろうか」
金玉昼「そんなことはないにゃ」
甘 寧「むしろ甘いくらいでしたな」
金 旋「そうか? しかしまあ、なんだな。
ここに元呉将を呼ばなくて正解だった。
旧主のこんな光景を見せずに済んだのは
不幸中の幸いと言える」
金玉昼「私としても、孫権を逃がさずに済んだのは
不幸中の幸いだったにゃ」
金 旋「それは言うな。
元々、捕虜を殺さないのはウチの流儀だろが」
金玉昼「君主は別にゃ。特に、カリスマのある人物は
絶対に逃がすわけにはいかないにゃ。
降伏しないとなれば、捕虜にし続けるか、
斬るかしないと、後の災いとなるにゃ……」
甘 寧「曹操なども、同様ですな。
捕まえたら、即、斬ってしまわないと」
金 旋「……(ふひゅー)」
金玉昼「ちちうえ、何を口笛なんて吹いてるにゃ」
金 旋「な、なんでもない。気にするなー」
甘 寧「それよりも、です。
このこと、内外にどう説明しますかな」
金 旋「孫権の死のことか……。
死者の名誉は守ってやるのが礼儀だろう。
孫権は屈辱に堪えて生きることを選ばず、
自ら死ぬことを選んだ……と発表してくれ」
金玉昼「いんにゃ、楚王と傷つけようとしたので、
仕方なく斬ったと発表すべきにゃ」
金 旋「おいおい、そりゃ酷いんじゃないか。
そりゃ剣は奪ったが、自刃するためだろう?
なんでそんなことを言う必要があるんだ」
金玉昼「……孫権の名誉を守るような内容だと、
他の捕虜にしてる人たちに影響が出るにゃ」
金 旋「影響?」
金玉昼「孫権に忠義を尽くしていた者は、
孫権を殺した楚軍の登用を受けたくはない、
そう言い出すかもしれないにゃ」
金 旋「おいおい、玉。
お前、孫権を逃がしたくないとか言ってたのに
それはないんじゃないか?」
金玉昼「それとこれとは話は別にゃ」
金 旋「そうかねえ。まあ、心配はいらんよ。
例えば『孫家』というくくりで考えるなら、
孫匡や孫朗、孫瑜らが既にこちら側にいる。
『呉国』で考えてみても、すでに国はない。
登用を拒む者はほとんどいないだろうよ」
金玉昼「そんなもんかにゃ」
金 旋「そんなもんだ。
孫権は俺を『敗者の心を知らぬ』と言ったが、
立場の弱い人間の心は知ってるつもりだ」
甘 寧「ほう」
金玉昼「ま、ちちうえの人生の大半は、
強者の顔色を窺う人生だったからにゃー」
金 旋「苦労してきた人生と言ってくれ」
発表は、最初に金旋が言った通りの内容となった。
金玉昼の心配に関しても、金旋の言った通りとなった。
今回捕らえた捕虜のうちで、楚国の登用を拒む者は
ほとんどいなかったのである。
☆☆☆
呉郡を脱出した孫尚香と劉備。
その逃避行の途中、寂れた山村の宿にて
休息を取ることにした。
劉備
孫尚香
老女将「おや、この時期に客なんて珍しいねぇ。
こんなところに親子で旅行かえ」
劉 備「お、親子!?」
孫尚香「そうなんですよ。さ、お父さん。
この宿で少し休むとしましょうか」
劉 備「親子か……。親子ね……ハハハ」
老女将「そういや聞いたかえ?
呉国が滅んで、孫権も自害したそうだよ。
ま、こんな話、わしら下々の者にとっちゃ、
あまり関係ないだろうけどねぇ」
孫尚香「えっ……。じ、自害……!?」
老女将「ああ、確かな話らしいよ。
孫権の妹の孫尚香は逃亡してるそうだけど、
今はどこにいるのかねえ……」
劉 備「あ、ああ女将。わしらは疲れたんで、
もう部屋で休ませてもらうとするよ。
朝まで放っておいて結構だからね」
老女将「そうかい? じゃ、お休みなさいな」
劉 備「うむ。ほれ、行くぞ」
孫尚香「あ……は、はい……」
怪しまれないようにと、孫尚香は気丈に
劉備を支えながら部屋に入っていった。
だが、部屋に入って扉を閉めるとすぐに、
力なくその場に崩れ落ちた。
孫尚香「兄上……!」
劉 備「やはり、こうなってしまったか」
落胆する孫尚香。
だが、対する劉備は、孫権が死ぬだろうことは
ある程度、予測をしていた。
劉 備「悲しむのは仕方がないが……。
ほれ、こんなところに座り込んでないで。
そちらの椅子にでも腰掛けなさい」
孫尚香「あ……。うん……」
劉備に抱え上げられ、孫尚香はようやく
近くの椅子に腰を下ろした。
孫尚香「ありがとう……」
劉 備「おお? こんな些細なことで礼を
言われるとは思わなかったが……」
孫尚香「違うわ……。
これまで、ありがとうっていう意味よ」
劉 備「これまで? そりゃどういう意味かな」
孫尚香「もう、私のことは放っておいていいわ。
これからは貴方の好きなようにしなさい」
劉 備「な……何をいきなり」
孫尚香「兄上は既にこの世にはいない……。
貴方ももう孫家の臣ではなくなった」
劉 備「ま、それは確かにそうだが。
呉郡を出た時点で敬語もやめておるしな」
孫尚香「もう、私についてくる必要もない。
どこでも好きなところに行くといいわ。
義弟のいる魏に行くのもいいかもね……」
劉 備「何を言われる。
わしはこれからも貴女と共に進むぞ」
孫尚香「劉備……」
劉 備「孫権どのから貴女を託す言葉を戴いた。
それは確かだ。しかしそれだけではない」
孫尚香「それ以外に何があるって……」
劉 備「わしは、貴女を伴侶としたい。
そして、貴女と共に戦い続けたいのだ」
孫尚香「……こんな時に口説き文句?
それで何人の女を口説いてきたの?」
劉 備「うーん、30人くらいであったかな」
孫尚香「…………」
劉 備「あいや、数は多いが心配は無用!
わしはいつも本気で口説いておるからな。
今の言葉にも偽りなどはないぞ!」
孫尚香「ほう」
劉 備「いやいや、さらに心配は無用!
本気度で言えば、今回が最高である!
貴女が他と同じだと言う訳ではないぞ!」
孫尚香「ふーん」
劉 備「えーと、その……孫尚香さん?
もう少し、いい反応をしてくれると
期待していたのですが……」
孫尚香「ぷっ……。貴方はまるで、道化ね」
劉 備「え?」
孫尚香は、ぐいっと劉備の袖を引っ張り、
劉備を傍に引き寄せる。
二人の間の距離が、一気に縮まった。
孫尚香「私の落ち込んだ気持ちを紛らわせようと、
わざとおどけてみせているのでしょう?
でなければ、そんなスラスラと言葉が
出てくる訳はないわ」
劉 備「あー、それはその……」
孫尚香「女にも男にもそんな調子なのかしら。
ふふ、そうね。それなら人たらしの劉備と
呼ばれているのも頷けるわ」
劉 備「いやあ、参ったなぁ。
面と向かってそう褒められると……」
孫尚香「別に褒めてる気はないんだけど」
劉 備「なんだ、褒めてないのか」
孫尚香「……ま、それはそれとして。
それじゃ、これからよろしくね」
劉 備「は?」
孫尚香「『は?』じゃないでしょう。
今自分の言った言葉をもう忘れたの?」
劉 備「『面と向かってそう褒められると……』」
孫尚香「もっと前よ」
劉 備「『親子か……。親子ね……ハハハ』」
孫尚香「戻りすぎ!」
そこで劉備は、じっと孫尚香の顔を見た。
いつになく真面目な顔で、語りかける。
劉 備「『わしは、貴女を伴侶としたい』」
孫尚香「そ、そう。それよ」
劉 備「そうか……受けてくれるのか。
ようやく、わしの妻になる気になったか」
孫尚香「う、うん……。
で、でも! 手料理とかを私に期待されても
困るからね。握り飯しか作れないんだから!」
劉 備「それで十分。
その握り飯のおかずはわしが作るとしよう」
孫尚香「細やかな気遣いとか全然、出来ないからね!
私はガサツで大雑把で無神経なんだから!」
劉 備「うんうん、気を使うのはわしに任せなさい」
孫尚香「身体にはいくつも傷とかアザとかあるし」
劉 備「それだけ精一杯生きて来た証だろう?」
孫尚香「わ、私は、夫の3歩後ろを歩いていくような、
そんなおしとやかな女じゃないからね!?」
劉 備「知っておるよ、それくらい」
孫尚香「閉口するくらいワガママ言うからね!?」
劉 備「それも知ってる」
孫尚香「寝相だってものすごく悪いんだから!」
劉 備「そ、それは知らなかったが……。
張飛の寝相に比べれば可愛いものだろう」
孫尚香「そ、それから、それから……」
孫尚香は、次の言葉が続かなくなった。
そんな彼女を、劉備はそっと抱きしめた。
劉 備「良いのだ。そのままでいい。
弓腰姫と呼ばれる孫尚香のままでいいのだ」
孫尚香「う……」
劉 備「男勝りで負けず嫌いな孫尚香でいいのだ。
わしを困らせるワガママな孫尚香でいいのだ。
すぐに拗ねる子供のような孫尚香でいいのだ」
孫尚香「うう……」
劉 備「わしが妻にしたいのは、そんな自然な表情を
見せてくれるお前なのだから……」
「うわぁぁぁぁん!!」
……その夜、二人は夫婦の契りを交わした。
翌朝。
二人は宿を出て、再び逃避行を続ける。
孫尚香「で、これからどこに行くの?」
劉 備「そうさなぁ。どうしたものか……」
孫尚香「頼りないわねぇ。もっとしっかりしてよ」
劉 備「やれやれ、朝になったらまた元通りか。
昨晩はあんなに可愛かったのに……」
孫尚香「な、ななな何言ってるのー!」
劉 備「さて、冗談はこれくらいにして」
孫尚香「じょ、冗談だとー!?」
劉 備「いや、可愛かったのは本当」
孫尚香「うがーっ!!」
劉 備「はっはっは。……さて。
行くアテはいくつか考えてはいるが……。
『孫家再興』を果たすなら、あそこがいいかな」
孫尚香「どこ?」
劉 備「お前さんを一番歓迎してくれる勢力だ。
彼に仲介を頼めば、おそらく大丈夫だろう」
孫尚香「……彼?」
劉 備「お前さんも顔見知りの男さ。
わしの以前の部下で、実に頼りになる人物だ。
……少々、嫌な性癖を持っているがね」
孫尚香「あー、あれか」
劉 備「さあ、新天地を目指し、出発進行!」
孫尚香「はいはい」
二人は、西へと向かって馬を歩ませる。
目指すは益州、炎の国だ。
☆☆☆
220年もあとわずか。
楚国内では、慌しく年を越す準備が進められていた。
そのうちの寿春でも、それは変わらず。
魏延
魏 延「うう〜、腱鞘炎になってしまう……。
それでも、今年中に書ききってしまわねば」
金目鯛
費偉
金目鯛「……ありゃ何をやってるんだ?」
費 偉「魏延どのですか?
あれは始末書を書いているんですよ」
金目鯛「始末書?」
費 偉「先日、商人に誘われて米の先物取引に
手を出したのですが、相場が暴落してしまい、
投資した金額全部を失ってしまったのです。
その被害額はというと、20万金ほど」
金目鯛「に、にじゅうまん!?」
費 偉「楚国全体の備蓄金の2割強になりますね。
そういうことですので、あんなに大量の始末書が
必要になってしまったというわけです。
それでも始末書だけで済んでしまうんですから、
かなり軽い処分とも言えなくもないですけど」
金目鯛「確かに、損害の金額の大きさを考えると、
もっと重い処分でもいい気はするが」
費 偉「まあ、商人に投資して利益を上げることは
政務のうちとして認められてますからね」
金目鯛「俺は手を出さないぜ。失敗が怖い。
こういうのはウチの魚鉢に任せるとしよう」
費 偉「ああ、三男の金魚鉢どのですか。
いよいよ元服されるのでしたね」
金目鯛「ああ、頭の良さは玉昼にも匹敵するぜ。
お前さんもビシビシ指導してやってくれ」
費 偉「ははは、軍師どの並みの知恵者では、
私が教えることなどないでしょうに」
金目鯛「いや、それがな。変なところは詳しい癖に
常識的なことは知らなかったりしてな。
そういう感じなんで、よろしく頼む」
金目鯛の三男、金魚鉢は翌年に15歳になる。
その智謀は叔母の金玉昼も舌を巻くほどで、
金旋や金目鯛も期待をかけているようだった。
鞏志
公孫朱
鞏 志「大掃除の分担割りはこんな感じでよし、と。
おや、公孫朱さん。その花瓶は?」
公孫朱「城内の梅の花の蕾みが膨らんできたので、
水に入れて置いておこうと思いまして。
新年祝賀の宴の席では、綺麗な花を見ながら
お酒が飲めると思いますよ」
鞏 志「それはそれは、風流でいいですね。
細やかな心遣い、流石に女性らしい」
公孫朱「え、えへへ、んだなことねぇー。
花を見ながら酒飲みしっちと思っただけだぁ」
(えへへ、そんなことないです。
花を見ながら酒を飲みたいと思っただけです)
鞏 志「そ、そうですか。
……表情がいつになく明るい気がしますが、
何かいいことでもありましたか?」
公孫朱「あ、大したことじゃありませんが。
伯父が無事だったと聞かされましたので」
鞏 志「伯父……。
ああ、呉軍にいた公孫康どのですか。
呉郡陥落の折、捕虜となったらしいですね」
公孫朱「ええ、陥落の報と共に伯父が捕らえられて
無事だということも知らされましたので。
伯父には色々とお世話になりましたから……。
今なら伯父も、楚国につくことに何も抵抗は
ないはずです。登用は容易だと思います」
鞏 志「なるほど。もうすぐ伯父さんと共に戦える、
その嬉しさが表情に出ていた訳ですか」
公孫朱「ええ、もう私自ら登用に行きたいくらいです」
鞏 志「では私からも推薦しておきましょう。
年明けすぐにでも、登用に行ってもらうように
なるかもしれません」
公孫朱「はい、よろしくお願いします。
おんつぁんと、また梅の花を一緒に見れるかな」
伯父と共に見た思い出があるのだろうか。
公孫朱は、梅の花の蕾みを指で弾きながら呟いた。
その時、バタバタと兵士が駆け込んでくる。
楚 兵「公孫朱さまはいらっしゃいますか!?」
公孫朱「はい? どうしたのです」
楚 兵「はい、それがその……急報が届きまして」
公孫朱「急報?」
鞏 志「公孫朱どのに、直接か?」
楚 兵「は。仔細は、使者が届けましたこちらの
書状に書かれておるそうでございます。
急ぎ読んでほしいと」
書状を渡された公孫朱は、中を開いて読み始める。
……すぐに、その表情が変わった。
公孫朱「伯父が……公孫康が……。
亡くなったそうです……」
鞏 志「ええっ!?」
公孫朱「獄中で体調を崩し、閣下のご配慮もあって
部屋を移されたそうなのですが……。
翌日にはもう、息を引き取ったと……」
鞏 志「なんと……」
公孫朱「おんつぁん……早えよぉ。
ちょっくら待ってでくれりゃ、また会えたのに。
いまちっと我慢できねがったのげ……。
うう……うああああああんっ」
公孫朱は悲嘆にくれた。
親族がバラバラとなっていた公孫朱にとって、
伯父の公孫康はこれから頼りにしたい存在だった。
それが顔を合わせる間もなく亡くなってしまい、
その喪失感は大きいものがあったのだろう。
彼女は失意の中、公孫康の葬儀のため
呉郡へと向かった。
☆☆☆
公孫康。享年49。
遼東一帯を支配していた公孫氏の頭領であり、
公孫朱の父である公孫恭の兄。
父の公孫度の跡目を継いだが、曹操に攻められ、
領地を失った後は呉に渡り、その将となった。
そして再び国を失い、姪の公孫朱を頼りに
再起を図ろうか……という矢先のことだった。
下町娘
公孫朱
下町娘「このたびはご愁傷さまでした……」
公孫朱「いえ……。
葬儀に出ていただいて嬉しく思います」
一国の主だった時期もある人物にしては、
参列者も少なく、質素な葬儀であった。
楚に登用された訳でもなければ、呉の譜代の臣
でもなく、かなり微妙な立場だったからだ。
楚軍から葬儀に参列したのは、金旋の名代として
金満、下町娘の二人のみ。
他には、公孫康と個人的に親交があったのだろう
一般市民が少し来たのみだった。
下町娘「気を落とさないでね。
何かあれば、私も相談には乗るから」
公孫朱「はい……。ありがとうございます」
その時、ドタドタと足音を鳴らしてやってきた
人物が一人。会稽から飛んできた張苞だ。
張苞
張 苞「公孫朱さん!
こ、このたびはご愁傷さまでしたぁ!」
公孫朱「あ……い、いえ、ありがとう」
下町娘「張苞? あなた、会稽での仕事は?」
張 苞「公孫朱さんが悲しんでる時に、
チンタラ仕事なんかやってられますか!
こうして、馬を飛ばして来たって訳ですよ」
下町娘「仕事放り出してきたの!?
ちょっと、それは……」
張 苞「公孫朱さん、大丈夫っス!
俺がついてますから、悲しまないでください!
ずっと一緒にいますから!」
公孫朱「……なにおだってんだ?」
(何を調子のいいことを言っているの?)
張 苞「はへ?」
公孫朱「仕事放り出してきて何が俺がついてる、だ!
ざけんでね! (ふざけないで!)」
張 苞「は、はいぃぃ?」
公孫朱「おめ何様だ!? 偉そなこだ言うめぇに
やるべきこどやってこ! こんだれすけ!」
(お前は何様ですか? 偉そうなことを言う前に
やるべきことをやってきなさい! この怠け者!)
張 苞「よ、よく分からないけどごめんなさい!
仕事は放り出してきたわけじゃないです!
ちゃんと行っていいって許可は貰いました!
だ、だからそんなに怒らずとも……」
公孫朱「やがまし! 大体、おめぇおんつぁんのこと
これっぱかしも知ってね癖に、かすかだりも
ええ加減にしとけ、ごせやげちまうわ!」
(やかましい! 大体、お前は伯父さんのことを
これっぽっちも知らない癖に、調子こいてるのも
いい加減にしなさい、腹が立ってくるわ!)
張 苞「ひ、ひぃ!?」
下町娘「ど、どうどう。
そこまで、そこまでにしておきなさい。
ほら張苞、今日の所はもういいでしょ。
早く行きなさい!」
張 苞「は、はい、す、すいませんでした……」
張苞は逃げるようにして出てきた。
その外に待ってきたのは、一緒に来た関興。
関興
関 興「さ、どうだった? お前の言ってた通り、
彼女は心を許してくれたか?」
張 苞「……いいや、すごい剣幕で怒られた」
関 興「そうだろうな。親族が死んで悲しい時に、
そんなアホを言い出す奴がやって来たら、
そりゃあ誰だって怒るさ」
張 苞「あ、アホだと? 俺は彼女を思って……」
関 興「残念だが、そこまで彼女と親しくないだろ。
あまりにも踏み込みすぎたんだ、お前は」
張 苞「ぐむう……。悔しいが、今はそれを正しいと
認めざるを得ないな……。
でも、お前だって孫尚香に逃げられただろ!」
関 興「逃げられて悔しいのは確かだが。
俺の場合、自分がしくじった訳じゃないしな」
張 苞「むむむ」
関 興「孫尚香どのは、どこにいるのだろう……。
居場所さえ判れば、飛んでいくんだがな」
張 苞「で、俺みたいに罵声を浴びる、と」
関 興「お前とは立場が違う。
罵声を浴びせられても、俺の方が立場は上だ。
強引に自分のモノにしてしまえばいいのさ」
張 苞「うぐぐ……。
あ、あれだな。結婚争いの結果が出るのは、
まだまだ先になりそうだな」
関 興「そうだな……。
今日はとりあえず、宿舎に行くとするか」
張 苞「おう、今日は呑むぞ!」
関 興「やれやれ。
またお前の酒に付き合わされるのか……」
張 苞「そうだ、魏光どのもここにいるんだろ。
酒のつまみ作ってもらおうぜー」
関 興「たまには女に作ってもらえよ」
張 苞「うるせー!」
二人は揃って歩き出した。
……いつのまにか、その後ろを誰かがついてくる。
若い女のようだが……。
???
???「あの……」
張 苞「ん? 何だい、俺らに何か用でも?」
???「いえ、私が用があるのは貴方様ではなく、
そちらの……」
関 興「ん、俺がどうしたんだ?」
???「や、やっぱり……!
ようやく……ようやく見つけたわっ!」
この女は一体、何者なのか。次回、急展開!
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