○ 第六十六章 「プリンス・オブ・ヒゲ」 ○ 
220年3月

呉郡。
以前までは呉軍の本拠地は秣陵であったのだが、
阜陵が魏軍に落とされてからは、孫権は危険を避け
秣陵の東に位置するこの呉郡に居を移していた。

 呉周辺

その、とある日の朝……。

 ガシャーン!!

 「酒だ酒! 酒が足りんぞっ!」

   孫権孫権   張昭張昭

張 昭「なんですかな、全く騒々しい」
孫 権「おお、張公ではないか。
    こんな時間に顔を見せるとは珍しいな」
張 昭「今朝は早くに目が覚めましたもので。
    それより……。こんな朝方からお酒を召して
    おられるのですかな」
孫 権「酒でも飲まねばやってられんのでな。
    どうだ、一杯付き合わんか」
張 昭「まったく嘆かわしいッ!!
    孫家の頭領、そして呉公にまでなった方が、
    朝から酒びたりなどと!」
孫 権「そう言うな……。今朝、昔の夢を見てな。
    黄蓋がわしと共に戦場をかけていた時の夢だ。
    それで……彼のことを思い出したら、こう、
    どうしようもなく飲みたくなってな」
張 昭「黄蓋ですか。今年の頭で亡くなりましたな。
    忠義に篤き老将でございました」
孫 権「忠義の士は死に、有能な士は去る……。
    周瑜や呂蒙、韓当や潘璋も去ってしまった。
    陳武、董襲、賀斉もまた、同じく……。
    おまけに弟の孫匡、孫朗まで、裏切った」
張 昭「わしはここにおりますぞ」
孫 権「張公だけおってもなぁ……。
    それに、お主ももう長くあるまい」
張 昭「失礼な。まだまだ、あと20年は生きますぞ」
孫 権「20年? 勘弁してくれい。
    その間、ずっと小言を聞き続ける身にもなれ」
張 昭「では、小言を言われぬようになさいませ。
    まあ、わしのことはともかくとして……。
    殿の下には、忠義に篤く、かつ有能な士は
    まだまだ残っておるではありませんか」
孫 権「そんなにいるか?」
張 昭「程普、魯粛、陸遜、太史慈、周泰、徐盛。
    庖統、諸葛瑾、孫桓、朱然、全綜。
    そして妹君である孫尚香さまもおりますし、
    忠義という点では少々胡散臭い存在ですが、
    まだ劉備も、逃げずに残っております。
    他にも、幾人もの将が変わらず仕えてますぞ」
孫 権「そうは言うが、以前と比べれば……」
張 昭「一頃に比べればそれは寂しくもなりましたが、
    それでもこれからまた再起を果たすには
    十分ではありませんか」
孫 権「再起か……。だが、現実は厳しい。
    兵も碌におらず、魏軍が阜陵港に居座り、
    そして最近また翻陽港に楚軍が入ったと聞く。
    これでは、とてもとても……」
張 昭「ああ、なんと弱気な。
    いいですか、諦めたらそこで戦いは終わりです!
    後事を託された兄君に、申し訳が立ちませんぞ」
孫 権「兄上に……?」
張 昭「そうです。こんなことでは、あの世で兄君、
    孫策公がなんと申されますことか……」
孫 権「あ、兄上が……」
張 昭「せめて、最後まで希望をお持ちあれ。
    精一杯やって、それでも負けたのであれば、
    兄君もお許しになられるでしょう」
孫 権「……いいや! 兄上はそんなに甘くない!
    泣いても叫んでも、自分の気が済むまでは
    絶対に許さない人だ、あの人は!!」
張 昭「は、はぁ。確かに厳しい方ではありましたな」
孫 権「い、いかん……それではいかん!
    まだわしは死ぬわけにはいかんーっ!!
    うおお、何としても生き残るのだ!」
張 昭「ああ、殿、どちらに参られるのですか」
孫 権「兵を訓練してくる! 後は頼むぞー!」

孫権は走って外へと出て行った。
そこに残された張昭はひとり、呟く。

張 昭「はぁ……。
    思った通りには行かなかったが、結果的に
    やる気を出してくれたし、良しとせねば」

『内のことは張昭に、外のことは周瑜に聞け』
孫策は死の間際、孫権にこう言い残している。

周瑜が去った今、孫権の一番の相談相手は
この老臣しかいなくなっていた。

張 昭「しかし、状況が厳しいことには変わりはない。
    呉が、そして殿がこの先生きのこる為には、
    降伏も視野に入れていかねばならぬか……」

なんとしても呉と孫権を生かし続ける。
張昭は、その使命をまっとうしなくてはならない。

張 昭「だが、まだ定まってはおらぬ。
    まだ、楚と魏が争っている今のうちならば、
    再起の望みはあると思うのだが……」

張昭は、彼が苦手な外交にも頭を悩ませながら、
死ぬまで自分が孫権を支えていかなければな、
と意識を新たにするのだった。

    ☆☆☆

場所は変わって、廬江。

 廬江

   金旋金旋   金玉昼金玉昼

金 旋「なあ玉、ひとつ聞きたいんだが」
金玉昼「何にゃ」

部屋へと入ってきた金玉昼に対し、
金旋はその疑問を投げかけた。

金 旋「……何やったらそんな怪我をするんだ?」
金玉昼「き、気にしないで欲しいにゃー」

今の金玉昼の姿は、両手で松葉杖をつき、
両足を包帯で巻いた、痛々しいものだった。

金 旋「まるで高い所から落ちたような怪我だな」
金玉昼「本当に気にしないでいいにゃ〜!」
金 旋「大体、両足とも怪我をしてるのなら、
    部屋でずっと寝ててもいいんだぞ?」
金玉昼「そうはイカぽっぽ。
    軍師たる者、あらかじめ取っておいた
    有給休暇以外では休まないのにゃ!」
金 旋「残ってる有休を使って休んでもいいんだぞ」
金玉昼「本当に、大丈夫、大丈夫にゃ!」

金玉昼を軍師とし、裁量を任せているものの、
彼女のその智謀に対しては、金旋は必ずしも
全幅の信頼を寄せているわけではない……。

金旋とマスクドスフィアとの会話の中で、
金玉昼はそのことを察していた。

彼女にしてみれば、そんな状況で休んでなど
いられない、ということなのだろう。
それでなくとも、揚州東部への侵攻の準備で
大事な時期である。

    下町娘下町娘

下町娘「ううっ、金旋さま……。
    玉ちゃんの気持ちを汲んでやってください」
金 旋「あー、確かに大事な時期ではあるけどな」
金玉昼「そう! だからいいのにゃ!
    それより、早く打ち合わせ済ましまひる!」

金 旋「それじゃ状況の整理よろしく」
下町娘「はい。ひとまず廬江城の修復は完了。
    また、他の内政値もMAXとまでは行きませんが、
    それでも一定値には達してます。
    後は数名の将に任せても大丈夫でしょう」
金 旋「では、遠征準備の方は?」
金玉昼「兵の訓練は全て終了していまひる。
    後はこの廬江の軍を尋陽に移動させるのみ。
    作戦の方も準備はしてあるにゃ」
金 旋「山越討伐の霍峻の軍はどうなってるんだ?
    2月に山越大王の遠征軍を迎撃して以来、
    さっぱり動いていないようだが」
金玉昼「4月に新たな作戦を開始するとのことにゃ。
    4月以降なら、山越軍はその対応で手一杯と
    なって、北上してくることは無くなるにゃ」
金 旋「むー。本当に大丈夫か?
    戦力はまだ3、4万ほど残ってんだろ」
金玉昼「その心配を取り除くために、わざわざ閣寺を
    翻陽に向かわせたんじゃないのかにゃ」
金 旋「ん、まあそうなんだが……」
金玉昼「嫡孫の金閣寺を大将に3万の兵を持たせ、
    柴桑に李厳・呉懿を置いてバックアップさせる。
    ……これ以上、何を心配するというのにゃ」
金 旋「なんとなくな、人選を間違えたかなーと」
金玉昼「人選?」

    ☆☆☆

揚州、翻陽港。

 廬江

翻陽湖の東に位置するここは、南東に行けば山越、
東に行けば会稽、北東に行けば秣陵に辿り着く。
つまり、ここを抑えておけば、どの地域にも兵を
繰り出すことが可能なのである。

ここを遊撃基地として、各地の主戦部隊が苦境に
陥った際にすぐ救援を送れるようにする──。

その任務を任されたのが、金閣寺だった。
山越軍の侵攻を受け空白地となっていたこの港に、
彼は3万の兵を率いてやってきた。

さて、占領したまではよかったが、しばらく前まで
呉軍の支配下だったため、幾度も幾度も楚軍による
焼き討ちを受け続けてきており、施設内はもう
ボロボロの状態であった。

長らく駐屯するためには、これを修復していく
必要があると、金閣寺は思ったのだが……。

    金閣寺金閣寺

金閣寺「ですから……。先ほども言いましたが、
    この先しばらく使う施設なんですから、
    少しでも修復をしましょうと」

   髭髯豹髭髯豹   髭髯鳳髭髯鳳

髭髯豹「別にボロいままだっていいじゃねえかよ。
    そんなにやりたきゃ、自分でやれっての」
髭髯鳳「言い方は悪いですが、豹の言う通りです。
    しばらくいると言っても、半年もすれば
    周辺での戦いはほぼ終わるはず。
    そうなればここはお払い箱になるでしょう。
    わざわざ直すこともないと考えますが」

髭髯豹「それより、とっとと侵攻開始しようぜ。
    会稽あたりは兵が少ないらしいじゃないか、
    今いる兵だけでも占領できそうだぞ」
金閣寺「いや、我々の任務はあくまで遊撃です。
    ですから、そういうことはできません」
髭髯豹「そこを何とかしてくれよ!
    楚王の孫なんだろ、コネ使えよコネ」
金閣寺「無茶を言わないでいただきたい!」

    髭髯龍髭髯龍

髭髯龍「そうだ、流石にそれは無茶が過ぎるぞ。
    豹よ、王の孫であっても無理は通せんのだ」
髭髯鳳「おや、兄上」
髭髯豹「ちっ、血族だったらいくらでもワガママ通す
    言い様があるだろうに。全く役に立たねーな」
髭髯龍「豹、そんな口を聞くものではないぞ」
金閣寺「いや髭髯龍どの、別に気にしておりません。
    それより、施設の修復を行いますので、
    皆に手伝っていただきたいのですが……」
髭髯龍「港の修復……」
金閣寺「ええ、綺麗な状態にしておきましょう」
髭髯龍「いえ、その命には従えませんな」
金閣寺「えっ? 何故です」
髭髯龍「修復の必要性を感じません。
    このままでも全く支障はありませんでしょう」
髭髯豹「お、兄貴も同意見だな!」
髭髯鳳「やはり我ら義兄弟は一心同体、
    考えることは同じということですな」
金閣寺「い、いえ、必要性はあります。
    山越軍が攻めてくる可能性も捨て切れません。
    ならば防衛施設は堅くしておく必要が……」
髭髯龍「攻められれば野戦で迎え撃てば良いでしょう。
    港の施設など、強化してみた所で紙同然」
金閣寺「いや、確かにそうですが、大将としては、
    その少しの差を埋めておきたいのです」
髭髯龍「……どうも察しておられぬようなので。
    ひとつ、金閣寺どのに言っておきましょう」
金閣寺「な、なんですか?」
髭髯龍「いいですかな。我ら髭髯軍団は、
    髭の神に仕えし武士(もののふ)なのです。
    ゆえに……」

 「髭なき者の命を聞く気はない!」

髭髯龍「我らが仕えるのは髭の立派な方のみ!
    金旋閣下は多少ショボイ髭ではありますが、
    それでも髭を生やし、黄祖様が仕えるお方。
    そのお方の命にならば、従えますが……。
    しかし! 貴殿にはそのショボイ髭すらない!」
金閣寺「わ、私はまだ二十歳です。
    髭のないのは当たり前ではありませんか」
髭髯鳳「それは言い訳ですな。私などは二十歳の頃、
    すでに髭は目立つようになってましたが?」
金閣寺「髭の濃い人はそうかもしれませんけど」
髭髯龍「とにかくです。
    戦いではない雑用を、髭のない者に言われて
    ホイホイとやるほど、我らは安い存在ではない。
    ……いくら上官と言えど、従えぬのです」
金閣寺「う……」
髭髯豹「へへ、俺たちに言うこと聞かせたきゃ、
    俺たちみたいな髭を生やすんだな!
    そしたら港の修復だってトイレ掃除だって、
    なんだってやってやるよ!」
髭髯鳳「まあ、我らのような髭に育てるには、
    まず1年以上はかかるでしょうが……。
    貴殿の今後に期待しましょう」

金閣寺「失礼します……」

金閣寺はそれ以上、彼らと問答することを諦め、
失意の表情で自分の宿舎へと帰った。

金閣寺「髭のない者の命は聞けない……?
    私はこれまで、立派な大将であろうと思い、
    またそれを実行してきたつもりだ。
    なのに、髭が無いだけで命を拒否するなんて、
    そんなバカな話があるものか……!」

金旋の嫡孫として育った彼は、常に周りの目を意識し、
血族として恥ずかしくないよう、常に努力していた。
金旋が勢力を広げ、公、そして王となる頃には、
周りの者も彼の血とその立派な態度に敬服し、
彼を悪し様に言うような者はいなかった。

つまり、今回のような出来事は、彼にとって
初めてのケースなのである。

金閣寺「一体、どうすれば彼らに敬服してもらえる
    ようになるのだろうか……?
    髭を生やすと言っても、彼らのような立派な
    髭にするには、1年はかかるだろう。
    いや、私はあまり髭が生えてこないから、
    もしかするとそれ以上かかるかも……」

???「お悩みのようですな、王子」
金閣寺「……誰です?」

声のした方を見ると、いつの間に入ったか
顔を布で隠した、黒づくめの老人がいた。

金閣寺「……本当に誰ですか、貴方は。
    ここは一般人は立ち入り禁止ですよ」
老 人「フォフォフォ、そんなことよりも。
    お主、髭を生やしたいのかね」
金閣寺「聞いていたのですか……。
    しかし、御老人には関係ないことでしょう」
老 人「そうかね?
    ここに、すぐ髭の生える薬があるとしても、
    そういうことを言うのかね」
金閣寺「髭の生える薬ですって?」
老 人「うむ。わしが今日、ここに来たのも、
    これを売り込むためなのじゃが。
    どうじゃな、この薬を買ってくれんかね」

そう言って、老人は小瓶を取り出した。

金閣寺「怪しい物ではないでしょうね」
老 人「お疑いじゃな。このラベルを見なされ。
    『華佗印の髭生え薬』と書いてあるじゃろ?」
金閣寺「おお、ちゃんと印まである。
    うーん、薬の方はちゃんとしていますね」
老 人「効き目の方も折り紙付きじゃ。
    女が使ってもちゃんと生えるほどじゃ」
金閣寺「女でも髭が……」

 髭の生えた女といえば……

金閣寺「い、いやな想像をしてしまった。
    まあ、効果のほども充分というわけですね」
老 人「そうじゃ。
    値段もかなり勉強して、5金じゃ」
金閣寺「価格もそこそこ手頃なようですし……。
    では、1本戴きましょう」
老 人「まいどあり」

金閣寺の手に、髭生え薬の瓶が渡された。

金閣寺「中身は……。
    無色透明、臭いもほとんどありませんね。
老 人「副作用などは報告されておらんから、
    気にせずに使ってもらってかまわぬぞい。
    生えてしまえば、後はただの髭じゃから、
    気に入らなければ剃ってしまえばよい。
    まあ、最初は慣らしに少しだけ……」
金閣寺「いえ、ここは一気に行きます!
    どりゃっ!! んぐ、んぐ、んぐっ!!」
老 人「あああっ!? な、なんてことを……!」
金閣寺「ぷはぁっ! ははは、全部飲みましたよ。
    これで私にも髭が生えて……」
老 人「アホかーっ!」
金閣寺「ど、どうしたのですか、大声を上げて……」
老 人それは、塗り薬じゃ!
金閣寺「えっ?」

 ドクンッ

瞬間、金閣寺の心臓が動悸を起こす。

金閣寺「う、う、ううう……っ!!」

そのままバタン、と金閣寺は倒れこんだ。

老 人「し、知らんぞ! わしは知らんぞ!
    用法を間違ったお主が悪いんじゃぞ!」
金閣寺「く、くうう……! く、苦しい……。
    あ、熱い……っ! 口の周りが熱い……!」

 ドクン、ドクン、ドクン……

倒れこんだ金閣寺は、口の周りを手で押さえ、
ビクンビクンと痙攣を起こしている。

老 人「だ、誰か呼んできた方がいいんじゃろか」
金閣寺「う、う、ふう……」
老 人「ん? 少し落ち着いてきたのかの。
    苦しそうな声も出てこなくなったし」
金閣寺「はあ、はあ……、ええ、なんとか。
    口の周りにまだ違和感が残ってますが、
    苦しさはなくなってきましたから……」

金閣寺はゆっくりと立ち上がる。
……その顔を見て、老人は絶句した。

老 人「お、おおお……」

  金閣寺2
    ラディィィィィィン!

金閣寺「どうかしましたか、御老人」
老 人「ひ、ひげー」
金閣寺「ひげ? ひげがどうしたと……」

そこまで言って、ハッと気付いた彼は
棚から鏡を取り出し、自分の姿を映してみた。

金閣寺「なんという、見事な髭なんだ……。
    こ、これが本当に私なのか……!?」
老 人「いやはや、飲んでも効果があるとはのう。
    流石は華佗先生の薬じゃわい」
金閣寺「よし、これで彼らに認めてもらえるはず。
    ありがとう御老人。礼を申しますぞ」
老 人「いやあ、別にいいんじゃよ。
    それより、後でこのパンフレットに目を
    通してくれんかの」
金閣寺「パンフレット……?
    『ヒゲ友の会、入会の御案内』だって?
    これはもしや、噂に聞く黄祖どのの……。
    おや? 御老人、どこへ行かれましたか?」

いつの間にか、老人の姿は消えていた。

    ☆☆☆

翌日、金閣寺は再び髭髯兄弟の元へ向かった。

   金閣寺金閣寺   髭髯豹髭髯豹

金閣寺「失礼します」
髭髯豹「あんだー? また何か……。
    おわああああああっ!?

    髭髯鳳髭髯鳳

髭髯鳳「どうした豹、一体何が……。
    おおっ!? そ、そのヒゲは一体!?」
金閣寺「こうしてヒゲを生やしていれば、
    私の命令を聞いてもらえるのでしたよね」
髭髯豹「あ、ああ……。確かにそうは言ったが……」
髭髯鳳「し、しかしなんて見事なヒゲなのか。
    黄祖さまの髭ほどではないものの、
    それでもこんな立派な髭はそうはいない」
髭髯豹「悔しいが、俺らの髭でも勝てねえ……!」

    髭髯龍髭髯龍

髭髯龍「どうしたのだ、騒がしいぞ……。
    ぬ、ぬおおおおっ!? その髭は!?」
金閣寺「ど、どうですか、髭髯龍どの。
    この髭ならば、命令を聞いてもらえますか」
髭髯龍「た、確かに見事……!
    だ、だが、昨日は一本もなかったというのに、
    一体、どうやってそんな髭を……」
髭髯豹「そ、そういや常識的に考えて有り得ねえ話だ!
    そうか、わかったぞ! 付け髭だな!?」
金閣寺「いえ、これは本物……」
髭髯豹「そんなん信じられるか!
    その偽髭、俺がひっぺがしてやる!」
金閣寺「い、いだだだだだだだ!!」

髭髯豹が、金閣寺の髭を掴んで力任せに引っ張る。
すると、顎の脇辺りの何十本かが、ブチブチと
嫌な音を立てて引き抜かれてしまった。

金閣寺「い、痛い……!」
髭髯豹「げっ、根元に血がついてる。
    これ、もしかして本物なのかっ!?」
金閣寺「だから、本物だと言ってるではないですか。
    いたたたた……」
髭髯龍「豹、なんという馬鹿なことを……!
    ここまで見事な髭を抜いてしまうとは。
    金閣寺どの、大丈夫ですか」
髭髯鳳「ああ、なんと酷い。
    羽を毟られた鳥の肌のようになっている。
    豹め、ここまでしなくても!」
髭髯豹「す、すまねえ……」
金閣寺「い、いいのです。これで本物だと、
    わかっていただけましたでしょう」
髭髯龍「確かにこれは本物……。
    しかしながら、やはり解せませんな。
    一日でこんな立派な髭が……なにっ!?」
髭髯鳳「おおっ……こ、これはっ!!」
髭髯豹「ま、まさか、あ、ありえねえっ!」
金閣寺「え、え?
    な、何ですか、そんなに驚いて……」

金閣寺の髭が引き抜かれた部分の肌から、
新たな髭がじわじわと生えてきた。

それこそ、こねた小麦粉の固まりを型にはめて、
それを押し出し、麺にしていくような感じで。

呆気に取られて見ているうちに、その髭は
他の髭と同じ位の長さにまで伸びて止まった。

髭髯龍これこそ、奇跡の髭である!!
髭髯鳳「黄祖様の髭が神の祝福を受けた髭ならば、
    これはまさしく神の力の具現化した髭!!」
髭髯豹「俺たちはなんて髭に出会っちまったんだ!」

金閣寺「えーと……」
髭髯龍「失礼致しましたっ!
    これまでの無礼、平に御容赦ください。
    まさか、貴方さまが……」
髭髯鳳「貴方が、髭の皇子であったとは!」
髭髯豹「伝説は本当だったんだな!」
金閣寺「で、伝説? 髭の皇子?
    一体、何なのですか、それは」
髭髯龍「はい、我ら、髭の神を信じる者に伝わる、
    古き伝承があるのです。
    そしてそれにこんな一節があります」

 その者、奇跡の髭を蓄え、
 乱れし世に降り立つべし。

 その者、髭の皇子なり。
 その髭、神の力にて生まれ変わらん。

 皇子は失われし髭の世を取り戻し、
 ついに人々を猛き髭の地へ導びかん。

髭髯龍「その髭はまさに、生まれ変わる神の髭!
    一日で生えたのも、神の力の現れでしょう!
    つまり、貴方こそ伝承の髭の皇子なのです!」
髭髯鳳「皇子よ、お願い致す!
    我らを、猛き髭の地へ導きたまえ!」
髭髯豹「ううっ、感動だぜ!
    生きている間に、皇子に会えるなんて!」
金閣寺「よ、よくわかりませんが……。
    と、とにかく、とりあえずは私の命令を
    聞いてくれるようになったということですね」
髭髯龍「はっ! なんなりとご命令を!」
髭髯鳳「髭の地へ参るため、なんでも致しましょう!」
髭髯豹「なんでもやったるぜ!」

金閣寺「そうですか。それでは……」

金閣寺は、諸将と共に港の修復を行った。
中でも髭髯兄弟の働きぶりは目覚ましく、
翻陽港は、1ヶ月後には見違えるほど
素晴らしい施設に生まれ変わった。

なお、髭髯豹はそれと合わせ、港全ての
トイレの掃除もやる羽目になった。

髭髯豹「うおおおっ! ものすごく臭ぇ!
    だが、これも皇子のためじゃー!!」

一人でやるには大変な仕事にも関わらず、
髭髯豹は不平を全く言わずにそれをこなした。

翻陽港の将兵は結束固く、これからの戦いにも
そう遅れを取ることはなさそうであった。

    ☆☆☆

   金旋金旋   金玉昼金玉昼

金玉昼「この閣寺からの手紙を見る限りでは、
    諸将もちゃんと命令を聞いてくれるてるし、
    心配はいらない、って書いてあるけどにゃ」
金 旋「そうか……それならいいんだ。
    あの髭軍団、髭のない奴には従わないと
    聞いていたんだが、流石は俺の孫。
    ちゃんと手懐けたみたいだな」

    下町娘下町娘

下町娘「……ううっ」
金 旋「どうした、町娘ちゃん。
    少し、顔色が悪いようだが」
下町娘「いえ、何だかよく判らないんですけど、
    背中を悪寒が走ったんですよ」
金 旋「悪寒? 風邪とかじゃないだろうな。
    もうすぐ夏だからって、腹出して寝るなよ」
下町娘「お腹なんて出してませんよ!」
金玉昼「ちちうえはデリカシーないにゃー」
金 旋「はっはっは。玉も気を付けろよ」

そこで談笑している彼らが、まるで別人のように
なってしまった金閣寺と再び顔を合わせるのは、
まだしばらく先のこととなる。

楚の揚州東部への侵攻準備は、着々と進んでいた。

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