○ 第五十〇章 「赤の知者の生き様」 ○ 
219年8月

8月、金旋は武昌砦から陥落した柴桑に入った。

 柴桑

彼が城に入ってからまず行ったのは、
それまで守将であった黄蓋との対面である。

徐庶が金旋の面前に黄蓋を連れてくる。
黄蓋の身なりはかなりボロボロだったが、
その目はまだ光を失ってはいなかった。

   金旋金旋   黄蓋黄蓋

金 旋「大したものだな、黄蓋。
    お前を捕らえるのに大分苦労したと聞いたぞ。
    そんなボロボロになるまで抵抗したか」
黄 蓋「死んでも構わぬ、いやむしろ死のうと思い、
    ただ力尽きるまで斬り結んだためでござる」
金 旋「……おや、前と言葉使いが違うじゃないか。
    力を使いすぎて性格まで変わったか?」
黄 蓋「今のわしは虜囚の身ゆえ。
    それ相応の作法というものがござろう」
金 旋「そうか、筋をちゃんと通そうというのか。
    流石は呉の宿将と言うべきか……」

    徐庶徐庶

徐 庶「牢から出してここに来るまで、そりゃもう
    ひとっことも無駄口聞かなかったしな〜。
    どこに出しても恥ずかしくない捕虜だな」
金 旋「ふ、お前には真似できないだろうな。
    捕虜になっても好きにやるタイプだろう?」
徐 庶「ボス、その言い方は傷つくなぁ。
    人にゃ性格ってもんがありますからねえ」
金 旋「まあ、俺も人のことは言えんがな。
    ……それはそれとしてだ、どうだ黄蓋?
    お前のその武、今後は俺のために使ってみんか」
黄 蓋「楚王のために、わしの武を……。
    それはわしを登用したいということですかな」
金 旋「まあ、そういうことだな」
黄 蓋「……そうですか。
    それに答える前にひとつ、お願いがござる」
金 旋「ん? お願い?」
黄 蓋「琴を用意していただきたい」
金 旋「琴? あの楽器の?」
黄 蓋「左様」
金 旋「ほう……お前が弾くのか?
    根っからの武辺者で、そういうのには
    全く縁がない男だと思っていたが、意外だな」
徐 庶「ちょうどいいのがあるが、持ってこようか」
金 旋「よし、徐庶。持ってきてくれ」
徐 庶「あいよ。ちょっと待ってな」

徐庶が琴を持ってきて、黄蓋の前に置いた。

徐 庶「はいよ」
黄 蓋「かたじけない。……で、楚王が先ほど言われた、
    登用の言葉に対するわしの返答ですが」
金 旋「うむ?」
黄 蓋「その答えは、これだ!」

 ばきばきぃぃっ!

黄蓋は、用意された琴を手刀で叩き割った。

金 旋「琴を叩き割る……。ことをわる……。
    『ことわる』、か。回りくどい答え方だな」
黄 蓋「わしは先ほど楚王の言われたように、
    武を振るうしか能のない者にござる。
    そのため、こうして身体で表現させていただいた。
    ただ口で言うだけでは、わしの本気度は
    伝わらぬであろうと考えました故」
金 旋「気持ちは十分伝わったし、余興としても
    なかなか面白かったから俺は別にいいが。
    ……徐庶、すまん。琴を壊させてしまったな」
徐 庶「いや、問題ない。
    大体察しはついたんで、壊れてもいい安物を
    用意させてもらった。別に気にしなくていい」
金 旋「そうか、ならばよし」

ちなみにこの琴であるが、元は下町娘が
通信教育を受けるために購入したものである。
しかし、現在は飽きて放置されていたので、
別に壊れてしまっても何も問題はない。

(後で金旋は、琴の残骸を発見した下町娘から
にこやかに請求書を渡されるが、それは別のお話)

金 旋「ま、俺に仕える気は毛頭ない……と。
    そういうことだな、黄蓋」
黄 蓋「左様」
金 旋「じゃ、ここに居させるだけ無駄ってことだな。
    それじゃ黄蓋、適当に出てってくれ」
黄 蓋「む……? 捕虜としないのか」
金 旋「ああ、無駄に捕虜は取らないつもりだ。
    ジジイに虜囚生活させるのもなんだしな」
黄 蓋「だ、誰がジジイか! 人のことは言えまい!」
金 旋「残念、俺はお前より一つ下なんでな。
    それに華佗にお墨付きを貰うほどの健康体だ。
    老い先短いお前と一緒にしないでもらおう」
黄 蓋「な、なんだとう!?」
金 旋「それに、こっちが捕虜にしてまで登用したいのは
    有望な若手将校とかで、ジジイは要らないんだ。
    ほれ、わかったらとっとと去ね」
黄 蓋「む、むぐうぅぅ! なんたる屈辱か!」

徐 庶「ちょっと待ってくれボス。
    この爺さん一人に多くの兵がやられているんだ。
    今解放しちまうのはどうかと思うが」
金 旋「ふむう……。確かに、黄蓋を捕らえようとして
    逆に鉄鞭で倒された兵はかなり多いと聞いた」
徐 庶「だろ?」
金 旋「じゃあ、鉄鞭を没収すればいいんだ」
徐 庶「え」
黄 蓋「えええ!? ちょ、ちょっと待てい!
    鉄鞭はわしの武の魂だ、それを没収すると!?」
金 旋「うむ。まあ、敵であるお前さんの命を助け、
    その上、縛めを解き解放してやるわけだからして、
    その代償として鉄鞭貰うくらいしょうがないだろ」
黄 蓋「しょ、しょうがなくない!
    それだったらまだ捕虜のままがマシだ!
    だから、鉄鞭だけは、我が魂は……!」
金 旋「大丈夫だ、代わりの武器なら用意すっから。
    ほれ、黄蓋のお帰りだぞ。門までお連れしろ」
黄 蓋「き、金旋どの! 楚王! 後生でござるっ!
    鉄鞭だけは! どうかお返しくだされーっ!」

叫ぶ黄蓋だったが、数人の兵士に取り押さえられた。
そのまま城門まで連れ出され、そこで解放される。
なお、代わりに渡された武器は、竹光だった。

黄 蓋「き、金旋め! この恨み忘れぬぞ〜っ!!
    いつかこの竹光で、その首を擦り切ってくれる!」

金 旋「なんか首筋が熱い感じがしてきたんだが」
徐 庶「あんなもん渡すから……」

    ☆☆☆

さて、金旋が黄蓋を解放している一方で、
金玉昼は今後の戦略の検討に余念がなかった。

    金玉昼金玉昼

金玉昼「この柴桑の15万超の兵力……。
    今後はどう運用していくべきかにゃ〜」

今後の兵力の運用と次の目標設定。
それをどうするか、彼女は悩んでいた。

 柴桑以東

金玉昼「近くの九江は落とすとして、問題はその後。
    このまま主力を東に真っ直ぐ向かわせ、
    呉国の会稽、呉、秣陵を南から攻めるか……。
    それとも、半分くらいを北へ向かわせて、
    江夏の軍と共に廬江の魏軍を打ち破るか、にゃ」

柴桑の周辺には大きな脅威はなくなっており、
どうにでもできる反面、どうすれば効果的に兵力を
運用できるか非常に頭を悩ませるところだった。

 『うーん……』

    下町娘下町娘

下町娘「うーん……」
金玉昼「ん? 町娘ちゃん?
    どうかしたのかにゃ、唸り声上げて」
下町娘「あ、玉ちゃんか。いやあ、変な夢みちゃって」
金玉昼「変な夢?」
下町娘「うん、この前の予言の内容なんだけどね。
    そう言う玉ちゃんもなんか唸ってなかった?」
金玉昼「あ、私は今後の戦略の内容を考えてて……」
下町娘「そうなんだ」

そう話をする下町娘だったが、金玉昼が見る限り
その表情はあまり明るくはない。

金玉昼「(ちちうえは気にしないように配慮してたけど、
    やっぱり自分のミスで読めなくしちゃったことを
    気にしてるのかにゃ)」
下町娘「(青の国の知者によって暗黒将軍が送り込まれ、
    楚は対抗できずに壊滅的打撃を受ける……。
    はぁ、そんな夢を見るなんて、私ってばもう
    想像力が豊か過ぎるよ……)」
金玉昼「(あの予言のことを忘れてしまうのは、
    やっぱり危ないような気もするし……。
    もう少し考えてみた方がいいかもしれないにゃ)」
下町娘「(それにしても『いかにも』な感じだったなあ、
    あの悪の参謀と暗黒将軍の格好……。
    実際あんなのがいたら●チガイよねえ)」

 下町娘の悪夢?
illustrations by 紫電


同じ予言の事柄を考えているようで、
考えている中身は全然違う二人だった。

金玉昼「(うーん……。青の国の知者、か……。
    魏の知恵者といえば君主の曹操、軍師の諸葛亮、
    老獪な参謀の賈駆、神童と評判の曹沖……。
    でも、他にも智謀の士はいるしにゃー)」
下町娘「(でも、あの暗黒将軍の正体は誰なのかな〜。
    夢とはいえ、気になるところだなぁ)」
金玉昼「(そういえば……最近寝返った人もいたにゃ〜。
    一応、あの人もカウントしておくべきかにゃ)」
下町娘「(あの仮面が似合う敵の武将かぁ。
    でも私あんまり敵将の顔知らないし……。
    あ、あの人ならよく知ってるか)」

 『韓遂さん』

金玉昼「あれ?」
下町娘「なんかハモってるし」
金玉昼「つい口に出た言葉がハモるなんて……。
    同じことを考えてたからなのかにゃ〜」
下町娘「え、そうなの? 玉ちゃんも頭いいくせに
    けっこう変なこと考えるんだね〜」
金玉昼「韓遂さんも十分、知者だからにゃ〜」

金玉昼「(ん……? 『変なこと』? なんで?
    韓遂さんがエロいからとか?)」
下町娘「(え? 『知者だから』暗黒将軍になるの?
    どう繋がるのよ、それって)」

どうにも話のかみ合わない二人だったが、
金玉昼はそこから自問の答えを導いた。

金玉昼「ふむーん。
    予言のこともあるし、今は呉のことよりも
    廬江周辺の魏軍に注意を向けておくべきかにゃ。
    ここはもう少し状況を見た方がいいかも……」

金玉昼は、下町娘と話したことによって
魏への警戒を強めるべきだと思い始めていた。

    ☆☆☆

少し時間は巻き戻り、柴桑が落ちた頃と同時期。
小沛城では、魏呉の激しい戦いが続いていた。

 小沛包囲中

兵力では攻めかかる魏軍のほうが有利であったが、
孫権自らが率いる小沛の呉軍も懸命に戦っていた。

だが、やはり数の暴力には勝てない。
戦いの中でジリジリと兵力を減らし、陥落の時は
確実に迫ってきていたのだった。

そんなある日の満月の夜。
昼の間はずっと魏軍の攻撃も激しかったが、
日が暮れてからはそれも止んでおり、
久しぶりに城とその周辺は静寂に包まれていた。

   周瑜周瑜   陸遜陸遜

陸 遜「これは、周瑜どの。
    まだお休みにはなられないのですか?」
周 瑜「陸遜か、丁度良かった。
    君に任せたいことがあって、探していたのだ」
陸 遜「私に任せたい?」
周 瑜「ああ。……その前に、君はこの戦い、
    そして今後の呉の行く末……どう見ている?」
陸 遜「残念ながら、絶望的ですね。
    風の噂では、魏軍はとうとう阜陵まで侵攻し
    秣陵や呉を脅かさんとしているとか。
    この城もいつまで持つかわかりませんし、
    正直、お先は真っ暗と言わざるをえません」
周 瑜「君は希望的観測を挟まないのだな。
    もしかすると、大逆転の策があるかもしれぬぞ」
陸 遜「本当にそのような策があるのならば、
    是非ともご教授いただきたいところです。
    ですが、そんなものがあると、周瑜どのが本気で
    思っているようには到底思えませんけれども」
周 瑜「見事な洞察だな、確かにそうだ。
    この戦、もう結果は見えてしまっている。
    もう、早いか遅いかの差だけだろう……」
陸 遜「殿も、もう意地だけで戦っているようですし。
    私としては、もう殿の御身を安全なところへ
    移したいくらいなのですが……」
周 瑜「……陸遜、君に頼みたいことがある」
陸 遜「は……何か?」
周 瑜「君はご主君をお連れし、この城を脱出せよ。
    ご主君を守り、秣陵まで戻るのだ」
陸 遜「えっ? では、この城の指揮はどうなります」
周 瑜「君たちが脱出した後は、私が指揮を取る」
陸 遜「そんな……。
    それは殿とお話された上でのことですか。
    周瑜どのを残して逃げるようなこと、
    殿が承諾するとは思えないのですが」
周 瑜「いや。これは私の独断だ。
    今、ご主君は眠り薬入りの酒を飲んで眠っている。
    君が護衛をし、敵に見つからぬように脱出せよ」
陸 遜「な、なんてことを!? そんなことをしたら、
    殿は烈火の如く怒ります! おやめください!」
周 瑜「陸遜、君はご主君の感情と国を守ること、
    どちらが大事だと思っているのだ?
    このままではご主君の身が危ないのだぞ。
    今ご主君の身に何かあれば、もう呉という国は
    終わってしまうだろう」
陸 遜「し、しかし、このようなやり方は……!」
周 瑜「これ以外に方法がない。時間もないしな」
陸 遜「で、では、脱出するならば、周瑜どのも!
    もう負けが決まった地に貴方がいる必要はない!
    貴方の智は、勝ち戦のためにあるのです!」
周 瑜「ダメだ。ご主君が徹底交戦だと言った以上、
    それなりの者が残って指揮を取らねばならん」
陸 遜「ならば私が!」
周 瑜「それはならん。
    君には次代の呉を率いてもらうのだからな。
    ……それに、私の命はそれほど長くはないのだ」
陸 遜「命が……?
    病を患っているとは聞いておりましたが」
周 瑜「そうだ。多分、長くても数年も持たぬ。
    そんな命であれば、呉のために使い切りたい。
    例えその結果、戦死することになってもな」
陸 遜「周瑜どの……」
周 瑜「それにな……こう言うのもなんだが、
    ご主君から少し離れていたいというのもある。
    最近、なかなか私の策は取り上げてもらえぬし、
    私のやることもいちいち口を出される……」
陸 遜「それは、殿が周瑜どのに負担をかけまいと……」
周 瑜「ご主君の考えがどうあれ、私は不本意なのだ。
    少しの間でもご主君から離れて自由にやりたい。
    自分の軍略を、何の気兼ねもすることなく、
    敵に対してぶつけてみたいのだ」
陸 遜「……命の炎を、最後に燃やし尽くしたい。
    そう思っておられるのですか」
周 瑜「ああ。最後まで戦いの中に身を置きたい。
    それが武人たる自分の本懐なのだ」
陸 遜「周瑜どの……!」
周 瑜「後のことは頼むぞ。
    ご主君を、そしてこれからの呉を……」
陸 遜「くっ……!」
周 瑜「泣くんじゃない、陸遜。
    私はただ面倒を捨て、退場するだけの楽な身だ。
    これからの君の方が大変なのだぞ」
陸 遜「はっ……! 殿と呉を守り抜き、
    呉国の勢力を盛り返すように努めます!」
周 瑜「ならば行くんだ。
    今夜は満月で明るいが、かえって注意は薄れる。
    あの林を縫うようにして抜ければ、
    見つからずに包囲を抜けられるだろう」
陸 遜「わかりました。
    ……周瑜どの、おさらば」
周 瑜「ああ。後で殿には謝っておいてくれ。
    『申し訳ないが、周瑜は我が道を行きます』
    ……とな」

陸遜は薬入りの酒を飲んで眠りこける孫権を
馬に乗せて、小沛城の包囲を脱出した。

    ☆☆☆

大将であった孫権が脱出したこの後、
小沛城の指揮は周瑜が執ることになる。

   周瑜周瑜   韓当韓当

周 瑜「よろしいのですか、韓当どの。
    ご主君と共に行かれた方がよかったのでは」
韓 当「何を言う、周瑜よ。
    このような華々しい最後を遂げる機会を、
    お前だけに独り占めさせてなるものかよ」
周 瑜「韓当どの、なぜそれを」

周瑜は驚いた。
彼は陸遜以外には病のことは語ってはいない。
彼がこの場で散るくらいの覚悟でいることを、
なぜ韓当が知っているのが不思議だった。

韓 当「わしも老いたとはいえ武人の端くれ。
    お前の今の心境くらいはわかっているわ。
    こんな先の見えた戦いの場に、自らその身を
    置こうというだからな」
周 瑜「私の心境、ですか」
韓 当「……病が重いのか?」
周 瑜「…………」
韓 当「ああ、言いたくないなら別に構わんさ。
    まあ、わしもだいぶ歳だからな。
    先の長くない者同士、頑張るとしようか」
周 瑜「え、ええ」
韓 当「これまで呉を支えてきた男たちの力……。
    魏軍の奴らに見せてやるぞ」
周 瑜「はい。孫堅さま、孫策公、そしてご主君に続く
    呉の男たちの生き様を……」

日は昇り、夜が明ける。
この日は、魏軍の他の部隊に先んじて、
韓玄隊がこの小沛城へ攻撃を仕掛けてきた。

    韓玄韓玄

韓 玄「よーし、今日こそこの城は我らが落とすぞ!」
魏兵A「(大将があれじゃ無理だよなぁ)」
魏兵B「(落ちそうになったところを横から漁夫の利で
    奪うっていうのならギリギリやれそうだが)」
魏兵C「(大体、他の部隊と比べると俺らが一番
    損耗率高いんだぜ? やってらんねーよ)」
韓 玄「なんだお前ら、早く攻めかからんか!」
魏 兵「『へ〜い』」
韓 玄「全くもう、こいつらときたら……! 
    やる気のない兵ばかり預けられて大変だわい。
    それにひきかえ、田豫や梁習などの隊は
    活気のある兵ばかりでうらやましいわ」

そりゃ大将のせいだよ!と回りにいた者たちは
ツッコミたかったが、命が惜しいので止めた。

そのとき、韓玄は城の微妙な変化に気付く。

韓 玄「……ん? 小沛城の旗、変わってないか?」
魏 兵「え? いや、赤い呉の旗のままですよ」
韓 玄「いや、そうじゃなくてな。
    孫権の存在を示す『帥』の旗があったはずだが、
    今見てみると見当たらないんでな」
魏 兵「そういやそうですね。どこにもないです」

韓玄と回りの兵が目を凝らして探してみたが、
確かに帥の旗はどこにも見当たらない。

彼らがキョロキョロとしているその時、
城壁の上に周瑜が現れ、大声を張り上げた。

    周瑜周瑜

周 瑜「馬鹿め、韓玄!
    我らの策にまだ気付いておらぬとはな!」
韓 玄「むうっ、周瑜!?
    な、なんじゃ、その策というのは!?」
周 瑜「昨夜、貴様らが寝入っているその隙に、
    呉公孫権さまは軍を率いて包囲を突破した!
    今頃、がら空きになっている下[丕β]城に向かい
    進軍している最中であろう!」
韓 玄「な、なにぃ!? いつのまに!
    それに昨夜は満月で明るかったはず!
    兵を動かすには向かぬはずだが……!?」
周 瑜「ははは、兵法に暗い貴様は気付かぬか!
    闇夜よりも月夜の方が警戒が緩むのだ!」
韓 玄「む、むうう……言われてみればそうかもしれん」
周 瑜「貴様らはこの城を落とすこともできず、
    帰るところも無くすことになる! ふはははっ!」

周瑜はそれだけ言うと身を翻す。
その姿は、韓玄隊からは見えなくなった。

魏 兵「ど、どういうことですか、韓玄さま」
韓 玄「むむ……。下[丕β]に向かった孫権隊の兵力、
    この城の兵力から考えればそう多くはなかろう。
    しかし、下[丕β]の兵力はほとんどこちらに
    投入されてしまい、守りは薄いはずじゃ。
    襲われれば、ほどなく落ちるであろう……」
魏 兵「そ、それでは周瑜の言うように、
    我らの帰るところがなくなってしまう!」
韓 玄「ええい落ち着けい! そうはさせんわ!
    この韓玄を甘く見るでないわ!」
魏 兵「ど、どうするのですか」
韓 玄「我らの隊で孫権を追いかけるのじゃ!
    我らが背後から襲えば、少数の孫権隊など
    すぐに討ち果たすことができよう!」
魏 兵「おお、韓玄さま……!
    私は貴方様のことを誤解しておりました!
    ここまで頼もしいお方だったとは!」
韓 玄「ふっ、今頃気付いたのか、馬鹿者めが。
    さあ、そうと決まればとっとと追うぞ!
    下[丕β]を呉の奴らに渡してはならぬ!」
魏 兵『おーっ』

韓玄隊は一斉に城の前から去っていく。
その様子を陰から周瑜と韓当が見つめていた。

   周瑜周瑜   韓当韓当

周 瑜「思った通り、簡単に行きましたな。
    これで、彼らが計略だと気付いたとしても、
    ご主君が南方へ脱出したとは思わないでしょう」
韓 当「ふむう……これが計略だと奴らが知れば、
    騙そうとした周瑜の言葉は全部嘘だと判断する。
    つまり、ご主君はこの城にいるものだと思う、か。
    流石は周瑜、その智謀はまだまだ健在だな」
周 瑜「これで、ご主君に危険が及ぶことはありません」
韓 当「しかし……大将がアホだと、その率いる兵まで
    アホになってしまうものなのだな」
周 瑜「実際そういうものですよ。とにかくこれで、
    攻めかかってくる兵力を少しは抑えられました」
韓 当「本当に少しだけだがな……」

呉 兵「御大将! 敵の呉敦・梁習・田豫隊の攻撃、
    それぞれ激しくなってまいりました!」
周 瑜「わかった。それぞれの部曲は持ち場を守れ。
    崩れそうな部分に対しては、その都度に
    私がてこ入れをはかる」
韓 当「では、わしも田豫隊の方に回るとするか」
周 瑜「そうしてください……。うっ……!?
    ゴホゴホッ……ゴホッ!

苦しそうに胸を押さえたかと思うと、
周瑜は口に手を当て、激しく咳き込んだ。

韓 当「大丈夫か、周瑜……うっ、血!?」

周瑜の口から、赤い鮮血が垂れていた。

呉兵A「お、御大将が血を吐いた!? 大変だ!」
呉兵B「ええっ!? 周瑜さまはご病気なのか!?」
呉兵C「大丈夫ですか、周瑜さま!」

周瑜の口や手が血で赤く染まったのを見て、
周りにいる兵たちは、大きく狼狽する。
これをそのままにしては、全ての城兵に
その動揺が伝染してしまうかもしれない。

周 瑜「ま、待て……! 早とちりしないでもらおう。
    わ、私は病気などではない……っ!」
呉兵A「で、ではこの血は何なのですか!?」
周 瑜「こ、これはだな、その……。
    今朝、滋養強壮のためにと飲んだ、
    スッポンの血だ!
呉兵B「スッポンの血!?」
呉兵C「スッポンってあの亀の……?」
周 瑜「そうだ、ちょっと飲み辛いシロモノでな、
    ちょっと逆流してしまっただけだ。気にするな!」

呉兵A「なんだあ、スッポンですか。ビックリした」
呉兵B「そんなの飲んだら今夜はビンビンになりますよ。
    奥様もいないのにそれじゃ辛いでしょうに」
呉兵C「周瑜さまが……。ビンビンに……?」
周 瑜「は、ははは……まあ、そういうわけで大丈夫だ。
    だから君たちは持ち場に戻りたまえ」
呉兵A「はっ!」
呉兵B「失礼します!」
呉兵C「周瑜さま、も、もしよろしければ今夜、
    私の後ろの穴をつか……ムグガモゴゴ」
呉兵A「ほれ、もう行くぞ」

兵たちは離れていった。
それを見て、周瑜と韓当は安堵のため息をつく。

周 瑜「ふう、士気の低下は避けられたか」
韓 当「それにしても……。
    韓玄の兵ばかりを馬鹿にはできんな」
周 瑜「そうですね……。
    もう少し教育を施す必要がありますね」
韓 当「この戦いを生き延びることができるならば、
    その機会もあるんだろうがな」

安易な出任せにコロッと騙されてしまうあたり、
あまり彼らの兵も頭はよろしくないようだった。

    ☆☆☆

韓玄と共に小沛を攻撃していた呉敦隊。
急に韓玄隊が方向転換し撤退していくのを見て、
大将である呉敦(※)はイラついた顔を見せた。

(※臧覇と共に呂布についた将。呂布滅亡後、
 曹操に降った臧覇に説得されて曹操配下となる)

   呉敦呉敦   楊齢楊齢

呉 敦「何をやっている韓玄は!?
    我らが果たすべきは小沛を落とすこと!
    それを忘れて撤退するとはどういうことだ!」
楊 齢「さ、さあ……」
呉 敦「楊齢! 貴様は奴の配下だったのだろう!?
    どうにかせんか、あのアホ助!」
楊 齢「そ、そう言われましても、あれは……」

『あれは死んでも治らない』と続けたかったが
流石にそれは元配下としては無礼すぎると思い、
楊齢はそれ以上言わなかった。

呉 敦「くそっ……囮の役も満足にできんのか、全く!
    ああいうのを『死に兵』というのだろうよ!」
楊 齢「下手に戦わせると率いてる兵も死にますから、
    無駄に兵を失わないという意味では良いかも」
呉 敦「馬鹿か貴様は!
    それだったら最初から奴を戦わせたりしない!」
楊 齢「そ、そう言われてみればそうですね」
呉 敦「もう少しで小沛を落とせるというに!
    例え数千程度のヨワヨワおバカ部隊でも、
    いるといないとでは差が出てくるぞ。
    ここは、呼び戻させるべきか……?」

呉敦隊は1万に満たず、他の梁習と田豫の隊は
それぞれ2万ほどの兵力である。
いくら小沛の兵力が減ってきたとはいえ、
その攻撃の手を緩ませられるほどではなかった。

そんな折のこと。

魏 兵「御大将! 陳留からの使者が参りました!」
呉 敦「なに、陳留からの使者だと?
    分かった、ここに連れて来るように」
楊 齢「陳留? 何事かあったのでしょうか?」

やがて使者がやってきて、呉敦に一礼した。
そして呉敦に近付くと、耳うちして何事かを話す。

呉 敦「ふむ……。相分かった、とお伝えあれ」

使者はまた一礼し、去っていった。

楊 齢「なにか、命令の変更でも?」
呉 敦「そういうわけではない。
    このまま、我らは小沛への攻撃を継続する」
楊 齢「では、韓玄隊を呼び戻して参りましょうか」
呉 敦「いや、その必要はない」
楊 齢「え? しかし、戦力は多いほうが……」

楊齢のその言葉に、呉敦は笑って答えた。

呉 敦「戦力なら来るさ。よほど頼りになる戦力がな」

小沛の戦いは、最終局面を迎えつつあった。

 小沛包囲 韓玄反転

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