○ 第三十五章 「金玉昼の心理戦略」 ○ 
219年2月

 途中経過

    李厳李厳

李 厳「各艦に伝令せよ!
    5万の味方がもうじき駆けつけてくれる!
    それまでに我らは少しでも多くの敵を減らし、
    楚軍の勝利を呼び込むよう務めるのだ!
    命を惜しむな! 名を惜しめ!」

李厳隊は2万、呉軍は計4万。
数的には不利な状況ではあったが、
甘寧の連れてきた増援のお陰もあってか
楚軍の兵たちの士気は高かった。

    凌統凌統

凌 統「おっ、なんか急に大将の威勢も良くなったな。
    それじゃ、俺も意地を見せてやるとするか。
    古巣の奴ら相手にやられっぱなしでは、
    嘗められるというものだ! やるぞ、矢嵐!」

凌統の分隊が相対する朱拠隊に向けて矢嵐を放つ。
それに大将である李厳も呼応し、たちまち朱拠隊に
大量の矢が降り注ぐ。

    朱拠朱拠

朱 拠「くっ、まだこれだけの反撃ができるのか。
    陳武の分隊はまだ健在であったな!
    彼らを前に出させよ!」

朱拠は被害の少ない陳武の分隊を動かし、
その矢嵐を防がせようとした。

    陳武陳武

陳 武「……前に出ろだと?
    朱拠め、我らを盾に使う気か!」
呉 兵「しかし将軍、命令を無視するわけには……」
陳 武「判っている、命令には従う。
    だが、あの若造のやり方には配慮が足らん!
    私は先代の時よりずっと戦っているんだぞ!」

陳武は不満を爆発させた。

まだ40代である陳武が30歳の朱拠を『若造』と
呼ぶのは少々違和感があるが、彼は孫策の代から
戦っている自分の戦歴にプライドを持っていた。
そのため、まだ戦歴の浅い朱拠を歳以上に若く、
そして幼く見ていたのである。

その朱拠に孫権が特別目をかけていること、
そして今自分の大将となっていることに対し、
大いに不満を感じていた。

陳 武「主公も主公だ……。最近は私のことも
    疎ましく思ってるというではないか。
    一部の者ばかり目をかけ、これまで命を張って
    戦ってきた我らをないがしろにしては、
    中央進出、そして天下統一など無理であろうに」

その『疎ましく思っている』というのは、
実は楚軍の離間策によるものだった。

孫権本人は陳武に対し、今も変わらずに信頼を
寄せているのだが、陳武の孫権に対する忠誠心は
幾度にわたる策略で大いに揺らいできていた。

その不満が隙を作ったか。
陳武の腕に、一本の矢が突き刺さる。

陳 武「うぐっ!?」
凌 統「余所見はいけないな、陳武どの!」
陳 武「むう、凌統か……っ!? 
    貴様、よくも平気で我らの前に顔をさらせるな!
    父凌操どのは呉のため命まで捧げたというのに、
    呉の地で育てられた貴様は何をやってるのか!」
凌 統「親父の忠を子が受け継がねばならんのか!?
    育った呉の地には愛着はあるが、しかしだ、
    それと孫家に仕えるのとではまた違う話!
    俺には俺の忠があるんだ!」
陳 武「……なるほど、自分をしっかり持っているな。
    父譲りの頑固さというところか。
    敵だというのが実に惜しい……」
凌 統「俺と一緒に戦いたいのか?
    それならこっちにくればいいじゃないか」
陳 武「馬鹿な。何をふざけたことを」
凌 統「いや、結構マジな話だが……。
    あんた、最近呉公に疎まれてるらしいな。
    そんな主人、見限ってもいいんじゃないか」
陳 武「馬鹿も休み休み言え!
    先代から仕える私が簡単に裏切れるか!」
凌 統「忠ってのはそれに相応しい主に仕えてこそ
    活きるものだと思うがね。
    いろいろなしがらみでそう自分を縛らずに、
    もっと単純に考えた方がすっきりするぜ」
陳 武「むっ……」
凌 統「とりあえずここは下がりな。
    別にあんたを殺したいわけじゃないからな。
    矢を受けた傷口はちゃんと処置してくれよ」
陳 武「くっ、情けをかけたつもりか。
    ……後退! 後退せよ!」

陳武は自らの治療のため、艦を後方に下げた。

呉 兵「矢尻は骨には達しておりません。
    治れば元通りに動かせると思います」
陳 武「もっと単純に考えた方がいい、か……」
呉 兵「は?」
陳 武「いや、なんでもない。
    ……ただのクソ生意気なガキだったのに、
    いつのまにかいい面構えになったものだ」

陳武の感傷とは関係なく、戦闘は続く。

朱拠隊の方に攻勢を強めた李厳隊。
そのさらけ出された守りの薄い側面に、
周泰隊が襲いかかった。

    周泰周泰

周 泰「我らに横腹を見せるとは迂闊だな!
    いくぞ! 呉水軍の強さを見せつけろ!」

大将である周泰を筆頭に、朱治・吾粲・孫朗らの
大強攻が李厳隊を襲う。
数で劣る李厳隊は、これを弾き返すことはできず
大きく戦力を減らしてしまった。

    ☆☆☆

烏林。
月は3月に入っていた。

すでに徐庶隊を送り出してはいたものの、
それでも金旋は一抹の不安を抱いていた。

   金旋金旋   金玉昼金玉昼

金 旋「大丈夫なのか、このままで。
    甘寧の報告じゃ、李厳隊が持つのかどうか
    微妙なところだって話じゃないか」
金玉昼「それは大丈夫にゃ。
    徐庶隊もそろそろ到着するはずだし、
    それまでに李厳隊がやられることはないにゃ」
金 旋「『それまでに』てことは……。
    徐庶隊が到着してからやられることは……」
金玉昼「それはあるかもしれない」
金 旋「それじゃ同じことだろうがー!」
金玉昼「うんにゃ。それが違うのにゃ。
    少なくとも、『楚水軍の勝利』を掲げるには
    李厳隊の個別の勝敗は関係ないのにゃ」
金 旋「どういう意味だよ、そりゃ」
金玉昼「その説明はまた後にするとして……。
    そんなに心配なら、少し中途半端ではあるけど、
    計を発動させるとするかにゃ」
金 旋「計?」
金玉昼「一兵も失うことなく、楚軍をより有利に、
    そして呉軍をより不利にする計にゃ。
    それじゃ、ちょっと出掛けてきまひる」
金 旋「え、おい、出掛けるって……」

問いに答えることなく、金玉昼は出ていった。

    下町娘下町娘

下町娘「何をする気ですかね」
金 旋「うむ、さっぱりわからん……。
    ……うわ!? いつからいた!?」
下町娘「さっきからいましたよう。
    お茶とか出してたじゃないですかー」
金 旋「そ、そうだったか?」
下町娘「それにしても、玉ちゃん。
    最近表情がキリッとしてきましたよね。
    見た目でも軍師って感じになってきたような」
金 旋「うむう。責任感が芽生えてきたのかな」

金玉昼「……この戦いで目標を達成しなくちゃ。
    あの人に勝つには、これ位はやってのけないと。
    軍師としての実績を重ねていかないと、
    いつかあの人にとって代わられるにゃ!」

金玉昼は、気合を入れた。
……ちなみに、その頃の『あの人』はというと。

    司馬懿司馬懿

司馬懿「……」

虎牢関で完全にヒキコモリ状態になっていた。

    ☆☆☆

李厳隊は頑張っていた。
朱拠・周泰の2部隊に激しく攻められながらも、
決して一方的にやられているわけではなく、
減らされたのと同じ位、相手にやり返していた。

 途中経過

日は落ちて夜になり、その日の戦闘は終わる。
両軍ともに距離を取り、休息を取る。
そんな中、陳武は艦の外で一人佇んでいた。

    陳武陳武

陳 武「やるな、奴らも……。凌統に蒋欽、留賛。
    元は呉の禄を食んでいた者たち。
    新たな主のため、あそこまで頑張れるのか」

金旋のために命を張って戦う彼らのことが、
陳武は正直羨ましかった。
今の陳武の心では、全てを孫権のために捧げよう、
という気には到底なれないからだ。

陳 武「彼らがあのように命を掛ける……。
    楚王……一度会ってみたいものだが……」
???「なら、会えばいいにゃ」
陳 武「なっ……!? 誰だ!」

振り向くと、そこには黒い装束を来た女がいた。
楚の軍師、金玉昼である。

    金玉昼金玉昼

陳 武「確か……楚の金玉昼だったな」
金玉昼「覚えててくれて光栄にゃ」

この二人は以前にも面識がある。
第一次陸口会戦の際、金玉昼が金満らと共に
孫韶に捕らえられた時に、一度顔を会わせていた。

陳 武「……で、何の用でこんな所におられる?
    また捕らわれたくなったわけでもあるまい」
金玉昼「陳武将軍。
    貴殿の武は呉ではなく楚にて振るわれるべき。
    金旋は、貴殿を必ず厚遇してくれまひる」
陳 武「なるほど、勧誘か。
    しかしこんな戦いの中、しかも勝っている側から
    そんな登用に応じる者などいると思うのか?」
金玉昼「とりあえず、既に二人ほどいたにゃ」
陳 武「……なに?」
金玉昼「そこにいる小型船を見てみるがいいにゃ」

金玉昼が指差した先の、小さな快速船。
そこには、董襲、孫朗の姿があった。
共に、周泰の隊にいた将である。

陳 武「董襲どの、孫朗どの!?」
金玉昼「彼らは、これから楚のため、金旋のために
    働くと言ってくれたにゃ」
陳 武「し、信じられん。何が彼らを動かしたのだ」
金玉昼「先ほど貴殿が感じていた感情と同じものが、
    彼らの心にもあった……。
    それだけのことだと思いまひる」
陳 武「まるで、私の心が見えるように言うのだな」
金玉昼「ふふふ……それくらい見えなくては、
    常勝楚軍の軍師などは務まらないのにゃ」
陳 武「ハッタリか本当か分からんな……。
    だが、その常勝楚軍はこれからどう勝つ気だ?
    すでに李厳隊の敗北は時間の問題だぞ」
金玉昼「李厳隊の勝敗……そんなものは関係ないにゃ。
    いわば飾り。凡人にはそれがわからないのにゃ。
    楚軍の勝利はもう確定してるようなもの。
    将棋でいえば、すでに詰んでいるのにゃ」
陳 武「ほほう、面白いことを言うものだ。
    李厳隊の敗戦の先に、どんな勝利が待つのだ?」
金玉昼「それを知りたいなら、楚に来るか。
    もしくは、呉軍に留まりその時を待つか、にゃ」
陳 武「……自信満々だな」
金玉昼「で、登用の返事は?
    あんまり長居もしてられないのにゃ」
陳 武「金旋という人物にも興味があったが……。
    それ以外にもいろいろと興味が出てきた。
    いいだろう、楚に行こう」
金玉昼「よしゃ。それじゃ、早速船に乗るにゃ!」
陳 武「お、おい、荷物のまとめくらい……」
金玉昼「長居してられないって言ってるにゃ! てい!」
陳 武「おわあ!?」

 どぽーん

蹴りを食らって陳武は船べりから落ちた。
もし泳げない者であったら危なかっただろう。
しかし、陳武も流石に慣れたもので、
すいすいと董襲らの乗る船へ泳いできた。

陳 武「つう……濡れると矢傷が痛むわ」

   董襲董襲   孫朗孫朗

董 襲「陳武か。やはり、お前も来たのか」
孫 朗「さあ、手を」
陳 武「かたじけない。
    ……しかし、董襲どの、孫朗どの。
    貴方がたは、呉に未練はござらぬのか」
董 襲「全くないわけではない。
    だがそれ以上に、楚に興味が出てきた」
孫 朗「私はただ、兄上にこれ以上ついていく気には
    どうしてもなれないというだけです」
陳 武「左様ですか……。
    呉も、そう長くはないかもしれませんな」

戦闘が続く中、金玉昼は陳武、董襲、孫朗といった
呉の艦隊にいる将を登用した。
彼らが抜けたことで、朱拠・周泰の隊は弱体化する。
これまで、離間策を重ねて忠誠を下げておきながらも
登用をしてこなかったのは、この時のためだった。

そして翌朝。
彼らの姿が見えないことに、部隊内は騒然となる。

    周泰周泰

周 泰「董襲と孫朗の姿が見えないだと!?」
呉 兵「はっ! そしてこんなものが代わりに!」

 『楚に行きます。バイナラ』

周 泰「ぐぬぬ……防音シャッターめ!
呉 兵「は? 防音……なんですと?」
周 泰「あ、間違い。忘恩の徒、だ」
呉 兵「はあ」
周 泰「しかし董襲め、やはり裏切ったな!
    だが、ご主君の血族である孫朗までもが、
    このような裏切りを行うとは……」
呉 兵「どうしましょうか」
周 泰「どうするも何もない!
    まずは目の前の李厳隊を片付けるのが先決!
    裏切り者のことはそれから考えればよい!」
呉 兵「はっ!」

だが、それまで保っていた呉軍の数的優位は、
ここで一気にひっくり返る。

楚軍、徐庶隊5万が現れたのだ。

    ☆☆☆

烏林の金旋のもとに、登用を受けた三名が到着する。
金旋は拝謁を受け、言葉を交わす。

    金旋金旋

金 旋「俺も堅苦しいことは言うつもりはない。
    それなりに自由にやらせるのが楚軍の流儀だ。
    ま、気負わず、ざっくばらんにやってくれ」

   董襲董襲   陳武陳武

董 襲「おお、なんと器の大きい方なのだ」
陳 武「見た目はちょっとヤクザっぽいが、
    気軽に話せそうな感じだ」

    孫朗孫朗

孫 朗「なんと余裕のあるお方か……。
    この度量が兄上にもあれば、もう少し……」

    金玉昼金玉昼

金玉昼「……単にいい加減なだけにゃ」

挨拶を済ませた金旋は執務室に戻り、
共に来た金玉昼に話しかけた。

金 旋「戦闘中の部隊から将を引き抜き、
    部隊の戦闘力を奪う、か。確かに効果的な手だ。
    特に武力に優れる董襲、陳武が抜けたのは、
    あちらにとってはかなり痛いだろう」
金玉昼「本当は、もっと仕込みを重ねておいて、
    多くの人を引き抜きたかったけど。
    準備が足りなかったからこんなものだにゃ」
金 旋「離間を続けていたのはこのためだったか……。
    しかし、これで本当に勝てるのか?
    確かに有利にはなったが、李厳隊の数は少なく、
    徐庶隊の構成には不安が残っているが」
金玉昼「心配症だにゃ、ちちうえも。
    大丈夫と言ったら大丈夫にゃ」
金 旋「勝ちは勝ちでも、辛勝では困るんだぞ?
    あくまで『楚水軍は呉水軍より強い』ということを
    世間に見せつけるのが目的なんだ。
    やはり、魯圓圓や雷圓圓といった素人ではなく、
    甘寧や朱桓といった、水軍エキスパートの奴らを
    使うべきだったんじゃ……」
金玉昼「あーもう、しつこい!
    徐庶隊の人選や構成は問題ないにゃ!
    その『楚水軍の強さを印象づける』という
    目的のためにこうしたんだから!」
金 旋「そこらへんが良くわからんのだ。
    なあ、そろそろ教えてくれてもいいじゃないか。
    甘寧や朱桓といった奴らを使わないこととか、
    李厳隊の勝敗にこだわらないこととか、
    一体、お前はどういう考えでいるんだ?」

金玉昼「ふう……しょうがないにゃ。
    じゃ、ここらで今回の戦略方針を解説しまひる」

金玉昼がそう言った途端。
急に部屋の中の人数が増えだした。

   下町娘下町娘  鞏志鞏志
   バ バ ー ン !
下町娘「待ってました!」
鞏 志「興味深い話が聞けそうですね」

   甘寧甘寧   魏光魏光
   ズ ダ ー ン !
甘 寧「ようやく知ることができるのか」
魏 光「私もそろそろ出番が欲しいです」

2人しかいないと思っていた執務室の人数は、
いつのまにか6人にまで増えていた。

金 旋「お前らー!? 今どこから入ってきた!」

下町娘窓からー
鞏 志扉から来ました
甘 寧天井からだが、それが何か
魏 光床下からですが?

金 旋「まともに入ってきたの一人だけかYO!
    しかも天井と床下に大穴開けやがって……」
甘 寧「まとも? ふっ、殿もまだまだ凡人だな」
金 旋「なに?」
甘 寧「俺たちがまともだと思っていたのか?
    俺たちがまともなやり方を取るような奴らだと、
    本当にそう思っていたのかな!?」
鞏 志「偉そうに言うことでもないような」
金 旋「むむ……。
    だが、そう言われると反論できんな……」
甘 寧「(ふっ、ちょろいもんだ)」
金 旋「……などと言うとでも思ったか!
    壊したところは後で直してもらうからな。
    魏光も、逃げずにちゃんと直せよ」
魏 光「は、はい……」
甘 寧「むむっ、そう甘くはなかったか」
下町娘「当たり前ですよう。
    私みたいに壊さずに入る方法を取らないと」
金 旋「窓から入るのも禁止!
    いい歳した女の子が、はしたないぞ!」
下町娘「と、歳の話はしないでくださいっ!」

金玉昼「えーと。いい加減、話進めていいかにゃー」
金 旋「お、おう。すまんな、アホが増えたせいで」
金玉昼「もといた1人に4人足して総勢5人のアホかぁ。
    まあ、別にこれくらいのギャラリーがいても、
    別に構わないかにゃ」
金 旋「プ……お前もアホ扱いだぞ、鞏志」
鞏 志「……閣下もしっかりカウントされてますが」
金 旋「なんと!?」
金玉昼「あーとにかく始めるにゃー。
    さてー、今回の戦いの目的ですがー。
    前回失敗した『陸口港の制圧』とは違い、
    『水軍対決で呉軍に勝つ』というのが
    今回の命題になっていまひる」
金 旋「うむ」
金玉昼「でも、別にここで正々堂々とガチンコ勝負を
    する必要はないのにゃ。あくまで『楚水軍が強い』
    というイメージを世間に与えること。
    それが再優先事項になりまひる」
鞏 志「なるほど……。
    世間は細かいところは見ませんからね。
    多少、誤魔化しても構わないということですか」
金玉昼「そうにゃ。
    それは、先の三将の登用にも当てはまること。
    彼らが寝返っても、見た目の兵力は変わらない。
    つまり、見えないところで戦力ダウンをさせ、
    味方をより有利に導いたということにゃ」
金 旋「ふうむ。多少卑怯な手だが、それをやっても
    世間はさほど気にしたりしないということか」
金玉昼「そうにゃ。
    ちちうえは堂々と戦うことを考えてたようだけど、
    私は、見えないならばいくらでも策略を使い、
    戦いを有利にした方がいいと思ってるにゃ」
甘 寧「要は、『水軍対決で呉軍に勝つ』の命題さえ
    達成できればいいと考えていると」
金玉昼「そゆこと」
金 旋「ふむう。命題の達成のため、か。
    じゃあ、なんで甘寧や朱桓らを使わないのか。
    なぜ魯圓圓、雷圓圓といった奴らを使うのか。
    この説明は?」
甘 寧「うむ。そこのところ、納得のいく話が聞きたいが」

金玉昼「それは、『世間への印象』というものを
    考えてのことなのにゃ。
    これは、例を挙げて説明していきまひる」

金玉昼は、金旋の隣りに座る。
そして金旋に書を手渡し、自分も同じものを持つ。

金玉昼「私と父上がこう並んで同じ書を読むとしまひる。
    さて、こうして並んでみると、なぜか父上の方が
    『読めない本を頑張って読もうとしてる』
    というように見えませんかにゃ」
鞏 志「おお、確かに……!」
魏 光「かなり無理をしているように見えます」
甘 寧「対する軍師の方は、ちょっと暇つぶしに
    読書しているだけのように見えるな」
下町娘「やっていることはどちらも同じはずなのに、
    なぜこうも違って見えちゃうの?」
金玉昼「これは、普段定着しているイメージというものが、
    物事の判断を変えてしまうからなのにゃ。
    このように同じことをやったとしても、
    実行する人間に定着しているイメージによって
    与えるイメージも変わってくるのにゃ……」
金 旋「なるほど……ってお前ら。
    俺をバカっぽいイメージで見てたってことか?」
鞏 志「あ、いえその、そんなことは……」
下町娘「た、玉ちゃんと比べたらってことですよぅ」
魏 光「そうです、あくまで比較です、比較」
甘 寧「この程度で怒ってはいけないですな」
金玉昼「そういうわけで、さっきの質問、
    『なぜ甘寧や朱桓といった者を使わないのか、
    なぜ魯圓圓、雷圓圓らなのか』
    についての答えだけどにゃ。
    この定着しているイメージが関係してるのにゃ」
甘 寧「俺に定着しているイメージ?」
金玉昼「そう。『甘寧さんは水軍が得意』というイメージ。
    これを皆、全員が持っているはず」
鞏 志「確かに……。
    水軍が苦手だなんて誰も思ってないでしょうな」
甘 寧「実際、得意だしな」
金玉昼「そして今、私たちが呉の水軍と戦っているのは、
    『楚水軍は呉水軍より強い』というイメージを
    作り上げたいがため」
金 旋「うむ、その通りだ」
金玉昼「でも、水軍の得意な甘寧さんが活躍しても、
    甘寧という人物が強いイメージが先に来て、
    楚水軍が強いというイメージは定着しないにゃ」
魏 光「むむ、そう言われてみれば!
    甘寧どのはやっぱり強い、で終わってしまう!」
金玉昼「そこで、代わりに魯圓圓や雷圓圓といった、
    水軍に関わりなさそうなイメージの人達が
    水軍を巧みに操って活躍したら?」
下町娘「うーん、すごいって思うよね。
    どこで習ったんだろう、って考えるかな」
金玉昼「そう。そこで楚水軍の教練技術がすごい、
    というイメージが作り上げられるのにゃ。
    水軍の印象の薄い人が活躍することによって、
    楚国の水軍の力を示すことができるのにゃ」
鞏 志「ふむ。世間の者たちの心理を考えた末の、
    イメージを作るための起用ですか」
金 旋「なるほどな……。
    それなら闘艦を使わない理由もわかるぞ。
    闘艦より弱めの楼船を使って勝つことで、
    闘艦を使う呉軍よりも優れていることを
    アピールしようという意図なのだな?」
金玉昼「ちちうえもだいぶ判ってきたようにゃ。
    その通りにゃ。さらに言えば、今回起用した
    魯圓圓や雷圓圓、孔奉は抜擢した将であり、
    元は呉軍とか元は魏軍とか、そういうのがない。
    だから、『元は呉軍だから水軍も強い』などの
    余計なイメージは入らないのにゃ」
金 旋「なるほど。
    純粋に楚軍のイメージを作り上げられる、
    うってつけの人員だということか……!」
魏 光「そこまで深く考えた末の起用だったんですねえ」
鞏 志「ただ呉水軍との戦いに勝つということではなく、
    いかに『強い楚水軍のイメージ』を作るのか、
    ということを腐心しておられたのですか。
    いや、感服いたしました」

他の者たちが金玉昼の智謀に感心している中、
甘寧だけは無言で考え込んでいた。

甘 寧「……なあ、ちょっといいかな」
金玉昼「どうぞ?」
甘 寧「確かによく考えられている。
    勝てば、そのまま『楚の水軍は強い』という
    イメージは作られ、世間に認められるだろう。
    ……だが、もし負けたら?」
下町娘「負けたら……!?」
甘 寧「軍師の今の話は全て勝った時の話だ。
    だが、当の戦いで、徐庶隊が……
    起用した魯圓圓や雷圓圓といった者たちが
    呉の水軍に負けてしまったらどうなる?
    今言っていたことは全て意味を無くすのでは?」

その場が一瞬、しん、と静まった。

金 旋「そ、そう言われてみれば、確かにその通りだ!
    いくら数の上では有利になったとはいえ、
    水軍経験のほとんどない魯圓圓や雷圓圓などが、
    果たして呉の水軍に勝てるのか!?」
魏 光「どうなんですか、そのあたりは……?
    軍師も考えてないとは思い難いんですけど」
金玉昼「…………」

無言の金玉昼。
彼女の戦略は、本当に成功するのだろうか?

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