○ 第十八章 「秋の空に春の華」 ○ 
218年8月

司馬懿「さあ、諸葛亮!
    お望み通り、私の戦いを見せてあげましょう!」

 司馬懿ばとるこすちゅーむ(新版)by紫電さん
illustrations by 紫電


諸葛亮「なんと!? 司馬懿がッ!?」

 諸葛亮仰天by紫電さん
illustrations by 紫電


虎牢関より、司馬懿隊3万が出撃。
一時は優位に立ったと思っていた諸葛亮隊3万は、
その迎撃部隊に反撃を受け浮き足立った。

   司馬懿出撃

   夏侯淵夏侯淵  張哈張哈

夏侯淵「おのれ司馬懿め! 関の防衛が薄いのは、
    迎撃部隊を編成していたためか!」
張 哈「そ、それにしてもあの服……!
    な、なんと美しい姿か……!
夏侯淵「ああん?」
張 哈「見てくだされ将軍、あの司馬懿の姿。
    神々しいまでの姿、まるで戦の女神!」
夏侯淵「馬鹿者! 敵の姿に見とれている暇はない!」

統率が乱れた諸葛亮隊。
その隙を、虎牢関に残っていた満寵は見逃さなかった。

    満寵満寵

満 寵「連弩用意! 撃てえい!」
楚 兵「連弩、放て!」

夏侯淵「いかん! 矢が来るぞ、物陰に身を隠せい!」
張 哈「う、美しい……」
夏侯淵「いつまで呆けているか、張哈!」

 バキィ (頬を殴る音)

張 哈「ぐっ……いいパンチ持ってますな」
夏侯淵「もう一発いるか?」
張 哈「いえ、目は覚めました」
夏侯淵「ならばさっさと避けんか! 死にたいのか!」

その時、虎牢関より大量の矢の雨が放たれる。
だが、事前に夏侯淵が回避を指示していたお陰で、
被害はほとんど出ずに済んだのだった。

張 哈「申し訳ありません、将軍」
夏侯淵「なに、構わん。
    だが、『美しいもの好き』も大概にしろよ。
    いつかそれで命を落とすことになるやもしれん」
張 哈「は、気をつけます」
夏侯淵「しかし、それにしても……。
    諸葛亮はこの苦境をどう乗り越える気だ?
    どういう指揮ぶりを見せてくれるのやら」

    ☆☆☆

    諸葛亮諸葛亮

諸葛亮「司馬懿……! やってくれたな。
    まさか、ここで出陣してくるとは」
魏 兵「ど、どうしましょう軍師!
    こ、このままでは、我が隊が不利です!」
諸葛亮「うろたえるでない!
    敵部隊が出てきたこと、かえって好機である!」
魏 兵「え!? ど、どういうことですか!?」
諸葛亮発想の逆転ホームラン!
    司馬懿が兵力を外に出してきたため、その分だけ
    虎牢関の守備が薄くなったということ! つまり!
    関を落とすにはこの方が好都合ッ!
魏 兵「お、おおっ! そ、そう言われてみれば!
    流石は軍師、見事なご見識でございますな!」
諸葛亮「納得したか。ならば、関への攻勢を強めよ」
魏 兵「ははっ!」
諸葛亮「(……とまあ味方はこれで誤魔化しておいて、
    問題は司馬懿は何を考えているのか、だが)」

諸葛亮は四輪車をグオーンと走らせ、
司馬懿へ声が届くところまで出ていった。

諸葛亮「司馬仲達! 私の贈った服を着てまでの出撃!
    その度胸は見事と言っておきましょう!」

    司馬懿司馬懿

司馬懿「それは恐縮です。この姿を是非とも見せたくて、
    このように外へ出てきてしまいました。
    良いものを贈ってくださって感謝していますよ」
諸葛亮「それはそれは。
    しかしながら、これが貴女を誘い出す罠だとは、
    貴女は考えもしなかったようですね」
司馬懿「私を誘い出す? それは逆でしょう」
諸葛亮「は?」
司馬懿「私を丸裸にすると言って動揺を誘っておき、
    その上であの服を贈ってよこせば、
    挑発だと判断し、自重するだろう……。
    そうやって危険を薄めておいて、適当な時期に
    部隊を撤退させる……という筋書き。
    そう考えたのでしょう?」
諸葛亮「(バレテルーーーッ!?)」
司馬懿「貴方は策士。常に虚実を操ろうと画策する。
    しかし、だからこそその言にはいつも裏がある。
    そのため、その意図を読み取るのは容易!」
諸葛亮「うん……?(なにやら、変だ。
    こうも雄弁に語る必要があるのだろうか。
    こう声高に語るということは……ははあ)」
司馬懿「貴方が策を弄しても私には通用せぬ。
    さあ、観念して我が軍の軍門に下りなさい!」
諸葛亮「ふふ、なるほど」
司馬懿「……何が、なるほどなのです」
諸葛亮「いや、貴殿の知を垣間見ることができました。
    これこそ何よりの収穫」
司馬懿「む……そうやって誤魔化すということは、
    私の言を否定できないということですね」
諸葛亮「どう受け取ってもらっても結構ですよ。
    そうやって貴女の全てを見せてください。
    この戦いに負けたとて、それさえ得られれば
    十分意味があるというものですから」
司馬懿「また虚言を……!」
諸葛亮「虚言かどうかは私しか判りえぬこと。
    自信のないことをさも自信ありげに言うのは
    止めた方がよろしかろう」
司馬懿「一体、何を言っているのです」
諸葛亮「とぼけるならそれも結構。
    では、戦を続けるとしましょうか……」

諸葛亮はそこで話を打ち切り、自軍内へ戻っていった。

諸葛亮「最初はただのハッタリのつもりだったが……。
    この戦いを『司馬懿の知をさらけ出す戦い』
    と位置付けるのも一興かもしれぬな」

当初は戦いをどう終わらせるか、それのみを考えていた
諸葛亮だったが、先ほどの司馬懿の言動を見て、
自分の言ったハッタリを実践してみるのも
また面白いのではないかと思い始めていた。

一方の司馬懿は、諸葛亮の四輪車が去るのを
憮然とした表情で見送った。

    郭淮郭淮

郭 淮「どうでした、奴の意図は見抜けましたか」
司馬懿「どうも、はっきりとは……。
    私があてずっぽうを言っていると見抜いたか、
    確たることは言わずに煙に巻いた様子でした」
郭 淮「やはり奴も魏国の軍師を務めるほどの男。
    そう簡単には尻尾を出さないかと」
司馬懿「そのようですね」
郭 淮「……敵部隊が関への攻勢をかけ始めましたが、
    大丈夫でしょうか?」
司馬懿「守備兵は2万以上、守るだけなら十分です。
    関が危うくなる前に敵部隊を倒せばよいだけ。
    戦術的には全く誤っていませんよ」
郭 淮「は、では早いうちに倒してしまいましょう」
司馬懿「迎撃部隊は速やかに敵部隊を殲滅せよ!
    一気に片付けてしまいなさい!」

    韓遂韓遂

韓 遂「おお! さあ魏軍よ!
    この韓遂の突撃を受けてみるがいい!」

司馬懿の言葉を受けて、韓遂が突撃を敢行。
数千の兵を討ち減らしていく。

    満寵満寵

満 寵「今だ! こちらからも連弩で攻撃せよ!」

また、虎牢関からの連弩が諸葛亮隊を襲う。
今度は防がれることはなく、多くの兵を討ち倒した。

諸葛亮「ふ、見事な連携。楚軍もやりますね……」

    夏侯淵夏侯淵

夏侯淵「やりますね、じゃないだろう!」
諸葛亮「おや、夏侯淵どの」
夏侯淵「虎牢関の守備は薄いとか言っていたようだが、
    これでは関が落ちる前にこちらがやられるわ!」
諸葛亮「承知してますよ。
    おそらく関を落とすことはかなわぬでしょう。
    そこで、将軍がたに一層の奮起をお願いします」
夏侯淵「な、なにぃ?」
諸葛亮「激しい攻撃を虎牢関へ加えてください。
    その激しさに敵が危ぶみ、部隊を引っ込めて
    守備に徹するような状況にすることができれば、
    こちらも危なくなる前に退却できるというもの」
夏侯淵「そ、そのようなこと……。
    言うほど簡単にやれるものではないわ!」
諸葛亮「そうですか? 魏軍きっての歴戦の勇者、
    夏侯淵将軍ならやれるだろうと思ったのですが」
夏侯淵「む……」
諸葛亮「将軍が無理ならば他の者でも無理というもの。
    そうなると、また別な策を考えねばなりませんが、
    さて、何をしたら良いものやら……」
夏侯淵「むむむ……しょうがないな!
    そこまで言われてはやらねばなるまい。
    やれるだけやってみよう」
諸葛亮「そうですか、やっていただけますか。
    ではお願いします、将軍」

諸葛亮の言葉は見え見えの世辞ではあったが、
夏侯淵にしてみればそう悪い気はしなかった。

夏侯淵「司馬懿隊に構うな!
    狙いは虎牢関! いくぞ!」

夏侯淵は麾下の騎兵を率い、虎牢関へ一直線。
激しい飛射攻撃を浴びせた。

蒋 済「怯むな! 矢を射かけよ!」

虎牢関には満寵の他、蒋済も守備で残っていた。
元曹操軍である彼は知謀・政務に優れた人物で、
優秀な補佐役として楚軍でも重宝されていた。

夏侯淵「どこかで見た顔と思ったら……蒋済か!
    魏軍を裏切った罪、贖(あがな)ってもらおう!」

夏侯淵が手にしていた弓を引き、矢を放った。
弓の名手から放たれた矢は、蒋済の腕に突き刺さる。

蒋 済「ぐうっ!」
夏侯淵「……ふん、命拾いをしたな!
    よし、この程度でいい! 下がるぞ!」

多くの守備兵を射ち倒し、蒋済に怪我を負わせ、
夏侯淵は自軍へと戻っていく。

諸葛亮「……ふ、よくやってくれました。
    関の守備兵がこうも討ち減らされれば、
    敵部隊も退かざるを得ないはず……」

だが、そこへ誰も予期していない報が飛び込んできた。

魏 兵「急報です! 官渡港が落ちました!
諸葛亮「官渡が落ちた……? まさか楚軍が!?」
魏 兵「い、いえ、涼軍です! 馬騰艦隊です!」
諸葛亮「馬騰だと?」

平陽港から出て川を下っていた馬騰の艦隊。
彼らは、守備兵のいない官渡港を攻め落とした。

 涼、官渡を落とす

魏軍全体にとって、これはさほど痛い損失ではない。
官渡が封鎖されたとしても、華北と華南を結ぶ場所は
いくらでもあるわけなのだから。

だが、諸葛亮隊にとってはこのことは衝撃であった。
上党から官渡・白馬港を経由しこの虎牢関に来ていた
彼らの帰る道を失ったからである。

魏 兵「官渡港が奪われた!?
    それでは我らが上党へ帰る道はどうなる!?」

実際の所、官渡港を使わずに大きく迂回すれば、
上党へ戻る道はまだ残っていた。
また、陳留・濮陽などの都市は健在であり、
上党へ戻らずともそちらへ入ることもできる。

しかし、兵たちはそこまで頭が回らなかった。
退路を立たれたと思い込み、戦意を喪失し
楚軍につけいる隙を与えてしまった。

司馬懿「今です。くさびを打ち込むように突破攻撃を」

戦機を読んだ司馬懿は、騎馬隊による突破を図った。
これにより、諸葛亮隊はさらに陣形を崩される。

張 哈「ぬう、やるな司馬懿め!
    だが、いくら美しかろうと私はもう惑わされぬぞ。
    なんとか隙を見つけて反撃を……」

張哈は隙を見つけようと司馬懿の姿を目で追う。
その瞬間、一陣の風が戦場を舞った。

  チラリ

張 哈「ぬおおお!?」

司馬懿の腰に巻かれている垂れがその風に煽られ、
一瞬だけ『OH!モーレツ』な格好となった。
他の者たちはその一瞬の出来事を見逃していたが、
司馬懿の様子を伺いずっと凝視していた張哈は
しっかりとその姿を網膜に焼き付けていた。

張 哈「う、美しいッ! ブラボーッ!
     ブラーヴォ!」(パチパチパチ)

駒の動きを止め、馬上で我を忘れ拍手を送る張哈。
だが、虎牢関に残り守備の指揮を執っていた満寵は、
その隙だらけの姿を見逃さなかった。

満 寵「あれは張哈!? 何をやってるのだ。
    よーし、ここは狙いを定めて……でやっ!」
張 哈「ぐわっ!」

満寵の放った矢は、張哈の肘に命中した。
もし拍手でその腕を上げてなければ、矢は心臓を
射抜いたかもしれない。
とはいえ、拍手して目立っていなければ狙撃も
されなかっただろうから、とても『拍手して助かった』
とは言えなかった。

張 哈「くうっ……! や、やられた……!
    司馬懿め、恐るべきやつ!
    私の弱点を見抜いたうえで、自らを囮として
    矢を放たせるとは!!
    司馬懿こそ、楚軍最大の要注意人物……。
    軍師諸葛亮の言、もっともであるな」

それは張哈の完全な誤解であったが、
彼は至極真面目にそう思った。

司馬懿「敵はほとんど戦う意思を無くしています。
    攻勢をかけつつ、前進を」
郭 淮「全軍、攻勢をかけつつ前進せよ!
    ……しかし、諸葛亮が画策していた策などは、
    どこかに飛んでいったようですな。
    所詮は書生あがりの男、大したことはない」
司馬懿「……確かに、策士としての彼はそれほど
    大したことはないかもしれません。
    ですが、指揮官としては実に怖い存在です……」
郭 淮「ははは、何を言われますか。
    こうして戦いに勝っているというのに」
司馬懿「兵力で勝り、地の利も得ているのです。
    いかなる相手でもそうは負けはしません。
    ですが、もし五分の条件で相対したら……」
郭 淮「……したら?」
司馬懿「いえ、やめておきましょう。
    その時はその時、どうなるかはわかりません。
    今は敵部隊の殲滅のみを考えましょう」
郭 淮「は……」

司馬懿隊や虎牢関の連弩にて攻撃を受け、
完全に諸葛亮隊の戦闘力は奪われた。
もはや戦闘の継続はかなわず、部隊は敗走に近い
撤退を開始する。

諸葛亮「なんとも、不甲斐ない。
    司馬懿に対してもっと心理面から攻め、
    序々に追い詰めていこうと思っていたのに」
魏 兵「ぐ、軍師! どう致しましょう!?
    もはや隊列の維持も難しくなっております!」
諸葛亮「無理に押し留めずともよい。
    命令の効く者たちのみを動かせ」
魏 兵「ははっ……」
夏侯淵「さて、どうするね、軍師どの?
    もはやこの部隊も持たないが?」
諸葛亮「それでも、一兵でも多く逃がしたい。
   夏侯淵将軍。殿をお願いしたいが、よろしいか?」
夏侯淵「ふ、よかろう。
    もうひと暴れしてから帰るとしようか」
諸葛亮「かたじけない」

夏侯淵は麾下の騎兵で部隊の後方を固める。
対する司馬懿隊は追撃の手を緩めず、
韓遂を先頭に猛然と攻めかけた。

韓 遂「無様だな、夏侯淵!
    お主らの軍では我らには敵わぬということ、
    ようやくわかったであろう!?」
夏侯淵「ぬかしておれ。此度は戦略ですでに負けていた。
    わしの武勇、用兵が敗れたわけではない。
    次こそは、貴様らを討ち果たしてくれん」
韓 遂「ほう。しかし、ここで死ねば次はないぞ。
    ……突撃じゃ! 完全にねじ伏せい!」
夏侯淵「この夏侯淵を甘くみるなっ!」

韓遂の突撃で、諸葛亮隊は完全に崩壊した。
諸葛亮・張哈は追撃を逃れ上党まで帰還したが、
夏侯淵は捕らえられ、虎牢関へと護送されたという。

    ☆☆☆

戦い終わり、司馬懿隊の引き揚げてきた虎牢関。
ささやかながら戦勝の宴が行われ、将兵たちは
勝利の美酒に酔っていた。

   韓遂韓遂   郭淮郭淮

韓 遂「うーい、運動した後の酒は格別だな!
    どうだ郭淮、飲んでるかー!」
郭 淮「はい、頂いております」
韓 遂「……飲んでるときくらい仮面を外したらどうだ。
    飲むときに邪魔ではないか?」
郭 淮「すでに慣れていますので、大丈夫です」
韓 遂「はあ。……ところで、司馬懿はどうした。
    酒にかこつけてセクハラしようと思ったのに、
    全然姿が見えんではないか」
郭 淮「司馬懿どのでしたら、すでに自室のほうに
    引っ込んでしまったようですが」
韓 遂「そうか、自室のほうか。どれどれ」
郭 淮「……韓遂将軍?
    夜に女性の部屋へ参るのはどうかと……」
韓 遂「郭淮? お主、儂をそんなに見境のない、
    性欲魔人のようなやつと思っておるのか?」
郭 淮「い、いえ……そこまでは」
韓 遂「ちと挨拶してくるだけだ。すぐ戻る」

郭淮は、韓遂が司馬懿の部屋のほうへフラフラと
歩いていくのを心配そうな顔で見送った。

韓 遂「さて、司馬懿の部屋はここだな……と。
    せーの、3、2、1……」

 ばーん

韓 遂おーっとっと酔っ払っちまったい!
    おわっ、足元がふらついたっ!

部屋に入った韓遂は、そう声を出しながら
一直線にベッドの方へ突っ込んでいく。
どすん、と頭から突っ込んだ韓遂は、
そこで部屋に誰もいないことに気付いた。

韓 遂「……って、おらんじゃないか。
    酔った芝居から司馬懿を押し倒すという、
    我ながら素晴らしい作戦が空振りだ」

舌打ちしながら部屋を見回してみると、
文字の書かれた書簡が目に入ってくる。

韓 遂「なんじゃこれは。手紙か……?
    お、今日の日付が書いてあるな。
    どれ、ちょっと読んでみるか」

 虎牢関において、魏軍、諸葛亮の部隊を破りました。
 戦闘において韓遂の功が大きく、また虎牢関に残りし
 満寵の援護も光っていたといえましょう。


韓 遂「お、わしのことが……ってこれだけかい。
    もっと『素敵な活躍だった』とか『ダンディだった』
    とかはないんかい」

 これでまた、司馬懿の名を世に知らしめました。
 あなたの名をこうして天下に轟かせられたこと、
 実に嬉しく思います。


韓 遂「……『あなた』?」

 あなたが世を去ってすでに数年が経ちます。
 もしあなたが生きていれば、今以上に万民が
 あなたのことを知ることになっていたでしょう。
 それだけの才能と意思を持っていたあなた。
 必ずやご自身の力で歴史に名を残したでしょう。
 でも、それも今は叶わぬ夢です。


韓 遂「こ、これは……」

 私はあなたがいなくなったあの日、心に決めました。
 司馬懿の名を、あなたの代わりに天下に知らしめる。
 歴史にその名を記し、留めてみせる。
 それが残された妻としての、私の仕事だと……。

 見ていてください、司馬懿。
 あなたの名を、何があろうと、例え悪名であろうと、
 歴史に、万民の胸に、しっかりと刻み付けますから。

 そのためには、なんでもやってみせましょう。
 人を殺すことも、陰謀も、裏切りも。
 そして、あらゆるものを利用しましょう。
 財も、子も、君主であろうとも。

 私のこのような生き方、誰も理解しないでしょう。
 あなたの弟
(※)も、狂っているとまで申しました。

 あなたも、私がこのような生き方をしていくのを、
 望んではいないのかもしれませんね。
 でも、今しばらくは見守っていてください。
 これは、私の意地なのです。

 私への文句がお有りでしたら、あの世に参ってから
 ゆっくりとお聞きしますから。

                     春華


(※ 司馬孚のこと)

韓 遂「み、見てはいかんものを見てしまった。
    ……げ、司馬懿が戻ってきおったか。
    いかん、はよ逃げねば」

部屋へ近付いてくる足音を聞いた韓遂は、
窓からカサコソと(ゴキブリのように)逃げ出した。

    司馬懿司馬懿

司馬懿「あら、窓が? 閉めておいたはずなのに」

このすぐ後、韓遂は宴の席に戻っていた。
だが、すぐに郭淮に挨拶をして退席していった。

韓 遂「何か秘密があるとは思ってはいたが……。
    なんと大それたことを考えておるのだ。
    今はまだ楚の一将軍として留まっているが、
    この先どのようなことをやらかすか」

この先、必ず何か波乱が起きるだろう。
韓遂はそう考えたが、それを誰かに洩らすような
ことはしなかった。

彼もまた、乱を望む者であったから。

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