218年6月
6月上旬、虎牢関。
司馬懿が守るこの関には、曹操隊の井闌が取りつき
矢を射掛けていた。
攻撃側の約2万の兵に対して、関の守備兵は約6万。
兵数では守る楚軍の方が圧倒的に多かったが、
曹操隊の力量を量るつもりか、序盤は守りを固め
部隊を出してくる気配もなかった。
関羽
徐晃
関 羽「どうも、外に出てくる気配はないな」
徐 晃「兵力比は3倍ほどあるはずです。
圧倒的にあちらが有利であるはずなのに、
なぜに出てこないのでしょうか」
関 羽「貴公はこの状況、信じられぬか」
徐 晃「全くわかりません……。
こう言うのもなんですが、今敵部隊が出てくれば
我々の隊など10日のうちに追っ払われましょう。
敵は何を恐れているのか……」
関 羽「圧倒的有利であるからこそ、不慮の事態を
避けようとしておるのかもしれんな」
徐 晃「不慮の事態?」
関 羽「そう、閣下の知略、儂や貴公の武略……。
こちらの兵は少ないが将の格ならば特級品だ。
『万が一、将が斬られでもしたら』とでも
考えておるのかもしれんぞ」
徐 晃「なるほど、そこまでは頭が回らなかった。
流石は関羽どのです、小生などの及ぶ所では
ありませんな」
関 羽「い、いや、儂は可能性を言っただけだ。
そう決めつけてかかってはいかんぞ」
徐 晃「はっ、関羽どのがそうおっしゃるならば。
胸に刻みつけ、生涯、忘れぬようにします」
関 羽「そ、そこまで大仰にせんでもいい……」
徐晃、字を公明。
張遼や張哈らと並び称される魏の名将である。
敵を恐れぬ勇と冷静に戦局を見る目を兼ね備え、
これまで数々の武勲を挙げてきた。
この年に50歳を迎えたベテランだが、
実は彼はこの時、難病を患っていた。
徐 晃「関羽どのの言葉は実に素晴らしい……。
ああ、今日も日記をつけておかねば」
それは主君である曹操も患っている病で、
『関羽好き好き病』という。
薬も療法も確立されていない不治の病であった。
主君である曹操のように思い詰め、意識を飛ばす
ほどではなかったが、彼の関羽を敬愛すること
他の魏将の中には及ぶ者は到底おらず(※)、
諸将より関羽マニアとして一目置かれる存在に
なっていたのである。
(※ 彼の次の位置に張遼がいる程度)
曹操
曹 操「おおい関羽! ちょっと来てくれぬか」
徐 晃「関羽どの、後でまたお話をお聞かせください」
関 羽「むむむ……。閣下と徐晃。
この二人と共に戦うのが、これほどまでに
やりにくいとは……」
慕われるのは悪い気はしないが、彼らのそれは
少々行き過ぎのような気もしないでもなかった。
呼び出しを受け、関羽はすぐ曹操の側へと
赤兎を駆けさせた。
関 羽「何か御用ですか、閣下」
曹 操「うむ、状況を聞こうかと思ってな。
現在はどんな調子か」
関 羽「は……。兵の数が足りないにしては、
そこそこ良くやっているかと」
曹 操「そこそこか。まあ、そんな所だろうな」
関 羽「はい、敵の部隊は出てきてませんが、
弩による反撃で負傷兵が増えております。
遠からず、撤退に追い込まれましょう」
曹 操「敵が有利であるはずなのに出てこないのも、
そう思っているからかもしれんな。
だが、そこにこちらの付け入る隙がある」
関 羽「……閣下? 常識的に考えれば、ここから
逆転できる要素は全くと言っていいほど
ないと思うのですが……」
曹 操「常識的には、な。
……だが、私はこれを見つけたのだ」
関 羽「この書は……?」
曹 操「これは、これまで諸将に諸国を探索させ、
見つけた品々の中にあったものでな。
名を、『太平要術の書』という」
関 羽「太平要術……!?
黄巾党の首魁、張角が持っていたという!?」
曹 操「そうだ、これこそ張角の奇術の源。
この書の中に、人々を惑わす幻術、
それを操る方法が書いてあったのだ」
関 羽「げ、幻術を操る!?
そのようなことが書いてあるのですか!」
曹 操「うむ……。これから、私は幻術を使う。
上手くいけば、敵は大混乱に陥るだろう。
その隙に、一兵でも多く敵を倒すのだ」
関 羽「は、ははっ!」
曹 操「よし! それでは台座を用意せよ!
敵からも良く見えるところでないと、
幻術の効果はないからな!」
曹操隊の中があわただしくなった。
用意してきた特製の台座を前面に押し出し、
虎牢関の兵からも良く見える所に置かれた。
楚兵A「おい、あの台座に乗ってるの、誰だ?」
楚兵B「なんか、奇抜な格好をしてるな。
まるで、おとぎ話に出てくる仙人のような……」
曹 操「虎牢関の兵士諸君、聞こえるか!
私は魏公曹操である!」
楚兵A「曹操だって!? 敵の総大将じゃねえか!
お、おい、ちょっと弩を貸せ!
あいつを倒せば、一気に昇進だ!」
楚兵B「ダメだ、弩では狙えない位置にいる。
あの台座、なかなか上手く作ってあるな」
楚兵A「ちっ、勿体ねえな、目の前にいるのに。
しかし、奴は何しに出てきたんだ?」
楚兵B「演説でもしにきたんだろうか?」
曹 操「諸君、虎牢関を明け渡し、降伏せよ!
さもなくば、私の妖術でもって君たちを
皆殺しにしてしまうぞ!」
楚兵A「何言ってるんだ、あいつ。
あの程度のことで騙されるほど、俺らは
馬鹿じゃねえっての」
楚兵B「全くだ。曹操が妖術を使えるなんてこと、
一度も聞いたこともない」
曹 操「……君たちは私がハッタリを言っている、
そう思っているのであろうな!
だがそれは違う! 私は真実を言っているのだ!
そのことを今から証明してみせよう!」
楚兵A「なんかゴソゴソやり出したぞ?」
楚兵B「何をやる気だ……?」
曹 操「これより私は、虚無からモノを生み出す!
よく見ているがいい!」
曹操は何やら筒状の帽子を持ち、身構えた。
○BGM「オリーブの首飾り」
(↑リンク先からMIDIファイル等を探して聞いてください)
曹 操「まずは、この帽子を見るがいい!
中には、この通り何も入ってはいない!」
楚兵A「……確かに何もないな、空っぽだ」
曹 操「だが! これを置き、私が念じると……。
ていやぁ!!」
ばさばさばさ
楚兵B「げえっ!? 何もない所から、鳩が!?」
曹 操「そしてさらに!
ここに手を突っ込み、引っ張り出す!」
楚兵A「なんと!? 中から花が出た!?」
楚兵A「次は……旗が出てきたぞ!?」
曹 操「蜜柑も出せるぞ! ほれほれ!」
曹操は、取り出した蜜柑を関へ向かって投げ、
見ている楚兵たちに拾わせた。
楚兵A「ほ、本物の蜜柑だぞ。汁も出る」
楚兵B「しかも美味い……」
曹 操「どうかね諸君! 私の力は本物だ!
だが、生み出すばかりではないぞ!
関羽、いるか!」
関 羽「はっ、こちらに」
楚兵A「今度は何をやる気だ……?」
楚兵B「関羽が大きな箱を持ってきたぞ?」
曹 操「関羽の持ってきたこの箱! 中は空だ!
ここに、関羽に入ってもらい……」
ごそごそ
曹 操「フタをしたところで、剣を刺していく!
てい、てい、ていっ!」
楚兵A「な、なにぃぃぃ!
いくつもの剣を箱に刺している!?」
楚兵B「あれでは、いくら関羽でも死ぬぞ!」
曹 操「フフフ、私が関羽を殺すはずがあるまい。
私の念で、中の関羽を守っているのだ。
関羽はこの中で生きている!」
楚兵A「馬鹿な……!? あの刺さり具合では、
中に隠れるような場所はないぞ!」
曹 操「隠れてなどいない!
その証拠に、剣を抜き……箱を開けると!」
関 羽「ガオーッ」
曹 操「どうだ! この通り、関羽は無傷だ!」
楚兵B「うわあああああ!? 生きてる!」
楚兵A「奴は本当に妖術を使うんだぁぁぁ!」
虎牢関の兵たちは曹操の奇術の数々を見て、
すっかり彼が妖力を持つものと信じ込んでしまった。
関 羽「……閣下。
流石に『ガオー』はないと思うのですが」
曹 操「何を言う。
長い台詞を言うと白々しくなるから、
あえて簡単な掛け声にしたのだぞ」
関 羽「……はあ。
まだ『ぬおー』とかの方が良かったのですが。
しかしまあ、敵もこの程度の奇術で、
よくも騙されるものですな……」
曹 操「そう言うな、関羽。
お主は舞台裏を知ってるからそう言えるのだ。
何も知らなければ、目の前で起きた出来事を
否定することは難しいものだ」
関 羽「しかし、ここからどうされるのですか。
この状態では、妖力を信じているにしても
混乱に陥るとまでは行きませんが……」
曹 操「太平要術の書はな。
ただ奇術のネタが書いてあるだけではない。
中には、天気を予測する術もあってな」
関 羽「天気?」
曹 操「そうだ。……虎牢関の兵たちよ!
私はこれより雷雲を呼ぶ!
降伏せねば、全てを雷で焼き焦がす!」
曹操がそう言って指を高く突き上げると、
青天であったはずの空が突如曇り、
どんよりとした雲が立ち込めてきた。
関 羽「おおっ……? こ、これは」
曹 操「さあ、もう時間はないぞ!
雷に打たれたくなくば、行動を起こせ!
関を明け渡し、我が軍に降伏せい!」
曹操のハッタリは、実によく効いた。
関の兵たちは、これによって大混乱に陥る。
関の中は、小さい脱走や反乱がいくつも起こり、
それによって同士討ちも発生した。
魏軍はこの間、直接手を下していないのに、
関の兵は9千も減ってしまったという。
徐 晃「よし! 敵が混乱している今が好機!
騎馬隊いくぞ! 射撃用意!」
さらに、それに追い討ちをかけるようにして
徐晃が飛射を仕掛け、4千の兵を討ち減らす。
太平要術の書の奇術、そして曹操自身の詐術。
それが合わさり、大いなる幻術となって
虎牢関の兵たちを襲ったのであった。
司馬懿
郭淮
司馬懿「……やられましたね。
このような手段で切り崩してくるとは、
流石に予測できませんでした」
郭 淮「騙されるなと兵たちに言っても、
目の前で見ていた彼らを説得するのは
なかなか容易ではありません……」
司馬懿「混乱の収拾を急がせなさい。
それから、この雲は雷雲ではありません。
雷など落ちぬと言って回るように」
郭 淮「はっ!」
司馬懿「……確かに被害は大きい。
ですが、まだまだこちらの方が有利。
曹操には他にも何か切り札が……?」
してやられた、という気持ちがあったのか、
普段から冷静なはずの司馬懿の表情も、
少しばかり翳っているようであった。
曹 操「敵の被害は甚大だな」
関 羽「は、それに関全体が混乱をきたしており、
なおしばらくはこのままでしょう」
曹 操「ならばよし、攻勢を強めよ。
敵が混乱しているうちが勝負だ」
関 羽「はっ。しかし、敵軍の混乱が収まれば、
この一時の優位もひっくり返りましょう。
閣下には、まだ何か切り札があるのですか」
曹 操「……ふふ、そう思うか。
流石は武神とも称される関羽、いい読みだ。
だが、それこそ私の切り札なのだよ」
関 羽「は?」
曹 操「今、私は切り札の幻術を使った。
だが、それだけでは関を落とすには不十分。
何か、別の切り札があるのではないか……。
そう考えたのであろう」
関 羽「はっ」
曹 操「司馬懿も知恵が回るだろう。
必ずや、お主と同じ考えに至るはずだ。
だから、残る切り札が何かを見極めるため、
奴は慎重な方策を採るであろう」
関 羽「……そ、それこそが閣下の思惑であると?」
曹 操「そう……敵を疑心暗鬼にさせておき、
その間に最大の被害を与えて退却する。
切り札を見破れぬ奴は、追撃はできないだろう。
悠々と引き揚げることができるぞ」
関 羽「虎牢関は落とさずともよいと……」
曹 操「もとより、この戦力では落とせぬ。
今回の攻撃は、これでよいのだ」
関 羽「な、なんと……。
幻術だけではなく、戦術にもこのような
ハッタリを使われるとは……。
なんというお方だ、貴方は」
曹 操「ふ、関羽にそう褒められるとは……。
いやあ、くすぐったいのう」
関羽は手放しで褒めたのではなく、
『なんというペテンだ』という皮肉も込めた
言い様であったのだが、曹操は気付かなかった。
関の混乱に乗じて、曹操隊は攻撃を続けた。
楚兵は混乱の只中にあり、組織立った反撃は
できない状況である。
加えて司馬懿も、曹操のペテンに嵌まりつつあり
曹操隊の優位が定まるかに見えた。
だが、全てが曹操の思惑通りになっていた
わけではなかった。
ここで、司馬懿があらかじめ用意していた
『駒』が、彼らに襲いかかったのである。
魏 兵「ぜ、前方に敵部隊1万、出現!」
徐 晃「馬鹿な、虎牢関はまだ混乱状態だ!
部隊を出せるわけがなかろう!」
魏 兵「しかし、現にあのように!」
徐 晃「ぬうっ?」
その部隊は、虎牢関の部隊ではなかった。
先に司馬懿が許昌にいる閻柔に指令を出し、
兵1万を率いさせ向かわせた隊であった。
閻 柔「やれやれ。予備兵力用と聞いていたのに、
これでは我らが主戦力じゃないか。
……いいか、味方が混乱を脱するまでだ!
少しの間、我らが主役を張るぞっ!」
閻柔の名は馴染みが薄いかもしれない。
彼は幼い頃に烏丸に捕らえられたが、
その信望の厚さによって指導者となった人物で、
その後は曹操に帰順、後に金旋の将となった。
彼の騎馬射撃の巧みさは鞏恋や韓遂などにも
引けを取らぬほどである。
(ただし、個人の武勇はイマイチ)
司馬懿「閻柔隊の出現で戦況が変わった。
この時点での援軍は、曹操にも予想外のはず。
ならば、切り札の有無は関係ない……」
郭 淮「関内の混乱、完全に収拾!
指揮系統は完全に回復しました!」
司馬懿「よろしい。では郭淮将軍!
兵3万をもって、曹操隊を殲滅せよ!」
郭 淮「承知!」
郭淮は司馬懿の命を受け、韓遂・劉曄らと共に
急ぎ出陣準備にかかった。
その間、閻柔隊は曹操隊に数では劣るものの、
戦意は高く、優位に戦いを進めていた。
韓遂
韓 遂「ふむ。閻柔のやつ、頑張っているな」
郭 淮「これまで活躍の機会がなかったですからね。
主に内政要員になってましたから」
韓 遂「あれは烏丸の騎馬の乗り方か。
涼州の乗り方とはまた違うな……」
郭 淮「では、我々も行くとしましょう。
……カクワイダー隊、出陣します!」
韓 遂「あー、記録する正式名称は郭淮隊な。
郭淮が言ったのは通称だ、通称。
記録員、間違えるでないぞ」
記録員「はあ」
閻柔が曹操隊を抑えている間に混乱を収拾し、
虎牢関より郭淮隊3万が出撃。
閻柔隊の脇から曹操隊へ斬りこんでいった。
関 羽「閣下、これでは戦いになりませぬ。
ここはもう一度、幻術を!」
曹 操「いや、無理だ。
下ごしらえが全然できておらぬし、
無理に出しても効果はない」
関 羽「では……では、退却命令を。
このまま留まっていては全滅します」
曹 操「うむ。退却せよ」
思い通りにならずに悔しがるのかと思いきや、
曹操はあっさりと退却の命を下した。
だが、兵が1万を大きく割り込んでおり、
攻城兵器を抱えて速度の出ない曹操隊。
閻柔隊と郭淮隊、両方に追い立てられ、
隊を維持しながら逃げ切ることは無理だった。
関 羽「閣下! この隊はもうダメです。
完全に瓦解いたします……」
曹 操「そうか……」
関 羽「ですが、閣下の御身は私がお守りします。
さあ、追っ手が来る前に参りましょう!」
曹 操「だが、私の馬は足が遅い。
赤兎馬の走りにはついていけぬだろう」
関 羽「ならば、少々窮屈にはなりますが、
私の後ろにお乗りください」
曹 操「なにっ、関羽の後ろに!?」
関 羽「気が進まぬかとは思いますが、
敵の手より逃れるためですので……」
曹 操「いや! 思いっきり気が進む!
さあさあ、乗るぞ! 乗るぞっ!!」
関 羽「……で、では参ります。
いいですか、振り落とされぬよう、私の身体に
しっかりとお掴まりになって……。
……おられますな、本当にしっかりと」
曹 操「うーん、関羽の背中って広いのう」
関 羽「で、では飛ばしますぞ! やあっ!」
曹操を乗せ、関羽の赤兎馬は駆ける。
徐 晃「むっ!? あ、あれは関羽どのの赤兎!
その後ろに乗ってるのは、殿ではないか!?
相乗りとはなんと羨ましい……。
わ、私も混ぜてくだされ〜!」
残る徐晃も、関羽の後ろをストーキングし
濮陽に辿り着くことができた。
こうして魏の将たちは無事に戻ることができた。
唯一捕らえられてた夏侯惇も、関の混乱の
どさくさに紛れて脱出し、陳留へ戻っていった。
呉軍に攻められていた陳留は、戻った彼の指揮で
これを追い返すことに成功したのである。
だが、戦い自体は魏軍の完全な負けであった。
彼らは貴重な3万以上の兵を失い、
虎牢関はなお健在であったのだから。
彼らの戦果といえば、兵数は同じでも
その何割かを負傷させていること。
そして曹操の存在感を示した程度でしかない。
後世の歴史書には、曹操のこの虎牢関への攻撃を、
戦略上、明らかな失敗であると記載されている。
完全不利な状況のまま戦闘に突入し、
それを覆せぬままに敗れ去ったからであろう。
さらにその中には、この戦いを仕掛けた理由は
曹操が関羽と戦場デートをしたかっただけで、
それに徐晃がついていっただけである、という
あまりにも扇情的な内容のものもあったりする。
だが、その真実を知るのは当の曹操のみである。
曹 操「関羽ぅ、もう放さぬ♪」
関 羽「もう濮陽に着いておりますぞ!
いい加減に降りてくだされ!」
☆☆☆
場面変わり、河東を攻めていた于禁艦隊。
于禁艦隊は河東港の兵力をほとんど削ぐと、
陥落まではさせずにそのまま転進した。
曹休
曹 休「助かった……のか?
諸葛亮の策のお陰なのか?」
陥落を免れた曹休はそう呟いたが、
実際にはただ目的を果たしたために
予定通りに退却し始めたにすぎない。
于禁艦隊は、二つの港の防衛力を削り、
魏軍に打撃を与えることに成功した。
当初の戦略目的を満たしたのだから、
それ以上の戦果にこだわることはないのだ。
于禁
文聘
于 禁「ふう、やっと帰れるな……」
文 聘「お疲れさまでした」
于 禁「いや、それは貴公であろう。
よく艦隊を有効に動かしてくれたな。
感謝するぞ」
文 聘「は、恐れ入ります」
于 禁「孟津へと帰るだけだし、
残りは他の者に任せて休むように」
文 聘「ありがとうございます。では……」
少々疲れた顔をしていた文聘は、于禁に一礼し
その場を辞した。
流石に、唯一の水軍経験者ということで
疲労もかなりたまっていたのだろう。
于 禁「水軍用の人員のなさは、弱点になりうるな。
人材の増員を検討してもらわねば……」
牛金
牛 金「失礼いたす」
于 禁「おお、牛金。
不慣れな艦隊戦でよくやってくれたな」
牛 金「恐縮です。実はひとつ、お知らせが」
于 禁「ん?」
牛 金「馬騰艦隊が、平陽港を陥落させたとのこと」
于 禁「ほう、それはよかった。
敵の侵攻路がひとつ潰れたわけだからな」
牛 金「ところで……楽進将軍はどちらに?」
于 禁「ん? 一緒ではなかったのか?」
牛 金「いえ、戦闘中に会ったきりです。
終わった後は全然姿を見ておりませんので。
どこにおられるのでしょう」
于 禁「……むう。心配になってきたな。
港の反撃は大したことはなかったし、
よもや戦死したとは思えんが……」
牛 金「兵たちに探させますか」
于 禁「うむ、一応所在は確認しておかんと……」
楽進
楽 進「その必要はないぞ」
于 禁「おお楽進、無事だったか……。
……何で、ずぶ濡れになっているのだ?」
牛 金「これこそ、水も滴るいい男ですな」
楽 進「……いや、李典の艦に指令を伝えたはいいが、
李典矢の発射後に李典弩が崩壊してなぁ。
それに巻き込まれて、川に落ちたのだ」
于 禁「そ、それは……。よく無事だったな……」
楽 進「いや、全くだ。自分でもそう思う」
牛 金「では、李典将軍は?」
楽 進「あいつはあいつでピンピンしている。
ああ、アフロ髪がストレートに戻ってたな」
于 禁「二人とも、悪運は強いようだな。
まあ、無事で何よりだ」
楽 進「いや、全くだな。
落ちたのが総大将どのでなくてよかった」
于 禁「……お、おい楽進」
楽 進「ははは、冗談だ。
……ぶふえっくしょおん!」
牛 金「む、くしゃみですか」
于 禁「姿に似合わず(※)、豪快なくしゃみだな」
(※ 楽進の伝には、彼は小柄であったとある)
楽 進「ええい、やかまし……へっくしょい!」
于 禁「まあ、養生するのだな。
年寄りは無理をするものではないぞ」
楽 進「同じ歳のお主に言われたくはないな。
それに私は毎日鍛錬を欠かしておらんぞ。
そこらへんの若い奴らより健康だ」
于 禁「そういう奴に限っていざ病になると危ないのだ。
さあ、早く着替えて休め」
楽 進「はいはい了解、総大将どの」
于禁艦隊はこうして孟津へと引き揚げていった。
出撃した4万の兵のうち、無傷で帰還した者は2万6千。
また、負傷したが復帰可能な者は7千。
彼らが受けた被害よりも、その2倍以上の被害を
敵の港に与えていた。
魏の前線を叩き、侵攻の意思を削ぐという意味では
この戦いは大きな意義があった。
それに対し、彼らは十分な戦果を挙げたといっていい。
後にそれを手放しで喜べない事態となるのだが、
それはしばらく経ってのことである。
この時点では何も不安などはなく、
孟津の兵たちは彼らを万歳で出迎えるのだった。
|