○ 第十六章 「ダークネス・イリュージョン」 ○ 
218年6月

6月上旬、虎牢関。
司馬懿が守るこの関には、曹操隊の井闌が取りつき
矢を射掛けていた。

  曹操隊

攻撃側の約2万の兵に対して、関の守備兵は約6万。
兵数では守る楚軍の方が圧倒的に多かったが、
曹操隊の力量を量るつもりか、序盤は守りを固め
部隊を出してくる気配もなかった。

   関羽関羽   徐晃徐晃

関 羽「どうも、外に出てくる気配はないな」
徐 晃「兵力比は3倍ほどあるはずです。
    圧倒的にあちらが有利であるはずなのに、
    なぜに出てこないのでしょうか」
関 羽「貴公はこの状況、信じられぬか」
徐 晃「全くわかりません……。
    こう言うのもなんですが、今敵部隊が出てくれば
    我々の隊など10日のうちに追っ払われましょう。
    敵は何を恐れているのか……」
関 羽「圧倒的有利であるからこそ、不慮の事態を
    避けようとしておるのかもしれんな」
徐 晃「不慮の事態?」
関 羽「そう、閣下の知略、儂や貴公の武略……。
    こちらの兵は少ないが将の格ならば特級品だ。
    『万が一、将が斬られでもしたら』とでも
    考えておるのかもしれんぞ」
徐 晃「なるほど、そこまでは頭が回らなかった。
    流石は関羽どのです、小生などの及ぶ所では
    ありませんな」
関 羽「い、いや、儂は可能性を言っただけだ。
    そう決めつけてかかってはいかんぞ」
徐 晃「はっ、関羽どのがそうおっしゃるならば。
    胸に刻みつけ、生涯、忘れぬようにします」
関 羽「そ、そこまで大仰にせんでもいい……」

徐晃、字を公明。
張遼や張哈らと並び称される魏の名将である。
敵を恐れぬ勇と冷静に戦局を見る目を兼ね備え、
これまで数々の武勲を挙げてきた。

この年に50歳を迎えたベテランだが、
実は彼はこの時、難病を患っていた。

徐 晃「関羽どのの言葉は実に素晴らしい……。
    ああ、今日も日記をつけておかねば」

それは主君である曹操も患っている病で、
『関羽好き好き病』という。
薬も療法も確立されていない不治の病であった。

主君である曹操のように思い詰め、意識を飛ばす
ほどではなかったが、彼の関羽を敬愛すること
他の魏将の中には及ぶ者は到底おらず(※)、
諸将より関羽マニアとして一目置かれる存在に
なっていたのである。

(※ 彼の次の位置に張遼がいる程度)

    曹操曹操

曹 操「おおい関羽! ちょっと来てくれぬか」
徐 晃「関羽どの、後でまたお話をお聞かせください」
関 羽「むむむ……。閣下と徐晃。
    この二人と共に戦うのが、これほどまでに
    やりにくいとは……」

慕われるのは悪い気はしないが、彼らのそれは
少々行き過ぎのような気もしないでもなかった。

呼び出しを受け、関羽はすぐ曹操の側へと
赤兎を駆けさせた。

関 羽「何か御用ですか、閣下」
曹 操「うむ、状況を聞こうかと思ってな。
    現在はどんな調子か」
関 羽「は……。兵の数が足りないにしては、
    そこそこ良くやっているかと」
曹 操「そこそこか。まあ、そんな所だろうな」
関 羽「はい、敵の部隊は出てきてませんが、
    弩による反撃で負傷兵が増えております。
    遠からず、撤退に追い込まれましょう」
曹 操「敵が有利であるはずなのに出てこないのも、
    そう思っているからかもしれんな。
    だが、そこにこちらの付け入る隙がある」
関 羽「……閣下? 常識的に考えれば、ここから
    逆転できる要素は全くと言っていいほど
    ないと思うのですが……」
曹 操「常識的には、な。
    ……だが、私はこれを見つけたのだ」

  たいへーよーじゅつのしょ

関 羽「この書は……?」
曹 操「これは、これまで諸将に諸国を探索させ、
    見つけた品々の中にあったものでな。
    名を、『太平要術の書』という」
関 羽「太平要術……!?
    黄巾党の首魁、張角が持っていたという!?」
曹 操「そうだ、これこそ張角の奇術の源。
    この書の中に、人々を惑わす幻術、
    それを操る方法が書いてあったのだ」
関 羽「げ、幻術を操る!?
    そのようなことが書いてあるのですか!」
曹 操「うむ……。これから、私は幻術を使う。
    上手くいけば、敵は大混乱に陥るだろう。
    その隙に、一兵でも多く敵を倒すのだ」
関 羽「は、ははっ!」
曹 操「よし! それでは台座を用意せよ!
    敵からも良く見えるところでないと、
    幻術の効果はないからな!」

曹操隊の中があわただしくなった。
用意してきた特製の台座を前面に押し出し、
虎牢関の兵からも良く見える所に置かれた。

楚兵A「おい、あの台座に乗ってるの、誰だ?」
楚兵B「なんか、奇抜な格好をしてるな。
    まるで、おとぎ話に出てくる仙人のような……」

曹 操「虎牢関の兵士諸君、聞こえるか!
    私は魏公曹操である!」

楚兵A「曹操だって!? 敵の総大将じゃねえか!
    お、おい、ちょっと弩を貸せ!
    あいつを倒せば、一気に昇進だ!」
楚兵B「ダメだ、弩では狙えない位置にいる。
    あの台座、なかなか上手く作ってあるな」
楚兵A「ちっ、勿体ねえな、目の前にいるのに。
    しかし、奴は何しに出てきたんだ?」
楚兵B「演説でもしにきたんだろうか?」

曹 操「諸君、虎牢関を明け渡し、降伏せよ!
    さもなくば、私の妖術でもって君たちを
    皆殺しにしてしまうぞ!」

楚兵A「何言ってるんだ、あいつ。
    あの程度のことで騙されるほど、俺らは
    馬鹿じゃねえっての」
楚兵B「全くだ。曹操が妖術を使えるなんてこと、
    一度も聞いたこともない」

曹 操「……君たちは私がハッタリを言っている、
    そう思っているのであろうな!
    だがそれは違う! 私は真実を言っているのだ!
    そのことを今から証明してみせよう!」

楚兵A「なんかゴソゴソやり出したぞ?」
楚兵B「何をやる気だ……?」

曹 操「これより私は、虚無からモノを生み出す!
    よく見ているがいい!」

曹操は何やら筒状の帽子を持ち、身構えた。

  いりゅーじょにすとそーそー

○BGM「オリーブの首飾り」
(↑リンク先からMIDIファイル等を探して聞いてください)

曹 操「まずは、この帽子を見るがいい!
    中には、この通り何も入ってはいない!」
楚兵A「……確かに何もないな、空っぽだ」
曹 操「だが! これを置き、私が念じると……。
    ていやぁ!!

 ばさばさばさ

楚兵B「げえっ!? 何もない所から、鳩が!?」

曹 操「そしてさらに!
    ここに手を突っ込み、引っ張り出す!」

楚兵A「なんと!? 中から花が出た!?」
楚兵A「次は……旗が出てきたぞ!?」

曹 操「蜜柑も出せるぞ! ほれほれ!」

曹操は、取り出した蜜柑を関へ向かって投げ、
見ている楚兵たちに拾わせた。

楚兵A「ほ、本物の蜜柑だぞ。汁も出る」
楚兵B「しかも美味い……」

曹 操「どうかね諸君! 私の力は本物だ!
    だが、生み出すばかりではないぞ!
    関羽、いるか!」
関 羽「はっ、こちらに」

楚兵A「今度は何をやる気だ……?」
楚兵B「関羽が大きな箱を持ってきたぞ?」

曹 操「関羽の持ってきたこの箱! 中は空だ!
    ここに、関羽に入ってもらい……」

 ごそごそ

曹 操「フタをしたところで、剣を刺していく!
    てい、てい、ていっ!」

楚兵A「な、なにぃぃぃ!
    いくつもの剣を箱に刺している!?」
楚兵B「あれでは、いくら関羽でも死ぬぞ!」

曹 操「フフフ、私が関羽を殺すはずがあるまい。
    私の念で、中の関羽を守っているのだ。
    関羽はこの中で生きている!」
楚兵A「馬鹿な……!? あの刺さり具合では、
    中に隠れるような場所はないぞ!」
曹 操「隠れてなどいない!
     その証拠に、剣を抜き……箱を開けると!」
関 羽ガオーッ
曹 操「どうだ! この通り、関羽は無傷だ!」

楚兵B「うわあああああ!? 生きてる!」
楚兵A「奴は本当に妖術を使うんだぁぁぁ!」

虎牢関の兵たちは曹操の奇術の数々を見て、
すっかり彼が妖力を持つものと信じ込んでしまった。

関 羽「……閣下。
    流石に『ガオー』はないと思うのですが」
曹 操「何を言う。
    長い台詞を言うと白々しくなるから、
    あえて簡単な掛け声にしたのだぞ」
関 羽「……はあ。
    まだ『ぬおー』とかの方が良かったのですが。
    しかしまあ、敵もこの程度の奇術で、
    よくも騙されるものですな……」
曹 操「そう言うな、関羽。
    お主は舞台裏を知ってるからそう言えるのだ。
    何も知らなければ、目の前で起きた出来事を
    否定することは難しいものだ」
関 羽「しかし、ここからどうされるのですか。
    この状態では、妖力を信じているにしても
    混乱に陥るとまでは行きませんが……」
曹 操「太平要術の書はな。
    ただ奇術のネタが書いてあるだけではない。
    中には、天気を予測する術もあってな」
関 羽「天気?」
曹 操「そうだ。……虎牢関の兵たちよ!
    私はこれより雷雲を呼ぶ!
    降伏せねば、全てを雷で焼き焦がす!」

曹操がそう言って指を高く突き上げると、
青天であったはずの空が突如曇り、
どんよりとした雲が立ち込めてきた。

関 羽「おおっ……? こ、これは」
曹 操「さあ、もう時間はないぞ!
    雷に打たれたくなくば、行動を起こせ!
    関を明け渡し、我が軍に降伏せい!」

曹操のハッタリは、実によく効いた。
関の兵たちは、これによって大混乱に陥る。

関の中は、小さい脱走や反乱がいくつも起こり、
それによって同士討ちも発生した。
魏軍はこの間、直接手を下していないのに、
関の兵は9千も減ってしまったという。

徐 晃「よし! 敵が混乱している今が好機!
    騎馬隊いくぞ! 射撃用意!」

さらに、それに追い討ちをかけるようにして
徐晃が飛射を仕掛け、4千の兵を討ち減らす。

太平要術の書の奇術、そして曹操自身の詐術。
それが合わさり、大いなる幻術となって
虎牢関の兵たちを襲ったのであった。

   司馬懿司馬懿  郭淮郭淮

司馬懿「……やられましたね。
    このような手段で切り崩してくるとは、
    流石に予測できませんでした」
郭 淮「騙されるなと兵たちに言っても、
    目の前で見ていた彼らを説得するのは
    なかなか容易ではありません……」
司馬懿「混乱の収拾を急がせなさい。
    それから、この雲は雷雲ではありません。
    雷など落ちぬと言って回るように」
郭 淮「はっ!」
司馬懿「……確かに被害は大きい。
    ですが、まだまだこちらの方が有利。
    曹操には他にも何か切り札が……?」

してやられた、という気持ちがあったのか、
普段から冷静なはずの司馬懿の表情も、
少しばかり翳っているようであった。

曹 操「敵の被害は甚大だな」
関 羽「は、それに関全体が混乱をきたしており、
    なおしばらくはこのままでしょう」
曹 操「ならばよし、攻勢を強めよ。
    敵が混乱しているうちが勝負だ」
関 羽「はっ。しかし、敵軍の混乱が収まれば、
    この一時の優位もひっくり返りましょう。
    閣下には、まだ何か切り札があるのですか」
曹 操「……ふふ、そう思うか。
    流石は武神とも称される関羽、いい読みだ。
    だが、それこそ私の切り札なのだよ」
関 羽「は?」
曹 操「今、私は切り札の幻術を使った。
    だが、それだけでは関を落とすには不十分。
    何か、別の切り札があるのではないか……。
    そう考えたのであろう」
関 羽「はっ」
曹 操「司馬懿も知恵が回るだろう。
    必ずや、お主と同じ考えに至るはずだ。
    だから、残る切り札が何かを見極めるため、
    奴は慎重な方策を採るであろう」
関 羽「……そ、それこそが閣下の思惑であると?」
曹 操「そう……敵を疑心暗鬼にさせておき、
    その間に最大の被害を与えて退却する。
    切り札を見破れぬ奴は、追撃はできないだろう。
    悠々と引き揚げることができるぞ」
関 羽「虎牢関は落とさずともよいと……」
曹 操「もとより、この戦力では落とせぬ。
    今回の攻撃は、これでよいのだ」
関 羽「な、なんと……。
    幻術だけではなく、戦術にもこのような
    ハッタリを使われるとは……。
    なんというお方だ、貴方は」
曹 操「ふ、関羽にそう褒められるとは……。
    いやあ、くすぐったいのう」

関羽は手放しで褒めたのではなく、
『なんというペテンだ』という皮肉も込めた
言い様であったのだが、曹操は気付かなかった。

関の混乱に乗じて、曹操隊は攻撃を続けた。
楚兵は混乱の只中にあり、組織立った反撃は
できない状況である。
加えて司馬懿も、曹操のペテンに嵌まりつつあり
曹操隊の優位が定まるかに見えた。

だが、全てが曹操の思惑通りになっていた
わけではなかった。
ここで、司馬懿があらかじめ用意していた
『駒』が、彼らに襲いかかったのである。

魏 兵「ぜ、前方に敵部隊1万、出現!」
徐 晃「馬鹿な、虎牢関はまだ混乱状態だ!
    部隊を出せるわけがなかろう!」
魏 兵「しかし、現にあのように!」
徐 晃「ぬうっ?」

その部隊は、虎牢関の部隊ではなかった。
先に司馬懿が許昌にいる閻柔に指令を出し、
兵1万を率いさせ向かわせた隊であった。

 閻柔隊登場

閻 柔「やれやれ。予備兵力用と聞いていたのに、
    これでは我らが主戦力じゃないか。
    ……いいか、味方が混乱を脱するまでだ!
    少しの間、我らが主役を張るぞっ!」

閻柔の名は馴染みが薄いかもしれない。
彼は幼い頃に烏丸に捕らえられたが、
その信望の厚さによって指導者となった人物で、
その後は曹操に帰順、後に金旋の将となった。

彼の騎馬射撃の巧みさは鞏恋や韓遂などにも
引けを取らぬほどである。
(ただし、個人の武勇はイマイチ)

司馬懿「閻柔隊の出現で戦況が変わった。
    この時点での援軍は、曹操にも予想外のはず。
    ならば、切り札の有無は関係ない……」
郭 淮「関内の混乱、完全に収拾!
    指揮系統は完全に回復しました!」
司馬懿「よろしい。では郭淮将軍!
    兵3万をもって、曹操隊を殲滅せよ!」
郭 淮「承知!」

郭淮は司馬懿の命を受け、韓遂・劉曄らと共に
急ぎ出陣準備にかかった。
その間、閻柔隊は曹操隊に数では劣るものの、
戦意は高く、優位に戦いを進めていた。

    韓遂韓遂

韓 遂「ふむ。閻柔のやつ、頑張っているな」
郭 淮「これまで活躍の機会がなかったですからね。
    主に内政要員になってましたから」
韓 遂「あれは烏丸の騎馬の乗り方か。
    涼州の乗り方とはまた違うな……」
郭 淮「では、我々も行くとしましょう。
    ……カクワイダー隊、出陣します!」
韓 遂「あー、記録する正式名称は郭淮隊な。
    郭淮が言ったのは通称だ、通称。
    記録員、間違えるでないぞ」
記録員「はあ」

閻柔が曹操隊を抑えている間に混乱を収拾し、
虎牢関より郭淮隊3万が出撃。
閻柔隊の脇から曹操隊へ斬りこんでいった。

関 羽「閣下、これでは戦いになりませぬ。
    ここはもう一度、幻術を!」
曹 操「いや、無理だ。
    下ごしらえが全然できておらぬし、
    無理に出しても効果はない」
関 羽「では……では、退却命令を。
    このまま留まっていては全滅します」
曹 操「うむ。退却せよ」

思い通りにならずに悔しがるのかと思いきや、
曹操はあっさりと退却の命を下した。

だが、兵が1万を大きく割り込んでおり、
攻城兵器を抱えて速度の出ない曹操隊。
閻柔隊と郭淮隊、両方に追い立てられ、
隊を維持しながら逃げ切ることは無理だった。

関 羽「閣下! この隊はもうダメです。
    完全に瓦解いたします……」
曹 操「そうか……」
関 羽「ですが、閣下の御身は私がお守りします。
    さあ、追っ手が来る前に参りましょう!」
曹 操「だが、私の馬は足が遅い。
    赤兎馬の走りにはついていけぬだろう」
関 羽「ならば、少々窮屈にはなりますが、
    私の後ろにお乗りください」
曹 操「なにっ、関羽の後ろに!?」
関 羽「気が進まぬかとは思いますが、
    敵の手より逃れるためですので……」
曹 操いや! 思いっきり気が進む!
    さあさあ、乗るぞ! 乗るぞっ!!」
関 羽「……で、では参ります。
    いいですか、振り落とされぬよう、私の身体に
    しっかりとお掴まりになって……。
    ……おられますな、本当にしっかりと」
曹 操「うーん、関羽の背中って広いのう」
関 羽「で、では飛ばしますぞ! やあっ!」

曹操を乗せ、関羽の赤兎馬は駆ける。

徐 晃「むっ!? あ、あれは関羽どのの赤兎!
    その後ろに乗ってるのは、殿ではないか!?
    相乗りとはなんと羨ましい……。
    わ、私も混ぜてくだされ〜!」

残る徐晃も、関羽の後ろをストーキングし
濮陽に辿り着くことができた。

こうして魏の将たちは無事に戻ることができた。
唯一捕らえられてた夏侯惇も、関の混乱の
どさくさに紛れて脱出し、陳留へ戻っていった。
呉軍に攻められていた陳留は、戻った彼の指揮で
これを追い返すことに成功したのである。

だが、戦い自体は魏軍の完全な負けであった。
彼らは貴重な3万以上の兵を失い、
虎牢関はなお健在であったのだから。

彼らの戦果といえば、兵数は同じでも
その何割かを負傷させていること。
そして曹操の存在感を示した程度でしかない。

後世の歴史書には、曹操のこの虎牢関への攻撃を、
戦略上、明らかな失敗であると記載されている。
完全不利な状況のまま戦闘に突入し、
それを覆せぬままに敗れ去ったからであろう。

さらにその中には、この戦いを仕掛けた理由は
曹操が関羽と戦場デートをしたかっただけで、
それに徐晃がついていっただけである、という
あまりにも扇情的な内容のものもあったりする。

だが、その真実を知るのは当の曹操のみである。

曹 操「関羽ぅ、もう放さぬ♪」
関 羽「もう濮陽に着いておりますぞ!
    いい加減に降りてくだされ!」

    ☆☆☆

場面変わり、河東を攻めていた于禁艦隊。

于禁艦隊は河東港の兵力をほとんど削ぐと、
陥落まではさせずにそのまま転進した。

    曹休曹休

曹 休「助かった……のか?
    諸葛亮の策のお陰なのか?」

陥落を免れた曹休はそう呟いたが、
実際にはただ目的を果たしたために
予定通りに退却し始めたにすぎない。

于禁艦隊は、二つの港の防衛力を削り、
魏軍に打撃を与えることに成功した。
当初の戦略目的を満たしたのだから、
それ以上の戦果にこだわることはないのだ。

   于禁于禁   文聘文聘

于 禁「ふう、やっと帰れるな……」
文 聘「お疲れさまでした」
于 禁「いや、それは貴公であろう。
    よく艦隊を有効に動かしてくれたな。
    感謝するぞ」
文 聘「は、恐れ入ります」
于 禁「孟津へと帰るだけだし、
   残りは他の者に任せて休むように」
文 聘「ありがとうございます。では……」

少々疲れた顔をしていた文聘は、于禁に一礼し
その場を辞した。
流石に、唯一の水軍経験者ということで
疲労もかなりたまっていたのだろう。

于 禁「水軍用の人員のなさは、弱点になりうるな。
    人材の増員を検討してもらわねば……」

    牛金牛金

牛 金「失礼いたす」
于 禁「おお、牛金。
    不慣れな艦隊戦でよくやってくれたな」
牛 金「恐縮です。実はひとつ、お知らせが」
于 禁「ん?」
牛 金「馬騰艦隊が、平陽港を陥落させたとのこと」
于 禁「ほう、それはよかった。
    敵の侵攻路がひとつ潰れたわけだからな」
牛 金「ところで……楽進将軍はどちらに?」
于 禁「ん? 一緒ではなかったのか?」
牛 金「いえ、戦闘中に会ったきりです。
    終わった後は全然姿を見ておりませんので。
    どこにおられるのでしょう」
于 禁「……むう。心配になってきたな。
    港の反撃は大したことはなかったし、
    よもや戦死したとは思えんが……」
牛 金「兵たちに探させますか」
于 禁「うむ、一応所在は確認しておかんと……」

    楽進楽進

楽 進「その必要はないぞ」
于 禁「おお楽進、無事だったか……。
    ……何で、ずぶ濡れになっているのだ?」
牛 金「これこそ、水も滴るいい男ですな」
楽 進「……いや、李典の艦に指令を伝えたはいいが、
    李典矢の発射後に李典弩が崩壊してなぁ。
    それに巻き込まれて、川に落ちたのだ」
于 禁「そ、それは……。よく無事だったな……」
楽 進「いや、全くだ。自分でもそう思う」
牛 金「では、李典将軍は?」
楽 進「あいつはあいつでピンピンしている。
    ああ、アフロ髪がストレートに戻ってたな」
于 禁「二人とも、悪運は強いようだな。
    まあ、無事で何よりだ」
楽 進「いや、全くだな。
    落ちたのが総大将どのでなくてよかった」
于 禁「……お、おい楽進」
楽 進「ははは、冗談だ。
    ……ぶふえっくしょおん!
牛 金「む、くしゃみですか」
于 禁「姿に似合わず(※)、豪快なくしゃみだな」

(※ 楽進の伝には、彼は小柄であったとある)

楽 進「ええい、やかまし……へっくしょい!
于 禁「まあ、養生するのだな。
    年寄りは無理をするものではないぞ」
楽 進「同じ歳のお主に言われたくはないな。
    それに私は毎日鍛錬を欠かしておらんぞ。
    そこらへんの若い奴らより健康だ」
于 禁「そういう奴に限っていざ病になると危ないのだ。
    さあ、早く着替えて休め」
楽 進「はいはい了解、総大将どの」

于禁艦隊はこうして孟津へと引き揚げていった。
出撃した4万の兵のうち、無傷で帰還した者は2万6千。
また、負傷したが復帰可能な者は7千。
彼らが受けた被害よりも、その2倍以上の被害を
敵の港に与えていた。

魏の前線を叩き、侵攻の意思を削ぐという意味では
この戦いは大きな意義があった。
それに対し、彼らは十分な戦果を挙げたといっていい。

後にそれを手放しで喜べない事態となるのだが、
それはしばらく経ってのことである。
この時点では何も不安などはなく、
孟津の兵たちは彼らを万歳で出迎えるのだった。

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