217年11月
11月上旬、洛陽。
金旋が襄陽で演習を開始したのと同じ頃。
司馬懿は、司馬孚と崔炎を使者として
曹操のいる濮陽へ送った。
先の孟津での会戦で捕らえられた、
于禁・秦朗の返還を求めるためである。
司馬懿
司馬懿「さて、上手くやってくれるか……」
???「一体何をです?」
郭淮
司馬懿「これはこれは郭淮どの。
怪我の方はもう良いのですか?」
郭 淮「華佗に診てもらいましたゆえ、
ご心配には及びません」
司馬懿「それはよかった。これからの戦略、
郭淮どの抜きでは無理ですからね。
しかし、ご自慢の仮面が……」
よく見ると、郭淮の仮面は、
真ん中をセロテープで固定されていた。
関羽に割られた仮面を、テープで補修して
付けているようだった。
郭 淮「ああ、これの代わりはありませんので。
後で匠に直して貰わねば……あっ」
司馬懿「どうかしましたか、郭淮どの?」
郭 淮「私は郭淮ではなくカクワイダーです!」
司馬懿「……そのようなこと、
毎度毎度言われなくとも結構です。
それより、孟津攻略の準備ですが」
郭 淮「ま、まだ攻めるつもりですか?
その目でお分かりになったでしょう、
関羽は一筋縄で敵う相手ではない!
兵も将も増強せねば、勝てませんぞ!」
司馬懿「貴方が関羽を怖がるのもわかりますが……」
郭 淮「怖がってはいない!
この戦いで強さを知ったまで!」
司馬懿「ご心配なさらずとも、関羽ならば
我が策が成れば孟津から去りますよ」
郭 淮「……孟津を去る? 策? 何のことです」
司馬懿「ふふふ、まあ見ていてください。
有利な状況を作り出し、それから孟津を……」
伝 令「申し上げます!」
郭 淮「何事か!?」
伝 令「黄河上流に田豫隊2万の艦隊を確認!
孟津港へ向かっているとのことです!」
郭 淮「……敵は港の兵を増強するつもりか。
それとも、直接洛陽を攻撃する気か……」
司馬懿「流石に、簡単には負けてくれぬようですね」
☆☆☆
洛陽に新たな緊張が走っていた頃、
捕虜返還要求の役目を帯びた司馬孚と崔炎は、
曹操のいる濮陽城に到着した。
これから曹操に謁見するところである。
すでに配下の将が脇に並び、司馬孚・崔炎に
矢のような視線を送っていた。
以前は味方であった者たちへの、
主君を裏切ったことに対する批難の視線である。
司馬孚
崔炎
司馬孚「うう……。辛い役回りだ……」
崔 炎「そうかな?
なかなか、美味しい役だと思うが」
司馬孚「よく平気な顔をしてますね……。
貴方も曹操軍にいたのでしょう?」
崔 炎「私は、漢の大将軍の元にいただけ。
そして、今は漢の楚王の元にいる。
やましいことなど、何もない」
司馬孚「そんな詭弁で相手は納得しませんよ……」
崔 炎「相手がどうこうなど関係ない。
私自身はそれで納得しているのだ。
他人に文句など言わせぬよ」
司馬孚「……全く、羨ましい性格です」
崔 炎「しっ……来たようだぞ」
カツカツと足音を立てて曹操が現れ、
座に歩み寄り腰を下ろす。
曹操
曹 操「司馬孚と崔炎か。久しぶりだな」
司馬孚「は、お久しぶりにございます」
崔 炎「魏公曹操どのには御機嫌麗しゅう。
我ら、楚王金旋の使いで参りました」
曹 操「……崔炎よ。
持って回った言い回しは不要だ。
用件のみを話すがいい」
司馬孚「では、私から……。
我が軍の于禁・秦朗、この二名が、
先の孟津での戦いで貴軍の捕虜となりました。
つきましては、この両名を返還願いたい」
曹 操「司馬孚」
司馬孚「はっ」
曹 操「そのニ名、元々は私の配下だった者だ。
それは知っているのだろうな」
司馬孚「重々承知しております。
しかしながらその両名、今では
楚の軍において欠けてはならぬ人材」
曹 操「我らとて、彼らがいないばかりに
辛い戦いを強いられているのだがな?」
司馬孚「……むむ」
司馬孚が思わず言葉に詰まったところに、
崔炎が助け船を出した。
崔 炎「さて、それはいかがなものでしょう」
曹 操「なに?」
崔 炎「両名とも、今では貴軍ではなく
金旋軍に居場所を見つけております。
彼らに帰順する気がないならば、
それをアテにするのはおかしいこと」
曹 操「……抑留を続けても彼らの心は変わらぬ、
だから返せ、そう言いたいのか」
崔 炎「左様です」
曹 操「はっきりと言ってくれるものだな」
崔 炎「曹操どの、彼らが戻ってくるかどうか、
聡明な貴殿ならおわかりだと思うが」
曹 操「……ふん」
司馬孚「……そこで、手を打とうということです。
身代金と交換で返していただければ、
我らはかけがえのない仲間を取り戻し、
曹操どのは金を手に入れることができる。
これで収めることに致しましょう」
曹 操「……まあ、よかろう。私も以前に
捕虜を返してもらったことがある。
その借りを返すのだと思えばよい」
司馬孚「あ、ありがとうございます」
曹 操「では、後は良いな。
細かい条件は他の者に任せる」
曹操が席を立とうとした時、
司馬孚が慌てて呼び止めた。
司馬孚「あ、申し訳ありません。
ひとつお聞きしてよろしいですか」
曹 操「……なんだ?」
司馬孚「孟津での戦いのこと、
魏公はどこまで聞いておられますか」
曹 操「ふむ? 報告ではあまり詳しいことは
聞けなかったが、『関羽が活躍した』
ということは知っているぞ」
司馬孚「実は、私はその様子、
かなり詳しく聞いておりますが。
……孟津での関羽どのの活躍ぶり、
お聞きになりたいと思いませぬか」
曹 操「なに!? は、話してくれるというのか!?」
司馬孚「は、魏公がよろしいのであれば」
曹 操「は、話せ! い、いや話してくれ!」
司馬孚「はい。では、早速……。
まずは、関羽艦隊の登場から……」
曹 操「お、おおっ」
司馬孚は、李典や郭淮などから聞いた内容をまとめ、
まるで関羽が主人公である物語のように
曹操に話して聞かせた。
司馬孚「その時、関羽は言ったのです。
『武をもって雌雄を決し、
勝った方が真の英雄である!』と」
曹 操「お、おおっ!
かかか関羽がそのようなことを!?
か、感動だ……関羽が、関羽がそこまで
私を慕っていてくれたとは……」
司馬孚「そして青龍偃月刀を一閃!
その刃は郭淮の額を捉えましたが、
しかし割れたのは郭淮の仮面のみ!
関羽は郭淮の命は切らずに、
その弁だけを断じたのでありました!」
曹 操「か、かっこよすぎるわい、関羽めっ」
……司馬孚は司馬懿隊の全面退却まで話し終えたが、
曹操はまだ興奮冷めやらぬ様子で、話をせがんだ。
あまりにも熱心にアンコールを頼まれたため、
しょうがなくもう一度最初から話をすることに。
立っている将たちが皆、ももやふくらはぎを揉み、
崔炎はコックリコックリと居眠りする間、
そのアンコール講演は続けられた。
そして、ようやくそれも終わりとなる……。
と思われたが、またアンコールを頼む曹操。
流石にそれは、両脇に立つ将が止めた。
名残り惜しそうな表情で、曹操は司馬孚に言った。
曹 操「司馬孚よ……感動したぞ!
ここまで感動したのは実に久しぶりだ!」
司馬孚「あ、ありがとうございます」
曹 操「どうであろうか。
于禁・秦朗の身代金はいらぬから、
しばらくここに留まり、また話を……」
崔 炎「魏公、未練ですぞ」
曹 操「……むむむ、ダメか」
崔 炎「では、失礼いたす。
……それほど関羽が気になるなら、
直接話をすればよいと思いますがな」
司馬孚と崔炎は、その場から下がった。
司馬孚「……ふう。一応、役目は果たせたか」
崔 炎「しかし、面白い語りであったのう。
流石は司馬の八達よ、見事な才だ」
司馬孚「……二回目は居眠りしてませんでしたか?」
崔 炎「ははは、気付いておったか」
司馬孚「しかし、このような話をしたところで、
何が変わるというのか……」
崔 炎「ふ、曹操のあの様子を見ても分からぬのか。
ならば、帰ってから司馬懿に聞くが良い」
司馬孚「え? 崔炎どのは、
姉上のはかりごとの内容をご存知で?」
崔 炎「うむ。策の補間を頼まれてな。
その時にどのような意味なのか聞いた」
司馬孚「私には話してくれなかったのに……」
崔 炎「あくまで私は、策がずれた際に
軌道を直す役目を負うただけ。
この策の主役は私ではなく、貴殿なのだ。
だから司馬懿も、貴殿に余計なことは
言わなかったのだろうな」
司馬孚「……この策の目的は何なのです?」
崔 炎「貴殿もあの司馬懿の弟であろう。
自分で導き出してみるのだな。
でなければ、司馬懿に直接聞けい」
司馬孚「むう」
正式に于禁・秦朗の返還が決まり、
司馬孚・崔炎は洛陽への帰路についた。
☆☆☆
司馬懿
司馬孚
司馬孚「言われた通り、関羽の話を聞かせました」
司馬懿「ご苦労様。曹操は熱心に聞いていましたか」
司馬孚「はい、それはもう……」
司馬懿「結構。これで我が策、成った」
司馬孚「そろそろ良いでしょう。
どのような策なのか教えてください」
司馬懿「なんのことはないのです。
ただ、曹操の病を再発させただけのこと」
司馬孚「病……?」
伝 令「申し上げます!」
司馬懿「何事か」
伝 令「孟津で動きがあった模様!
詳細は現在、密偵が調べておりますが、
大将が交代になったようです!」
司馬懿「わかりました。
続報があればすぐに報告を」
伝 令「はっ」
司馬孚「大将が……関羽が交代?」
司馬懿「どうやら、上手く行ったようですね」
司馬孚「姉上。曹操の病とは……」
司馬懿「ふふふ。ただの恋の病ですよ」
司馬孚「恋?」
司馬懿「貴方が話をすることで、曹操の
関羽に恋焦がれる気持ちを刺激したのです。
これで少しはやりやすくなるでしょう」
☆☆☆
上党。軍師諸葛亮の元に、
曹操からの急使が来ていた。
諸葛亮
諸葛亮「関羽将軍を返せ……?」
使 者「はっ。閣下はそのように仰せです」
諸葛亮「孟津を落とし、また攻め手から守ったのは
関羽将軍の武があったからこそ。
それは閣下とてお分かりのはず」
使 者「しかし、東部の戦線は芳しくなく、
先日も陸遜に下[丕β]を落とされたばかり。
それを関羽将軍の武をもって取り返す、
そのようなことを仰せでした」
諸葛亮「むむ……小沛に続いて下[丕β]か。
徐州は陸遜一人にやられておるな。
しかし、孟津は金旋領に打ち込んだくさび。
これを守り、そして洛陽を脅かす将が……」
使 者「優秀な将はまだ上党に残っているのだから、
代わりの大将はそこから出せ……と」
諸葛亮「確かに残ってはいるが……。
流石に関羽将軍と比べると、見劣りがな。
しかし閣下がそのようにお考えなら仕方ない。
夏侯淵将軍と交代ということにしよう」
使 者「はっ」
諸葛亮「後は、優秀な補佐をつければ良かろう……。
さて、誰をつければよいのか」
???「その役目、私が果たしましょう」
諸葛亮「む、誰です?」
???「私ですよ、私」
諸葛亮「むむむ、声はすれども姿は見えず」
???「目線を下げてください! 目線を!」
そう言われて、諸葛亮はようやく姿を見つけた。
彼の視界に現れたのは、妻である黄月英。
なお、彼女の容姿は次のように記されている。
『髪は赤茶けており、顔も色黒、背も低い』と。
身の丈8尺(※)の諸葛亮からすれば、
かなり下に目線を移さないと視界に入らない
ちんまりとした女性であった。
(※ この頃の1尺は24cm弱、つまり約190cm)
彼女は女の身ではあったが、
夫である諸葛亮に負けず劣らず聡明であり、
曹操に見込まれて将として名を連ねていた。
黄月英
黄月英「知の面での補佐ならば、私が」
諸葛亮「月英か……。確かにお前の能力は
補佐役を果たせるだけのものはある」
黄月英「はい、ありがとうございます」
諸葛亮「しかし、お前は私の妻であり、性は女だ。
果たして、夏侯淵将軍が女の言を全て
信じてくださろうか。ましてやチ……。
……いや、なんでもない」
黄月英「チビで肌が黒くて赤毛でブスな私の言など、
夏侯淵将軍は取り合わない……と」
諸葛亮「そ、そんなことは思ってはいない。
チンチクリンな、と言おうとしただけだ」
黄月英「大して変わりませんよ」
諸葛亮「い、いや……。
私はその小さいお前が好きなのだ」
むぎゅ
黄月英「……あん、ダメですよ。
こんなところで肩など抱かれては……」
使 者「ウォホン! ゴホン!」
諸葛亮「あ、ああ、すまん。いたのだったな」
使 者「お邪魔なら退室いたしますが」
諸葛亮「いやいやいや。今のは、ついな、つい。
……で、何の話だったか」
黄月英「チンチクリンな私では、夏侯淵将軍は
話を聞かぬのではないか、という話です」
諸葛亮「う、うむうむ、それだ」
黄月英「女であっても、凛として立派な方であれば、
夏侯淵将軍は聞いてくださるでしょう」
諸葛亮「しかし、お前のその見た目は、
どう見ても凛としているとは……」
黄月英「私が凛としてるなんて言ってませんよ。
私の言を、李通どのが代わりに言えば、
夏侯淵将軍も聞いてくださるでしょう」
諸葛亮「……ふむ、娘の方の李通どのか。
それならば、夏侯淵将軍も聞き入れよう」
黄月英「では、そのように」
諸葛亮「そうだな。月英と李通を補佐とする。
後は夏侯惇将軍も一緒に行ってもらおう。
二人の夏侯氏、そしてお前が行ってくれれば、
関羽将軍が去っても大丈夫だろう」
使 者「では、私はそのように閣下にお伝えします」
諸葛亮「うむ、よろしく」
使者は退室し、曹操の元へ帰っていった。
諸葛亮「しかし、閣下の元にはすでに、
武では張飛・許猪などが、
将帥も張遼・徐晃などが揃っている。
今になって関羽将軍を呼ばずとも……」
黄月英「閣下なりのお考えがあるのでしょう。
あなたは今ある駒で戦うしかありません」
諸葛亮「わかっている。
狙い通り、楚呉の緊張は高まってきた。
後は洛陽を奪い返し、防衛線を固める。
まずはこれを成し遂げねばな」
黄月英「いつも言われてる『天下を分かつ策』ですね」
諸葛亮「そう……魏国を保つのが先決。
それには、洛陽周辺の防衛線は不可欠だ」
黄月英「頑張ってください、あなた。
私も出来る限り力添え致します」
諸葛亮「すまぬな……苦労をかける。
……しばらく離れ離れになるな」
黄月英「でも、すぐにあなたの元に戻ります」
諸葛亮「うむ、待っているぞ。
……では、こっちに来なさい、月英」
黄月英「はい」
とてとて、ぽふっ(歩み寄って、抱きつく音)
諸葛亮「あーっもう、激萌えーっ!」
黄月英「もう……いつもそうなんですから」
こうして、関羽は濮陽へ向かい、
夏侯淵・夏侯惇・李通・黄月英、
その他数名の将が孟津港へ向かった。
☆☆☆
また場所は戻り、洛陽。
孟津の関羽らの異動を知った司馬懿は、
郭淮と今後について検討をしていた。
司馬懿
郭淮
郭 淮「確かに関羽はいなくなりましたが……。
かえって、陣容は強化されたのでは?」
司馬懿「見方によっては、そうとも言えますね。
夏侯淵を大将に、夏侯惇、李通、黄月英。
他にも夏侯覇、鍾搖など。
すでにいる張哈、曹休、関索、
そして田豫隊の田豫、呂範、荀攸……。
かなり優秀な人材で固めてますね」
郭 淮「な、何をのん気に……。
田豫隊もすでに近くまで来てるのです。
このままでは、攻めるどころか、
洛陽の守備さえも危うい」
司馬懿「たしかに、このままではそうですね」
郭 淮「司馬懿どの!?
貴女は真面目に考えているのか!」
司馬懿「しかし、孟津を落とすことを考えれば、
反ってこの方が都合がいい」
郭 淮「ま、まだそんなことを……。
相手が強くなったというのに、
どうして落とすには都合がいいのです!」
司馬懿「それは……」
伝 令「申し上げます! 敵が現れました!」
郭 淮「なに、田豫隊か!?」
伝 令「はっ……い、いえ、それだけではなく!
田豫隊2万、夏侯淵隊3万!
合わせて5万の部隊が姿を現しました!」
郭 淮「なっ……夏侯淵もか!?
着任してそうそうに出撃してくるとは!」
司馬懿「いよいよ、この洛陽を奪い返そうと
本腰を入れてきたということでしょう。
しかし、これは……」
風雲急を告げる洛陽。
この都を巡り、両軍はいかなる戦いを繰り広げるのか。
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