217年9月
金旋らが荊州に向かい洛陽を発ってから、
しばらく経ったある日のこと。
洛陽の西にある孟津港に、川の上流から、
どんぶらこっこー、どんぶらこっこーと
大きな桃が流れてきましたとさ。
李典
李 典「おおっ、大きな桃だな。
皆で分けて食べることにしよう」
港を守っているおじいさん……もとい。
李典はその桃を拾い上げて持ち帰り、
兵たちとともに食べようと思いました。
李典がからくり刀を振るうと、桃は真っ二つに。
すると、あーら不思議。
桃の中から一通のお手紙が……。
李 典「一体なんだ?
『上党の曹操軍が動いた』だと?」
実はその桃は、密偵の流した報告書だったのです。
曹操軍は上党から出撃、艦隊を組んで水路に入り、
一路、孟津を目指していたのです。
李 典「これは一大事。この報、洛陽に届けよ!
他の者は迎撃の準備だ!」
孟津港は俄然、慌しくなってまいりました。
さてさて、どうなってしまうのでしょうか。
☆☆☆
洛陽に、李典からの情報が届けられた。
上党の曹操軍が動いたこと。
そして、その軍勢の陣容……。
司馬懿
司馬懿「……ご苦労様。内容は承知しました」
伝 令「はっ、それでは失礼いたします」
于禁
郭淮
于 禁「南に兵を送ったのが裏目に出たな。
それにしても、我々が軍を送ることを
まるで分かっていたかのような早さだ」
郭 淮「どうしますか、司馬懿どの。
閣下にお知らせし、引き返してもらいますか。
まだ今ならば、そう遠くは離れていないはず」
司馬懿「その必要はありません」
郭 淮「しかし……」
司馬懿「敵の数はたかだか5万。
この程度で閣下を呼び戻してしまったら、
我々の能力を疑われますよ」
于 禁「旗艦には関の旗が見える、と言っていたが。
それでも、我らだけで戦うというのか」
郭 淮「関の旗……敵の将は関羽ですか。
これは、厄介な相手ですね」
司馬懿「兵を減らしたことで曹操軍が動く、
これは予測の範囲内です。
そう慌てることはありません」
于 禁「そうは言うがな……」
司馬懿「それよりも、旧主の軍と戦い、
戦果を上げる機会を得たのですよ。
そのことをお喜びなさい」
郭 淮「……司馬懿どの。
貴女はもしや、全て知っていた上で、
あえてあの策を……?」
司馬懿「さて、何のことでしょうか」
郭 淮「……むむ」
司馬懿「そう、ご心配なさらずとも結構。
まずは李典将軍に第一撃を防いでもらい、
その間に準備を整えるとしましょう」
金旋には侵攻の事実を報告するだけに留め、
現有戦力のみで戦おうとする司馬懿。
彼女は、まるで全てを知っていたかのように、
完全に落ち着き払っていたのだった。
☆☆☆
上党を出た曹操軍の部隊は、平陽から水路に入り、
河を下って孟津港へ向かっていた。
その艦隊の旗艦の先頭に立つ、その大将は……。
関羽
関 羽「いよいよだ……いよいよだぞ!
あの宛城陥落の時に誓ったのだ、
必ず金旋軍へ復讐すると……。
その時が、ようやくやってきたのだ!」
溢れる戦意を抑え切れない様子の関羽。
そこへ、まだまだ若さの残る将が近付いてきた。
関索
関 索「父上。戦前からそう興奮するのは、
どうかと思うのですが」
関 羽「……索か。そういうお前はどうなのだ?
初陣ということで緊張してないか」
関 索「私を誰とお思いですか。
名将関羽の三男、関索ですぞ」
関 羽「ははは、聞くまでもなかったか。
だが、金旋軍は一筋縄では行かぬ。
心して掛かれよ」
関 索「は、父上が苦戦した相手……。
必ず、私が討ち果たします」
関 羽「フフフ、頼もしい限りだ。
関平、関興とも今は孫権軍だ……。
頼りにしているぞ、関索。
私の後を継げるだけの働きを見せよ」
関 索「はっ!」
関羽艦隊3万、そして後続の曹休の艦隊2万。
途中、弘農城塞から矢や石が飛んでくるが、
彼らはこれを無視し、孟津港へと向かう。
楽進
楽 進「むう、大した打撃は与えられんな。
李典よ……持ち堪えられるか?」
射程外へ抜けていく艦隊を見ながら、
楽進は孟津の守りを心配していた。
さて、その李典。楽進の心配をよそに、
自信満々で敵艦隊を迎え撃つ。
李 典「来たようだな。やるぞ、秦朗」
秦 朗「はっ」
大将の李典、そして秦朗は3万の兵をまとめ、
一丸となって敵艦隊を迎撃し始めた。
そして李典は、なにやら妖しい兵器を出してきた。
李 典「今週のびっくりどっきりメカ〜!
ぱかぱかぱーん!
りてんぎょらい〜っ!」
兵 長「すでに整備は完了しております。
後は装填し、発射するのみ!」
李 典「うむ。思えば、曹操軍にいた頃。
発明の大切さを大いに説いて回ったが、
ほとんどの将が見向きもしなかった。
その結果、研究資金もほとんど回されず、
作れるものも個人用の武器に限られた……」
兵 長「……将軍?」
李 典「だが、金旋軍で大いに資金を与えられ、
こうして大規模な兵器を発明できたのだ。
そして発明の大切さを理解しなかった、
その曹操軍にそれを放てるのだ!
こんなに嬉しいことはない!」
兵 長「ごたくが長いですよ……」
李 典「何か言ったか?」
兵 長「い、いえ、何も!」
李 典「まあいい。さあ、魚雷を装填せよ!
奴らに発明の凄さを思い知らせてやれ!」
兵 長「ははっ……魚雷を装填せよ!」
兵 卒「はっ! 装填完了!」
李 典「では、李典魚雷! 発射!
ぽちっとな」
ばしゅっ、と発射台から放たれたそれは、
小さい放物線を描いて川に飛び込む。
そしてそのまま真っ直ぐ水中を進み、
敵艦隊の先頭の楼船へ向かっていった。
……ちゅどーん!
関 索「い、1番艦、大破!」
関 羽「むう、何だ今のは?」
関 索「敵の新兵器と思われます!
水の中を進んでくるようです!」
関 羽「水の中を進み、当たると爆発し、
船体に大穴を空け沈める……。
ふむ、なかなか手の込んだ兵器だな。
おそらく、李典が作ったのだろう」
関 索「父上、何を呑気な……。
水の中を進んでくるようなもの、
防ぎようがないのですよ!?」
関 羽「慌てるな。このような兵器、
そう数を用意できるわけはない。
おそらく、発射台は一基しかなかろう。
港にあるそれらしいものを探し出せ!」
関 索「は、はいっ!」
関羽艦隊の兵たちは反撃もそこそこに、
港にある発射台を血眼になって探し始めた。
一方、関羽隊が探しているとは知らず、
李典は次の発射の準備を進めていた。
兵 長「命中した敵艦、沈んでいきます!
1発で楼船を撃沈ですぞ!」
李 典「よし、さすが私の発明した李典魚雷!
それでは第2弾、装填!」
兵 長「はっ! 魚雷、装填せよ!」
兵 卒「は、装填完了!」
李 典「では、李典魚雷! 第2射、発射!
せこっとな」
兵 長「……おや? 発射されませんが」
李 典「むむ? おかしいな」
兵 長「どこか故障でも……?」
李 典「何かが引っ掛かっているのかもな。
下の方を調べてみよ」
兵 卒「将軍! 暗くて見えぬのですが!
何か灯りが必要です!」
李 典「仕方ない、松明を使え!
ただし、なるべく魚雷には近付けるな!
近付けすぎると誤爆するぞ!」
兵 卒「ははっ!」
松明を点け、兵が点検を始める。
だが、その明かりに関羽が気付いた。
関 羽「……あれだ! あの松明!
あそこに火矢を放て!」
関 索「あの松明に向け、火矢を放て!
ありったけだ!」
李 典「……まだわからんのか?」
兵 卒「あ、縄が絡まってます。
これは一度外して取り出さないと……」
兵 長「ああっ、将軍!
敵艦隊から火矢が大量に!」
李 典「な、なにいっ!?」
火矢の雨は発射装置に降り注ぎ、
その一本が発射台の筒の中に入り込んだ。
ちゅどーん!
その火で装填されていた魚雷が爆発。
李典魚雷装置は、1発撃っただけで
跡形もなく吹っ飛んでしまった。
李 典「あ、ああ……。
私の心血を注ぎ込んだ李典魚雷が……」
兵 長「将軍! そんなことより関羽艦隊が!」
李 典「そ、そんなこととはなんだ貴様!
あれには、それはもうかなりの予算を
注ぎ込んでいたんだぞ!」
兵 長「い、いえ、それよりも敵が……」
李 典「敵がなんだ!
発明は、発明は人類の宝なのだ!
貴様にはそれがわからんのかっ!」
兵 長「誰か、この人どうにかして……」
そうこうしている間も、関羽艦隊の攻撃は続く。
兵士も次々と倒れ、また施設も壊れていき、
防御力の低下を抑えることができなかった。
関 羽「フッ……港の防衛力の弱さは、
この関羽、身に染みてわかっている。
今度はお前たちがそれを知る時だ!」
数日間はどうにか持ち応えていたが、
ついに防御を突破され、孟津港は陥落。
大将の李典は脱出に成功したが、
秦朗は曹操軍に捕らえられてしまった。
また、大量の兵士たちが捕らえられ、
曹操軍側に組み込まれることとなってしまう。
……緒戦は、金旋軍の完敗であった。
☆☆☆
李典はなんとか洛陽へ戻り、状況を報告した。
李典
李 典「……申し訳ない。
持ち応えることができなかった」
于禁
郭淮
于 禁「流石は関羽というべきか……。
こちらが迎撃隊を出す前に落とされるとは」
郭 淮「どうするのです、司馬懿どの。
まさか、港が落とされることも貴女は
予測していたとでも言うのですか」
司馬懿
司馬懿「……そうですね。ここまでは予測通りです」
于 禁「なに? 予測していてなお、
援軍を出さなかったというのか?」
司馬懿「そう怖い顔をなさらないでください。
こういうことも有り得る……。
そう見ていただけのことですよ」
于 禁「では、この後どうするのか。
それも、考えてあるのだろうな?」
司馬懿「勿論。ここまでは彼の思い通りのはず。
今後は、その筋書きを狂わせるのです」
郭 淮「……筋書き? 彼? 何のことです?」
司馬懿「いえ、お気になさらず。
孟津港が落ちた最大の理由、それは、
李典将軍の力が足りなかったのではなく、
単に港という施設が守りに向かぬからです」
于 禁「ふむ……確かにそうだが」
司馬懿「守りにくいならば、攻守を逆にして、
こちらが港を攻めればよい……。
ただそれだけのことです」
李 典「ちょ、ちょっと待て。
お主、私の負けを前提にしていたのか?」
司馬懿の言葉に、李典の顔色が変わった。
その司馬懿の考えを認めるならば、
孟津を守っていた意味がなくなってしまう。
司馬懿「李典将軍が奮闘し港を守り切る、
それが一番だったことは確かです」
李 典「……よく言う」
司馬懿「なにぶん、私も港の防衛については
それほど詳しくはありませんし、
多少見通しが甘かった点は否定しません」
于 禁「何にしろ、我らとしては
港を奪還するしかないんだろう?
ならば、善は急げだ」
司馬懿「そうですね。港を奪い返し、
今度はこちらが敵兵を頂くとしましょう」
郭 淮「……少々、楽観的すぎませんか?
敵は関羽ですぞ」
司馬懿「ふふふ……。
それを破ることができるかは、
私、そして貴方がたの働き次第です」
郭 淮「……」
司馬懿「まず、李典将軍。兵1万を与えます。
先鋒として孟津港を攻撃してください」
李 典「承知した。汚名はしっかり返させてもらう」
司馬懿「次に、弘農城塞の楽進将軍に使いを。
兵2万で孟津港を攻撃してもらいます。
また、私を大将に兵3万の部隊を編成します」
于 禁「うん? ここの兵が全ていなくなるぞ?」
司馬懿「虎牢関から1万ほど送って頂きます。
ご心配には及びません」
于 禁「ふむ、それならば良い」
司馬懿「……戦略はこれで漏れはありません。
しかしながら、戦術で覆される可能性は、
十分あります。心してかかってください」
三 人「承知!」
三人が下がった後、司馬懿は呟く。
司馬懿「さて、どうなりますか。
勝てばそれでよし、負けた時は……。
それはそれで、また良し……か」
☆☆☆
10月下旬。
洛陽から李典隊1万、司馬懿隊3万、
弘農城塞からは楽進隊2万が出撃。
孟津港の奪還を目指して攻撃を開始した。
関羽
関索
関 索「父上! 敵です!
西から2万、東から4万!」
関 羽「来たか。やはりな」
関 索「……父上?」
関 羽「敵も馬鹿ではない、ということだ。
防御力を回復させる前に奪い返し、
追い返す算段だろう……。
だがこの関羽、そう甘くはない!
ついてこい関索! 出陣するぞ!」
関 索「は……はいっ!」
曹 休「おっ……関羽どの! 出られるのか?」
関 羽「うむ。守りは任せるぞ、曹休」
曹 休「任せてくだされ……と言いたいが、
そんなに長くは待っておられぬぞ」
関 羽「心配無用。一気に片付ける」
曹 休「頼もしい言葉ですな……頼みますぞ!」
関 羽「……出陣だ! 敵本隊を叩くぞ!」
関羽は3万の兵を率い、出陣。
これに対し、守りを固めてくると思っていた
金旋軍の兵たちは、大いに驚いた。
于 禁「関羽の部隊が出てきたぞ! 兵は3万!」
司馬懿「なるほど……。
流石は戦を知り尽くした名将ですね。
港の守りが薄くなるリスクを負ってでも、
将兵の強さを発揮できる野戦を選んだか」
于 禁「一体どうするのだ?
関羽隊を無視するわけにもいかんぞ」
司馬懿「港を落とせば、結局はこちらの勝ちです。
関羽隊は我々の隊で抑え込み、
その間に楽進・李典の隊で港を落とす。
時間さえ稼げれば勝てます」
于 禁「……果たして、それができるのか?
相手は関羽だぞ」
司馬懿「できるかどうかではなく、
それを我らがやらねばならぬのです。
……李典隊、楽進隊に伝えなさい!
関羽隊は我々が引き受ける、
港への攻撃に全力を傾けよ、と!」
司馬懿隊は、関羽隊と真っ向からぶつかった。
果たして、楽進・李典が港を落とすまで、
彼女たちは踏ん張ることができるのだろうか?
☆☆☆
さて、孟津での攻防が行われているが、
他方での動きを先に語っておこう。
ここで語るのは、益州の状況である。
すでにこれまで、劉璋の最後の都市である
梓潼を饗援がたびたび攻撃していたのだが、
10月上旬、ついに梓潼は陥落。
劉璋軍は、消滅した。
……実のところ、劉璋軍は総力を結集すれば、
もう少し持つはずであった。
だが9月に、劉璋軍は不可解な行動に出る。
それは、兵もそう多くない中で、
剣閣へ攻撃部隊を派遣したことである。
剣閣の馬騰軍の守りはそれほどではなく、
劉璋軍はまもなくこれを奪い返すのだが、
その後すぐに饗援が梓潼へ攻撃を仕掛けても
剣閣の部隊は全く動くことはなかった。
まるで、劉璋を見捨てたかのように。
結局、兵の少ない梓潼は陥落してしまい、
劉璋は饗援軍の手に落ちた。
饗援
劉璋
饗 援「貴殿が劉璋か」
劉 璋「そうでおじゃる」
饗 援「なるほど……。顔つきを見れば
その者の人となりが大体わかるものだが、
貴殿はそれ以上に分かりやすいな」
劉 璋「この凛々しい顔つきから、
分かったでおじゃるか?」
饗 援「まあ、語らぬ方が貴殿のためかもな。
それより、今後のことだが……」
劉 璋「そうでおじゃる。
勢力を潰されたのは悔しいでおじゃるが、
饗援軍が礼を持って迎えてくれるなら、
この劉璋、喜んで仕えるでおじゃるよ」
饗 援「フ……残念ながら、その気はない。
とりあえずは牢に入ってもらおうか」
劉 璋「えっ? い、いや、別に、
無理な要求をする気はないでおじゃるよ?
是非、今から仕えさせてほしいでおじゃる」
饗 援「それは御免被る。
……劉璋どのを牢へお連れいたせ」
兵 「はっ。……さあ、劉璋どの」
劉 璋「ま、待つでおじゃる!
麿の、麿の何が不満でおじゃるかっ!」
饗 援「 全 部 」
劉 璋「ガボーン!!」
脱力して放心状態の劉璋を、
兵たちが抱えるようにして退去させた。
櫂貌
櫂 貌「……劉璋をどうなされるおつもりで?」
饗 援「さあな……解き放つか首を斬るか、
まだ迷っているところだ。
だが、登用をするつもりはない」
櫂 貌「確かに一人の人材として見ると、
大した能力はないかもしれませんが……」
饗 援「ないどころか、マイナスだ。
いくら人材難の我が軍といえど、
無駄飯食らいは要らぬのだ」
櫂 貌「ですが、ここはそれを我慢なさり、
彼を登用すべきです」
饗 援「気でも狂ったのか、櫂貌?
奴を登用したとして、何か利点があるのか?」
櫂 貌「……これまで、我らは女が上に立つ国を
造ろうとしてきました。
ですが、この理念は男には理解できません。
とはいえ、女のみで軍を維持するのも不可能」
饗 援「うむ……人の少ない部族時代はできたが、
ここまで国が大きくなれば、それも無理だ」
櫂 貌「そろそろ、方針を転換しなくてはならぬ時が
来ているのではないでしょうか」
饗 援「……確かに、私もそれは思っていた。
どちらかを上と決めてしまうのではなく、
男も女もない、平等な社会を作る……。
それならば男共も受け入れられるのでは、
と、そう考えることもある」
櫂 貌「はい。それならば、男も受け入れられます。
さすれば、仕官を望む者も出てくるでしょう」
饗 援「……ふむ、そうすべきか。
だが、劉璋の登用とどう関係しているのだ?」
方針を変えることと劉璋の登用とは、
饗援の頭の中では全然結び付かなかった。
櫂 貌「劉璋を象徴とするのです」
饗 援「……『小腸』?
腹を裂いてモツ鍋にでもするのか?」
櫂 貌「『象徴』です。シンボルのことです」
饗 援「コホン……今のは冗談だ」
櫂 貌「滑りましたね」
饗 援「言うな。自分でも分かっている。
……で、劉璋を何の象徴にすると?」
櫂 貌「彼を登用して厚遇するのです。
そうして『饗援軍は男も重用するようになった』
ということを、天下に示してみせるのです」
饗 援「重用しろ、というのか?
……あのような、無能な男を?」
櫂 貌「無能だからこそよいのです。
無能な彼を厚遇すれば、他の優秀な男たちは
こぞって我が軍に仕官したがることでしょう」
饗 援「……そのあたりの心理はよくわからんな。
無能を厚遇して、なぜ皆が喜ぶ」
櫂 貌「ふふふ、饗援さまは英雄だからです。
人に仕える心理を持ち合わせていないので、
そのような発想ができぬのです」
饗 援「ふむう」
櫂 貌「以前に聞いた中原の故事では、
『隗より始めよ』と言うようですが」
饗 援「……まあ良い。
方針の転換と共に、劉璋を登用する。
それで良いのだろう」
櫂 貌「はっ、ありがとうございます」
饗援軍は劉璋を登用し、また制度を変えた。
これまで饗援軍では、同じ階級であっても
男は女の一等下の扱いであったのだが、
それを改め、両者を同格としたのだった。
これにより登用を渋っていた劉璋軍の将も、
それならば、と登用に応じるようになった。
無能な劉璋が人並みの扱いを受けてることも、
大に影響したようである。
だが、それでも彼女たちは、旧劉璋軍の将を全て
配下に加えられたわけではなかった。
剣閣にいた将たち、そして梓潼にいた者の一部は、
劉璋軍消滅に伴い在野の士となり、
ほとんどの者が国外へ流出していたのである。
饗 援「仕方ない、といえば仕方ないのだろうが。
……しかし、やはり痛いな」
櫂 貌「在野となった将たちでございますか」
饗 援「うむ。憶えているだけでも十数名。
いずれも有能な士ばかりだ。
これに逃げられたのはかなり痛い」
『劉璋軍を滅ぼし、その将全員を配下に』
と饗援は当て込んでいただけに、
逃げられたと知った時の落胆も大きかった。
饗 援「国内にいるなら、登用も効くだろうが……。
全く、人というものは思い通りにはならんな」
櫂 貌「だからこそ、治政は難しいのです。
逃げた者はしょうがありますまい。
これからのことを考えましょう」
饗 援「これからのことか……。
次の戦いの準備、進めておかねばならんな」
櫂 貌「はっ。できるだけ、こちらから
先手を打ちたいものです」
饗 援「金旋の目がこちらに向かぬうちに、
広げられるだけ広げる必要がある。
……また、忙しくなるぞ」
饗援軍は、現在の状況に満足することなく、
すでに次の標的に目を向けていた。
劉璋軍がいなくなっても、
まだまだ饗援軍の戦いは続いていく。
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