○ 外伝2 「武陵の金さん 前編」 ○ 
217年某月。洛陽。
金旋は、下町娘を連れ、金満の母である
花梨の墓参りに来ていた。

  金旋金旋   下町娘下町娘

金 旋「墓ではなく、生きている本人と会って、
    話がしたかったがな……」

そう言いながら線香を上げ、頭を垂れて黙祷を捧げる。
下町娘は、終始無言のまま、一緒に頭を下げ黙祷した。

帰り掛け、下町娘は初めて金旋に声を掛けた。

下町娘「花梨さん……でしたっけ。
    金旋さまは、その方を愛してたんですか?」
金 旋「……うーん。その質問は微妙だなあ」
下町娘「あ、言いたくなければ、別にいいですよ?」
金 旋「いや、そういうことじゃない。
    実際、彼女と一緒にいた時間ってのは、
    ほんの数日の間だけなんだ」
下町娘「えっ? それって……」
金 旋「だが、離れ離れにならずに一緒にいれば、
    彼女に愛を感じただろうし、後妻にも迎えただろう。
    ただ、そうはならなかった……」
下町娘「……その時のこと、聞いてもいいですか?」
金 旋「いいだろう。あれは確か、
    建安八年(203年)の春のことだ……」

    ☆☆☆

(これは金旋が武陵太守として赴任してきた頃の話です。
 内容はリプレイ、及び筆者の脳内設定に基づくものであり、
 史実・演義とも食い違うところはありますがご了承ください)

建安八年(西暦203年)。
華北では官渡の戦いで曹操が袁紹を破った後、
袁紹の子らを攻め、冀州を支配化に置こうとしてた頃。
金旋は朝廷より命を受け(その実は曹操の命であるが)
はるばる荊州南部の武陵へ赴任してきた。

曹操としてみれば、彼や他の四郡太守を置くことで、
劉表に対する牽制としたかったのだろう。
しかし実際のところは、こんな中央から離れた田舎の都市に
ポツンと赴任してきたところで、劉表に対抗できるだけの
軍を作れるわけでもなかったし、実際にそれをやれるだけの
能力を持つ者が派遣されたわけでもなかった。

要は『それほど期待されてない』状態だったのである。

だが金旋からしてみれば、
このような状況は願ってもないものだった。
何しろ、さほど戦とも関係ない場所と、
一番偉い立場とを与えられたのである。
こうして、彼の気楽な太守生活が始まった。

   金旋金旋

金 旋「ふーん、市場もそれなりに賑わっているな。
    中央の戦乱などどこ吹く風、といった感じだな」

武陵の町の市場を歩きながら、金旋はそう呟いた。
彼は町の様子を見て回るため、こうしてたびたび
お忍びで町中へ訪れていた。
従事の鞏志には、その度に小言を言われていたが、
金旋は別に辞める気はなかった。

金 旋「町の様子をつぶさに見て、統治の糧とする。
    太守として立派な心構えだろう」

……実際のところは、酒場で飲み食いをしたり、
珍しいものを買っては、娘や孫への土産に
している程度なのだが。

今日もまた、衣を変え、変装用の虞羅参を掛け、
ヤクザ風の風体で町に出て来ていたのだった。

金 旋「さて、市場の視察は終わり、と。
    腹が減ったな、どこかで飯にするか」

どこか食事を取れる場所を探すと、
丁度近くに手頃な酒場風の飯屋を発見する。

金 旋「よし、今日はここにするか……」

そこへ向かおうとしたところで、
まっすぐ歩いてきた男とぶつかってしまった。
男はすいません、と一言だけ言ってすぐに去ってしまう。

金 旋「……なんだなんだ、最近の若いもんは。
    もう少し謝りようがあるだろうに。
    ……まあいい、とりあえず飯だ。
    おーい、飯と酒をくれーい!」
女 将「あいよっ! 品書きは壁に書いてあるから、
    好きなの頼んでちょうだいな!」

金旋が中に入っていくと、かっぷくのいい、
少し歳のいった女将が出迎えた。
金旋もそれにのって、威勢良く注文。

金 旋「じゃ、このフカヒレラーメンと伊勢海老チャーハン!
    それとエビ餃子をよろしく!
    それと、酒は一番いいとこくれ!」
女 将「おや旦那、羽振りがいいねえ!
    後で金がないなんて言わないでおくれよ!」
金 旋「あたぼうよ、支払いはキチンとするぜ!」

こうして金旋は、その腹がいっぱいになるまで、
飯を食い、酒を飲んだ。
また女将と世間話をしたりして、
実に有意義な時間を過ごしたのであった。

金 旋「……いやー食った食った。
    女将、ごっつぉさん」
女 将「はいな、気持ちのいい食いっぷりだったね。
    じゃ、お代よろしく」
金 旋「はいよ、財布はちゃんとここに……。
    ここに……あれ? おかしいな?
    ちょっと待てよ、ここにつけて……」

出る時は腰につけておいたはずの財布が、ない。
そこで彼は、店の前でぶつかってきた
男に思いを巡らせた。

金 旋「……やられたっ! スリだっ!」
女 将「ん、なんだい? 金がないのかい?」
金 旋「す、すまん! 店の前でスリにやられた……。
    後で届けさせるから、待っていてくれ!」

だが、その言葉に女将は首を振る。

女 将「……そー言って戻ってきたことなんて、
    今まで一度もお目に掛かったことがないねえ。
    てことで、あんたを外に出すわけにはいかないね」
金 旋「ちょ、ちょっと待て! 狂言だとでも言うのか?
    ほれ、ホントに財布がないんだっつーの!」
女 将「最初っからなかったというのも十分有り得るよ。
    とにかく、そういうのは無しにしてくれないかね」
金 旋「な、無しにしろったってなぁ。
    財布がなければ代金も払えないぞ。
    だから、後から持ってきて払うって……」
女 将「別に構わないよ。金で払わなくったって。
    身体で払ってもらうからねぇ」
金 旋「か、からだで、払う……?
    お、俺の貞操が危険でぴんち!?
女 将「……働いて返してもらうってんだよ!
    ほれ、まずは薪割りでもして貰おうかい!」
金 旋「ぐわっ!? え、襟首を掴むな!
    く、くるしいーっ」

金旋は無理矢理に奥へ連れていかれ、
代金分の労働を強要された。
『今日と明日働けば、代金分くらいになるかねえ』
と言われ、彼はしぶしぶ働くことにする。

    ☆☆☆

下町娘「無銭飲食ですか……。いい度胸してますね」
金 旋「だから違うっつーのに!」
下町娘「実はスラれたんじゃなくて、持ってきてないだけ、
    なんてオチだったりして……」
金 旋「う……当たらずとも……」
下町娘「え?」
金 旋「い、いや、それはまた後で話そう。
    とにかく、根が真面目な俺は、
    『明日まで働いてとっとと帰ろう』
    と、そう思ったんだ」
下町娘「マジメ……?」
金 旋「な、なんだその懐疑的な目は。
    真面目じゃなかったら逃げ出してるぞ」
下町娘「はあ……そういうことにしときますか」
金 旋「なんか引っ掛かるが……話を続けるぞ」

    ☆☆☆

金 旋「なんで俺がこないなことせなあかんねん。
    わいは太守やで……」

意味もなく訛って愚痴を呟く金旋であったが、
それを言ったところで何も始まらない。
また、女将に自分の正体、つまり太守だということを
明かしたところで、嘘だと思われるだけだろう。
そうなると、働いて働いて働き抜くしかない。

金 旋「やれやれ……よっと!」

最後の薪木をナタで真っ二つに割り、
それを積み上がった薪の山の上に置いた。

金 旋「薪割りは終わったな……。
    ふう、ちょっと一休み」
女 将「こらっ! 何休んでるんだい!」
金 旋「おわあ!? い、いきなり出てくるなよ!
    それに、ちょうど今終えたとこで……」
女 将「薪割りの次は厨房で蟹の殻むきだよ。
    とっととこっち来な!」
金 旋「だ、だから襟首を掴むのは……ぐえ」

ずりずりと引きずられ、厨房へと連れていかれた。

女 将「ほれ、これの殻むきを頼むよ」
金 旋「な、なんだこの山のように積まれた沢蟹は……」
女 将「うちの名物料理の、
   『沢蟹肉団子甘酢餡かけ』用の材料さね。
    夜になる前にとっとと剥いておくれよ」
金 旋「ちょ、ちょっと! もう夕方なんですが!?
    流石にこれ全部を一人でやるのは無理だって!」
女 将「誰も一人でやれだなんて言ってないよ。
    この娘っ子と二人でやっておくれ」
金 旋「ん? 娘っ子?」

女将の指差す先をよく見ると、
沢蟹の山の横で黙々と殻剥きをしている娘が一人。

   花梨

女 将「まったく、この娘も無銭飲食だよ。
    最近多くてねえ……全くもう。
    とにかく、とっとと片付けるんだよ。
    やり方は教えてあるから、この娘に聞きな」
金 旋「は、はあ……」

どすどすと自分の持ち場に戻っていく女将。
それを見送った後、金旋は娘に話しかけた。

金 旋「無銭飲食だそうだが……。
    いかんぞ、金を持たずに飯を頼んでは」
 娘 「……別にいいでしょ。ほっといて」
金 旋「ほっといてと言われてもなあ……」
 娘 「大体、同じことやった人に、
    そういうこと言われたくないんだけど」
金 旋「いや、俺は財布をすられたのに気付かず、
    店で飲み食いした後に気付いたのだ。
    したがって、故意ではない」
 娘 「なんだ。じゃただの間抜けじゃない」
金 旋「……そう言われると返す言葉がないな」
 娘 「いいから早く殻剥きしてよ。
    日が暮れちゃうでしょ」
金 旋「ああ、わかった。で、どうやるのだ?」
 娘 「まず、蟹を一匹取る。
    で、甲羅を剥く。このヘラで味噌を掻き出す。
    味噌を出し終えたら、肉の部分を剥がし取る。
    その後、足を折り、棒で身を掻き出す。
    全部の足を終えたら、一匹終わり……了解?」
金 旋「ええと、蟹を取り……甲羅を剥き……
    うわっ飛び散った!?」
 娘 「おじさん不器用だね……。
    殻を剥くときは、こうお尻に指をつっこんで、
    貝を開くように開けないとダメよ」
金 旋「な、なるほど。こうか」
 娘 「……じゃ、後は黙々とやるだけだから。
    あんまりくっちゃべってるとまたあのおばさんに
    ガーガー言われるからね」
金 旋「わかった。
    では、日暮れまでに片付けるとしよう」
 娘 「じゃ……ええと、おじさんの名前は?」
金 旋「な、名前?」
 娘 「あ、聞く前に名乗った方がいいのかな。
    私は花梨。よろしく」
金 旋「あ、ああ。俺のことは”金さん”と呼んでくれ」
花 梨「きんさん、ね。
    それじゃがんばろか、金さん」
金 旋「おう」

その後二人は、黙々と作業に没頭した。
減っていく蟹の山、そして積み上げられていく殻。
そして遂には、全ての蟹を剥き終えることができた。

金 旋「終わった……」
花 梨「終わったね……」
女 将「ほう、やるもんだね。
    少しは残るかと思ってたんだが……」
金 旋「ふふん、どうだ!」
女 将「……まだ仕事はあるんだけどね。
    その蟹肉を挽いて、卵や片栗粉と混ぜて
    丸める作業、やってもらうよ」
金 旋「ま、まだあるのか」
女 将「食った分はしっかり働いてもらうよ。
    あ、そっちの娘は注文取りに回ってくんな。
    そろそろ飲みに来る客が入る頃だからね」
花 梨「はいはい」
女 将「『はい』は1回!」
花 梨「はぁーい」
金 旋「頑張れよー」
花 梨「おじさんもね」

妙な連帯感で奮闘を誓う二人だった。

    ☆☆☆

下町娘「……何だか、意外ですね」
金 旋「なにが?」
下町娘「花梨さんの話し方ですよ。
    もう少しおしとやかな人かと思ったのに。
    けっこうフランクな感じなんですね」
金 旋「んー、生まれのせいもあるのかもな」
下町娘「生まれ?」
金 旋「その話も出てくるから待ってな。
    それでだな……」

    ☆☆☆

蟹団子を作って作って作り上げた金旋。
握る手が痺れてくるくらいになったころ、
ようやく実がなくなった。

金 旋「……終わったぞー。
    もう実はなくなったから作れんぞ」
女 将「お、ご苦労さん。
    じゃあ次は何をやってもらおうかね」
金 旋「ま、まだあるのか……」
女 将「店じまいまでは休みなしだよ。
    あの娘だってちゃんと働いてるだから、
    あんたも弱音は言いなさんな」
金 旋「ふーん……結構頑張り屋なんだな、あの娘」
女 将「礼儀はあんまりなってないけど、
    根は真面目なようだね。
    あの姿見てると、無銭飲食やる風には
    ちょっと思えないんだけどねえ」
金 旋「家出してきたとか、かな」
女 将「さて、どうだろうね……。
    って何くっちゃべってるんだい!」
金 旋「だから何割り当てるのか待ってるんだろ」
女 将「あ、そうだったね。それじゃ……」

 キャァァァァァッ!

金 旋「むっ!? 悲鳴!?」
女 将「な、なんだい!?」

娘の悲鳴を聞きつけ、二人は客間の方に飛び出した。
そこでは、ごろつき風の男が二人、
花梨を囲んでいた。

ゴロA「いやー、どこに逃げたかと思いきや、
    こんなところで会うなんてな」
ゴロB「親分にやつ当たりでぶん殴られるしよー。
    俺ら迷惑してるんだぜー?」
ゴロA「とりあえず一緒に来てもらうぜ」
花 梨「いやっ、離しなさいっ!」

女 将「あんたたち、うちの店の娘に何か用かい?
    その娘はうちで雇ってんだよ。
    勝手にお持ち帰りするんじゃないよ」
ゴロA「おう、ここの女将か。
    この娘だが、うちんとこの親分の許婚でな。
    そういうわけなんで、返してもらうぜ」
金 旋「い、許婚? 親分って誰だ?」
ゴロB「聞いた事くらいあるだろう。
    泣く子も黙る、陳虎サマだぞ」
金 旋……チンコ? 卑猥な名前だな。
    しかし聞いたことはないが……」
ゴロB「て、てめえ! 卑猥とか言うんじゃねえ!
    陳虎様に聞かれたらぶっ殺されるぞ!?」
ゴロA「陳虎親分はな、最近赤丸急上昇中の
    ここらを取り仕切るヤクザの親分さ。
    下手に逆らうと痛い目見るぜ」
女 将「何言ってんだい! 馬桓親分が死んだドサクサで
    組を乗っ取ったくせに!」
ゴロA「人聞きの悪いこと言わないでもらおうか。
    先代が死んで混乱している組を、
    陳虎親分が上手くまとめたんだぜ?」
女 将「ふん、よく言うよ」
ゴロA「とにかく、陳虎親分に逆らわない方がいいぜ。
    さあ、この娘は返してもらう」
花 梨「いやよっ! 帰らないわ!」
ゴロB「ワガママ言ってんじゃねえよ!」
金 旋「……や、やめろ! 嫌がってるだろう!」

むりやり表に引っ張っていこうとするのを、
金旋が止めに入る……だが、その手が届く前に、
ごろつきの膝蹴りがみぞおちに飛んできた。

金 旋「ぐふっ……」
花 梨「金さん!?」
ゴロB「なんだ、弱えなあ。
    顔は用心棒っぽいのになあ、へっへっへ」
金 旋「く、くそっ……」
ゴロA「馬鹿だな、大人しくしてりゃいいものを。
    ま、そういうことだ。娘は返してもら……」
女 将「待ちな。まだその娘はウチの雇われだ。
    返してほしいんなら、陳虎親分直々に
    この店に来てもらおうかい」
ゴロB「はあ? 何言ってんだ、このババア」
ゴロA「親分はそんなに暇ではない。
    痛い目を見たくなかったら……」
女 将「ごたくはいいよ! はあっ!
ゴロA「ぶりょっ!」

鈍い音がして、ごろつき一人が壁にめり込んだ。
女将がいきなり尻をぶつけ、押し潰すように
壁にブチ当てたのだ。

ゴロB「あ、ああっ!? あ、兄貴!?」
女 将「帰って親分に伝えな!
    娘を返してほしくば自ら来な、ってね!」
ゴロB「て、てめえ……おぼえてろ!」

ごろつきは、伸びたもう一人のごろつきを抱え、
逃げるように外へ出ていった。

花 梨「つ、強い……」
女 将「ふん。あたしの尻に勝てるのは、
    死んだ亭主くらいなもんよ。
    ところで、あんた大丈夫かい?」
花 梨「金さん、おなか大丈夫?」
金 旋「あ、ああ……。ちと苦しいが、
    動けないほどではない……」
女 将「そりゃよかった。動けないとか言われたら
    どうしようかと思ったわ」
花 梨「あ、あの……。このままだと、
    あいつらに睨まれることになるわ」
女 将「いいんだよ。陳虎に代が替わってから、
    どうも気にいらないと思ってたんだから。
    すっきりしたってもんさ」
金 旋「ご、豪快だな……」
女 将「そんなことより、アンタの方が心配だよ。
    なんでまた、あのいけすかねえ中年親父の
    許婚なんかに?」
花 梨「それは、あっちが勝手に言ってるだけで!
    私にはそんな気は全然ないわ!」
金 旋「どういう経緯なんだ?」
花 梨「私は……組の先代、馬桓の娘なのよ。
    だから、陳虎は組をまとめるために、
    私を娶るつもりなの」
女 将「へえ、馬桓親分の……」
花 梨「でも私はもうヤクザにはウンザリなの。
    それ以上に、あんな下司の妻なんか、
    真っ平ゴメンよ」
金 旋「なるほどな……」
女 将「大体事情は飲み込めたよ。
    とりあえず、あんたはここから逃げな。
    あいつら、また来るだろうから」
花 梨「う、うん……」
女 将「ほれ、あんたも行きな。
    この子を守っておやり」
金 旋「……いいのか? まだ飲食代は……」
女 将「あ、それはここから徴収したから」

そう言って、女将が出したものは……。

金 旋「お、俺の財布!?」
女 将「店の前に落ちてた奴さ。
    多分あんたのだと思って、預かってたよ」
金 旋「なんだ、落としてただけだったのか……。
    って、それだったら働かすな!」
女 将「すまないねえ……。
    こっちも引っ込みがつかなくてさ」
金 旋「は、働き損だ……」
花 梨「なんだ、すられたんじゃなくて、
    ただ落としてただけなのね。
    ……なんか、すっごい間抜けだね」
金 旋「い、言うなよー」
女 将「んなこたいいから、さっさと行きな!」
金 旋「しかし、このままでは……。
    女将が酷い目に合わないか?」
女 将「何言ってんだい。
    お目当ての嬢ちゃんがいないとなれば、
    あたしに執着なんてしないさ」
金 旋「そうか? 逆上して何をするか……」
女 将「そんときゃ、あいつらが地獄を見るだけだよ。
    ほれ、戻ってくる前に行きな!」
金 旋「わ、わかった……」
花 梨「……ありがとう、おばさん」
女 将「ふん、感謝するんなら、
    今度ちゃんと金を持って飯を食いに来な!」
花 梨「はいっ……それじゃ行こう、金さん」
金 旋「お、おう……」

こうして二人は飯屋を出て、
夜の町へ逃げていったのだった。

    ☆☆☆

金 旋「……しかし、逃げてきたのはいいが、
    どこに行ったものやら……。
    どこか、匿ってくれるようなアテはないのか?」
花 梨「あのね、そのアテがあったら、
    無銭飲食なんてすると思う?」
金 旋「……全くだな。うーむ。
    (すでに太守官邸は閉まってるだろうし、
    それにこんな娘を連れ帰ったら、
    玉に何て言われるか……)」
花 梨「あ……」
金 旋「……ん? 何だ?」
花 梨「お金持ってるんだよね?」
金 旋「ああ、さっき返してもらったから、
    宿場に泊まる程度は余裕だが……」
花 梨「じゃ、あそこ入ろう、あそこ」
金 旋「あそこ? えーとなになに……」

『ホテル くちびる』

金 旋「ラ、ラ、ラブ、ラブ、ラブホッ、
    ホッ、ホテ、ホテ、ホテェー!?
花 梨「しっ……あそこなら、今の時間に
    私達が入っても全然目立たないでしょ」
金 旋「そっ、そりゃそうだがっ」
花 梨「宿代は後で返すから……。
    お願い、私を助けると思って」
金 旋「わ、わかった。だが、しょうがなくだぞ。
    決してやましい気持ちで入るのではない」
花 梨「……何必死になってるの?
    さ、そうとなれば、それらしくして」
金 旋「ををを!? う、腕など組むのかっ!?」
花 梨「よそよそしくしてたら怪しまれるわ」
金 旋「おっ、おう」

ホテルへ向かおうとする二人だったが、
その前を先客らしきカップルが歩いていた。

ハト子ハト子、胸がポッポポッポするの!
    ハト子、体がホテルの! ホテルの!
ヒロシ「わ、わかったよハト子ちゃん、それじゃ、
    ここで休んで行くことにしよう」
ハト子「まっ……ホテルに連れ込んで、
    ヒロシ君たら何するつもり!?」
ヒロシ「な、何もしないよお! た、ただ、
    ハト子ちゃんが苦しそうだから……」
ハト子「わ、わかったわ……。
    こんなところ初めてだから緊張するわね」
ヒロシ「あ、あれ、入り口はどこかな」
ハト子「この扉から入るのよ」
ヒロシ「そ、そうなのか。……よく知ってるね」
ハト子「ああっハト子ポッポポッポするの!
    む、胸が苦しいのっ! 早く部屋へ!」
ヒロシ「う、うん! すいません!
    空き部屋あります!?」
受 付「いらっしゃいませ、空き部屋はございます。
    ご休憩ですか、ご宿泊ですか」
ヒロシ「じゃ休憩……」
ハト子「宿泊だと10%割引中だったわよね。
    だから宿泊でお願い」
ヒロシ「じゃ宿泊で……。
    ってなんで割引中って知ってるの?」
ハト子ああっハト子胸が苦しい!
ヒロシ「だ、大丈夫!?」
受 付「はい、ご宿泊……と。では、お部屋にどうぞ。
    右手奥の『鶴の間』でございます」
ハト子「やりぃ、いい部屋ゲッツ!」
ヒロシ「何で知ってるんだよぉぉぉ!?」

金 旋「……なんかあっけに取られたな」
花 梨「う、うん。すごかったね」
受 付「ホテルくちびるへようこそいらっしゃいませ。
    ご休憩ですか、ご宿泊ですか」
金 旋「しゅ、宿泊で」
受 付「では、左手奥の『亀の間』へどうぞ。
    ごゆっくりお楽しみください」
金 旋「お、おう……」

二人は、腕を組みながらも、
ぎこちない足取りで部屋に向かった。

金 旋「へ、へえ。これが、ら、ラブホテェールの部屋か。
    照明がピンク色だ……。おおっ、ベッドが丸い。
    ん、何か線香の香りが……」
花 梨「……こういうとこ初めてなの?
    もしかして、エッチなことも……」
金 旋「ば、馬鹿にするな。
    結婚して、すでに子供もいるぞ。
    上の息子はもういい大人だし」
花 梨「へえ、そうなんだ。……あ、だからさっき、
    いろいろと言い訳みたいなのをしてたんだ」
金 旋「あ、妻はもういないんだけどな。
    数年前に病気で亡くしてるんだ」
花 梨「そうなの……?
    じゃ、さっきのオタオタは?」
金 旋「9歳の娘がいて……。
    そいつが、死んだ母親にべったりでな。
    再婚の話が出ると、露骨に嫌な顔するんだ」
花 梨「……再婚する気なの?」
金 旋「ははは、まさか……。
    そういう相手もいないし、作る気もない。
    いや、相手ができるかも怪しいしな」
花 梨「ふぅん……死んだ奥さんのこと、
    今でも愛してるんだ」
金 旋「そらー、まーな。
    あんないい女はいなかったよ」
花 梨「……羨ましいね。そんなに愛されてる、
    奥さんがすっごい羨ましい」
金 旋「花梨なら、愛してくれる相手が見つかるさ」
花 梨「そうかな……私、
    これまで人に愛されたことなんてないから」
金 旋「えっ?」
花 梨「私、生まれた時に母親死んでるから。
    父親は私を見るたびにそれを思い出すって、
    いつも私を避けて……。
    子分たちも私が親分の娘だから、
    という目でしか見てないしさ……」
金 旋「そ、そんな、これまでいなかっただけで、
    これから見つければいいだろう」
花 梨「ははは……。
    死ぬ前に見つかればいいけどね……。
    私、あんまり長生きできないから……」
金 旋「……なんでだ?」
花 梨「変な病気持ってるのよ。
    だんだん身体の筋肉が弱って、
    将来は歩くこともできなくなるんだってさ。
    最後には、息も出来なくなって、ぱたり」
金 旋「そ、そんな病気があるのか……」
花 梨「いつ死ぬかはわかんないけど……。
    医者は遅くとも30歳くらいだって。
    ははは……薄幸の美少女、だね」
金 旋「病を……そうか。しかしそれでも、
    陳虎とやらの妻になるのは嫌なのか?
    それなりの生活は保証されるだろ」
花 梨「絶対御免。
    あんな女を道具程度にしか見てない、
    出世欲のカタマリみたいな奴。
    あんなのの妻になるんなら、
    乞食になったほうがまだマシよ」
金 旋「……ま、さっきの奴らをみれば、
    大体その上司の程度もわかるからな」
花 梨「……ねえ、金さん?」
金 旋「ん?」
花 梨「私が愛されないのって、
    私に愛されるだけの価値がないからかな」
金 旋「何言い出すんだ? そんなことないぞ。
    これまで愛されなかったとしても、
    それは運が悪かっただけだ」
花 梨「でも……」
金 旋「……飯屋の女将もお前のこと褒めてたぞ。
    すなわち、そう言われるだけの魅力が、
    花梨本人にあるってことだ」
花 梨「……金さんはどう思う?」
金 旋「へ?」
花 梨「金さんは、私に魅力を感じる?」
金 旋「……外身は十分可愛いし、
    人間的にも魅力を感じるぞ」
花 梨「じゃ、抱いて……」
金 旋「へっ?」
花 梨「抱いて欲しいのっ! 私に、愛を感じさせて!」
金 旋「え、えええええええええっ!?

突然の花梨の言葉に、どうする金旋!

『武陵の金さん』後編へ続く。

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