○ 第10回コラム「爺と杏の何苗みりみり放送局」 ○ 
〜例によって某ラジオ局よりお送り致しております〜

   劉髭劉髭    杏

劉 髭プロ野球1リーグ制反対!
 杏 「い、いきなりなんですか」
劉 髭「いや、とりあえず言っておきたかったんじゃ。
    1リーグではますます上位下位との差が広がる懸念がある。
    それはJリーグを見れば分かるじゃろう」
 杏 「時事ネタは後で寒いですから止めましょうよ」
劉 髭誰が寒いネタジジイじゃ!
 杏 「では、今回も始まりまーす」

劉 髭「爺と」
 杏 「杏の」
二 人「何苗みりみり放送局〜」

 杏 「何苗……? ゲーム中では見ない人ですけど」
劉 髭「大将軍何進の弟じゃよ。
    ま、何進誅殺の際のドサクサで殺された程度の、
    ほとんどネタがない人じゃがな」
 杏 「ほんとネタにもなりませんね」

劉 髭「さて、前回に引き続きこのコーナー!
    『三国志英雄列伝』をお送りするぞい」
 杏 「はい。今回の列伝は誰を?」
劉 髭「今回は、豪華仕様じゃ。
    于禁、李典、郭淮
    これら三人を一挙紹介するぞい」
 杏 「太っ腹ですね」
劉 髭「後回しにすると忘れそうなんでな」
 杏 「そうですか……。では、まず『于禁』から」

     于禁于禁

于禁、字は文則。エン州の出身である。
曹操がエン州を領したときに、その下に馳せ参じた。
その際に「大将軍も任せられる器である」と評されている。
曹操は彼に別働隊を任せ、遊軍として活用したのである。

呂布戦や黄巾残党征伐、袁紹との戦いで数々の功を上げた。
寡兵であっても臆しない戦いぶりであったという。
また、機動力を活かした攻撃を得意とした。

戦いにあっても冷静であり、絶対に法を曲げなかったという。
官渡の戦いの後、反乱を起こした旧友、昌稀と戦い、
降伏してきた昌稀を涙ながらに斬った。
諸将は昌稀を曹操の元に送るべきだと言ったが、
法を曲げ、節義を失うわけには行かないと言ったのである。

しかしながら、情を一切挟まないその厳正な態度は、
兵たちには不評であり、部下の心を掴むことはできなかった。

それでも、将としての能力は格段であり、
その後も功を成し、列候にまで上り詰める。

だが、樊城で関羽と対峙した際に、水害で兵を失い、
関羽に攻められたためについに降伏した。
一緒に戦ったホウ悳は節義を曲げずに斬られたこともあり、
これにより長らく魏のために働いた彼の功績も霞み、
『晩節を汚した宿将』の汚名を被ってしまうのである。

水害がなければ。降伏せずに死を選んでいれば。
歴史に「たら、れば」はないが、もし降伏さえしなければ、
今日のような低評価もなかったのではないかと思われる。
(それでも、最近は彼の能力も見直されてきているようだ)

なお、演義では荊州占領後に、
蔡瑁の後釜として水軍を任されているが、
正史には水軍を率いたという記述は全くない。

魏の五大将の筆頭格。
降伏の事実があっても、筆者は彼をこう評したい。
それだけ、彼の戦歴は立派なものであったのだ。

劉 髭「運が悪いというべきかの。
    関羽に負けたことも、水害が原因であり、
    彼の過失ではなかったのじゃ」
 杏 「演義ではなんか酷い書かれようですけど」
劉 髭「関羽の敵は皆の敵、じゃからな。
    あの降伏は格好のネタだったのじゃろ。
    全く、関羽氏ねというところじゃな」
 杏 「あーもう、またそういうことを……。
    では、次は『李典』です」

     李典李典

李典、字は曼成。
エン州は山陽国出身である。

豪族であった伯父李乾の元にいた李典は、
伯父やその子、李整とともに曹操の下に属した。
元々は大将ではなく、李乾の一族として登場したのだ。

彼は若い頃より学問を好み、
軍事にはあまり興味を示さなかったという。
一族のことは伯父たちに任せ、将来は文官として、
政治の舞台に上がろうと思っていたのだろうか。

だが、伯父李乾が殺されてしまい、
その後を継いだ李整も早世したため、
一族の長のお鉢が回ってきてしまった。
それ以降は軍を率い、各地の戦いに参加するようになる。

なお、演義では初期の頃から曹操に仕えた
古参の将のように描かれている。
これは、李乾・李整・李典の三人を合わせた、
架空の人物としてみるべきであろう。

さて、彼は後に袁紹軍との戦いに参加する。
袁尚の軍と戦った際には、彼は兵糧の水上輸送を担当。
敵軍に水路を絶たれたが、敵が油断していると見るや、
これを急襲して水路を回復させる。

その後も、副将として主将を諌めたり、
あるいは部隊長として戦功を上げた。
軍事にはあまり興味はなくとも、
軍才は充分に持ち合わせていたのであろう。
好機とみれば大胆に、敵に計あると見れば慎重になり、
常に堅実な戦いぶりであったようである。

なお、演義では、合肥の戦いで不仲だった張遼に逆らい、
張遼にたしなめられる場面がある。
だが、これは正史では逆で、李典が張遼に対して
「この国家の一大事に、私的な恨みで公的な道義を
斥けたりはしない」と言っている。
李典の溢れる気概が見て取れるエピソードであるのに、
何ゆえ演義では逆にされているのであろうか?

諸将と功績を競わず、常に謙虚な態度をとっていた彼を、
軍中の者は皆、称賛した。
将来は政治を任せられるのでは、と期待されていた。
しかし彼は、合肥の戦いの後に三十六歳で病没。
そのあまりにも早すぎる死に、皆、残念がったという。

『不本意ながら将軍になった男』。
彼がどう思っていたかは分からないが、こう評したく思う。
決して派手ではなく、活躍した期間も短かったが、
彼は魏国成立にはなくてはならない存在であったのだろう。
魏の文帝曹丕は帝位に着いた際に、
李典に対して贈り名を与えている。

劉 髭「演義では常に慎重な、
    ともすれば臆病な将と書かれがちな人物じゃな。
    張遼の引き立て役のようになっておるし。
    全く損な役回りじゃ」
 杏 「ところで、作中ではいろいろ変な武器を
    作ってたようですけど」
劉 髭「リプレイ中で出てきた変な武器は、
    蒼天航路という漫画が元ネタじゃ。
    変なもん作ってたという記述は、正史・演義ともにない」
 杏 「あの漫画では戦死してましたしね。
    では、次は『郭淮』です」

     郭淮郭淮

郭淮、字を伯済。并州は太原郡出身。
最初は孝廉で推挙された文官であった。
そして曹丕に仕える官となり、後に曹操の漢中征伐に従軍。
漢中を落とした後、夏侯淵の司馬として漢中に残った。

夏侯淵が黄忠に斬られ戦死した際に軍は混乱するが、
郭淮が張哈を大将としたので、混乱は収まった。
その後、劉備が攻めて来ると、一歩も退かずに陣を固め、
それを見た劉備は川を渡ることが出来ずに退却した。
彼の剛胆な一面が垣間見れるエピソードであろう。

その後、彼は関中の異民族や山賊を討伐。
彼は降伏した異民族に対し気を配り、その心を掴んだという。
魏の文帝(曹丕)が即位すると、彼は雍州刺史とされた。

曹丕が没し曹叡が後を継いだ際、蜀より諸葛亮の軍勢が北進。
司馬懿とともにこれを防いだ。
その後も諸葛亮、その没後の姜維の北伐の軍を防ぎ、
車騎将軍、陽曲侯にまで昇進し、255年に没。

諸葛亮のライバルは司馬懿。
諸葛亮の北伐に関してこのように描かれがちだが、
実際に前線で指揮を執り、蜀軍と相対したのは
郭淮の方が多いのである。

演義では司馬懿と対立し、諸葛亮や姜維に翻弄される
二線級の将のように描かれている。
しかし、正史では局地的な敗戦こそあれど、
常に蜀軍の侵攻を防ぎ切っている。
姜維のたび重なる北伐も常にこれを防ぎ、
時には大いに破った。
姜維を悲運の名将と呼ぶ向きもあるが、
郭淮はその彼の前に立ちはだかり続けたのである。

車騎将軍となっても彼は常に雍州に身を置き、
蜀軍の動きに目を光らせた。
「蜀軍の最大のライバル」。
彼をこう評しても差し支えはないであろう。

なお演義では、彼は姜維に射殺されている。
これは散々蜀を苦しめた郭淮に対する、
作者の恨みの矢だったのかもしれない。

劉 髭「個人的には、9の能力値でもまだ低いと思っとる。
    それだけ、彼の功績は大きかったということじゃ。
    また、演義での扱いも酷いもんじゃ」
 杏 「まあ、演義の作者にしてみれば、
    偉大なライバルは司馬懿一人で充分だったのでしょうけどね」
劉 髭「この頃の魏軍は、蜀と違ってまだまだ
    人材も豊富だったのにのう。
    まったく、孔明氏ね!と言いたくなるわい」
 杏 「またそういうことを……」
劉 髭「というわけで、郭淮の列伝をお送りしたぞい。
     これで今回の『三国志英雄列伝』は終わりじゃ。
     紹介希望の人物がいれば、リクエスト送ってくれい」

 杏 「さて、残り少ない時間はお寄せいただいた
    質問にお答えする、おたよりコーナーです」
劉 髭「あ、感想掲示板でもいろいろ答えとるから、
    よければそっちも見てくれい」
 杏 「各回のあとがきなども書いておりますので、
    興味のある方はご覧ください」

 杏 「では最初のおたよりです。
    『ボスケテとはどういう意味だったのでしょうか』
劉 髭「57・58章での一場面じゃな」
 杏 「韓遂が訳した意味で合ってるのか?
    ということですが」
劉 髭「結論から言えば、韓遂の言葉どおりじゃ。
    んで、ボスケテの由来なんじゃが、
    元ネタは漫画『すごいよマサルさん』からじゃ。
    ま、漫画よりアニメを先に見たんじゃがな」
 杏 「秀逸なギャグがテンコ盛りのよいものですので、
    ビデオを借りてみたりするとよろしいでしょう」

 杏 「では、次です。
    『玉の「〜まひる」は分かりますが「にゃ」というのは
    何か元ネタがあるのでしょうか?』

劉 髭「『まひる』が分かるのなら詳しい説明は省こうかの。
    『ぼくらがここにいるふしぎ。』というゲームのヒロイン、
    金田まひるが演じる『藤臣珠子(ふじおみ・たまこ)』の口癖じゃ」
 杏 「性格も猫っぽい感じの出ている、可愛い子ですね」
劉 髭「金玉昼のコンセプトを考えた時に、
    「〜まひる」だけではどうも喋らせにくいので、
    「にゃ」も採用したのじゃ。
    最近は、「にゃ」の方が多く使われてるがのう」
 杏 「娘の言葉の乱れを、
    私はあまり快くは思わないのですけれど……」
劉 髭「萌えキャラに萌え語尾あり、じゃ。
     辛抱するがよいぞい」
 杏 「はあ……わかりました。
    今回は、これでおたよりコーナーは終わりです。
    たくさんのおたより、ありがとうございます」

劉 髭「あ、最後に一点、言っておこうかの。
    いくらなんでも、孫権が華雄を斬るわけなかろう。
    ありゃケアレスミスじゃ!
    マニアなワシを舐めるなーーーーーー!」
 杏 「(間違い指摘が何通も送られてきて凹んだようです。
    懇切丁寧に孫権の年齢まで書かれてるものもありました。
    まあ、笑って見逃してやってください)」
劉 髭「そこっ! 何ボソボソ言っておる!」
 杏 「あ、ご指摘メールは随時送ってくださいねー。
    別に拒否ってるわけではありませんのでー」
劉 髭「うむ……一応マニアである身として、
    ひとこと言っておきたかっただけじゃ」

    ☆☆☆

劉 髭「……というわけで、コラム第10回は終わりじゃ」
 杏 「『三国志英雄列伝』に紹介して欲しい武将、
    リプレイ中のことで疑問に思ったこと、
    ご感想、ご要望、ご意見、等々お寄せくださいませ」
劉 髭「英雄列伝は、リプレイ中活躍しとる人物で頼むぞい。
    ただ、あまりにも資料のなさ過ぎるのは書けないこともある。
    その点は覚えておいて欲しいぞい」
 杏 「たとえば、誰ですか?」
劉 髭「金旋どのとか」
 杏 「ああ……数行で終わりですからね」
劉 髭「まあ、考察で繋げるとかの方法もあるがの。
    まあ、名前を挙げるのは適当で結構じゃ。
    こちらで色々考えるからの」
 杏 「では、また次回お会いしましょう」
劉 髭「さらばじゃー」

〜第10回放送、終了〜

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