213年6月
新野での戦いは、まだ続いている。
大将である李通の機嫌は最悪であった。
髭髯鳳・髭髯豹が相次いで一騎討ちで敗北したと聞くや、
李通はその報を伝えた兵を怒鳴りつけた。
それでなくとも、軍が思うように進まずに苛立っていたのだ。
李通
李 通「ええい、役立たず共め!
一体なんのために飼われていると思っているのだ!?
いたずらに兵の士気を下げただけではないか!」
『李通将軍、落ちつきなされませ。
そのようなことを兵の前で申されては、それこそ士気に関わります』
李通の前に進み出た若き将が、冷静にそう諭す。
その将の名は郭淮。
元々は曹操の嫡子である曹丕の近習であったが、
その才能を見出され、将としての力を期待されていた。
郭淮
だが、李通は彼の言葉に眉をひそめる。
李 通「郭淮か。経験の浅いお主に何が判るか」
郭 淮「はっ、確かに経験は少のうございます。
しかしそれでも、今の言葉は過ぎたるものに思えました」
李 通「そうは言うが、奴らは個人戦闘で負けはせぬと豪語していた。
だからこそ、前線に置いたのだ。それがこのざまだぞ」
郭 淮「一騎討ちなどは戦のオマケに過ぎません。
彼らの勝敗などはどうでもよいことです。
それよりこの場は、一度退却すべきです」
李 通「ほう、一騎討ちはオマケと言いながら、退却しろだと?
すでに勝ち目はないとでも言いたいのか?」
郭 淮「はい。新野に辿り着いたとしても、
城を落とす前に我が軍は全滅すると思われます」
李 通「何を申すか! 突破さえすれば、
兵のおらぬ新野などすぐに落とせる!」
郭 淮「いえ、新野の兵は恐らく……」
郭淮が言いかけたのを、李通は怒声で制した。
李 通「黙れ若造! お主に戦の何が判る!」
郭 淮「……はっ」
李 通「お主、歳はいくつだ?」
郭 淮「27になりました」
李 通「そうか、ワシは46だ。つまり19年の差がある。
加えて、ワシは曹操様と共に戦い抜いてきた」
郭 淮「……は」
李 通「その経験の差をわきまえず、
お主は自らの意見をワシに言うというのだな!?」
郭 淮「……」
そこまで言われては、郭淮に返す言葉はない。
李通はそのまま、黙っている郭淮に罵声を浴びせるのだった。
李 通「下がれ!
臆病風に吹かれた者の言葉など聞きたくないわ!」
郭 淮「出過ぎた真似でございました……申し訳ありません。
持ち場へと戻ります」
郭淮は唇を噛み、その場を去った。
その後ろ姿に舌打ちすると、李通は向き直って命令を下す。
李 通「髭髯鳳隊を呼び戻せ!
そして我が軍に貼りついている魏延隊に当たらせよ!
我が隊は正面の韓遂隊を突破し、新野を目指す!」
李通の命令で、髭髯鳳隊は方向を転換し魏延隊に挑みかかる。
だが怪我をしている髭髯鳳は思うような士気は取れず、
そのため隊は、逆襲してきた魏延隊の楽進・魏延らの突進を浴び、
ほどなく全滅するのだった。
だがそれは、魏延隊の注意を李通隊から逸らす結果となった。
李通隊は前進を始め、正面の韓遂隊に肉薄する。
李 通「よいか! ここを突破すれば、新野は目の前だ!
死ぬ気で進め! 退く者は斬って捨てるぞ!
同じ死ぬなら功を立てて死ね!」
韓遂
鞏恋
魏光
韓 遂「……ふん、あの大将、気合が入ってるな。
だが、すぐに我が隊と出会ったことを後悔するようになる」
鞏 恋「……なんか偉そうな言い方」
魏 光「いや、でも一応は隊の大将なので、実際偉いですよ」
刑道栄「それより、早く参りましょう!
私の血は久々の戦いでたぎりまくっておりますぞ!」
金目鯛「おう、奴らを蹴散らしてやろうぜ!」
韓 遂「よし! 韓遂の愉快な仲間たちよ、突撃だ!」
『誰が愉快な仲間だ!』
韓遂隊はその騎兵を以って李通隊に突進していく。
数の上では李通隊、韓遂隊ともにほぼ同じ。
だが、攻城兵器中心の李通隊と、騎兵を揃えた韓遂隊とでは、
全く戦闘力が違った。
金目鯛・刑道栄の突進で、李通隊は大きく切り崩される。
兵 A「金・刑の旗の一隊の突進だけで、4分の1の兵が死傷、
または行方不明でございます!」
李 通「ぬうっ、このままでは……」
兵 B「今度は韓の旗の一隊が突撃をしてきます!」
李 通「なんだと! ええい、何とかならんのか!
いや、なんとかしろ! してみせろ!」
兵 B「なんとかと言われても!」
李 通「うわああああああ!」
韓遂の突撃。
騎馬に慣れ親しんだ涼州の雄の攻撃で、李通隊はもはや壊滅すると
その場にいた敵味方のほとんどが思ったに違いない。
だが、そうはならなかった。
韓遂の前に立ちはだかった一人の将が、
巧みに矛を振るい突っ込んでくる敵兵を蹴散らした。
その結果、韓遂勢の勢いを止めてみせたのである。
韓 遂「……おのれ、何奴!」
韓遂の思わず出た悪役っぽい言葉に、その将は律儀に答えた。
髭髯龍
髭髯龍「名は髭髯龍。髭髯兄弟の2番目だ。
以後、見知りおき願おう」
威風堂々たる風情。その存在感に、韓遂は一瞬呑まれる。
だが彼とて幾重にも戦歴を重ねてきた将である。
気合を入れ直すと、髭髯龍の前に進み出て槍を向け言った。
韓 遂「我が名は韓遂! 涼州で少しは名を知られた男よ!
我が突撃を防いだその腕、敵ながら見事!」
髭髯龍「ほう、光栄だ。
名のある韓遂殿にそう褒めて頂けるとはな。
……さて、私は貴方との一騎討ちを所望したいのだが」
韓 遂「相当腕に自信があるようだな。面白い!」
髭髯龍「では……」
韓 遂「だが、今の私は隊の大将である。
そう易々とは受けられぬ立場なのだ。
いずれ決着をつけるゆえ、今は猶予願いたい!」
髭髯龍「むう……残念だ」
韓 遂「ではまた会おう! それまで生き延びられよ!」
韓遂は手綱を返し、髭髯龍の前から去った。
そのまま後詰の魏光のところまでやってくると、ようやく表情を緩める。
魏 光「どうされましたか、韓遂どの」
韓 遂「ふう……いや、髭髯龍とやらに一騎討ちを挑まれかけてな。
やれやれ、冷や汗が出たわ」
魏 光「冷や汗?」
韓 遂「何とか口八丁で回避したがな。大将だから無理じゃ、と申して。
私は指揮は得意だが、一騎討ちはそうでもないのだ」
魏 光「はあ。では、今度大将でない時に出会ったらどうするんですか?」
韓 遂「……はあっ!? しまった!」
魏 光「考えてなかったのか……」
韓 遂「た、頼む、奴を討ち取ってきてくれ!
これでは安心して出陣できぬようになってしまう!」
魏 光「無茶言わないでくださいっ!」
一方、髭髯龍の働きで壊滅の危機を回避した李通隊は、
なんとか持ち直し再度突破を図る。
髭髯龍の突進で何とか突破口を開き、
韓遂隊を押しのけるようにして進軍した。
李 通「よし、何とか抜けたぞ! このまま新野へと走れ!」
すでに兵は始めの3分の1を切り、兵の士気もかなり低かったが、
それでも李通隊は新野城へ向かって進むのであった。
☆☆☆
さて、宛城からの迎撃部隊である李厳隊1万5千は、
李通軍第3陣の秦朗隊1万と交戦していた。
秦朗隊も井闌中心の攻城部隊となっていたため、
李厳隊に押される結果となっていた。
先鋒の蛮望が劉曄へ一騎討ちを挑み、これを捕らえている。
李厳隊は秦朗軍をある程度叩くと、
今度は後詰の文聘隊へと襲い掛かった。
李厳も文聘も、元は劉表・劉埼の配下だった将だ。
加えて、霍峻とともに眼鏡戦隊と呼ばれた間柄である。
李厳
文聘
李 厳「文聘!」
文 聘「おお李厳!
こんなところで会うとは奇遇だな、元気だったか」
李 厳「おお、元気だった……って違うわ!
全く、お主と話すといつも調子が狂うぞ」
文 聘「ははは、お主も変わらぬようだな」
李 厳「主君は変わったがな……お主も、こちらに来い。
霍峻も会いたがっているぞ」
文 聘「そうか。ならば、負けたら考えるとしよう。
一応は曹軍の禄を食んでいるのでな……。
さすがにその分は働かねばならん」
李 厳「……わかった。お主の頑固さはよく知っている。
言ったことは絶対曲げぬからな。
……では、参る!」
李厳隊は攻撃を開始する。
文聘隊はそれを迎え撃つ……はずであったが、その時、
隊の内部は混乱状態に陥っていた。
文聘隊の将である凌統は、その混乱を抑え、
なんとか事態を収拾しようとする。
凌統
凌 統「ええい、何事だ! 何を騒いでいる!」
兵 C「李通の大将が、討ち取られたって聞いただ!」
兵 D「それを聞いて、文聘将軍が金旋軍に寝返るってよ!」
凌 統「なにっ? 誰から聞いた?」
兵 C「なんか李通隊から逃げてきた兵士だって言ってただ。
このまんまじゃ殺されるから逃げろって」
凌 統「……それは本当か?」
兵 D「そんなのわっかんねえけんど、死ぬのは御免だぁ」
兵 C「凌統さま、早く逃げるべよ」
凌 統「ならん! 各自持ち場を離れるな!
敵の計略かもしれん!」
だが、兵たちの混乱は収まらなかった。
そこへ、李厳隊の蛮望・牛金勢が突進してくる。
この混乱した中での突進攻撃で、
文聘隊は一気に壊滅的な被害を受けた。
文 聘「隊の混乱と同時に攻撃、か。
流石だな、李厳」
李 厳「すまんな、騙し討ちのような真似をして。
だが、これも必勝を期すためだ。
……さあ、大人しく降ってくれい」
文 聘「承知した。如何様にでもしてくれ……」
……文聘隊を撹乱させた当の金玉昼は、一人離れた丘に立っていた。
一気に崩れていく文聘隊を見やり、独りごちる。
金玉昼
金玉昼「悲しいけど、これ、戦争なのにゃ……」
文聘隊は、ほどなく殲滅される。
文聘、凌統が捕らえられ、
荀域ら少数が許昌へと逃げていくのみであった。
もはや、李通の遠征軍は全軍とも瓦解しつつあった。
☆☆☆
さて、李通の本隊は、ようやく新野へと辿り着く。
だが新野城を目の前にした李通は、目を見開き驚いていた。
李 通「……こ奴ら、どこから涌いた!?」
新野城の城壁には旗指物が数多く立てられ、
兵が1万以上いることを示していた。
それは決してハッタリではない。
李通は、城内にいる多数の兵の気をしっかりと感じ取っていた。
『新野まで辿り着けば城はすぐ落ちる』
そう聞かされていた李通隊の兵たちも、
話と違う現実を前にしてうろたえるばかりだった。
だが、李通とて曹操軍の軍団を預かる都督である。
ギッと眉間にシワを寄せて気合を入れ、大音声で号令を掛けた。
李 通「多少の兵はいるが問題ない! 井闌を前に出せ!
李通隊の力、今こそ見せよ!」
その迫力に、李通隊の兵たちも顔付きが変わった。
彼らとて曹操軍の戦いを支えてきた精兵たちである。
城壁へと押し寄せる李通隊。
それを目の前に、新野の守将、張允は余裕の表情を見せた。
張 允「ふん、その程度の数で落とせると思っているのか……。
1から12までの弩隊チーム! 奴らを撃ち殺してやれ!」
張允の号令で、12の弩隊は城壁から敵部隊への射撃を始める。
……だが、張允の表情はしばらく後に蒼ざめることとなった。
李通隊の攻撃は予想以上に激しく、
弩隊の兵は次々と矢を受け、数を減らしていく。
気付けば、迎え撃った弩隊は全てが井蘭からの攻撃で倒されていた。
張 允「ぜ、全滅!? 12の弩隊が全滅……!?
3時間も経たずにか!? バ、バケモノか」
李通、髭髯龍、郭淮、曹洪などの将が少ない兵をまとめ、
井闌から矢の雨を降らす。
その鬼気迫る迫力に、張允は息を呑んだ。
張允の名誉のために言っておくが、彼とて無能の将ではない。
一戦級の勇将たちには及ばないものの、
蔡瑁と共に荊州の水軍を任されていたこともある男である。
だが、敵軍の実力はそれを遥かに上回っていた。
張 允「い、いかん、落ちる! 全力を持って迎え撃て!
そ、そうだ、韓遂どのに早馬を! 新野城が危険だとな!」
張允以下、城兵は必死に防戦する。
そして知らせを受けた韓遂隊が李通隊の後背を襲い、
ようやく李通隊を殲滅した。
丁度同じ頃、魏延隊が残っていた秦朗隊を殲滅し、
1ヶ月に及んだ新野の戦いはようやく幕を閉じた。
新野城に多少の被害があったが、それでも金旋軍の大勝利であった。
敵将である文聘・凌統・劉曄・陳震・陶応を捕らえ、
許昌にいた兵の半数以上を討ち減らしたことになる。
☆☆☆
李通の遠征失敗の報は、長安にいる曹操の元にも届いた。
馬騰軍の侵攻を受けている長安を守るべく、彼自らが駐屯し、
守りを固めているところであった。
曹操
諸葛亮
曹 操「李通が負けたか」
諸葛亮「はっ」
諸葛亮は、表情を変えず頷いた。
先の郭嘉の死後、後任の軍師を任されたのは賈駆である。
だが、賈駆は遠く青州の北海に向けて出陣しており、
現在曹操の傍近くでブレーン役を果たしているのは彼であった。
曹 操「金旋も兵力を分散していたようであるから、
多少は面白くなるかと思ったが……」
諸葛亮「実に効率的に兵を集めた模様です。
敵の軍師もやるものですな」
曹 操「軍師か……確か、金旋の娘だったな。
どのような女か、聞いているか?」
諸葛亮「は、言動には奇行が目立つが、その実は正道、
その知恵は湧き出ずる水の如しと聞いております」
曹 操「ふむ。……郭嘉を思い出すな」
郭嘉も、普段は奇行が目立ったが、その策は誤りなく、
常に曹操に正しい道を示してみせた。
曹 操「金旋共々、会ってみたいものよ」
諸葛亮「……して、李通どのはどう致しましょう」
話の脇道に逸れ、結論を言わない曹操に諸葛亮はそう促した。
……これは暗に、更迭するかどうか、と聞いているのである。
曹 操「勝敗は兵家の常よ。
一度の敗戦で頭を取り替えるわけにもいかん」
諸葛亮「はっ」
曹 操「だが、許昌は必ず死守しろ、とだけ伝えておけ」
諸葛亮「は。しかと」
曹 操「フ……許昌は私の築いた都だ。
それを相手にどのように戦うのか……フフフ、楽しみだ」
その曹操の瞳が見つめるのは、目の前にいる諸葛亮か。
それとも、遥か彼方にいる金旋か……。
乱世の英雄は、心の底から楽しんでいた。
☆☆☆
さてその頃、金旋軍では。
勝利の報を受けた金旋はたいそう喜び、
魏延・李厳の隊が帰還すると、彼らを労い祝宴を挙げる。
その後、論功行賞にて、最初の欄にはこう記されたのであった。
『軍功第一 仮面軍師マスクドスフィア』、と。
金旋はマスクドスフィアに褒美を与えようと、
領内をくまなく探させたが、見つかることはなかった。
金旋
金玉昼
金 旋「ふう……マスクドスヒヤはどこにおるのやら」
金玉昼「そんなにその人が気になるのかにゃ?」
金 旋「ああ。なんというか、若いながらもその自信は揺るぎなく、
凛々しい中にも優しさがあるというか……。
謎のある人物だが、なかなかの者であった」
金玉昼「いやあ。テレテレ」
金 旋「なんで玉が照れてる?」
金玉昼「な、何でもないにゃ〜」
金 旋「最初は敵の間者かと疑ってしまったが……。
実に失礼なことをした」
金玉昼「別にそんなの、気にしてないにゃ〜」
金 旋「え?」
金玉昼「あ、いや、気にしてないんじゃないかにゃ〜、と。
それくらいの人物なら、些細なことは気にも止めないはずにゃ」
金 旋「そんなものか。……しかし、なんというかな……」
金玉昼「ん?」
金 旋「彼女の雰囲気がな。
お前の死んだ母親に似ていたというか……。
他人のような感じがしなかったのだ。
はあ、あのマスクの下……。どのような顔立ちなのであろう?」
金玉昼「あ……あ、ああ、あのあの、え、えーと。
ちちうえ、その人に惚れちゃダメにゃ。
ぜーったいダメにゃ!」
金 旋「……は、ははははは、変な心配するな!
お前の母こそ、俺の生涯の妻だ!
それは全く揺るぎはしないぞ!」
金玉昼「は、はあ」
金 旋「ただ、礼が言いたくてなあ……。
ああ、あの凛々しい声をもう一度聞きたいなあ。ふう」
金玉昼「うわ……ヤバいにゃ〜。大ぴんちぃ」
マスクドスフィアは一体、どこの誰なのであろうか。
謎が謎を呼び次回へと続く。
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