○ 第6回コラム「爺と杏の陳寿みりみり放送局」 ○ 
〜例によって某ラジオ局よりお送り致しております〜

   劉髭劉髭    杏

劉 髭うんこー!
 杏 「初っ端から何を言ってるんですか!」
劉 髭「何って、挨拶じゃよ」
 杏 「一体どこの国の挨拶ですか」
劉 髭「確かトートー共和国のウォシュレット地方の言葉じゃったかの。
    『ごきげんようこんにちは』という意味じゃよ」
 杏 「……そうですか。では、今後劉髭様のことは、
    『クソボケエロジジイキモイノデハヨシネ』と呼ぶことにします。
    あ、これはバイオレンスガクエン王国の言葉で『尊敬するお爺様』、
    という意味ですので」
劉 髭「……えーと、杏ちゃんや、それはちょっと……」
 杏 「なんですか、クソボケエロジジイキモイノデハヨシネ」
劉 髭「……ワシが悪かった、許してくれい」
 杏 「こんな感じですいませんが、始まります」

劉 髭「爺と」
 杏 「杏の」
二 人「陳寿みりみり放送局〜」

 杏 「陳寿は三国志(正史)の著者ですね。元は蜀の役人でした」
劉 髭「ちなみに三国志演義の著者は羅貫中。
    三国時代より千年以上も後、明の国の人じゃよ」
 杏 「演義で武具・その他の道具などに、
    漢〜三国時代にない物が出てくるのは、そこが原因ですね」
劉 髭「ま、演義は元々大衆小説だから、しょうがないのぅ」


 杏 「さて。まず最初は、杏のおたよりコーナーです。
    皆様からお寄せいただいた感想・メールなどを読ませていただきます」
劉 髭「流石に全文は長いんで、一部抜粋になるがの。
    それでは、脳内で皆口裕子ボイスに補完しつつ、どうぞ」

 杏 「はい、ではまず最初に。
    『面白そうなので三国志9を買いました』
    ……というのが複数の方から届いています。
    そうですね、システムも今までとガラリと変わってますし、面白いですよ。
    ただノーマル版だと、敵勢力がダンマリしちゃうことがあるんで、
    できればパワーアップキット込みで買った方がいいですね」
劉 髭「うむ。敵が慢性的な兵糧不足になったりするので、PK付きがお奨めじゃ」

 杏 「次です。
    『このペースで行くと、200回近くまで行きかねないですね』
    ……確かに、このペースでは今年(2004年)中にも終わらなそうですね。
    これには筆者も頭を悩ませてるようです。
    なんでも、三国志10が出るまでには終わらせたい、と言ってるようで」
劉 髭「10でもまたリプレイやるつもりかのう」
 杏 「それは判りませんけど。でも少し進度を早めようとは考えてるようです」
劉 髭「しかし端折り過ぎてつまらなくしても困るし、難しいところじゃのう」
 杏 「全くですね。皆様も何かいい知恵があったら授けてやってくださいね」

 杏 「では次です。
    『声優のキャスティングがありましたが、
   ではもし実写版なら誰にどんな俳優が合っているとお考えですか?』

    ……えー、筆者はほとんどドラマなどは見ません。
    知ってる役者も数が限られてきます。
    また、二次元と三次元は全く別物、と考えてるようで、
    役者のキャスティングはどうにも考えつかないらしいです」
劉 髭「二次元から三次元へのイメージ起こしが全くできんらしい。
    そういえば、とある漫画のドラマ化に対し全然イメージが合わん、
    とぬかしたこともあったのう」
 杏 「そういうことですので、役者のキャスティングは遠慮させていただきます。
    あ、でも、『起用するなら謙さんは外せないよなぁ〜』とは言ってました」
劉 髭「渡辺謙は好きなようじゃからな。ラストサムライ万歳!とか言っておった」

 杏 「では次にいきます。
    『エロいシーンも欲しいです。
    ぜひあんなことやこんなことをしてるシーンを出してください』

    ……すいません、年齢制限なしの健全?なサイトを目指してますので、
    18禁なものはちょっと……」
劉 髭「ネタ的に18禁、というか25禁くらいのものはたまにあるが……」
 杏 「いや、それ全然エロくないですし。
    ……すいませんが、脳内で補完をお願い致します」
劉 髭「妄想力を膨らませるのじゃ。大丈夫、あなたなら出来るわ」
 杏 「セイラさんですか。これもそろそろ25禁くらいのネタですね」

 杏 「では次にいきます。……またエロに関してですか、皆さん好きですね。
    『エロいですね。対象年齢を明示した方がいいのでは?』
    ……えー、筆者自身は大してエロいものを書いてる自覚はないです。
    ただ、元々エロい人ですので、知らないうちにじんわりと
    エロいものが滲み出ているのかもしれませんね」
劉 髭「まあ、四捨五入三十路になれば皆エロくもなろう。
    まだなってない者も将来実感することであろうな」
 杏 「一応、18歳未満でも支障ない内容にしているつもりのようです。
    ただ前述のように、ネタについていけないことがあるかもしれませんが、
    それは笑って受け流すようにお願いします」

 杏 「以上でおたよりコーナーは終わりです。
    他にも感想を送られた方、感謝しております」
劉 髭「送られた皆にはワシの投げキッスを進呈しよう。んー、チュ♪」
 杏 「死者が出ますから辞めてください……」
劉 髭「死者など出ぬわ。ただ、感想を送ろうとする奴が減るだけじゃ」
 杏 「どっちもダメですよ!」

 杏 「さて、次のコーナーなんですけど……。
    貰った感想の中で、こういうのがありまして」
劉 髭「ん? どれどれ」
 杏 パルちゃんさんが 「糜竺」と「糜芳」、イデさんが「廖化」。
    この旧劉備配下たちの消息を心配されておられます」
劉 髭「ふむ。この3人は皆、劉備勢力滅亡の際に曹操軍に吸収されとる。
    糜竺は許昌、糜芳・廖化は幽州の方に派遣されておるようじゃ。
    では、この3人の解説・考察をするとしようかの。
    言わば『これ誰・正史版』じゃ」
 杏 「そのまんまですね」
劉 髭「ほっといてくれい。ではまず、糜竺・糜芳編じゃ」

○糜竺・糜芳

姓は糜、名は竺、字は子仲。徐州東海郡の人。
姓は糜、名は芳、字は子方。糜竺の実弟である。

糜竺は人柄が温厚で人望厚く、文官、使者などで活躍。
軍を率いることはほとんどなかったようである。
対して糜芳は武官であった。といっても華々しい前線指揮官ではなく、
地味な占領任務・城の守備などを担当していたようではあるが。

彼らの実家は代々の豪商で小作一万人を抱え、莫大な資産を持っていた。
彼らは徐州の牧陶謙の臣であったが、陶謙の死後、共に劉備配下となる。
以後家臣として、またスポンサーとして、劉備軍を盛り立てていく。
劉備が袁紹の下に身を寄せた時も、二人は曹操の贈った官位を蹴ってまで、
劉備と共にあった。

赤壁以後は、糜竺は劉備と共に入蜀。
糜芳は関羽に従い荊州の守備に当たることとなる。
……ここが運命の分かれ道だったかもしれない。
この時、糜芳も入蜀していれば、糜竺の次に評される股肱の忠臣として
名を残していたのではなかろうか。

さて、彼らは莫大な軍費を劉備に差し出したが、
実は妹も劉備に嫁がせている。劉備の第二夫人糜氏である。
つまり、彼らは劉備の外戚に当たるのだ。

益州が平定された後、糜竺は安漢将軍に任命された。
これは軍師諸葛亮よりも上位であった。(※)
つまり劉備は、荊州奪取、そして入蜀に功績のあった諸葛亮の功績よりも、
それまで盛り立ててくれた糜竺の功績を上だと判断したことになる。

それほどまでに、糜家の援助はなくてはならないものだったのだろう。

(※諸葛亮は劉備の即位時に丞相となり、ここでようやく糜竺の上の官となる)

主を漢中王、そして皇帝にまで上り詰めさせ、
ここまでの苦労が報われた感の糜竺だが、その後は暗いものがあった。
その原因は糜芳の呉への投降である。

関羽が魏を攻めるにあたり、糜芳・傅士仁は後方の守りを言い渡された。
だが、彼らは呉が攻めてきた際、戦わずして降伏した。
弟が裏切った糜竺はその罪を問われることはなかったが、
これを恥じ鬱々として暮らし、病気になり死ぬこととなる。
劉備は糜竺に対しては寛容であったが、糜芳に対しては裏切り者と呼び、
呉に捕らえられ死んだ関羽の仇としたのである。

今日も糜芳は、傅士仁と共に関羽を裏切った卑怯者と蔑まれている。
史書では敬称を付けられず呼び捨て。
コーエー三国志にあっては義理値は最低クラス。
それはもう酷いものである。

だが、糜芳にも言い分があるだろう。その内容を私なりに考えてみた。

「そんな事より、ちょいと聞いてくれよ。あんま威張れたことじゃないけどさ。
このあいだ、樊城攻めの先鋒命じられたんです。先鋒ですよ。
そしたら準備中に失火しちゃって、関羽将軍にめちゃくちゃ怒られたんです。
で、よく聞いたらお前ら死罪にしてやるぞ、とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、俺は劉備様の外戚なんだ、ただの一般武将じゃねーんだよ、ボケが。
死罪だよ、死罪。
他の将のとりなしでなんとか命は助かったんだけど、今度は棒刑だってよ。
おめでてーな。
よーしパパ自ら棒打っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前な、もう少し俺の立場を考えろと。
外戚ってのはな、もっと大事にするべきなんだよ。
上官になった奴とて礼儀を持って接してもおかしくない、
上にも下にも置かない、そんなそんな雰囲気がいいんじゃねーか。
髭ジジイは、すっこんでろ。……アッ嘘です、だからもっと優しくっあうっ。

で、やっと解放されたかと思ったら、江陵の留守役しろ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、普通は名誉挽回のために連れてって戦わせるのが筋だろうが、
それを留守役なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、留守役、だ。
お前は本当に留守役をさせたいのかと問いたい。問い詰めたい。
小1時間問い詰めたい。
お前、俺の顔を見たくねーだけちゃうんかと。

さて、留守役で悶々としてた俺なんだが、いきなり呉の軍勢が現れたらしい。
あれ? 国境には烽火台築いたって言ってたっしょ? 王甫よう。
それなのに全然烽火も何もなく呉軍登場かよ。話が違うじゃねーか。
でもって関羽から使者が来て兵糧送れと来たもんだ。
こっちはそれどこじゃねーんだよ。

進退極まった俺から言わせてもらえば今、
江陵留守役の間での最新流行はやっぱり、投降、これだね。
戦わず投降。これが通の生き残り方。
戦わず投降ってのは呉の偉い人らにウケがいい。戦死する者もゼロ。これ。
で、関羽からの使者を斬る、まあこれは傅士仁がやったんだけど。これ最強。
しかしこれをやってしまうと蜀にはもう戻れないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあ普通の忠臣は、戦って死になさいってこった」

……何を言いたかったのかイマイチ理解できないかもしれないが、
こんなとこだろう。
劉備の外戚である彼にしてみれば、関羽に雑魚武将のようにこき使われ、
あげく死罪にされそうになったのを恨んだのではなかろうか。
それでなくても、関羽は常々、糜芳らを軽んじていたようである。

また江陵を守るにしても、呉の大軍の前に防ぎきるのはほぼ不可能であった。
江陵を捨てて逃げても、すでに心証を悪くしている関羽が、
怒って切り捨てるのは目に見えていた。

つまり、戦っても死、逃げても死であった。
生き残るために、降伏を選んだに過ぎない。
自分をないがしろにしていた関羽のために、死んでやる義理はないのだ。
対して呂蒙は、敵の身でありながら糜芳に礼を尽くし相対したという。

これを読んでなお、糜芳の行為を責められるだろうか。
もしもあなたが同じ立場だったら……。
戦って死ぬ道を選べただろうか?

三国志には、同じように生きるために降伏した例は少なくない。
糜芳・傅士仁ばかりが裏切り者と罵られるのは不公平ではなかろうか?

なお演義では、糜芳・傅士仁は再度呉を裏切って劉備軍へ投降、
しかし許されず斬られるのだが、正史ではこの話は見えない。
糜芳は呉の将として、賀斉らと共に魏に寝返った将の討伐に参加した、
とあるのみである。
ここでも、彼らを裏切り者に仕立て上げようとする演義の創作がみてとれる。

関羽という偉大な神に逆らってしまったことが、
彼の不名誉を最大限に増幅させてしまったのである。

劉 髭「まあ、なんか糜芳の裏切り擁護みたいになってしまったが、
    ようするに傲慢関羽はシネ、ということじゃ」
 杏 「そんな、中国十億の民を敵に回す言葉を……」
劉 髭「わしゃヒネクレ者でな。英雄君子に祭りあげられてる奴は好かんのじゃ」
 杏 「じゃあ、諸葛亮孔明も……」
劉 髭「嫌いじゃ。演義の劉備も嫌い。むしろ正史の梟雄っぽい劉備が好きじゃ」
 杏 「え、えーと、それじゃ次、廖化さん行きましょうか」


○廖化

廖化(りょうか)、字を元倹(げんけん)という。荊州襄陽の出である。

演義では関羽、諸葛亮、姜維の将として活躍し、黄巾の乱から三国鼎立、
蜀の滅亡までを見届けたビックリ長寿中華一人間。
なにしろ、普通に計算すると100歳を超えていたというのだから驚きだ。
90歳を過ぎても、姜維に従って先鋒として活躍していたらしい。

正史の伝を見ても、関羽の主簿を務め、
蜀の滅亡後に死んだと記されている。

だが、当時そんなに長生きできたのか、
そんな老人が晩年に先鋒になってまで戦えたのか、という疑問が残る。

これに対し、いくつかの反説がネット上などでも公開されている。
その中でも、筆者が支持する説は「廖化2代説」だ。
つまり、廖化は2人いた、ということである。
1人は関羽に付き従っていた初代の廖化、
そしてもう1人は関羽の死後、益州に逃げ延びた2代目の廖化だ。

それの根拠は、以下のような話があるからである。
「関羽に従って荊州を守っていた廖化だったが、麦城陥落の際に捕らえられ、
呉に護送されることになった。
だが、蜀に戻りたい一心で『廖化は死んだ』と噂を流して母親と脱出し、
関羽の弔い合戦に向かう劉備と合流した」と。

実は、廖化本人はこの時に死んでしまったのではなかろうか?
母親を連れて逃げたのは、廖化の子、もしくは一族の者だったのではないか。
この時、廖化という将の名声を利用したいがため……というよりは、
関羽につき従っていた忠義の将、という肩書きをつけたかったため、
廖化である、と名乗ったのではないだろうか。

そしてそれは、関羽の仇を討ちたい劉備にとっても都合がいい話である。
そのような将が戻ってきたとなれば、軍の士気が高まるからだ。
おそらく劉備の方から彼に対して、廖化を名乗れ、と命じたのではなかろうか。

「100歳まで生きた」と言われるよりは、実に現実的な話だと思う。

余談だが、後に彼は右車騎将軍にまで昇進。
蜀滅亡直前には、姜維・張翼らと剣閣を守っていたが、
成都陥落に従い魏軍に降伏する。
その後、洛陽に強制移住させられる途中に病死したのだが、
誰もそれを信じなかったと言う。

現実はどうであれ、当時から彼は『ずっと生き続ける老将』
と思われていたのもしれない。

劉 髭「ま、実際は別に黄巾賊ではなく、関羽に仕えた時はまだ若かった、
    というのが大方の見解のようじゃが」
 杏 「それは身も蓋もないですね」
劉 髭「ロマンを残しつつ、現実的な見方、となると2代説がいいと思うのじゃよ」
 杏 「燃えますよね、初代が倒された後に2代目が現れるというのは」
劉 髭「主役メカ交代じゃな。第2クール終了前くらいか」

    ☆☆☆

劉 髭「……というわけで、コラム第6回は終わりじゃ」
 杏 「人物紹介コーナー『これ誰』、
    解説コーナー『何それ』共にリクエスト受け付けております」
劉 髭「コーナー外でも、何かネタがあればどんどん送ってくれい。
    今回のように、企画外の話をすることも往々にしてあるぞい」
 杏 「また、感想もありがたく読ませていただいてます。
    一文でも構いませんので、何か感じたこと、面白かったこと、
    また指摘する点などがあれば、ご遠慮なくお送りください」
劉 髭「それでは次回までさらばじゃー」
 杏 「さようなら〜」

〜第6回放送、終了〜

[第四十三章にへ戻る<]  [三国志TOP]  [>第四十四章へ進む]