○ 第三十二章 「楽進篭絡」 ○ 
211年12月

新野城内では軍議が行われていた。
内容は新野陥落の時に捕まえた捕虜のことである。

   金玉昼金玉昼    魏延魏延    甘寧甘寧

金玉昼「捕虜だった孔休は、蔡瑁さんに登用してもらったにゃ」
魏 延「ふむ。曹彰は返還したので、残る捕虜は楽進だけだな」
甘 寧「楽進か。曹操軍の古参の将だな。
    于禁や張遼、徐晃や張哈らと並んで五大将とも呼ばれている」

   蛮望蛮望    金目鯛金目鯛    霍峻霍峻

蛮 望「先の戦いでも痛い目にあったわぁ」
金目鯛「流石に曹操軍歴戦の将というべき、
    老練な指揮ぶりだったな。
    ああいう将を味方に出来たら、今後の戦いが楽になりそうだが」

霍 峻「そのような古参の将の登用は、少し難しいのでは?
    曹彰と同様、何かしらと交換した方がいいと思いますが」
金玉昼「ちちうえからの手紙には、なんとか登用してほしい、
    って書いてあるにゃ。
    ……というわけで、私が会ってみまひる」
魏 延「ふむ。では、私もついていこう」
金玉昼「普通に会ったのでは、説得も無理にゃ。
    ここはちょっと小細工してみようと思いまひる」
魏 延「小細工?」
金玉昼「それは……ごにょごにょ……」

新野城の牢獄。
そこの一室に楽進は入れられていた。
新野陥落時に捕縛されここに入れられてから、2ヶ月近くが経過。
本来であれば筋肉は細り、顔色も悪くなるところである。
だが楽進の顔は血色良く、腕の筋肉などもほとんど衰えてなかった。

   魏延魏延    楽進楽進

魏 延「貴公が楽進か」
楽 進「うむ」
魏 延「……与えてる食事は、普通の配給の量なのだな?」
獄 吏「は、はあ。そうです。
    別に不正に多く与えてるわけではありません」
楽 進「彼を責めんでくれ。
    ただ私が元気すぎるだけなのだ」
魏 延「むう。身体は小さいが齢50を過ぎてこの壮健な体躯。
    さすがは歴戦の勇士、見事だな」
楽 進「ははは、日頃の鍛錬の成果よ。
    特別なことは何もない」
魏 延「鍛錬?」
獄 吏「暇さえあれば腕立て伏せやスクワットやってるんですよ」
魏 延「なるほど、トレーニングマニアか……。
    まあいい、とりあえず少し付き合ってもらおう。
    こちらに来てくれ」
楽 進「首を刎ねる準備でもできたか?」
魏 延「そんなことはせん。軍師に会ってもらうだけだ」
楽 進「軍師……?」

魏延は楽進を連れて獄を出、広い部屋に入った。
その部屋は豪勢な料理が並べられおり、
魏延はそこの上座に楽進を案内する。

魏 延「さあ、こちらにお座りくだされ」
楽 進「これはどういうことだ? 私は敗軍の将だぞ」
魏 延「軍師の指示でござる。
    この部屋にいる間は、あなたは我が軍の客人として扱えと」
楽 進「ふむ。こう礼を尽くされては断るわけにもいかんな。
    よいしょ……」
魏 延「では、まず一献どうぞ」
楽 進「うむ……(ゴクゴク)」
魏 延「おお、いい飲みっぷり。では、もう一献」
楽 進「いや、酒はもういい。それより……」
魏 延「ああ、気付きませなんだ。しばしお待ちあれ。
    これ、踊りを!」パンパン
楽 進「いや、そんなものではなく……」
魏 延「まあまあ、我々にお任せあれ」
楽 進「……」

やがて数人の女性が入ってきて、音楽を奏でる。
そしてそのうちの1人が舞い始めた。
舞踊の内容は恋物語を表しているようである。
しかしその舞を見ている間、
楽進の顔はどんどんしかめっ面になっていった。

魏 延「む、楽進どの。あまり楽しまれていないようですな。
    舞踊はお嫌いでしたかな?」
楽 進「……無骨者ゆえ、こういうのはあまり解さんのでな。
    それより、軍師はまだ来ないのか?
    私と会うためにここに呼んだのであろう?」
魏 延「ふむ、そう言えば遅いですな。
    仕方ない、私が迎えに行きましょう。しばしお待ちを。
    ……あ、この部屋の外には兵が多数伏せております。
    脱走しようなどとは考えぬように」
楽 進「ふん、そのようなことはせぬ」
魏 延「では、待っている間は歌でもお聴きになりお待ちを。
    お主、楽進どののために歌を唄ってやれ」

魏延はそう言うと退室していった。
女たちは一緒に外へ出ていったが、中央の一人だけが部屋に残った。
他の者が退室した後、彼女は朗々と唄い始める。

 義に厚き壮士 勇ましく戦う
 されど武敵わず 囚われの虜
 しかし生き恥を晒すは 欲のためならず
 ひたすら耐え忍び 機を覗う
 今 敵の帥 目の前に現れるならば
 主のために刺し違え 彼も死なんとす


……その歌を聴いて、楽進は蒼ざめた。

楽 進「お、お主……その歌は誰に教えてもらった?」
 女 「誰にも教えてもらってはおりません。
    今考えました即興での歌にございます」
楽 進「即興だと……?」
 女 「今、楽進さまは、楽しめもしない宴の席に座り、
    じっと我慢してらっしゃいます。
    これは何か果たすべき何かを胸に秘めておるからでしょう」
楽 進「それだけで今の歌を考えたのか?」
 女 「忠義に厚き楽進さまが虜囚の辱めを受け、
    それでも生き長らえているのは、
    最後まで主のために何かをしようと考えておるからでしょう」
楽 進「……」
 女 「さらに楽進さまは牢に入れられてからも鍛錬を欠かさぬ様子。
    しかし、下手に元気なところを見せると警備も厳重になります。
    鍛錬は脱走のためではなく、何か別のことのためでしょう」
楽 進「ふむ、だから私が軍師を殺すであろうと思ったか。
    だが、それは全てお主の憶測であろう?」
 女 「ならば、密かに懐に隠されました箸。
    それは何に使われますか?」
楽 進「……はははははは! 見ておったか!」

楽進は懐から箸を取り出すと、そのまま放り投げた。
箸はカラカラと音を立てて転がった。

楽 進「箸でも使いようによっては必殺の武器となる。
    ……しかし流石は金旋軍の軍師。
    私の思惑などお見通しというわけか」
 女 「あ。バレたにゃ」

   金玉昼金玉昼

楽 進「ただの女が私が鍛錬をしていることなど知らぬはず。
    金旋の娘が軍師を務めていることを、噂では聞いておったしな」
金玉昼「ありゃ。ちょっと口が滑ったにゃ」
楽 進「さて。ここからそこまで五歩もない。
    外から兵が入ってくる前に、私が貴方を殺すことは可能だが」
金玉昼「確かに。でも楽進さんはそんなことしないにゃ」
楽 進「ほう、どうしてかな」
金玉昼「軍師だと気付いた上で、箸を投げたにゃ。
    これはすでに負けを認めてるということにゃ」
楽 進「ふっ、自分の命が掛かっているというのに、
    実に冷静な判断。度胸も備えているのだな」
金玉昼「いえいえ。それほどでも」
楽 進「さて、ここまで芝居を打つのだ。
    そろそろ、私に何をさせたいのか言ってくれないか」
金玉昼「それはもう、判ってるのではないですかにゃ?」
楽 進「いや、はっきりと言ってもらわぬとこちらも何も言えん」
金玉昼「ならば……我が軍に力を貸して欲しいのにゃ。
    百戦錬磨の楽進将軍が我が軍に加われば、
    これほど頼もしいことはないにゃ」
楽 進「だが、長らく私は曹操軍の将として生きてきた。
    ここで裏切れば忠義の道に反することになる」
金玉昼「楽進将軍。裏切りとか忠義とかはどうでもいいのにゃ。
    ただ自分の理想を実現するには、金旋軍か曹操軍か。
    このどちらを選ぶのか決めてもらうだけでいいのにゃ」
楽 進「理想……」
金玉昼「確かに曹操は優秀な改革者であり、その軍は屈強。
    されど内外に敵を作り、中華の統一は遠のいているにゃ」
楽 進「曹操さまでも成し得られないことを、
    金旋どのは成し得ることができると言うのか?」
金玉昼「父、金旋を曹操と比べると。
    兵を率いる将としては遠く曹操に及ばない。
    智謀を駆使しての頭脳戦も曹操に全く及ばない。
    政務においてもせいぜい並でこれも曹操に及ばない。
    武勇はそれなりだけど、これまた曹操には及ばない

楽 進「全くダメではないか」
金玉昼「そうにゃ。将として、また官としての金旋は、
    全く平々凡々な人物でしかないにゃ。
    しかし、曹操も及ばない能力が父にはありまひる」
楽 進「なに? それは何か?」
金玉昼「それは、『将たる者の将』
    将の力を見抜き、それを有効に使う。
    この能力において、父金旋の右に出る者はおりませんにゃ」
楽 進「それはどうか。
    曹操さまとてその点には優れている。
    曹操軍には有能な者が多く集まっておるのだぞ」
金玉昼「有能な者が多く集まるのと、
    それを有効に使うのはまた別の話。
    先の戦いで、楽進さんも感じませんでしたかにゃ?
    個々の将の能力では五分であるのに、
    我が軍は短期間で新野を落としましたにゃ」
楽 進「むう……確かに。
    少しの間持ち堪えて援軍を待てば、負けない戦いであった。
    しかしそれができなかった……。
    それが金旋どのの力だというのか」
金玉昼「どう判断するのかは任せまひる。
    しかしもう一度これだけは言うにゃ。
    楽進さんの志は、金旋軍・曹操軍、どちらで叶うのか。
    それを考えてほしいのにゃ」
楽 進「ふむう……」
金玉昼「……どうしても曹操軍に戻りたいというのなら、
    この部屋を出て行かれるがいいにゃ。
    外に兵などいないにゃ」
楽 進「なんと? ということは、
    ずっと貴方は護衛も無しに私と話をしていたと……!?」
金玉昼「考える時間が必要でしょう。
    私は出てくから、この部屋でしばらく考えるがいいにゃ」
楽 進「いや、その必要はない。
    ……貴方には恐れ入った。金旋さまに降ろう」
金玉昼「本当ですかにゃ!?」
楽 進「うむ。元々私は士大夫ではなく、ただの小役人であった。
    そんな私が今まで戦って来たのは、民草の平和を作りあげるため。
    だがその実現は、どうやら金旋軍の方が近そうだ。
    それに『士は信ずる者のために死す』と言う。
    私をここまで買ってくださる軍師、そして金旋さまのため、
    この老骨が働く場をいただきたい」
金玉昼「それを聞いたら、ちちうえも喜びまひる……」

楽進。字を文謙。
下級役人出身で身体も小柄であったが、度胸は人一倍であり、
曹操軍の切り込み隊長として名を馳せた叩き上げの武将である。
その将が金旋に降ったのだ。

この報を後に聞いた金旋は大いに喜んだという。
金旋にとって楽進個人が降ったことも嬉しかったが、それ以上に
『曹操軍古参の将が降った』という事実に喜んだのだった。

魏 延「軍師。よく楽進の企みを見破ったな」
金玉昼「あははー。ちょっと気になってただけにゃり。
    外れてたらただのバカだったにゃー」
魏 延「それをあばき動揺させ、
    その後に寛大さを見せて心を揺さぶる作戦。
    見事であった」
金玉昼「ただの口八丁にゃ」
魏 延「それにしても、真似のできぬ技よ。
    だが、よく楽進の理想などを知っておられたな」
金玉昼「んーん、全然知らんにゃ」
魏 延「は? しかし理想の実現のために、とか……」
金玉昼「あれはあてずっぽうですにゃー。
    しかし、あれだけの将が戦い続けるには、
    それなりの理由があるはずと思ったのにゃ」
魏 延「なるほど……。
    そのいちかばちかの言葉が楽進の心を捉え、
    登用を受ける気にさせたのか。
    流石は軍師、口が達者だな」
金玉昼「あっはっはー」
魏 延「しかし、潔く諦めたから良かったものの、
    あのまま殺そうと襲ってきたらどうされたのだ?
    いくら外に私がいたとて、間に合わなかったぞ」
金玉昼「あ、それは大丈夫にゃ」

   鞏恋鞏恋

鞏 恋「……疲れた」
金玉昼「恋ちゃんお疲れ〜」
魏 延「ん、鞏恋……? 何をしてたのだ?」
鞏 恋「ずっとあの部屋でゴルゴってた」
魏 延「あの二階にある部屋……。
    ははあ、いつでも狙撃できるよう伏せていたのか」
金玉昼「そういうことにゃ。
    仮に襲われたとしてもだいじょーぶい〜」
鞏 恋「ぶい〜」
魏 延「うーむ……。
    (矢が外れることは考えなかったんだろうか)」

かくして楽進が幕下に加わった新野では、
内政と共に強兵政策が採られた。
新野には徴兵可能な壮健な青年が多く、
曹操軍に対抗すべく多数が徴兵された。
年を越す頃には兵は5万ほどになっていったのである。

つづく。

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