〜208年2月
2月下旬。
北の果てでは、曹操の軍が公孫康の勢力を滅ぼした頃。
武陵は慌しさの中にあった。
衡陽に派遣した城塞建設の部隊(鞏志、鞏恋、劉髭らと兵1万5千)以外の、
武陵に残っている1万2千の兵たち。
彼らの訓練が、武陵の教練場にて急ピッチで行われていた。
金旋
金目鯛
金目鯛「親父ー」
金 旋「なんだ、目鯛」
金目鯛「衡陽の城塞はまだできねーのか?」
金 旋「軍師の知らせでは、7割ほど出来たそうだ」
金目鯛「てーことは、まだ3割残ってんのかよ」
金 旋「そうあせるな、兵の訓練だって未だ途中だ」
金目鯛「とは言ってもよ……。
また長沙から増援部隊が柴桑に向かったらしいぜ。
素人目にも、今の長沙は落とし頃、うちの娘はお年頃〜ってな感じだぞ?」
長沙を発した韓玄軍は、2月中旬に柴桑城に攻撃を開始。
戦況は思わしくなく、長沙から増援の兵が送られた。
その結果、長沙に残る兵は現在、4千ほどしかいなくなっていた。
金 旋「……今さら、方針を変えるわけにはいかん」
金目鯛「そりゃそうかもしれんが……。
兵は神速を尊ぶって言うしなぁ」
金 旋「目鯛! それ以上は言うな。
これは俺と軍師とで決めた戦略だ」
金目鯛「……わりぃ。軍師を悪く言う気はないんだ」
金 旋「今は裏目に出てるかもしれんが、万全を期するために立てた戦略なんだ」
金目鯛「ああ。初めてのことで俺もちと焦ってたみたいだ」
金 旋「……そういや、お前は初陣になるんだな」
金目鯛「ま、初陣っつっても、親父に連れられて前線見たりとかはしてるけどな」
金旋はもともと漢の臣であり、反乱の鎮圧任務等で前線に出たりもしていた。
その際の功で、現在の武陵太守の官を得たと言っていい。
金 旋「すぐ慣れる。
俺よりもお前の方が将としての資質は優れてるからな」
金目鯛「そうか。親父が言うならそうなのかもな」
金 旋「……お前、いつもすぐ人の言うこと信じるよなぁ」
金目鯛「根が素直だからな」
金 旋「普段はそれでもいいが、戦場で偽の情報を受けて混乱するんじゃないぞ」
金目鯛「おう、わかった」
金 旋「ま、焦らず城塞が出来るのを待とう」
金旋はそう言いながら、内心、自分も焦っているのに気付いていた。
万全と思えた策が、あまりにも今の状況と違(たが)えて思える。
劉髭もそう思ったのか、送られてきた手紙には今の状況を読めなかったことを詫びる文があった。
しかし、劉髭が悪いわけではない。あの時点では最善の策だったのだ。
ただ、予測を上回る事態が起きているだけだ。
どちらにしろ今はまず、城塞が出来るのを待つしかないのだった。
〜208年3月
3月下旬。
公孫康を倒した曹操軍は、烏丸という脅威は残しながらも、
序々に南への侵攻を開始しつつあった。
最初に目を付けられたのは、新野の劉備である。
先に汝南に侵攻した劉備であったが、その戦では敗れ、彼の軍の兵力はかなり少なくなっていた。
宛を発した曹仁の軍が、新野に攻撃を仕掛ける。
劉備は、この危機を凌ぐことができるのだろうか……。
金 旋「とまあ、北の方はそんな感じなんだが、こっちはどうよ」
鞏 恋「……どうよって言われても」
劉 髭「戦闘準備はOKじゃがな」
一方、荊南では。
武陵から衡陽城塞に合流した金旋軍が、今まさに長沙に向けて進発しようとしているところだった。
総大将は金旋、先鋒に金目鯛、鞏恋。
中軍には劉髭と鞏志が控える。
そして兵力は1万6千。
これは武陵守備の1万、衡陽城塞守備の2千を除いた、動員ギリギリの数である。
鞏 志「本当は城塞守備にもう少し置きたいところですが……」
金 旋「しかし、まずは長沙を落とさないと話にならんからな」
長沙の韓玄軍守備隊の兵は、5千。
金旋軍が数では勝るが、攻城戦は兵力が多い方が勝つというものでもない。
その上、守備隊の将は魏延。武勇に優れる将である。
金 旋「よし……では行こうか」
金目鯛「全軍、進撃! 目指すは長沙だ!」
オオオオオオオオ!
兵たちの雄叫びが轟く。
その声の大きさが、兵たちの士気の高さを物語っていた。
……今回のこの戦争は、明確な大義名分はない。
しかしそれでも兵たちは金旋に付き従う。
それまでの金旋の人の心を掴もうとする姿が、武陵の民や兵に受け入れられていたのである。
この戦が、彼が『武陵の土竜(もぐら)』から『荊南の小竜』へと変化を遂げる第一歩となるのだった。
〜208年4月
柴桑へ遠征中の韓玄軍は、柴桑城に到達。
2万の兵で攻め寄せてはいるが、総大将の韓玄の統率力の無さが災いし、
味方の兵が減るばかりで城を落とせそうな状況では全然なかった。
一方、金旋軍の将兵1万6千は、主人のいない長沙城に攻めかかる。
しかしながら、守将の魏延や他の将は少ない兵をよく統率し、その攻め手をよく凌いでいた。
金旋
劉髭
金 旋「うがーーーーー!
味方は何やってんだ!」
劉 髭「落ち着かんか!
総大将がそんなことでは、兵たちが不安がるぞ!」
金 旋「しかしだな、こうも苦戦してちゃイラつきもするわ!」
攻城開始より半月も経とうとしているのに、
長沙の兵は多少数は減っているもののまだまだ元気だ。
対して金旋軍の兵には疲れの色が現れており、士気の低下がはっきり見える。
金 旋「こんなんじゃ、いつまで経っても落とせないんじゃないのか」
鞏 恋「そんなことはない……」
鞏 志「我々の隊で、矢の一斉発射を行いましょう」
鞏恋、鞏志の部隊が矢の雨を浴びせる。
これが引き金となったか、ようやく長沙の兵にも士気の低下が見え始め、
数もかなり減ってきた。
しかし一方の金旋軍の被害も、かなりなものになってきている。
もはや無傷の兵は5千程度、という酷い状況だった。
ここに、さらに悪い報が届く。
金 旋「あんですとーーー!
趙範が宣戦布告!?」
伝 令「はっ!
桂陽を発した趙範軍1万が、一路衡陽へ向け進軍中にございます!」
桂陽の趙範が、兵1万をもって衡陽城塞へ向かっていた。
城塞の守備兵は2千。放っておけば陥落は間違いなかった。
当初の予定では長沙を落とした後、趙範・劉度が動くのを確認し、
それから増援の兵を城塞へ送りこむつもりだったのだ。
このように、長沙を落とす前に攻められるとは思ってもみなかったのである。
金 旋「早い、早すぎる!
こ、このままじゃ挟み撃ちの格好になっちまうぞ!
ど、どどどどうしよう軍師!?」
劉 髭「あ、あわわ慌てるでない! 今は長沙を落とすことが先決じゃ!
城塞に戻っても得るものは何もない、
ならば前だけ向いて全力でかかるのじゃ!」
金 旋「わ、わかった、全将兵に告げよ!
なんとしても長沙を落とせとな!」
金旋軍は、これより必死の攻撃にかかる。
だが、4月が終わる頃になっても、落とすことはできなかった。
序々に、進退が極まりつつあった……。
〜208年5月
5月に入り、大量に負傷兵が増えながらも、金旋軍の長沙城への攻撃は止まない。
すでに衡陽城塞には趙範軍が攻め寄せており、
金旋軍は帰るに帰れない状況に追い込まれていた。
もはや、目の前の長沙を落とさなくては、もうどうにもならなくなっていたのである。
金旋
劉髭
金目鯛
金 旋「かかれ!
なんとしても、なんとしてもおおおおおお!」
金目鯛「くそっ、兵もかなりの者が傷を負ってるぞ。
無傷な者は2千ほどしかいねえ……」
劉 髭「長沙側の兵もかなりの者が倒れておる……。
ホントにもう少しなんじゃがなあ。
こちらの攻め手の勢いが弱くなっておる……」
金目鯛「元気な兵の数が減ってるから、そうなるのもしょうがないがな」
伝 令「急報にございます!」
金目鯛「どうした!」
伝 令「柴桑城を攻撃していた韓玄軍が、攻めるのを諦め、
この長沙に戻ってくる模様にございます!」
劉 髭「なんと!? 現在の兵力はどれくらいじゃ!?」
伝 令「はっ、脱落者が出ている模様ですが、
それでも戦闘可能な兵は3千程度おる模様!」
金目鯛「わかった、下がれ」
伝 令「はっ」
金 旋「3千って……我が軍と同じ位いるじゃないか!?
それが後ろからやってくるのか?」
劉 髭「戻ってきおったら挟み撃ちされるじゃろうな。
間違いなく我が軍の負けじゃ」
金 旋「冷静に語ってる場合か!
なんとか、なんとかならんのか!?
なーんーとーかぁー!!」
劉 髭「あーうるさい!
そう騒ぐな! 大将はどーんと構えておれい!」
金 旋「うう。ま、まだ死ぬわけにはいかないんだ〜。
死にたくない〜」
劉 髭「……ふむ。左様か、死にたくないか。
趙範軍と戦闘中の衡陽を無視し、そのまま武陵に向かえば、
なんとか無事に戻れるじゃろうな」
金 旋「……本当か!?」
劉 髭「じゃが、衡陽の城塞は確実に陥落し、長沙もそのまま。
武陵には兵1万のみで、衡陽に趙範軍1万。
零陵の劉度も健在じゃ。
いわば弱り切った身体で、咽喉元に切っ先を突きつけられた状態となろう」
金 旋「……う、ぐぅ」
劉 髭「なにより、武陵の民はおぬしをどういう目で迎えるであろうな?」
金 旋「…………」
金目鯛「親父。ここは死ぬ気で長沙を落とすしかねえ。
よく言うだろうが、『市中でカツアゲ』ってな」
金 旋「それを言うなら『シチューにカツあり』だ。
シチューの中を見てみると、カツがある。
つまり意を決して飛び込めば、幸運を手にできるってことだ」
劉 髭「読みと意味は合ってるんじゃが……。
正しくは『死中に活あり』じゃ」
金 旋「む、昔はそう言ってたんだよ!」
劉 髭「言っておらんな。……まあ、とにかく攻めるのみ、じゃ」
金 旋「わかったよ、死ぬ時は死ぬ。
なら、派手にやってやろうじゃないか!」
鞏恋
鞏志
鞏 志「覚悟をお決めになられましたな」
金 旋「鞏志?」
鞏 恋「金ちゃん、私たちに任せて」
鞏 志「こ、こら恋、ちゃん付けで呼ぶなどと……」
金 旋「いい、今はそれどころじゃない。任せるとは?」
鞏 志「はっ。これより矢の一斉発射を行いましょう。
矢が尽きるまで撃ち続け、残った敵兵を討ち倒します」
鞏 恋「これで決まれば、多分、勝ち」
金 旋「決まらなければ?」
鞏 恋「負け。捕まって首ちょんぱ」
金 旋「…………ははは、いいだろう!
やってみせろ、鞏志、鞏恋!」
鞏 志「はっ! いくぞ恋!」
鞏 恋「うん」
劉 髭「ワシも行こう。弓隊の指揮ならそこそこやれる」
金 旋「爺様……」
劉 髭「まあ、ワシにはおぬしをそそのかした責任があるでな」
金 旋「頼むぞ爺様、……いや、軍師。
……共に天下を望むために」
劉 髭「ふふん。任せておけい。
……だれぞワシの四輪車を持てい!」
兵 A「はっ! これにございますな!?」
劉 髭「それは三輪車じゃっ! それじゃなくて、
手押しでガラゴロ進めるやつがあったじゃろう!」
兵 A「というと、これにございますな!?」
劉 髭「それはベビーカーじゃーーーーーっ!」
翌日。
鞏志・鞏恋・劉髭の各隊が最後の矢の斉射を行う。
鞏 志「今日で終わりにするつもりでやるんだ!」
鞏 恋「弩隊、用意」
劉 髭「はなてぇぇ……ゲホゴホガフン!
カーッ、ペッ!」
ウオオオオオオオオオ!!
雄叫びを上げる兵たちにより放たれた大量の矢は、長沙城へと降り注ぐ。
金旋軍全体の士気は瓦解し、背後から韓玄軍に襲われ全滅。
……攻撃が失敗となっていれば、そうなっているほどの危機であった。
だが、攻撃は成功していた。
これにより長沙の兵は大部分が倒れ、抵抗する力を無くしたのだった。
ここに至り、ようやく長沙は陥落。
金旋軍は、長沙への入城を果たしたのだ。
柴桑から長沙へ戻る途中だった韓玄軍は、
帰るべき都市を失ったことにより、解散に追い込まれる。
よって韓玄の勢力は、自動的に消滅したことになる。
韓玄は逃げ、柴桑へ出撃していた将もどこかへと去った。
一方、長沙にいた将たちは金旋軍に捕縛され、獄に繋がれる。
これらの報は武陵にも届けられ、留守役の潘濬や下町娘らを喜ばせたのだった。
しかし、良い報ばかりではない。
衡陽城塞が陥落した。
趙範軍が城塞を落とし、そのまま衡陽の地に留まったのである。
これにより、武陵と長沙、どちらにも兵を向けられる地を奪われてしまったことになる。
万全を期するべく城塞を作ったことが、全く裏目に出てしまったのだ。
しかし趙範軍も桂陽の守備兵は少なくなっており、
それを未だ動いていない劉度が、狙いをつけようとしていた。
韓玄の勢力が姿を消した荊南。
そこでは3勢力が互いに隙を覗い合う、新たな局面を迎えたのだった……。
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