前編 〜鬼たちの酒盛〜
ここは隆山の千鶴さんたちの家。
世間一般は平日であるが、俺(柏木耕一)は大学生という特権を生かし遊びに来ていた。
「お兄ちゃん、いらっしゃい!」
玄関で、初音ちゃんが笑顔で出迎えてくれる。
「ややっ、初音ちゃん。
ちょっと見ないうちに女の子らしい身体になってぇ。へっへっへ」
「もう、お兄ちゃんたら……ちょっと見ないうちにおぢさんっぽくなってぇ」
俺のおやじ発言に、恥ずかしがりながら切り返す初音ちゃん。
……うーん、初音ちゃんも言うようになったなあ。
「よっ、耕一。今日はうまいもん食わせてやるよ」
奥から現れたのは、エプロン姿の梓。
残念ながら、裸エプロンではない。……当たり前か。
「よお、梓。お前もちょっと見ないうちにちちがでかくなったなー」
「……っ! 来たそうそう、なにセクハラ発言しとるんだっ!」
ばっちーん!
「……手も早くなったな」
「……そりゃもう、おかげさんで」
頬がヒリヒリする……。いてて。
「耕一さん……」
梓の後ろから、楓ちゃんがちょこんと顔を出す。
「やあ、楓ちゃん。相変わらず……」
胸が小さい……と言おうとしてその言葉を飲み込む。
……バカ! 何考えてんだ俺は!
いくら本当のことでも言っていいことと悪いことがあるだろ!
「……えっと、相変わらずかわいいね、ははは……」
ごまかす俺。
「……ごめんなさい、本当に小さくて……。全然育たないんです」
しかしうつむいてしまう楓ちゃん。
……伝わっちゃったのか? もしかして。
でも楓ちゃん……俺は胸がなくてもかわいければいいんだ。
……むむ、フォローになってないな。
さて……後は千鶴さんだけだが。いないのかな?
「あ、千鶴お姉ちゃんは仕事だけど、今日は早く帰ってくるって言ってたよ」
俺の疑問を察知したか、初音ちゃんが説明してくれる。
「あ、そうなの? しかし悪いなあ、来るたびにこうして総出で出迎えてもらうなんて」
「別にいいって。初音も楓も千鶴姉も、みんな耕一に会いたがってたんだから」
梓の言葉に、楓ちゃんと初音ちゃんはポッと頬を赤くする。
……ついでに俺の頬も、まだ梓の手形が残ってて赤い。ヒリヒリ。
「ふーん……お前はどうなんだ? 梓」
「え、あたし? ふふっ、さあね」
そう言って梓は、台所の方に消える。
ふっ。4人もの女に好かれるとは……俺も罪な男だ。
このままみんなをはべらせて、ハーレム状態というのも悪くはない……。
「耕一さん……」
気付くと、楓ちゃんがじーっと俺を見ている。
……考えてることがわかったようだ。
……。
いいじゃんかよぉ、考えるくらい……。
思想の自由も許されないのですか、柏木家は。(おおげさ)
☆☆☆
「ほれ、耕一。たーんとお食べ」
「何が『たーんとお食べ』だか。……ま、いただきます」
目の前のテーブルには梓の作ったごちそうが並ぶ。
千鶴さんもほどなく戻ってきて、柏木4姉妹揃い踏みだ。
「ほんとに、遠いところすみません、耕一さん……」
そう言ってお酌してくれる千鶴さん。
「いえ、来たいから来てるだけですよ。
泊めさせてもらってるのはこっちなんだし……おっとっと」
ぐびっ。
おちょうしからこぼれそうになる酒を、一気に飲み干す。
「くーっ、きくぅ」
やっぱり酒は日本酒の熱燗に限る!
<作者:……俺はそうは思わんが>
「……ん? 誰かの声が聞こえたような」
きょろきょろ。
「なんだ耕一、あんたもう酔っ払ったの?」
梓が小突く。
「いや、誰かが……」
「はいはい、わかったからもっと飲みな」
俺の言葉をさえぎり、お酌をする梓。
……うーん。さっきのは空耳かな。
「お兄ちゃん、この煮付け、私が作ってみたんだけどどうかなあ」
不安そうな表情で聞く初音ちゃん。
「どれどれ……? ん……うん、うまいよ」
俺の言葉に、初音ちゃんの表情がほころぶ。
「魚の鮮度もさることながら、作る人の気持ちがこもっているからうまいんだな……」
俺の言葉に、ぱあっと初音ちゃんの表情が明るくなる。
同時に、もう1人表情の明るくなった人が……。
「じゃ、じゃあ、私も愛情をこめればおいしくなるんですね!」
……千鶴さんだ。
「え、えーっと……」
何も言えない俺の代わりに、梓が口を開く。
「千鶴姉は例外だって。いくら努力したって、まずいものはまずいまま……」
そこまで言って、ハタと梓の動きが止まった。
なんか部屋の空気が寒くなったような……?
……もしかして。
「あ・ず・さ・ちゃ・ん? だ・れ・が・ど・りょ・く・し・て・も・む・だ・だっ・て?」
千鶴さんはにっこりと笑ったまま、梓に問い掛ける。
……やっぱ千鶴さんか。
「いっ、いえっ! そそそのようなことはっ!
努力してれば、必ずうまくなるです、はいーっ」
怯えた表情で弁解する梓……。
……それを聞いた千鶴さんは。
「そっ、なら今度から愛情しっかり込めて作るから。
ちゃーんと食べてね、あ・ず・さ・ちゃん♪」
……悪魔の言葉を言い放つ。
「あうぅぅぅぅ……」
梓はただ涙を流すのみ。
ごしゅうしょうさま……なーむー。
「……耕一さん、どうぞ……」
俺の酒の進みが悪いと見たのか、楓ちゃんがお酌してくれる。
「あ、ありがと。でも楓ちゃんも食べたら……あれっ!?」
よく見ると、楓ちゃんの周りの料理はすっかりなくなっていた。
「私はもう食べちゃいましたから……」
な、なんという早さ。
俺でも思いっきり急いで食っても食えるかどうか……。
それを短時間でしかも平然と……。
楓ちゃん! おそるべし!
早食い王決定戦などがあったら、間違いなく優勝だ。
「……それほどでもないです……」
……どうやら、またバレていたようだ(笑)
「いやあ、ははは……」
ぐびぐび。
照れ隠しに注がれた酒を飲む。
「……くそお! あたしにもくれ!」
泣きが入った梓も、ヤケクソ気味で酒を飲む。
「じゃ、私も貰おうかしら……」
千鶴さんもお付き合いして飲む……。
☆☆☆
ぐび。
「ぷはーっ。たまらんのー」
……俺はすっかり出来上がっていた。
「ほれ耕一、もっと飲め!」
梓が注ぐ。彼女もかなりキているようだ。
……ま、未成年なら仕方がないか。
「こら、梓。あんまり無理に薦めちゃダメよ」
千鶴さんはほとんど変わっていない。
……実はものすごく強いのか? 千鶴さん……。
「へっへっへ、楓ちゃんも飲も?」
「いえ、私はいいです……日本酒は飲めませんので」
俺の薦めを断る楓ちゃん。
『日本酒は』ということは、ポン酒以外ならいいんかしら。
「そうか。じゃ初音ちゃんはどう?」
「え? あ、私は……」
しかし、初音ちゃんが言うより早く。
「ダメです!」
わわ。千鶴さんが大声で叫んだ。
「ど、どうしたの千鶴さん……そんな怖い顔しなくても」
その俺の言葉にも、千鶴さんは真剣な表情だ。
「初音にだけは飲ませないでください!
ええと……その……まだ未成年なんですし!」
うん? なんか取ってつけたような理由だな。
「未成年って……梓もそうでしょ?」
俺の言葉に、一瞬言葉が詰まる千鶴さん。
「……えっと、梓は身体は大人だからいいんです!」
「……むちゃくちゃ言うなあ」
ちらと梓を見る。
「そうそう、あたしの身体は大人だからいいのぉ。
そういう意味ではぁ、千鶴姉も子供なんだけどぉ」
ぴくっ。
「……なんですって?」
梓の言葉に、目くじらを立てる千鶴さん。
「きゃー恐い、耕一助けてぇん」
だが酔っ払っている梓は、うまく逃げる。
「とにかく初音にはお酒はダメです! わかりましたね!」
うーん、今の梓の一言で機嫌悪くしただろうし……ここはおとなしく従っておこう。
「わかりました。ごめん、初音ちゃん」
「あ、ううん。私こそごめんなさい、お兄ちゃん」
結局、その後は普段通りの宴会騒ぎになった。
だが……俺の心には、あるひとつの企みが沸き上がっていた。
それが大いなる災いを呼ぶとも知らずに……。
中編 〜華麗なる変身〜
ぎしぃっ、ぎしぃっ。
この音は廊下を忍び足で歩く音だ。
俺は、小脇に冷蔵庫からゲットしてきた缶ビールを2本抱え、初音ちゃんの部屋を目指していた。
千鶴さんは台所で料理の特訓をしているし、楓ちゃんはお風呂。
梓にいたっては酒かっくらって寝てる。
別に忍び足しなくてもいいんだけど、まあそこは気分的なもので……。
「あそこまで千鶴さんがダメだって言うのは、何かウラがある。それを確かめるんだ……」
独り言をつぶやく俺。
別に初音ちゃんを酔わせて、あーんなことやこーんなことをしようってつもりじゃないぞ。
これは知的探求心からくる、立派な研究なのだ。
大学のセンセも言ってたしな……『好奇心を大事にしろ』って。
まあ……初音ちゃんの方から求められたら、やるものやっちまうだろうが……。いっひっひ。
<作者:そんな状態になれば、誰でもやっちまうだろうて>
……なんか最近よく空耳が聞こえるなあ。今度、耳鼻科に行ってこようかな。
んなことを考えてながら進んでいると、初音ちゃんの部屋の前に来た。
こんこん。
「初音ちゃあん……」
隣りの方に聞こえないように小声で呼ぶ。
かちゃ。
「はぁい……? あ、耕一おにいちゃん?」
「やほー」
初音ちゃんはパジャマ姿だ。
ファンが見たら、生ツバものだろう……。
<作者:おう、萌え萌えだっ!>
また聞こえた。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
怪訝そうな顔の初音ちゃん。
「あ、いや。とりあえず部屋に入れてよ」
「う、うん、いいけど」
中に入れてくれる初音ちゃん。
2人は床に、ぺたんと腰を下ろした。
「用というのは他でもない、初音ちゃん」
真剣な表情で話をする。
「う、うん……」
初音ちゃんもつられて真剣な表情になる。
「お酒飲もう!」
「……え?」
ぱちくり。
初音ちゃんの大きな目がまばたきする。
「一緒にお酒飲もう、初音ちゃん」
ずいと缶ビールを押し出す。
「でっでも、千鶴お姉ちゃんにダメって……」
うーん、やはり千鶴さんに言われたことがネックとなるか。
……ならば、作戦を変えて。
「初音ちゃん、お酒飲んだことある?」
いきなり質問が変わって、戸惑う初音ちゃん。
「え……う、うん、一口だけなら。だけどその時のことは憶えてないの」
「ほほう」
なかなか、興味深い話だ。
「……それ以来、千鶴お姉ちゃんは飲ませようとしないんだけど……」
「それじゃダメだ、初音ちゃん」
「……え?」
俺の言葉に、初音ちゃんは俺の顔を見る。
「酒を飲むと自分がどうなるか知っておかないとね。
実際に大人になってから人に迷惑をかけるようになってしまうんだ」
「そ、それってどういうことなの?」
よしよし、不安になってきたな。
「俺は酒を飲むとオヤジっぽくなる。俺はそれを知っている。
だから、酒を飲む時はそれで迷惑をかけないように気をつけることができるんだ」
「そ、そうだったの? お兄ちゃん、かなり好きなことをやってるように見えたけど……」
うっ……。
「あ、あれでも、かなり押さえているんだ。何も考えなかったらあんなものじゃないよ」
「そ、そうなんだ……」
何とかごまかせたな。
「しかるに初音ちゃん!
キミは酒を飲むと自分がどうなるかを知らない。
だから酒を飲む時、何に気をつけたらいいかわからない。
それゆえ、人に多大な迷惑をかけてしまうようになるんだ!」
「ええっ!」
驚愕の表情を見せる初音ちゃん。
人のいい初音ちゃんのことだから、自分が人に多大な迷惑をかけることになる、なんて。
そんなことは全然、思ってもいなかったことだろう。
「お、お兄ちゃん、私……」
あ、やば。泣きそうだ。
「だ、だから初音ちゃん。お酒飲んで、自分がどうなるか知ろう?
そうすれば大丈夫だから! 何も問題ないよ、ね?」
必死になだめる俺。
ここで泣かれたら、俺の計画が……。
<作者:何の計画だか……>
ったく、うるさいぞ空耳!
「……うん。私、お酒飲む。そうすればいいんだよね?」
初音ちゃんがすがるような目で俺に言う。
ううっ、こんな純粋な子を騙すなんて、良心が痛む。
<作者:だったらやるなよ……>
うるさいぞ空耳!
欲望……もとい探求心のためなら、越えねばならぬハードルなのだ!
「うんうん。変なことしないように俺が見守ってるから、飲んでごらん」
俺の言葉にコクンとうなずくと、缶ビールを手にとる。
ぷしゅっ!
そして、ふたを開けると口へと持っていく……。
「の、飲むよ、お兄ちゃん」
「うんうん、くーっとあけちゃいなさい」
俺の言葉に促されて口をつける。
そして目をつむって……。
ぐびっぐびっぐびっぐびっ。
一気に一本飲み干してしまった。
「おおーっ。いい飲みっぷり!」
パチパチと軽く拍手する。
「うーん、苦いよぉお兄ちゃん……」
顔をしかめる初音ちゃん。
「うん、その苦さが大人の味なんだよ。
どう? 何か変わったことはない?」
「う、うん……何だか身体が熱いの……」
うっ。何だかいつもの初音ちゃんじゃないみたいだ。
とろんとした目、濡れた唇。
やばい、襲ってしまいそうだ。
<作者:それはまずいぞ。何とか合意の上でやらないと>
あ、ああ、俺の計画でもそのつもり……って何で空耳に返事してるんだ俺は。
「は、初音ちゃん?」
「う……うぅん……お兄ちゃあん……」
わわっ。
初音ちゃんが俺の肩にしなだれかかってくる!
「うふぅん……」
ダ、ダメだ……理性が吹っ飛ぶ……。
「……もう限界だ。辛抱たまらん!」
えーい、淫行罪がなんでえ、その場さえよけりゃいいんだ!
俺は強引に初音ちゃんの唇を奪……
……おうとしたその瞬間。
ぐわしっ!
いきなり初音ちゃんに頭を掴まれる。
「あ、あれ?」
いきなりのことに戸惑う俺。
「は、初音ちゃん……?」
「はぁつねちゃんじゃねえええええええええええええっ!」
ばきいいいいいいいいいいっっっっっ!
「うごおっ!」
頭を掴まれたまま床に叩き付けられる!
「フフフ……殺す……殺してやる……」
不気味に笑う初音ちゃん……。
いつもの彼女ではない!
『どうにかしないと、やられる!』
俺のエルクゥの勘がそう告げていた。
とりあえず俺の頭を押さえている手をどかせないと。
「ぐぅうううううううっ……」
エルクゥの力を少し開放し、力任せに頭を持ち上げる……。
……って、あれ?
う、動かねえ!?
「フフフ、その程度の力でどうにかしようというのか……?」
その程度だって!?
そんなバカな!
俺のエルクゥの力を使っても、初音ちゃんの押さえつける力に勝てないってのかよ!?
ばん!
「何事です!」
その時、騒ぎを聞きつけた千鶴さんがドアを開けて駆けつけた。
「ち、千鶴さーん……」
「初音っ? 耕一さんっ?」
千鶴さんの目が大きく見開かれる。
「耕一さん! もしや、初音にお酒を!?」
げっ……いきなりバレてやんの。
「ご、ごめん千鶴さん……」
「弁解は後で聞きます! 今はそこから逃げて下さい!」
そう言って千鶴さんは初音ちゃんと対峙する。
「フフフ……2匹目のエモノ……」
「初音! 耕一さんを放しなさい!」
2人の間で見えない火花が散る。
ひゅん!
千鶴さんが俺を押さえている腕を目掛け、タックルをかける。
「ぐっ!」
初音ちゃんはぱっと腕を外し、それをかわした。
「……耕一さん、逃げますよ!」
千鶴さんは俺の手を引っ張ると、部屋から出ようとする。
「わっ……わかった!」
それについていく俺。
幸い、初音ちゃんの動きは遅く、追いつかれそうにはない。
俺たちは初音ちゃんを残し、庭のところまで逃げた……。
☆☆☆
俺たちは、千鶴さんや後から来た梓や楓ちゃんたちと共に、対策を考えていた。
「……だから初音にお酒はダメだと言ってたのに!」
千鶴さんは半泣き状態だ。
「ご、ごめん。……でも一体何なの、あれは?
いつぞやの性格反転初音ちゃんよりも凶悪じゃないか!?」
「あたしも初音に酒はダメだとは言われてたけど。
でも、あんな風になるなんて知らなかったよ」
俺の問いに、梓も一緒になって問い正す。
「私も……」
……楓ちゃんも。
「梓や楓が知らないのも無理はないわ。そう、あれは……」
遠い目をする千鶴さん。
「……回想シーンね、姉さん」
「……黙ってなさい、楓。そう……あれは忘れもしない……」
そう言って千鶴さんの動きがぴたりと止まる。
「……どうした、千鶴姉」
梓の言葉にも、千鶴さんは動かない。
よくみると、たらりと汗を垂らしている。
「千鶴さん……もしかして。
『忘れもしない』とか言っておきながら、思いっきり忘れてるんじゃ……」
「そ、そそそんなことどうだっていいじゃないですか!」
俺のツッコミにかなりの動揺をみせる千鶴さん。
そしてコホンと咳をすると、回想を再開した。
そう……あれは忘れもしない、とにかくしばらく前のこと。
まだ賢治さん……耕一さんのお父様が健在だった頃です。
あの日、遅くに帰ってきた賢治さんは、晩酌をしていました……。
そこへ……。
「おじちゃん、お帰りー」
「初音?もう寝てる時間でしょ!」
「……まあいいじゃないか。初音ちゃん、ビール飲んでみる?」
「え?いいの?」
「ちょこっと、一口だけね……」
「うん! じゃあ……」
……言われた通りに初音はビールを一口飲みました。
そしてしばらくした後、いきなり暴れ出したんです。
そう、今日のように……。
賢治さんと私で初音を必死で食い止めようとしました。
でも、返り討ちに遭い、賢治さんが重傷を負ってしまったのです。
私も何度も殺されそうになりました……。
「……その時はまだ初音も小さかった頃でしたので。
やっとの思いで、当て身を食らわせて眠らせましたが……」
千鶴さんはそう言うとうつむいてしまった。
「じゃ、叔父さんが車にはねられたって言ってたアレか!?」
梓が聞く。……うなずく千鶴さん。
「ちょっと待ってよ。今でも初音ちゃんは小さいんじゃ……」
俺の言葉に、楓ちゃんがふるふると首を横に振る。
「いえ……あれは賢治叔父さんが来てまもない頃ですから。
確か、初音が8歳くらいの時です」
「なんだって!?」
8歳の子に、親父と千鶴さんが殺されそうに……?
ひゅううううううううう。
……風が舞う。
誰も言葉を発しようとはしなかった。
……おいおい、ビール一缶飲ませちゃったんだぞ。
一口で半殺しなら、今回は……。
ぞおおおおおっ……と血の気が引く。
「とにかく、力を合わせて押さえるしかないな……」
梓の言葉に、俺たちはうなずいた、その時。
「うらあああああああああああああああああああああああっ!」
どっかーん!
家の壁を破壊して、初音ちゃんが現れた!
後編 〜最強の鬼は誰だ!〜
「てめえらぁ! 殺すぅ! 殺してやるぅぅぅぅっ!」
初音ちゃんは、いつぞやのキノコを食った時の何倍もの凶悪な表情をしている。
うう……あんなの初音ちゃんじゃないよぉ。
「く、来るよ!」
ゆっくりとこちらへ歩いてくる初音ちゃん。
俺はそれに合わせ、鬼の力を極限まで開放しようとした……。
「ちょっと待てえい!」
その時いきなり別の場所から、男の声が聞こえた!
「だっ、誰だぁっ!」
初音ちゃんが振り向く。
そこには……。
「や、柳川!?」
「そうだ! 闇に生きる狩猟者、柳川祐也ここに見参!」
柳川は腕組みをして屋根の上に立っている……。
「なんか時代劇とかヒーロー物みたいな登場ねえ……」
梓の率直な感想……。俺もそう思う。
……いや、今はそんなこと考えてる時じゃないって!
「何しに来た、柳川!」
「何しに、とはご挨拶だな。
俺はその娘の放つ殺意の波動に惹かれてやって来た。
ただ……それだけだ!」
「な、なにぃ……」
柳川はフッと笑う。
「フフフ……まずその娘を殺し、その後でお前との決着を着けて……」
がんっ!
「あだっ!」
小さな石が柳川のこめかみに当たる!
……セリフの長い柳川に、初音ちゃんが投げつけたようだ。
「うらああああああっ!
のぅがきはいいからぁ、とっととぉ降りてこぉい!」
前口上を邪魔された柳川は、目を吊り上げて怒る。
「き、貴様……よくもやってくれたな!?
セリフの最中は攻撃しないという決め事を知らんのか!?」
柳川は訳のわからないことを口走った。
「耕一さん……そんな決まりがあるんですか?」
「俺に聞かないでくださいよ……」
柳川は、とうっと庭の方へジャンプし、着地する。
「いいか! お前を殺し! 柏木耕一を殺す!
そして私が真の狩猟者となるのだぁっ!」
びっと初音ちゃんを指差し、叫んだ。
「ぐだぐだゴタクを並べてないでぇ、とっととこぉい!」
……初音ちゃんの方は、今にも飛びかかりそうな勢いだ。
「フフ、待っていろ。……見よ、俺の真の姿を!
チェェェェンジエルクゥゥゥゥゥゥゥッ!」
変なポーズをとると、柳川はみるみるうちに鬼の姿へと変わっていく。
「今日の柳川……何かおかしいな。悪いモンでも食ったのかな?」
俺の言葉に、梓がヒソヒソ声で返す。
「……例えば千鶴姉の料理とか?」
その時、あっちを向いている千鶴さんの耳がピクリと動いた。
……地獄耳……。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
鬼と化した柳川の雄叫び!
じりじりと初音ちゃんに近付く柳川。
それに対し、初音ちゃんは不敵な笑みを浮かべて立っているだけだ。
「いけない……初音が殺されます!」
楓ちゃんが叫ぶ。
いくら凶悪な酔っ払い初音ちゃんとはいえ、鬼の姿となった柳川に勝てるわけがない!
「で、でも下手に手を出すと初音に殺されるわ……」
おろおろとする千鶴さん。
……初音ちゃんの『実力』を知っているだけに、手が出せないのだろう。
「くそおっ、あたしが!」
飛び出そうとする梓。
しかしすぐ、ぴたりと梓の動きが止まる。
「ど、どうしたの梓!」
心配顔の千鶴さん。
よく見ると、梓はものすごく青い顔をしている。
「どうした梓!」
……梓はゆっくりとこちらを向き、そして……。
「ぎ、ぎぼじわるい……」
口を押さえて茂みの方に走っていった。
「げろげろ〜」
「梓! あなたお酒飲みすぎよ!」
……がくっ。ただの飲みすぎかよ……ってそんなことしてる場合じゃない!
「こうなったら俺が行く!」
鬼の姿にならずに柳川や初音ちゃんに勝てるとは思えないが……。
時間がないんだ、とりあえずやるしかない!
「とりゃあああっ!」
ざんっ! 俺は大きくジャンプし、初音ちゃんに飛びつく!
……何とか2人の対決だけは避けないと!
がしっ……と何とか初音ちゃんの腰に抱きつく!
「やった!捕まえ……」
「気安くさわんじゃねえええええええええええええええええっ!」
どかあっっっっっっ!
「うぴょおおおおおおおっ!」
いきなりのひざ蹴りをアゴに食らい、5メートル近く吹っ飛ばされた。
「……耕一さん!」「うぷ……耕一!」「耕一さん!」
楓ちゃん、梓、千鶴さんが俺を呼ぶ声が聞こえる。
い、いかん……意識が遠のいて……。
「うらあああああああああああっ!」
「ぐおおおおおおおおおおおおっ!」
ごめんよ初音ちゃん……守ることができなくて……。
どかああああああああああっ!
「うぐわあああああっっっっっ!」
くっ……柳川に殺されてしまうなんて……。
俺が酒なんか飲ませたばっかりに……。
「……フフフ。次はお前たちだ! 死ね!」
でも、君1人を行かせはしない……。
俺も殺されるだろう。
だから、後であの世で謝らせてくれよ。
「な……なんてことなの? 一撃で……」
「おえっぷ……。一撃であの柳川を……」
そう……俺も一撃で死のう、一撃で……。
……。
……『柳川』!?
がばっと起き上がり、ぼんやりする目を凝らして見ると、そこには……。
……のびて動かなくなった柳川と、こちらを見て不敵に笑う初音ちゃん。
「って? ええっ! 柳川を倒しちまったのかあああああああっ!?」
「耕一さん! 早くこっちへ!」
千鶴さんの声に、四つんばいになってあたふたと逃げる。
……はたから見たらものすごくカッコ悪いだろう。
「耕一さん……よかった!」
千鶴さんの足元に着いた途端、楓ちゃんが抱きついてきた。
「大丈夫ですか、耕一さん?」
「あ、ああ、ちょっとアゴが痛いけど、なんとか」
実はちょっとどころじゃなく痛いのだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
「うぷ……どうすんの、耕一?
柳川があれじゃあ、あんたが鬼になっても勝ち目は薄いよ……」
口を押さえて梓が話す。
「う……」
確かに、今の初音ちゃんには鬼の力でも勝てない。
勝てるとしても、手加減する余裕なんてないだろう。
どうしよう……。
「さあぁ……。殺してやるよぉ……」
その間にもゆっくりと初音ちゃんは近付いてくる。
こうなったらもう、全力で戦うしかないのか!?
……俺が真の鬼へとなろうとしたその時、千鶴さんが制した。
「千鶴さん……?」
「……ここは、私に任せてください」
そう言って、一歩前に出る千鶴さん。
「……ん?」
それを見て、初音ちゃんはぴたりと足を止めた。
「初音……」
千鶴さんの呼びかけに、いぶかしそうにみる初音ちゃん。
俺たち3人はかたずを飲んで見守る。
「初音……お腹すいてなぁい?」
……いきなり、にこやかに微笑みかける千鶴さん。
ずるっ、と思わずずっこける俺たち3人。
「お腹……?」
「そ、お腹すいてない?
私たちを殺すのは、ご飯食べてお腹いっぱいになってからでもできるでしょう?」
千鶴さんは猫なで声で、初音ちゃんに食事を薦める……。
「ふむぅ……わかったぁ。持ってこい!」
千鶴さんに命令する初音ちゃん……。
「はいはい、ただいま台所にあるものを持ってきますぅ」
そう言って千鶴さんは、台所の方へ消えていった。
「フフフ……お前たちの命、飯を食うまで延ばしてやるぅ……」
ジロリと俺たちを睨むと、初音ちゃんは縁側に腰掛けた。
「千鶴姉、何考えてんだろ……」
ゲロゲロ状態からいくぶん復活した梓。
千鶴さんの不可解な行動に疑問を持っているようだ。
「まさか逃げたとか……」
「そんなことはないです……。
千鶴姉さんに限って、そんなことありえません」
俺の言葉に、楓ちゃんが反論する。
……ほどなくして、千鶴さんが料理の乗ったお盆を持って戻ってきた。
「はい、どうぞぉ」
初音ちゃんの近くにお盆を置く。
「いただきます」
……礼儀正しく礼をして、初音ちゃんはガツガツと食べ始めた。
それをニコニコと見ている千鶴さん……。
しばらくして……。
「……うぐぅっっっ!」
ひと声、悲鳴をあげたかと思うと、初音ちゃんはバタリと倒れ込んでしまった。
「あっ!初音ちゃんが!」
驚きの声をあげる俺。
「……そうか!千鶴姉の殺人料理ね!」
俺たちは、千鶴さんと倒れ込んだ初音ちゃんの元へ駆け寄る。
「やったね、千鶴さん! ナイス頭脳プレーだ!」
手放しでほめる。
「え? え、ええ。……ありがとう」
しかし……千鶴さんは意外そうな顔をしていた。
「楓! とりあえず初音を病院に連れてくよ!」
「あ、はい!」
初音ちゃんを抱え上げる梓。……力持ちぃ(笑)
「じゃ、柳川の後始末は頼んだよ!」
そう言って梓と楓ちゃんは走っていった。
ま、鬼の血を引く初音ちゃんなら死にはしないだろうけど……。
「それにしても、自分の料理で倒そうと考えるとは……やるねえ、千鶴さん」
「いえ、その……」
……千鶴さんは、うつむいたままモジモジしている。
「……どしたの?」
俺の問いに、顔をあげて恥ずかしそうに答える……。
「あの……私、愛情をこめた料理を食べさせて、正気に戻そうと……」
「え」
「愛情をこめて作れば、初音もきっとわかってくれるだろう……と思っていたんですぅ」
な……なんという身の程知らず……もとい、いじらしさだ!
「……千鶴さん! 初音ちゃんは、千鶴さんの愛情に気付いたんだ!」
涙を流して語る俺。
「だから、だから初音ちゃんは……」
「耕一さん!」
千鶴さんも泣いている。
「でしたら……。でしたら、耕一さんも食べてくれますね!?」
「……それだけはイヤだあああっ!」
エピローグ 〜天使と悪魔と〜
「……ねえお兄ちゃん。どうして私、病院にいるの?」
「さあ……どうしてだろうねえ……」
ある病院の一室に、初音ちゃんはいる。
あの後、病院に運び込まれた彼女は急性の食中毒と診断され、ここへ入ったのだ。
「……どうして、お腹痛いんだろう」
「さあ……どうしてだろうねえ……」
初音ちゃんは、酒を飲んでからの記憶は全く無いと言っていた。
ま、酒を飲みすぎた時のいわゆる『記憶がとぶ』という状態なんだろう。
「それにしても、お酒飲んだ後すごく気持ち良かったような気がするんだけど……」
「そらまー、あんだけ暴れ回れば気持ちよかろうもん……」
「え?」
「あ、いや、どうしてだろうねえ……」
柳川は、『修行をし直す』とか言って、どっかに行っちまった。
……なんか最近、アイツどっかおかしいんじゃないだろうか。
千鶴さんからは、昨日のことは秘密にと固く言われている。
酒飲んで暴れ回ったことも、千鶴さんの料理食っちゃったことも。
だから初音ちゃんに聞かれても、『どうしてだろうねえ』としか言えなかったのだ。
それにしても……。
仮にも鬼の血を引く初音ちゃんを、食中毒に追い込む千鶴さんの料理。
……なんという破壊力なんだ。
今さらながら、その恐ろしさに身震いする。
「ねえ、おにいちゃん」
「ん?」
「結局私、お酒飲んでどうなったの?」
う、うーん……。
なまじ『お酒飲んで、自分がどうなるか知ろう』なんて言ったものだからな。
「……飲んだらすぐに倒れちゃって、それで病院に運んできたんだ」
ごめんよ初音ちゃん。
できれば、本当のことを話してあげたい。
でも、キミのためを思うと話すわけにはいかないんだ。
「そうなんだ……。じゃあ、今度もう一度飲んでみようかな……」
「だっ! ダメダメ! ダメだよ、初音ちゃん!」
……俺はまだ死にたくない!
「えっ、どうして……?」
「ど、どうしてって、やっぱりその……、なんだ……」
なんて言ったらいいんだ?
『キミは酒を飲むと狂暴化するんだ』なんては言えないし……。
あっ、そうだ!
「じ、実は本当のこと言うとだね……。
酒飲んだ時の初音ちゃんってエッチになっちゃうんだ」
「えっ……エ、エッチになっちゃうの?」
初音ちゃんが顔を赤くして聞き返す。
「そ、そうなんだ。
だから初音ちゃん、人前でお酒飲むのはやめた方がいいよ」
俺の言葉に初音ちゃんは顔をまっかっかにする。
「そ、それじゃ、昨日も……?」
「う、うん」
どんどん顔を赤くする初音ちゃん。
……まるで茹でダコみたいだ。
「じゃあ、気持ち良かったのも……そうなのかな」
どうやら誤解しているようだが……。
しかし、今さら違うなんて言えないしな。
「…………」
「…………」
……沈黙が続く。
「……うん、わかった。お酒飲まないようにする」
ほっ。どうなることかと思ったが、これで一段落かな。
「……ね、おにいちゃん」
「ん? 何、初音ちゃん」
見ると、初音ちゃんはまだ茹でダコ状態のままうつむいている。
「私……お兄ちゃんとエッチする時だけ、お酒飲むようにするね……」
♀¢£§▽☆@!?
「は……はつねちゃん……?」
「私……、お、おにいちゃんが好きだから……。
だ、だから……す、する時は……」
そう言って真っ赤なままどんどんうつむく初音ちゃん……。
う、うう、ううううれしい!!
うれしい、うれしい、うれしいんだけど!
ま、まだ俺は死にたくない、死にたくないーっ!
「……それでいいよね、おにいちゃん……」
よくないよくない! 全然いいわけがない!
ダメだ! 頷いちゃいかん! これはワナだ! 謀ったなシャア!(?)
「ね?」
初音ちゃんの天使の笑顔。
「……うん」
言ってしまった……。(泣)
……柏木耕一、いまだ20歳。
彼の命運は、この時尽きたと言っても過言ではないだろう……。
ちゃんちゃん♪