第六章 決着
私達が網を張った公園は都会にあるモノとしては、かなりの広さを有していた。ちょっとした森林公園と言った所である。園内に在る電灯は半分ほど寿命が尽きかけていて不規則に明滅を繰り返していて公園にある種の不気味さを与え、ごみ箱から溢れかえったゴミが淀んだ雰囲気を加速させる。
生臭い匂いが漂ってくるが、多分公園が汚れているからだろう。取り敢えず、私は歩く事にした。
この公園を選らんだのは勘と言うわけではない。だからといって名推理というわけではなく簡単な分析だったりする。今まで鬼は同じ場所で殺人事件を犯していない。だから、犯行現場で待ち伏せても遭遇する可能性が低い。次に犯行は必ず2、3キロ離れた所で行われている。以上の事から、一度も犯行が行われず且つ2、3キロ離れた所に在り適度な広さがあり周囲から見えにくい此処が予想されたのだ。
しかし、素人の私達が予想できた事なのだから警察が予想できないはずが無いのだが?もしかしたら此処はテレビなんかで良く聞く所轄の境界線なのかもしれない。説得力に欠ける気がするのだけれど……。
「やぁ、お姉さん一人?」
歩き始めてから一時間、それほど広い公園ではないので何周もしてじっとり汗をかいた私に声をかけてきたのは中学生くらいのあどけなさの残る少年だった。身長は私と同じくらい。芸能人の誰とは言えないけれど、かなりの美形だ。何故か彼とは一度あった気がする。既視観だろうか?
「貴方、中学生でしょ。最近は物騒だから帰りなさい」
出来るだけ不機嫌そうに答えたつもりだが、少年はニコリと笑ったままである。
「そうだよね、最近は物騒だよね。だって、鬼が出るんだから……。」
少年の双眸が紅く染まり、瞳孔が縦に裂ける。そして、少年から放たれる気配は紛れもなく鬼のモノだ。
「……っ!」
声を発する前に影が私と少年の間に割り込み、蒼い閃きが走り少年を弾き飛ばす。無論、中に割って入ったのは柏木君だ。
「へぇ、次郎衛門やるじゃないか。いや、柏木耕一って呼んだ方がいいかな?」
少年がニヤリと笑う。先ほどとは違い邪悪な笑みだ。
「どうして……。」
掠れた声で柏木君が呟く。
「どうして完全に鬼の力を覚醒させているのに人を殺したのかって尋ねたいの、それとも茂みに隠した
警察の死体の事?」
「そんなことまでしたの」
良く見れば、少年が着ている上着の袖には赤黒い染みがべっとりと付着していた。
「一つ目の答えは僕が狩猟者で特別な存在だからさ。誰かに選ばれて力を貰うほど卑小な存在じゃない。で、二つ目は邪魔だったんだよ。ついでに言えば、警察が次の狩り場を予測できないはずがないだろう。わざと分かるように狩りをしてたんだから……次郎衛門を呼ぶ為に……ダリエリの転生たる僕がね。」
少年は鬼へと変じる。内側から膨れ上がった筋肉により服が裂け、体が黒く染まり身長も2メートルを軽く超す。僅かな時間で少年は強烈な威圧感を持つ鬼となった。
「次郎衛門は完全に鬼化しないのかな?」
少年は知っている答えをワザワザ聞くように柏木君に尋ねる。
「俺は……柏木……柏木耕一だ。」
間合いを一瞬にしてつめ腹を薙ごうとするが、鬼は一瞬早くカウンターを入れる。簡単に飛ばされる柏木君。空中で体勢を立て直そうとするが、それよりも早く跳躍した鬼に地面に叩き付けられた。
「ッ」
地面に叩き付けられた柏木君は口から血を吐きながら立ち上がろうとするが、その姿は余りにも弱々しい。
「次郎衛門……つまらないな。君が弱いと」
「俺は柏木耕一だ!」
苛立った様に言い返す柏木君。
「次郎衛門って言われるのが辛いんだろう。次郎衛門?」
鬼は笑う。柏木君の苛立ちの理由を。
「君は自分の中に存在する二郎衛門を完全に受け入れてはいないんだ。楓とした時は次郎衛門の影響があった。そして、二郎衛門の存在が疑問を芽生えさせる。人格が完成された耕一にとって次郎衛門の記憶は異なるものだ。受け入れがたいくらいにね。人格形成段階で覚醒した楓はエディフェルと近しい。けれど君は、柏木耕一と次郎衛門の不自然な同居状態にある。完全に統合してないんだ。だから、こう考えてしまう俺の楓への想いは俺のモノなのかってね。同時に楓の想いは俺だけに向けられているのかって、」
うずくまったまま柏木君は大量の血を吐いた。私は柏木君の元へ走りより、抱き上げる。
鬼の話は続く。鬼は柏木君の内面を更に抉った。
「耕一が由美子としたのは耕一の意思だ。元々互いに好意は持っていたんだ。そうならなかったのがおかしかったくらいでね。耕一は優しいから由美子を抱いたんじゃない。そして、耕一は由美子の傷を癒したかっただけじゃない、罪悪感から逃げたかっただけじゃない。癒されたかったのは耕一の方だ。自分を愛してくれる人が欲しかったんだ。」
鬼は笑う。嘲う、柏木君を……。
それを聞いても私は柏木君を抱く腕に力を込めた。
「由美子さん……。」
口から血を迸らせながら柏木君は私の手を押しのけながら立ち上がった。額から零れ落ちる血が眼のしたを通り血涙の様に見える。
「……俺は二郎衛門本人じゃない。だから、ダリエリを名乗るお前もダリエリ本人じゃないんだ。」
柏木君が弱々しく走る。首を狙った斬撃は鬼に容易くさけられる。振り下ろされた爪を柏木君は身を捻って躱し、柏木君は更に体を捻り鬼の顎に蹴りを入れる。
「僕は『ダリエリ』さ。だからお前と決着をつける。」
前世を受け入れた少年と前世を盲信することを受け入れられない柏木君……陰陽の様に対極にあるけれど二人とも前世と鬼に翻弄されている。柏木君は刺突の構えを取り、鬼はばねを活かす為重心を落とす。
今までの決着が、この一瞬で終る。
「「オオオオオオッ!!」」
二人がほぼ、同時に吠える。両者は間を詰める。
頭を狙い振り下ろされる鬼の爪を柏木君は僅かに屈んで躱す。髪が数本持っていかれるが、柏木君は止まらない。
そして奇跡の様に切っ先が鬼の心臓へと吸い込まれていった。
「負けちゃった。二郎衛門……いや、柏木耕一。」
少年の姿に戻った鬼は憑き物が落ちたように晴れやかな顔で柏木君を見つめていた。胸の中央から血が溢れ、顔には生気が無い。誰の目にも少年の死は明らかだった。
「……分かってたんだよ。自分がダリエリ本人じゃないくらい。」
少年は呟く。
「……耕一。僕はね、特別じゃなかったんだよ。だから、……。」
「鬼の力に目覚めて、前世まで受け入れたんだな。」
少年は笑う。その顔は屈託の無い少年のそれだった。
「その通り、……ダリエリの記憶も想いも受け入れた。鬼の殺戮衝動同様にね。君も……受け入れれば柏木耕一と二郎衛門の間で苦しまなくてすんだのに……どうして受け入れなかったんだ。」
「……たぶん、お前が言った通り疑問を持ったからだ。」
柏木君の声には抑揚が無かった。淡々と話す。
「……耕一、最後に尋ねていいかい。生まれ変わったら……。」
少年の言葉を柏木君が遮る。
「たとえ、生まれ変わってもそれはお前じゃない別人だ。別人なんだよ……だから、今を生きなくちゃいけないんだ。」
きっと、それが柏木君の出した答えなんだ。
少年は静かに笑い。そして、二度と目を覚ますことはなかった。
それが、十人を惨殺した名前すら知らない前世に翻弄された少年の最後だった。
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