第四章 刀

三限――お昼時は込む学食もこの時間はかなり空いている。
「もう十人か。」
煙草を咥えながら茜は苦々しく呟いた。手にした新聞には大型の肉食生物による連続殺人が大きく取り上げられている。あれから三日、柏木君が必死で追っているにも関わらず事件は収まらなかった。
柏木君のは話によれば完全な鬼は気配を完全に絶つことが出来るのだと言う。
「それにしても警察は何してるのかしら?」
たぶん、警察じゃ止められない。
「時に由美子……柏木とはどうなった?」
先ほどの事など完全に忘れて茜がにやりと口元を歪めながら聞いてくる。面白くてたまらないといった顔だ。
「べ、別に何も……。」
努めて冷静に言ったつもりだったが声が上擦ってしまう。これじゃ何かありましたって言ってるような物だ。茜は持ち前の勘の良さで何かを察したらしく、喉の奥から笑い声を洩らす。なんか悪役っぽい。
「いや〜。あの堅物の由美子がお調子者の柏木とね〜。」
堅物って私をそんな目で見ていたのか。
確かにゼミやサークルでは、そのような評価なのだが……。
「由美子にも春が来たのか〜。でも、柏木なら良いと思うよ、私は。」
とコーヒーを一啜り。一息ついてから、天を仰いで再びニヤリと笑う。
「良い奴ってだけじゃないしね。良い奴ってだけのなら人数多いけど、あいつは包容力があるから由美子みたいなタイプにはおすすめだね。頼り甲斐があるし甘えさせてくれるよ。いざって時には厳しいだろうけどね」
確かに柏木君といると不思議と落ち着く。
素直に自分をさらけ出せるというか、そんな感じ。
「気楽にやんな。」
ポケットから携帯灰皿を取り出して煙草を揉み消す。もう三限目が終ろうとしていた。
 
 
 沈みゆく夕日は全てを気だるげな色へと染めてしまう。そんな夕日を見ながら私は空を見上げて溜め息をついた。
溜め息を吐く、胸の内にあるもやもやを一緒に吐き出すように深く大きく。
理由は分かっている柏木君の事だ。と言うか、それくらいしか思い浮かばない。
なのに大学が終ると自然に私の足は柏木君のマンションへ向いている。
柏木君の部屋に行くのに健康のため階段を使う。登っていると自然と視線が足元に向いてしまう。
階段を登り終えて顔を上げる。
視線の先……柏木君の部屋の前には一人の少女が佇んでいた。
肩に触れるか触れないかで切り揃えられた艶やかな黒髪の持ち主で歳は十六歳くらいだろうか、制服から伸びた若木を思わせる四肢はとても華奢だ。何より印象的だったのがその儚げな眼差しだ。歳不相応な落ち着きがあると表現しても良いかもしれない。
私は、その顔に見覚えがあった。
柏木君の従姉妹にして恋人の柏木楓ちゃんだ。
「あ、あなた楓ちゃんよね?」
別に確認するほどではないだが、一応きいてみる。
「……ええ、小出さんでしたね。あの耕一さんは?」
心細そうな声だ。それにしても何時間、立っていたのだろうか。
「柏木君は五限があるから遅くなるみたいだけど……。」
ここで待つのも……私は柏木君から預かった鍵を懐から取り出し、鍵を開ける。
楓ちゃんは面食らっていたようだが、いずればれる事だ。
「いきましょ。」
 
僅かに漂うコーヒーの香り、柏木君の部屋に来た感じがして安心する。
まるで我が家の様にずかずかと入りガラステーブルを前にして座る。
楓ちゃんも後に続いてくる。
向かい合うようにして座る。しばらく楓ちゃんは考え、口を開く。
「……耕一さんの事が好きなんですか?」
婉曲な質問は意味が無いと思ったらしい。これ以上無いくらい簡潔な質問をぶつけてくる。
正直な所、こういう質問が一番恥ずかしいし答えにくい。
場慣れしてる人なら面と向かって「愛してるわ」なんて言うのだろうが、こういう事に私は免疫が無いのだ。少し頬を紅潮させて斜め下を見ながら 
「……うん……好き。」
と消え入るような声で呟いた。
「表面的に何処が好きとは言えないんだけど、好きなの。」
ますます、顔が紅潮するのが分かる。楓ちゃんは深々と溜め息を吐く
「……でも……耕一さんを簡単には渡せません。」
私だって柏木君を好きだと言う気持ちは譲れない。
「……私の血も……肉も……髪の一房、そう魂さえ私は耕一さんのモノです。」
楓ちゃんの愛は狂気に似ていた。
柏木君を世界の中心に置き、他の何よりも優先する愛。
それを間違っているとは言えない。
「……今日はこれを届けにきました。」
楓ちゃんは布で巻かれた棒の様な物をテーブルの上に置く。
大体、長さは1.2メートルくらい。
「これは……」
楓ちゃんが布を解く、そこから現れたのは一本の刀……束は今にも崩れそうなほどボロボロで鉄製の鞘も赤茶けた錆に覆われている。
「……二郎衛門の刀です。耕一さんが前回、貴方を助けるために雨月寺から返していただいた物です。本来なら耕一さんが持つべき物なのですが……。」
カタカタと刀がガラステーブルの上で振るえ出す。
「……耕一さんが帰ってきたようです。」
その呟きと同時に扉が開く音が聞こえた、
「……耕一さん!!」
脱兎のごとく飛び出す、楓ちゃん。
「耕一さんの浮気者!!」
叫び声……肉が爆ぜる音が響く。
「待って楓ちゃん!誤解じゃないけど話を聞いてくれ!!」
弁解じみた柏木君の声。骨を折った様に苦しそうな声だ。
「やっぱり胸が大きいほうが良いんですね!」
私は大して大きくはないんですけど……。
「違うんだ!小さくても楽しみが……。」
マンションの柵が吹き飛んだような豪快な音が……。
「……本気で二人とも好きなんだ!!!」
絶叫……柏木君の心の叫び。
人外のものの戦いは続く。ただ一つの問題は、それが痴話げんかである点だけだ。
 
それから騒ぎは十分ほど続き、柏木君は帰ってきた時ボロボロになっていた。
楓ちゃんは何となく満足した様な顔だった。
「……耕一さん、私……しばらく帰りませんから……。」
楓ちゃんが無表情のまま言い放つ。
「でも、楓ちゃんを巻き込めない」
言い放つ柏木君の瞳には悲壮な決意が見て取れた。
誰も傷つけさせない。傷つくのは自分だけで十分だという決意。
でも、それは違う。
代弁するかのように楓ちゃんは柏木君を見つめながら静かな声で囁くように言う。
「……耕一さん、一人で何もかも背負おうとしないでください。辛かったら言ってください。悲しかったら言ってください。その時には側にいますから……貴方は一人じゃないんです。私が……私がいますから」
柏木君の顔が歪む。痛々しいくらいに……。
「でも、俺は……皆、辛い想いをしてきたんじゃないか。あの時も辛い目に合わせて、俺は皆を守りたいんだ。極、当たり前の幸せを皆に味わって……。」
「……でも、耕一さんが不幸になったら意味がありません。」
そう、愛しい人だけが傷付いて手に入れた幸せは……知った時に意味の大分部分を失ってしまう。
夕日が沈む……闇に閉ざされつつある部屋の中で柏木君は声を殺して泣いていた。
私は……心だけで通じ合う事が出来ない私は柏木君を力いっぱい抱きしめることしか出来なかった。

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