覚醒夜

written by 李俊


六、封印されし記憶を

「僕にも……そんな力が?」
瑠璃子は頷き、僕に教える。
「うん。お兄ちゃんにも、その力があるの……」
瑠璃子の悲しそうな瞳。それは、悲しい何かを思い出している瞳だ。
その瑠璃子の瞳を見て、僕は確信した。
「瑠璃子。僕には、自分では思い出せない何かがあるんだ。
 それを、瑠璃子は何か知っているね?」
ハッとした表情を見せた瑠璃子は、じっと僕の顔を見る。
「うん……」
少し間を置き、頷いた。
「お願いだ瑠璃子、それを思い出させて欲しいんだ」

瑠璃子ならそれをやれる。
瑠璃子の力ならば、僕の失った記憶を思い出させることができる。
そう確信していた。

「……ダメだよ。それを思い出したらお兄ちゃんは……」
かぶりを振る瑠璃子。それは、僕を思ってのことだ。
それを思い出すことで、僕が苦しむとわかっているからだ。
でも、僕はその瑠璃子の優しさに甘えるわけにはいかない。
祐介君を助けるには、僕が力の使い方を知る必要がある。
……それ以上に、本当に瑠璃子たちに償うには、僕は僕でなければならないんだ。
「大丈夫だ、瑠璃子……。僕は過去を受け止める。
 例えそれが、どんなに辛いものだとしても……」
僕が決意を瑠璃子に聞かせると、瑠璃子はその瞳に涙を浮かべる。
しかしそれでも、笑顔で頷いた。
「わかったよ、お兄ちゃん……。少し、我慢しててね」
瑠璃子が僕の頭を包み込むように胸に抱いた。
瑠璃子の体温が、僕の頭を暖める。
「いくよ……」
瑠璃子のその言葉と同時に……
チリチリチリ……と先ほどの焼けるような熱さが、僕の頭に入ってきた。

失われた記憶が次第に蘇っていく。
それは、僕の狂気。恐ろしいまでの、暴走。

それはやがて太田さんの精神を狂わせ。
新城さんの顔を苦痛に歪ませ。
藍原さんを必死に泣き叫ばせた。

そして、それをとても、とても、悲しみに満ちた表情で
見つめ続ける瑠璃子がそこにいる。
しかし僕はそんな瑠璃子を慰めるどころか、自分勝手な理由で傷つけ、
彼女を救おうとした祐介君を嫉妬で殺そうとした。
祐介君と戦い敗れ……しかし、祐介君は僕を救ってくれた。
僕の記憶を……狂気を消してくれた。

僕がずっと追い求めていた、あの時ぽっかりと欠けた記憶。
それがついに蘇った。

僕は、夢を見て感じていたのと同じ……。
いや、それ以上の後悔と償いの気持ちを感じていた。
自分のしてしまったことの、罪の大きさ。
それに押し潰されそうになりながらも……。
頭を抱いていてくれる瑠璃子の暖かさを支えに、何とか自分を保っていた。

「ごめんな……瑠璃子。ごめんな……。
 謝ってすむことじゃないのはわかってる……でも……」
涙が止まらない。声が震えている。
僕は、なんと恐ろしいことをしていたのだろう……。
「お兄ちゃん……昔のことはいいから。今は優しいお兄ちゃんなんだから……」
瑠璃子が、ぎゅっと僕の頭を抱きしめる。
何よりそれが、崩れ落ちそうな僕の心を繋ぎ止める力になった。
「すまない……」
何度謝罪の言葉を言っても、それは償えないことはわかっていた。
しかし、それでも僕は言えずにはいられなかったのだ。
瑠璃子は僕の頭を抱いたまま、優しく言葉をかけてくれる。
「いいよ、お兄ちゃん……もう、いいんだよ」
「ありがとう……瑠璃子……」

瑠璃子の胸の中で心を落ち着かせる。
……そう、僕は傷付けてしまった人を、今度は何が何でも守るんだ。
そのためなら、この命、捨てても構わない。
……それで、償いになるのならば。
「瑠璃子、祐介君は絶対に助けるからな」
少し歩きにくそうな瑠璃子に、後からゆっくり来るように言い残す。
そして、僕は一足先に館へと戻った。

館に戻った僕は、祐介君と太田さんが待っているはずの部屋へと向かった。
何事もなければ、2人とも待ってくれているはず……。
僕はドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開いていく。
……いない。
僕を待っていてくれるはずの太田さんの姿も。
彼女や新城さんたちを守っているはずの祐介君の姿も。
そこには何もなかった。
確認のために、太田さんと瑠璃子がいた部屋を確認するが、そこにもいない。

新城さんたちは無事なのか……?
ふと、僕の頭にそれがよぎり、確認するために2人の部屋に向かう。
ドアを開けて中を見てみると、新城さんと藍原さんはベッドで眠っていた。
よかった。この2人は無事なようだ。
「とりあえず、2人は朝まで寝ていてくれ」
2人に『朝まで眠れ』と命令して、ドアを閉める。
「やはり……奴が」
記憶の戻った僕は、状況をほぼ完全に把握していた。

奴は、祐介君を襲い彼に取り憑いたのだ。
そして、脅威となり得る僕を殺そうとしている。
太田さんは多分、人質か。あるいは贄として殺すつもりか?
殺すつもりでいるのなら、もはや一刻の猶予もない。
何としても助ける……。例え僕の命と引換えにしてもだ。
「お兄ちゃん……」
外から戻ってきたらしい瑠璃子が、心配そうな顔で僕に歩き寄る。
「大丈夫……必ず2人を連れてくるから、瑠璃子はここで待ってなさい」
「うん……」
僕の言葉に瑠璃子は頷いたが、その手は僕のシャツを掴んで離さない。
「瑠璃子?」
瑠璃子の顔を覗き込むと、瑠璃子が心配そうな表情で僕を見つめる。

「……お兄ちゃん。ちゃんと帰ってきてね」
その目は、僕の顔を見つめていた。
僕が自らの命を賭けるつもりなのを知っているのか。
シャツを握る手は思いのほか強く僕を引っ張る。
「ああ……ちゃんと2人を連れて帰るよ。だから……」
瑠璃子の手を握り、そっとシャツから剥がす。
例え、それが違えてしまうかもしれない約束であっても。
僕は瑠璃子のために頷くしかなかった。
そして瑠璃子の頭を撫でてやると、安心させようと笑顔を見せる。
「行ってくるよ」
最後に一言だけそう言い、僕は瑠璃子に背を向けた。
それが、瑠璃子との別れの言葉になってしまうかもしれなかったが……。


七、魔性の者

僕が館の外に出ると、瑠璃子とは違う電波が僕に届いた。
そう、これは祐介君の電波。彼の『色』が感じ取れる。
僕はそれが導くまま、館の裏手にある獣道を歩いていった。

しばらく歩くと、少し広めの広場のような場所に出る。
「1人で来るとはな。死にに来たのか?」
祐介君の言葉が、僕を待ち受けていた。
広場には魔法陣のような物が描かれており、その中心に祐介君が立っていた。
その表情はいつもの彼の温和な顔ではなく、攻撃的な表情で僕を睨み付ける。
僕は太田さんの姿を探したが、どこにも見えない。
どこにいるのだろう……?と一瞬、周りを目で見回す。
しかし今は奴が先だ、と考え直した。

「さっきの悪魔だな……祐介君から出ていくんだ」
僕は魔法陣の外側、祐介君から10mくらい離れた場所に立ち、奴を睨み付けた。
祐介君……いや、『奴』は不敵な笑みを浮かべる。
「フン……さっきは油断していたが、今度はそうはいかん。
 この男の力は、さっきの女やお前などよりも強い」
奴の言う通り、確かに電波の力の強さでは祐介君の方が上だ。
しかし、まだ……。
僕は奴をあざ笑うように、わざと余裕を含んだ笑みを見せた。
「フ……毒電波を使い慣れていない奴が、一体何を言っているんだ?
 お前が祐介君の力を使いこなせるものか」
先ほどの何も知らなかった僕の態度とは全く違う。
奴は、そんな挑発的な言葉が来るとは思ってもいなかったのだろう。
その僕の言葉に、奴は激昂した。
「ほざけ! ならばその身体で受けてみるがいい!」
僕の挑発に乗り、奴が力を集中させる……。

その瞬間、僕の拳が奴を殴り飛ばしていた。
「ぐあああっ!?」
とっさに奴は受身を取り、素早く立ち上がる。
しかし何が起こったのか判らないといった表情で、苦痛に顔を歪めていた。
「な……なんなんだ!? 一瞬のうちに間合いを詰めるとは!?」
「……電波には、自分に対して使うやり方もあるということさ」
僕が、奴の疑問に答えるように言った。
殴った拳に鈍く残る痛みを我慢しながら、奴を睨みつける。

……自分に電波を使い、身体のリミッターを切る。
そういう使い方をしたのだ。
残念ながら、僕の電波の力は、祐介君の電波の力には及ばない。
ならば、その力を出させなければいいだけなのだ。
「な……こんな、バカなっ!」
奴は、僕が電波ではなく、身体で攻撃してきたことに驚いている様子だった。
祐介君の身体にいれば、肉体的な攻撃はしないと踏んでいたのだろう。
奴はまだ、この毒電波の全てを知らない。
そこに、つけいるスキがある。

「おのれっ!」
奴はまたも電波を集めようとする。
だが、そのスキを逃さずに僕は間合いを詰め、肘打ちを腹に叩き込んだ。
「ぐふっ!」
奴の顔が苦痛に歪む。
しかし、痛むのは奴だけではない。
僕の肘にも痛みは響き、すぐには伸ばせないほどだった。
空いている手で支えながら、ゆっくりと伸ばすしかない。
電波で痛みの感覚をなくすことも可能だが……今は、その余裕はない。
全て、目の前の奴に集中させなければならないからだ。

「くっ……貴様、この男を殺す気か?」
奴は、よろよろと立ち上がる。
祐介君に取り憑いているだけとはいえ、ダメージは相当感じているはずだ。
「まさか、殺しはしないよ。お前が出ていくまで、ちょっと痛めつけるだけさ」
できるだけクールに、僕は奴に言ってやった。
そう。祐介君の電波とまともにやりあえば負ける。
だが、奴が祐介君から出てしまえば、直接電波で奴を倒せるようになるのだ。
……それまで、僕の身体が持てばいいが。
「なるほどな……多少、頭は使えるということか。
 ならば、こちらもそれなりの手を使わねばならぬようだ」
奴は不利な状況にいるのが判っているようだが、まだ余裕の表情を見せていた。
それなりの手……だと?

一瞬の間に、奴が電波を飛ばした。
しかし出力が小さく、僕を倒すには余りにも弱い。
「そんな電波で……なに?」
違う。その電波は、僕に向けられたものではなかった。
僕を脇を通り抜け、僕の背後へと飛んでいったのだ。
それを確認し、奴がニヤリと笑った。
「さあ、あれを見てみるがいい!」
奴が指差した方向……僕の背後の魔法陣の中心。
そこには、素肌に薄衣をまとった太田さんが立っていた。

挿絵4 絵:水神流良

「太田さん!?」
これから何かの儀礼をするかのようなその装束。
やはり、太田さんを贄にするつもりだったのか!?
……彼女に注意を奪われたその瞬間、奴が僕を突き飛ばした。
「ぐっ!?」
僕が態勢を整え立ち上がると、その時すでに奴は太田さんの脇にいた。
太田さんは意識がないのか、その目は虚ろだ。
その手には装飾されたナイフが握られている。
「貴様が抵抗すれば、この女を殺す。……脅しではないぞ。
 主は贄を欲しがっている、すぐにでも殺していいくらいだ」
奴が勝ち誇ったように言い放った。
……見たところ、太田さんは電波で暗示をかけられている。
奴が命令すれば、彼女の手にあるナイフはすぐにでもその心臓を貫くだろう。

奴を睨み付け、何とか太田さんを助けられないかと、スキを伺う。
「僕を殺した後に、彼女を殺すのだろう!?」
しかし、奴は僕の言葉に首を振った。
「いや。貴様がここで1人死ぬならば、私はこの女の命を奪わない。
 これは約束してもいいぞ?」
奴の提案に僕は驚く。
奴は生贄にするために、僕らを殺すのではなかったか?
その心の問いに答えるように、奴が語る。
「この、人を意のままに操る力……。
 これさえあれば、多くの贄を容易に殺すことができる。
 ならば、別にお前たちの命だけにこだわる必要もないのだよ」
そこまで言って、奴は眉をひそめ僕を睨みつけ、言葉を続けた。
「……唯一、この男の力に対抗できるお前には、死んでもらうがな」

奴の言葉を全ては信じられない。
僕の抵抗を封じるための方便なのかもしれないのだから。
だが、奴の言葉には嘘は感じられなかった。
悪魔とはいえ、本心を語っているようだった。
「約束できるのか? 悪魔のお前が?」
本当に僕が死ねば助かるのだろうか?
僕の疑問に、奴が答える。
「これは契約だ。悪魔といえど、契約を違えることはない。
 他の女たちも殺したりはしないと約束しよう」
奴の言葉は、僕の心を捉えていた。
太田さんだけではなく、新城さんや藍原さん、そして……瑠璃子が助かる。
……みんなが助かる。この命でみんなが助かるんだ。
祐介君も、その電波を利用されている限りは死ぬことはない。
みんなの命を救うことで、僕の犯した罪の償いになるのなら……。

僕は頷いた。
「わかった。僕の命をやろう。だからみんなは助けてやってくれ」
僕はそう言って、防備を解いた。
「ならば、魔方陣の中心へと来い。
 貴様の末期の血を、我が主へ差し出してもらう」
奴の放った電波が、強制的に僕を魔方陣へ歩ませる。
僕はあえて、それに抵抗しなかった。
死ぬことには、何の恐怖もない。
「フ……大した度胸だな」
奴は、僕が魔方陣の中心へ歩んでいくのと同時に、
太田さんと一緒に後ずさり、魔方陣の外へ出た。
そして太田さんの手にあったナイフを奪い、僕の足元に転がした。
「そいつで、自分の喉を掻き切ってもらうとしよう。
 ……心配するな、私が操ってやるよ」
奴はそういうと、電波を集め僕へ向けて放った。

「ぐっ……」
奴の電波を浴び、身体の自由が利かなくなる。
そして僕の腕が、足元のナイフを拾った。
「約束は……守って、もらうぞ……」
何とか自由の利く口を動かし、再度、奴に念を押す。
僕の言葉に奴はニヤリと笑い、答えた。
「ああ、約束は違えない。
 私はこの男や他の女を殺したりはしない、約束しよう」
「それならいい……」
僕は目を瞑り、ナイフを首に近づける。
それは奴の電波のせいか、自分の意志でやったのか。
区別はつかなかった。

この命でみんなが救えるなら、安いものだ。
この程度で罪が全て償えるとは、思ってもいないけれど……。
「さぁ、その血を我が主に捧げるのだっ!」
奴の声が響き渡る。
まさにナイフが僕の喉に触れようか、という時……。


八、生きる力。それは求める者、愛する者

「ダメッ!」

その声が、僕の動きを止めた。
いや……正確には、奴の電波が不安定になって僕の腕が止まった。
そう言ったほうがいいだろう。

それは、太田さんの声だった。
「太田……さん!?」
彼女は僕を見つめていた。
奴の暗示が解けたのか、彼女の瞳にははっきりと意志が感じ取れる。
「くっ? 精神支配が解けたか!?」
奴は慌てて、太田さんを押さえつける。
しかし、太田さんは何度も首を振り、叫び続けた。
「ダメ!拓也さんが死んじゃうなんて、そんなの私、イヤァッ!!」

涙を流し、泣き叫ぶ彼女。
太田さんが、僕のために、泣いてくれている。
太田さんが、僕が死ぬことを、拒んでいる。
それは、死で罪を償うしかないと思っていた僕の心に、光となって注がれた。
彼女は、僕を……求めてくれている!
「ええい、黙れ、この女っ!」
奴は何とか太田さんを押さえ込もうとする。
しかし、電波を全て僕に集中させていたために、うまくコントロールできていない。
「いやよっ! 拓也さんが死んじゃったら、私が生きてる意味がないのよぉぉっ!」
なおも暴れる太田さんに、奴は取り乱したように彼女の頬を打った。
ぱんっ、と乾いた音が響き、太田さんの動きが一瞬止まる。
「ええい! 我が主が復活なされた暁には、人間どもは皆死ぬのだ!
 つまらぬことで騒ぎ立てるな、馬鹿者っ!」
衝撃的な奴の言葉だった。主とやらが復活すれば、皆死ぬ。
ならば今、僕が死んでも何も意味がないじゃないか!

バチッ!
「あうっ……」
ようやく電波をコントロールできるようになった奴は、太田さんに電波をぶつける。
その途端に太田さんの膝がカクン、と折れた。
その瞬間、僕を捕らえていた電波が弱まった。
そのスキに僕は集められる電波を集め、奴の電波を押し返す。
「くっ? どうした、急に命が惜しくなったのかっ!?
 女たちがどうなってもいいのかっ?」
奴は僕の異変に気付き、すぐに電波を強めてきた。
その電波の押し合いの中、僕は奴に向かって叫ぶ。
「うるさい! もう、お前の言葉は信じないっ!
 僕が信じるのは、僕を必要としてくれている人だけだっ!」

……もうすでに、僕の死ななければいけない理由はない。
奴の言葉に惑わされていた。
今みんなを救う方法ばかりを考えて、他の方法を考えられなかった。
でも、太田さんの言葉で気付いたんだ。
僕がやるべきことは、死ぬことじゃない。
彼女を、悲しませないこと。
ずっと、彼女が笑っていられるようにすること。
そのために、僕は……。
奴を、倒す!

「ヌウ……なかなかやってくれる」
奴は、形相を歪めながら、うめくように言った。
僕は何も答えず、電波を放出し続ける。額から汗の雫が、つつ、と流れてきた。

二人の放つ電波は、ほぼ中央で均衡していた。
出力は強いが不安定な奴の電波、力は負けるが安定して集中されている僕の電波。
しかし、このままの体勢では、僕の方が不利だった。
奴は時間が経つにつれて、祐介君の強力な電波を序々にコントロールし始めている。
その証拠に、じわじわとではあるが、奴の電波が僕に近づいてきていた。
「ククク……どうした、もう限界なのか?」
奴の言葉にも、何も返すことができない。
長時間電波を集中して出していたせいで、僕の意識は薄れ始めていた。
だんだんと視界がぼやけてきている。
少しだけ……。少しだけでいいんだ。 奴の電波を、止められさえすれば……。
希望を捨てずに踏ん張り続けていたが、すでに奴の電波は目前にまで迫ってきていた。
力の負荷に耐え切れず、片膝を地に付けてしまう。

「フハハハ、もうお終いか! 素直に死んでいればよかったものをな!
 そこの女も、お前の妹も後で殺してやるわ! これは当然の報いだ!
 フハハハハハハハハッ!」
奴の高笑いだけが、耳に響く。
ダメだ。太田さんも、瑠璃子も、死なせるわけにはいかない。
今にも気を失いそうだったが、気力を振り絞って、何とか立ち上がった。
目の前の奴を見据えて……。
「フン、まだ頑張る気か。その根性だけは誉めてやろう。
 ……ならば、これで終わらせてやる!」
奴に、ピリピリとした電子の粒が集まっていく。
だが、僕へ向けられている電波の威力は増えてはいない。
むしろ、ほんの少しだが弱まったくらいだ。

……奴は、フルパワーの電波を僕にぶつけようというのか。
奴は時間を掛けて、言わば電波の『ボール』を頭上に作り上げていく。
それはどんどん膨れ上がり、ついには僕の身長くらいの幅はある巨大なものになった。
あれが、祐介君の電波の力だ。僕には到底敵わない、強力無比な力。
あれをまともに受ければ、僕の精神などひとたまりもなく消し飛ぶだろう。
しかし、もう僕には打つ手はないのだ。
『ボール』を作るために少し弱まった、僕へ向かっている電波でさえ、
僕は支えているのがやっとなのだから。
……少しでいい、ほんの一瞬でいい。奴の電波を、止めてくれ。
そうしないと、太田さんも、瑠璃子も……。
僕は初めて、神に奇跡を願った。
「さぁ! これで終わりだ!」
電波の『ボール』を右手に掲げるようにして、奴はそれを僕に放った。
放たれたその『ボール』は、まっすぐ僕へと向かってくる。

その時。

『お兄ちゃん!』

瑠璃子の声を聞いた。
……いや、耳で聞いたわけじゃない。頭に直接、響いた。
そして目の前に迫っていた『ボール』は、どこからか飛んできた電波を受け、
あさっての方向に弾かれて、そのまま掻き消えるように霧散した。
「なにっ?」
奴は、何が起こったのかわからないようだった。瑠璃子の声も、電波も感じられなかったのか。
一瞬だけ、奴の電波が止まる。
……その奴のスキを、僕は見逃さなかった。
奴が僕に気付いた時には、僕の体当たりが奴をぶっ飛ばしていたのだ。
「ぬうっ?」
奴が態勢を整えるよりも早く、電波でブーストさせた僕の肘打ちが奴の背中を捉える!
「ぐふっ!」
きしむような痛みが身体を駆け抜けたが、そんなことに構ってる余裕はない。
「さあ! 出ていけ!」
倒れ込んだ奴に、僕は電波を集中させた!
「ぐあうっううぅぅぅ!」
奴は苦しげに悶え、暴れる。
僕は脂汗を額に浮かべ、途切れることなく電波を放出し続ける。
やがて耐え切れなくなったのか、祐介君の身体から奴が抜け出した。

……黒い影。こいつが、瑠璃子や祐介君に取り憑いていたのだ。
まがまがしいその姿は、まさに、悪魔そのものだ。
『キサマ、ヨクモ!』
奴は、僕に向かって突っ込んでくる。
しかし、その前に僕はありったけの電波を集め終わっていた。
「消えろ! 悪魔!」
僕が放った電波が影を襲い、青白い光が奴を包み込んだ。
僕の最高出力の、電波が弾ける。
耳には聞こえない、奴の断末魔の声……それは直接、頭に流れ込んできた。
『我ガ消エテモ主ハモウスグ降臨サレル!!
 貴様ラモ、主ニ食ラワレルガイイワァァァァ!!』
やがて、一層激しく、燃え上がるように光る。
そしてその光が消える頃には、辺りは静寂に包まれていた。

「やったか……」
ほっと一息つき、片膝をつく。
そして、小さな電波を月明かりの空に飛ばした。
『瑠璃子……』
その呼び掛けから少しして、暖かい、柔らかな電波が返ってきた。
瑠璃子の電波だ。
『お兄ちゃん、ありがとう』
『いや……助けてくれたのは瑠璃子じゃないか』
『ううん、そんなことない。
 だってお兄ちゃんは、長瀬ちゃんも香奈子ちゃんも助けてくれたから』
瑠璃子の電波は、彼女の嬉しさを僕に伝えてくれていた。
『約束しただろう? 僕は、瑠璃子との約束は必ず守るんだからね』
僕も嬉しくて、ついそんなことを言った。
あれほど、死を覚悟していたにもかかわらず。

それより、僕は瑠璃子に聞きたいことがあった。
『瑠璃子は今どこにいるんだい?』
その問いに対する瑠璃子の返事に、僕は驚かされる。
『沙織ちゃんと瑞穂ちゃんの部屋だよ』
……館からここまで、けっこうな距離がある。
あの時の瑠璃子は、そんな距離から電波を飛ばし、奴の放った電波を弾いたのだ。
『そんなところから、よく……』
無差別に飛ばすだけならばともかく……。
遠距離の一点を狙って正確に飛ばすのは、僕には無理だろう。
『私の電波は弱いけど、使い方ならよく知ってるよ。それに……』
『それに?』
おうむ返しに聞いた僕に、瑠璃子は答えた。

『晴れた日は、よく届くから』

僕はその言葉に、空を見上げた。
雲ひとつない澄んだ夜空に、月が輝いている。
それがまるで、優しげな笑みを浮かべる瑠璃子本人のように思えて……。
僕は月に向かって、ひとつ頷いた。
『そうか……ありがとう瑠璃子。今から戻るよ』
交信を終えようと僕が送ったその時。
『うん……お兄ちゃん、あのね』
瑠璃子が何か言いたげに、僕に語りかけてきた。
『ん?』
僕は聞き返し、瑠璃子の次の句を待つ。
そして、瑠璃子の電波が、僕に届いた。
『……大好きだよ、お兄ちゃん』


九、かけがえのない、ひと

「太田さん……? 大丈夫?」
倒れていた太田さんを、ゆっくりと助け起こす。
すると太田さんは、弱々しく僕に寄りかかってきた。
「大丈夫……じゃないですよぉ……」
気は確かなようだった。ちょっと拗ねたような言葉。
僕は、太田さんらしいその答えに表情を崩す。
「はは、そう言ってられるうちは大丈夫だよ」
僕が笑ったのを見て、太田さんも笑い返した。
「拓也さん……助けてくれて嬉しいです」
「いや、助けてくれたのは太田さんだよ」
僕は素直にそう言った。

彼女があの時、声を上げてくれたから、僕は救われた。
命が救われた以上に、『心』が救われた。
彼女が僕の心を揺さぶってくれたお陰で、僕はこうして笑っていられる。
「私は……ただ自分の本音をぶちまけただけですよ?
 拓也さんが死ぬなんてイヤだ、って」
不思議そうな顔をする太田さん。
「それでも、助かったのには変わりないさ」
「でも、助けに来てくれたんですから、貸し借りゼロでいいです」
笑いかける太田さんに、僕は首を振った。
「いや……」
僕には、もっともっと、借りがあるんだよ。
……その言葉を飲みこみ、僕は立ち上がった。

「さ、帰るとしよう。瑠璃子も待ってる」
太田さんが立ち上がるのを助けようと、手を差し出す。
だが彼女はその手を取らない。その目が悪戯っぽく光った。
「歩けませぇ〜ん。おぶってくださぁ〜い」
甘えた声でおんぶをねだる太田さん。
しかし僕は笑いながら、それに首を振った。
「ダメだよ。太田さんより、もっと重いのを背負わないといけないから」
そう言って、伸びている祐介君を指差した。
太田さんは頬を膨ませて拗ねた表情を見せる。
だが、僕が脱いだ上着を肩にかけてあげると、すぐ笑顔に戻った。

僕は祐介君を背負い、太田さんと一緒に館へ戻る。
空はだんだんと白み始め、夜が明けようとしていた。
太田さんは、祐介君に黒い影が入り込んだのを見ていた。
それで祐介君に何かが取り憑いたのに気付いたらしい。
その後の記憶はないというから、多分、祐介君の電波で操られ、
そしてあの場所へ連れて行かれたのだろう。
「私、オカルト系は信じてなかったんですけどね……認識改めなきゃ」
笑顔で話す太田さん。
……でも彼女は、僕の電波のことは聞こうとはしなかった。

「太田さん……僕の力なんだけど……」
僕が、電波のことを教えようと切り出す。
しかし、太田さんは口に人差し指を当てて、それに首を振った。
「いいんですよ。拓也さんが何だか不思議な力を持ってるのは……。
 何となく……わかってましたから」
……わかっていた? それは……以前の記憶が残っているのだろうか?
僕が黙っていると、彼女はその表情を笑顔に戻し、僕に笑いかけた。
「それよりもですね……」
「……それよりも?」
思わず、おうむ返しに聞き返す。
「拓也さんが、私を助けに来てくれた。それだけで、私は嬉しいんです」
「太田さん……」
僕はその言葉を聞いて、胸が一杯になった。
僕がここにいる価値がある。生きている価値がある。
……それを確認できた。
命などどうでもいいと思っていたことが、今はとても愚かしく思えてくる。

「拓也さん、その……お願いがあるんですけど」
僕の横を歩く太田さんが、僕の顔を覗きこんだ。
「なんだい、太田さん? できる限りは叶えるよ」
もはや太田さんは、僕にとって大切な人になっている。
その彼女の願いなら、何でも叶えてあげるつもりだった。
太田さんは僕の返答に微笑み、言葉を続ける。
「あのですね。その『太田さん』、じゃなくて……。
 『香奈子』って呼んでもらえます?」
「えっ……?」
想像していなかったその願いに、僕は少し返答に困ってしまった。

「以前に私がこのことを言った時……。
 『僕らはまだそんなに付き合って日が経ってないから』って言いましたよね?」
「そ、そう……だったかな?」
太田さんの言葉に僕はとぼけてみせたが、実は、覚えている。
あの時は、瑠璃子以外の女の名を呼び捨てにするなんて、と思っていた。
だから、適当な理由をつけて、それを拒んだのだ。
でも、今は違う。
今では瑠璃子と同じくらい、僕には大切な存在だ。だから……。
「香奈子。……これでいいかい?」
そう笑いかける。
僕の、かけがえのない存在になった香奈子。
だから、僕は、彼女の笑顔を守る。
……そうすることで、僕は僕であることができるのだ。
「はい……嬉しいですっ」
あまりの喜びに感極まったのか、急に香奈子が抱き付いてきた。
僕は祐介君をおぶっている状態で抱き付かれたものだから、
バランスを崩して危うく転びそうになってしまった。
「わわっ!? か、香奈子、ちょ、ちょっと待って!」


十、僕の太陽

すでに日は昇り、暖かい日差しを差しかけていた。
「さあ、今日こそは温泉に行こうか」
僕の掛け声に、各々が頷く。それぞれ荷物を持ち、館を後にした。
僕は立ち止まり、最後にもう一度、館を振り返り見た。
もはや、二度と来るつもりはないけど……。
でも、忘れられない場所になるのは確かだ。

僕が大切なものを掴んだ場所。
生きていける自信を取り戻した場所。
僕が僕を取り戻した場所……。

「お兄ちゃん、行くよ」
僕が佇んでいると、瑠璃子がクイクイッと僕の服の袖を引っ張った。
瑠璃子は僕をみつめ、微笑んでくれている。
「ああ。行こうか」
僕は瑠璃子に微笑み返しながら、その場を後にしたのだった。

昨日の道を、僕らは戻って行く。今日こそ温泉に行くために。
「いてて……あて、いて」
先頭を新城さんと並んで歩いていた祐介君が、歩くたびに痛みを訴える声をあげる。
「……どうしたの、祐くん。どっか痛い?」
新城さんが心配げに祐介君に問いかける。
祐介君は痛そうにしながらも、彼女に笑い返した。
「う、うん、何だか身体中が痛いんだけど……」
「昨日いっぱい歩いたから、筋肉痛になったんじゃないの?」
新城さんのその言葉に、納得いかないような表情を見せる祐介君。
「うーん、でも足よりも、背中とか首とかが痛いんだよ……」
彼はどうやら、奴に支配されていた間の記憶はないようだった。
だから彼には、瑠璃子はトイレに行っていた、と嘘を言ってある。

彼はその言葉には納得はしていない様子だったが……。
しかし瑠璃子も内緒にしているので、状況がさっぱりわからないのだ。
「今日は温泉に入れるから、それでゆっくり治しましょ?」
「そうだね……いちち……」

そのやり取りを聞いて、今にも吹き出しそうな表情をしてるのが、
僕の隣りを歩いている香奈子。
「こら……笑っちゃ悪いじゃないか」
「はぁい♪」
小声で嗜めるが、別段堪えた様子はない。
「それより拓也さん?」
「……なんだい?」
僕の顔を覗きこんだ香奈子に、僕は笑顔で返した。
すると香奈子はちょっと赤くなって、ボソボソと呟くように話す。
「あ、あのですね……腕組んで歩いてもいいですか?」
「え?」
腕を……組む?
「いえ、そうして歩いたことってなかったなぁ、って思ったので」
恥かしそうに僕に告げる香奈子。
その仕草は可愛いが、しかし、僕はちょっと都合が悪かった。

「い、いや、その、荷物が重いんだけど……」
適当に理由をつけて、断ろうとする。
「少しだけでいいですからっ」
しかし香奈子は、強引に僕の右腕を取った。
「!!」
左側の荷物の重みと、右の香奈子の重みが僕の身体に負担をかける。
……隠していたのだが、僕の身体は全身筋肉痛だったのだ。
奴との戦闘で、電波で身体のリミッターを切った反動だった。
「いでででででっ!」
全身を痛みが駆け巡った。思わず声をあげてしまう。
「えへへ、嬉しいですっ」
しかし僕の痛みの声が聞こえなかったのか、香奈子は離してくれない。
それどころか、ぎゅっとしがみつくものだから、腕の痛みがますます酷くなる。
「かなこぉぉ〜、た、たのむ、勘弁してくれないかぁ〜」
「嬉しいですぅ〜」
僕の言葉にも、香奈子はすでにトリップした様子で反応を示さない。

「頼むから、許してくれぇぇぇぇぇぇ!」
「私、とっても幸せですっ!」



 Happy End.




    But, The fact is that
    this story is continued ,
    ”Leaf Fight 97”...


あとがき(09年7月時点)

どうも。今から8、9年前の作品になります。
当時は月島の救済話、そしてリーフファイト97に繋がるプレストーリー的な感じで
書いたものだと記憶してます。
雫以外でもそうですが、本編にある「悲しい部分」を救う話をよく考えておりました。
その中でも、これはよく出来た内容だと思います。(と自画自賛)

ちなみに、当時はコピー誌で一度発行した後、オフセット誌に再録しました。
再録時に多くの加筆修正をかけましたが、それを今回はアップしております。
(なお、WEB上のレイアウトに合うよう、再度修正をかけてあります)

雫はボイス付きのリニューアル版があり、痕再リニューアル版のおまけにもなってますね。
声がついて更に面白くなったと思います。まだやってない方、おすすめデスヨ。

それから、同人誌掲載時に挿絵を描いてくださった水神流良さん。(当時は水龍流良)
現在はゲームCG等の塗り師をやっているみたいです。
スタッフロールなどで名前を見るたび「おー頑張ってるー」と嬉しくなりますね。
今後も頑張ってくださいなー、とここでエールを。

ではでは。古い作品ではありますが、ご感想等あれば送ってくださいませ。


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