ティア・ドロップ

written by RIN

 ボクは自分が好きじゃない。
 それはボク以外のみんながボクを好きじゃないから。
 みんなが好きじゃないボクを、ボクが好きになれるはずがない。
 だからボクは。
 好きじゃない。
 ボクを好きじゃないみんなを、ボクは好きじゃない。





 ボクのパパとママはボクがまだ小さい頃に死んだ。
 ボクはまだ小学五年生で大きいとは言えないけれど、そんなボクがまだ幼稚園にも上がってないような頃、二人そろって事故で死んだのだそうだ。
 ボクの家はお金持ちなんだそうだ。
 そう言えばクラスメートの誰の家よりも大きな家だし、誰の家にもないような最新家電もずらりとそろっている。最新モデルのメイドロボだって、五台もそろっている。オジサンもオバサンも家の中のことは何にもしないから、メイドロボたちが炊事も洗濯も掃除も全部やってくれる。
 メイドロボはオジサンに一台。
 メイドロボがオバサンにも一台。
 メイドロボは家の中のことをするのが一台。
 メイドロボは家の外のことをするのが一台。
 そして最後の一台は・・・・

「おかえりなさいませ、選(すぐる)さま」
 学校から帰ると、メイドロボがボクのスリッパを揃えて玄関に出してくれ、ランドセルを受け取って二階のボクの部屋に運んだ。紺色の髪。黒い瞳。無表情な顔。金属製のセンサー。こいつにも確か名前があったはずだけれど、ボクはメイドロボの名前なんて覚えたくもない。だからこいつがなんて呼ばれているのか知らない。知りたくもない。
 ただ、こいつには少し注意が必要だ。だって・・・・・・

「選さま、ただ今おやつをお持ちいたします」
 部屋の前までついてきたメイドロボの手から、ボクはランドセルをひったくるように奪い取って、部屋にすべり込んだ。そうしてすぐさま扉に鍵をかける。するとメイドロボのヤツはいつもとまったく同じ事を口にするんだ。
「選さま。またおやつをお召し上がりにならないのですか?成長期においては、おやつは単なる嗜好品ではありません。バランス良く栄養を摂取するための大事な」
「うるさい!だまれ!」
「申し訳ございません」
「夕飯は部屋で食べるからね!時間になったら部屋の前に置いて、さっさと消えちゃえ!」
「はい、かしこまりました」

 メイドロボが下におりていくのを確かめてから、ボクはランドセルを机の上に投げ出し、ベッドに倒れ込んだ。どっと疲れが押し寄せて来るみたい。

 うるさいやつ。
 うるさいメイドロボ。
 いったい何の権利があって、ボクの生活にズカズカ上がり込んで来るんだ。

 理由は分かってる。
 オジサンとオバサンが、あのメイドロボにボクの世話を押しつけているからだ。あの機械はその命令を忠実に守っているだけ。
 オジサンとオバサンは、ボクのことが嫌いだ。多分、オジサンはオバサンを、オバサンはオジサンのことも嫌っていると思う。だって、ボクは二人が何か話している所なんて、数えるほどしか見たことがないんだから。
 それでもオジサンとオバサンは、ボクを「養育」する「義務」があるんだそうだ。そうしないと、パパとママが残した財産のおこぼれをもらえなくなるからだ。難しいことはよく分からないけれど、弁護士の説明だと、パパとママが用意していた遺言ではそう言うことになるんだそうだ。
 たくさんの財産をボクに残してくれたパパとママ。
 ボクは本当はもっと喜ぶべきなんだと思う。
 ボクはクラスメートが親に黙って行列してまで手に入れたゲームソフトだって、発売当日に手に入れることが出来る。有名芸能人が泣いて喜ぶ特別限定生産のイチゴケーキを、毎日食べることだって出来る。三日かかっても回りきれないって言う遊園地で、一週間ぶっ続けで遊び回ることだって出来る。
 できるけど、そんなことはやらない。
 だって、ゲームするのもケーキを食べるのも、遊園地に行くのだって、ボクはいつも一人だから。いいや違う、一人じゃない。あのお節介なメイドロボが必ず付いてくるに決まってるんだから。

「選さま。お疲れなのですか。お体の具合がお悪いのですか」
 ドアの外からメイドロボの声がした。なんでいるんだ!なんでボクの事なんて構うんだ!
 機械のくせに!ロボットのくせに!
 オジサンたちの命令で、ボクの世話をしているだけの人形のくせに!
「うるさい!どっかいっちゃえ!お前なんかだいっキライだ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・はい。もうしわけございません」
 いかにも機械っていう感じの口調でメイドロボが言った。
 ボクはなんだか分からないくらい腹が立って悲しくなって、わんわん泣き続けた。泣いて泣いて、泣き疲れるまで泣いて、そうして夜まで寝てしまった。




 そのお店は、商店街のはずれにあった。
 一見して古ぼけた、まるで魔女か人食い鬼が住んでいそうな「こっとうひん屋」だった。「こっとうひん」というものがどういうものなのか、ボクにはよく分からなかった。けれど、すすけたランプとか、色あせた外国の写真とか、なんの役にも立ちそうもないものばかり置いてあって、ボクはなんでだかその店を窓から覗き込むのが好きだったんだ。
 端の方にあぶくの浮いた分厚いガラスを通して店の中を見ていると、時間がたつのも忘れてしまいそうだった。特に土曜日の午後なんかは、早く家に帰るのがイヤで、お腹がキュウキュウ鳴ってもお店の前から離れなかったんだ。
「家に帰っても、あのメイドロボのやつがいるだけだもん・・・・」

「やあ坊主。また来てるのか」
 そのおじいさんに声を掛けられたときは、本当にびっくりした。
 顔の下半分が真っ白な髭もじゃで、薄い色のサングラスをして、毛糸の帽子をかぶっていた。その帽子は、ボクがいつも店の奥で時々見かけるものだったんだ。
「あっ・・・・あの、ボク」
「はっはは、驚かせてしまったか?そうだなあ、坊主はいつも窓の外から、店を覗いているだけだものなあ」
 うわあ、ボクのこと見られてたんだ。ボクは頬が赤くなるのを感じた。きっと変な子がいるって思ってたんだ、このおじいさん。
「坊主。外から見てるだけじゃつまらんだろう。中に入ってはどうかね」
「あ・・・・はい」
 なんとなく、そう答えてしまった。

「わぁ・・・・・・・・・・・」
 店の中に入るなり、ボクは言葉を失ってしまった。
 まず正面に飾ってあった船の模型にびっくりした。図鑑で見た「帆船」っていう布の帆を張った船だ。その横にあるのは化石!博物館に飾ってあったやつと同じのだ。
 ひょっとしてこれ本物?まさか!本物の化石なんて?
「うわっ、ガイコツだ」
 化石の向こう側には人間のガイコツがあった。黄色くすすけていて、まるで本物そっくりに思えたけど、いくらなんでも、ね。
「まあじっくり見ていきなさい。どうせお客なんてたまにしか来ないんだから」
「え?お客来るの」
「ああ、物好きだのコレクターだの、好奇心旺盛な小学生とか、な」
 そう言っておじいさんは甘いココアを入れてくれた。

 そうしてお店の中のものを一つ一つ手にとって、面白い話をいっぱい聞かせてくれた。うんとうんとむかし、まだコンピュータもロボットもなかった頃、大海原や大密林に冒険に行った勇敢な人たちのお話。
 それがどこまで本当の話なのか、それともおじいさんがボクを楽しませるために作ったおとぎ話なのか、ボクには分からなかった。でも、ボクはココアのカップを両手で握りしめながら、帆船を丸飲みするリバイアサンの話に胸をどきどきさせていた。
 帰るとき、おじいさんは初めてお店の中に入った記念だと言って、ボクに小さな小さな化石を一つくれた。大昔の海にいたアンモナイトという貝の化石なんだそうだ。でも多分、そんなすごい大発見を小学生にくれるはずはないと思う。きっと石膏で作った作りものなんだろう。




 その日から、ボクの楽しみが増えた。
 いつもは家に帰って夕飯まで、メイドロボの顔を見るのがイヤで部屋に閉じこもっているのだけれど、もうそんなことをしなくてもいいんだ。学校が終わったら一目散に、こっとうひん屋で夕方まで時間をつぶせるようになったんだから。
 ボクはもらった化石をポケットに入れて、おじいさんの面白い話をいっぱい聞いた。なんで化石を持ち歩いてるのかと言えば、あのお節介なメイドロボが昼間ボクの部屋を勝手に掃除しちゃうからなんだ。

「本当にお節介なやつなんだよ、あのメイドロボは」
「ふーむ、しかし坊主。そのロボットに何か勝手に捨てられたりしたことでもあるのかな?」
「えっ?そ、そんなことはないけど・・・・」
「そりゃそうだろうさ。どんなメイドロボだって、人間の持ち物を勝手に捨てたり、引き出しの中をこそこそかぎ回るようなのはいない。よほど巧妙な命令を人間が与えでもしない限りはね。それでもメイドロボ自身には、なんの悪意もない」

 不思議なことに、おじいさんはボクがメイドロボの愚痴を言うと、決まってロボットのことをかばうようなことを言うのだった。その言い方もボクが分かるような話し方をしてくれるから、ボクは自然とおじいさんの言葉に頷いてしまうんだ。

「でも、ロボットなんてキライだ。ただの機械のくせして、ボクを心配してるみたいなことを言うなんて、生意気だよ。ただの、機械人形のくせにさ」
「ふむ・・・・?」
 おじいさんは腕組みをしてから、つるりと白い髭を撫でた。これはおじいさんが何か考え事をしているときの癖みたいだ。

「坊主。お前さんは人間には心があると思うかい?」
「ええっ?当たり前だよ、なに言ってんのさ」
「うん、そうだね。人間には心がある。でも、それをどうやって信じたらいいんだろうねえ」
 おじいさんはこうやっておかしな事を時々聞いてくる。
 そんなの当たり前じゃん、とボクは説明しようとするのだけれど、うまく言葉にならなかった。

「そんなの・・・・人間は人間なんだから、心があるんだよ」
「じゃあ、動物はどうだろう?」
「よく分からないけど・・・・生き物だからあるんじゃないかなあ?時々学校で見かける野良犬は、時々パンをあげるボクには寄ってくるけど、箒で追い回すいじめっ子を見るとサッと隠れちゃうよ」
「そうだね。人間には心がある。犬にも心がある。心があるから自分に親切にしてくれる人に近づくし、自分を嫌っている人には近づきもしない。人間同士だってそういうことがあるねえ」

 おじいさんの言葉に、ボクはドキッとした。
 ボクを「養育」しているオジサンはボクを嫌っている。
 ボクを「養育」しているオバサンはボクを嫌っている。
 たまに家で顔を合わすことがあっても、二人ともまるでボクがそこにいないみたいに顔を背けて、すぐにどこかに出かけてしまう。
 オジサンとオバサンは人間。
 オジサンとオバサンには心がある。
 心があって、その心でボクを嫌っている。
 ボクなんて本当はいなくなってしまえばいいのにって思っているんだ、その心で。

「じゃあひょっとしたら、そのメイドロボにも、心があるのかも知れないねえ」

「えっ・・・・・・?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「メイドロボに・・・・心、って?」
「そうさ。そのロボットは、お前さんを心配しているようなことを言うんだろう?じゃあ本当にそのロボットは、お前さんを心配してるんじゃないかな?」
「そんなの・・・・デタラメすぎるよ。機械に心なんてあるわけないじゃないか」

 なんだ。
 結局おじいさんは、ボクをからかっているだけなんだ。
 ボクは鼻の奥がつんと熱くなるのを感じた。

「そう。ロボットに心なんてないのかも知れない。でも、あるかも知れないって信じることは出来るんじゃないかな?」
 そう言うとおじいさんは、よいしょとアンティークの椅子から腰を上げた。そうしてボクを店の奥に連れていくと、一度も開いたこともない大きな木製の扉の前にたたせた。
「この子を誰かに見せるのは何年ぶりかな・・・・」
 おじいさんは両手を扉の取っ手にかけて、うん、と力を込めた。床の埃が少しだけ風に舞って、その奥にあったものが姿を現した。




 それは、女の子の人形だった。
 背はボクと同じくらいかな?小学生には見えないけれど、中学生くらいだろうか。
 肩の辺りまで伸びた緑色の髪。耳に付けたセンサーはずいぶん旧タイプのようだ。真っ白な顔は、ボクの目から見てもずいぶん子どもっぽく見えた。まるで眠っているような、あどけない顔。ボクは素直に「綺麗だな」って思えた。 
 人形・・・・そのメイドロボは、店に飾ってある仏蘭西人形みたいな黒いドレスを着ていた。腰の所の大きなリボンの脇に、金属製の支えみたいなのが見えた。多分、あれで直立しているんだろうけど、細くて白い手足はいかにも人形らしく力無く伸びていた。

「おじいさん、これって・・・・メイドロボでしょ?でも、こんなタイプ、見たことないや」
「そりゃ、そうだろうさ。来栖川エレクトロニクスが世に送り出した、12番目のモデルだからな」 その言葉にボクは驚いた。
 今時のメイドロボは、そのカタログだけで一冊の辞典が出来てしまうくらいに種類が多い。マイナーチェンジを入れれば年に数体もの新型モデルが発表されるんだ。メイドロボの老舗、来栖川の12番目のモデルなんて、クラシックモデルもいいところだ。
「この娘はね」
 おじいさんは手を伸ばし、そっとメイドロボの頬を撫でた。それはまるで孫の頬を撫でるおじいさんのようにボクには見えた。
「この・・・・HMXー12型はね、最初に出会ったマスターにだけ仕えた。どんどん新型モデルが発売される中で、その人はこの子だけをずっと側に置いていてくれた。この子が何度故障しても、何度でも修理して、それはそれは大切にしてくれたんだ」

 たとえば一体のメイドロボを、その耐用期限まで使うユーザーはほとんどいない。
 うちのように余分なお金がある見栄っ張りな家では、新型モデルに買い換える時、旧モデルを下取りに出す。下取りに出されたメイドロボは中古品としてディーラーに売られるんだって、中古メイドロボを買ったクラスメートが話しているのを覚えている。
 それでも近頃のユーザーは使い方が荒っぽくて、修理のきかないメイドロボは廃棄処分になるのが常なんだって、ディーラーの人がオジサンに言っていた。「こんな乱暴な使い方じゃ、下取りの査定でかなり買いたたかれますよ」ってぶつぶつ文句を並べていた。

「実を言うとね、この子のボディの部品はほとんど純正のものは残っていない。どこかが故障する度に少しずつ少しずつ、他のモデルの部品と交換せざるを得なくなった。旧モデルの純正部品なんて、メーカーにも残っていないのさ。もちろん、規格が少しずつ違うから、修理費はうんとかかる。それでも、その人はこの子を側に置いておきたかったし、この子もそれを望んでいた」
「でも、そんなの・・・・変だよ。新型の方がずっと性能だっていいのに」
「そうだろうねえ。だってこの子にはサテライトシステムさえ装備されていないんだから」
 おじいさんの言葉にまたまたボクは驚いた。
 サテライトの使えないメイドロボなんて、一体全体なんの役に立つって言うんだろう?
「でもねえ、私の目から見ても、この二人は本当に幸せそうだったよ。規格の違う部品を使ったせいで、この子はメイドロボとして役に立つどころか、とんでもない失敗もよくやらかした。でも、泣いて謝るこの子の頭を、あの人は笑って撫でていたよ」

 ボクは自分の耳を疑った。メイドロボが?泣いて謝るだって?
 本当にこのおじいさんは大丈夫なんだろうか。ボクはおじいさんの正気さえ疑い始めていた。でもおじいさんはそんなボクに構わず、このクラシックなメイドロボの思い出を懐かしそうに語った。
「そうそう、年に一度のメンテナンスの日を、二人は『里帰り』なんて言っていたよ。私はまるで娘夫婦が帰省するような気持ちで、二人を迎えたものさ。言い忘れていたけれど、この子はね、設計段階から私が作った、正真正銘、私の娘だったんだ」
 おじいさんはどうやら、メイドロボ関係の技術者だったらしかった。それでボクがメイドロボの愚痴を言うと、メイドロボをかばってばかりいたんだとボクは初めて知った。

「でもさ」
 まるで自分の娘のようにメイドロボの髪を撫でるおじいさんに、ボクはなんだか意地悪なことが言いたくなってしまった。メイドロボが泣くなんて信じられないし、旧式モデルをいつまでも使っていたような物好きなユーザーがいたって言うのもウソっぽい。
 それに、ロボットは所詮ロボットじゃないか。
 うちにいるあのお節介なメイドロボと同じ、命令に従っているだけの機械人形じゃないか。
「結局、そのメイドロボはこの店にあるんでしょ?っていうことは、そのユーザーはその子を売り飛ばしちゃったんじゃないか。やっぱり旧型モデルなんて役に立たないって思ったんでしょ」
「死んだんだよ。そのユーザーは」
「えっ・・・・・・」
「かわいそうにな、まだ若かったんだが病気でね。自分の死期を悟ってからは、彼が一番気にしていたのがこの子の処遇だった。彼にとってどれほど大切な存在でも、所詮他人の目から見ればこの子はメイドロボ。それもカタログにも載っていないような旧型だ。当然、メイドロボは彼の財産の一つとして処理されるから、下手なことをすれば廃棄処分は免れない。だから、まだ自分が生きているうちに、私に譲渡しようとした」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「私は最初、断ったよ。マスターを失って悲しみに暮れる娘の姿なんて見たくなかったしね。彼は人望もあったから、たくさんの友人が彼の代わりにこの子を引き取ると申し出てくれた。でもこの子はそれを全て断った」
「断ったって・・・・・・メイドロボが?人間の申し出を?」
「彼は少しの間悩んだようだった。けれど、最終的にこの子自身に任せることにしたようだった。今まで自分によく尽くしてくれたから、最後くらいワガママをきいてやろうと思うんですって言っていたよ」




 それは、不思議な物語だった。
 今までおじいさんがしてくれた不思議なおとぎ話の中でも、とびきりのやつだとボクは思った。でも、不思議とボクはそのおとぎ話を信じたいと思うようになっていた。

「ある日のことだった。こんな風に空の綺麗な夕方だったかね。この子がこの店を訪ねてくれた。
 彼が買ってくれたというお気に入りのドレスを着て、手には譲渡契約書を持って。
 その顔を見たときにすぐ分かったよ。ああ、この子の一番大切な人が天に召されたんだってね。
 彼女は深々と私に頭を下げると、お願いがあります、と言った。
 もしもこの先、私の身体が故障して動かなくなるときがあったら、修理なさらないで下さい、と。 この身体は『浩之さん』が大切に大切にしてくれたものですから、私が壊れて動かなくなるときまで、この身体のままでいたいんです、とね・・・・・・。私に、それを断る理由はなかった。
 彼女はよくやってくれたよ。
 相変わらずドジもするし動きも鈍くなっていったが、明るい笑顔で店を手伝ってくれた。
 その笑顔の下は、愛する人を失った哀しみで満ちていたというのに、彼女は私の前で涙を決してこぼさなかった。だが・・・・・・」

 ここでおじいさんの言葉が途切れた。
 こみ上げてくる感情が抑えられないのか、少し肩が震えているように見えた。

「私が買い物にでた、ほんの少しの間だった。
 毎日手入れを欠かさなかった黒いドレス姿のまま、この子は床に倒れていた。
 ああ!修理しようと思ったよ。いくら旧型でも人工知能さえ無事なら、ボディはどうとでもなる。 でも・・・・・・できなかった。
 やはり娘との約束は、破るわけにはいかないからねえ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ボクは何も言えなかった。
 こらえようとしても溢れてくる涙で、顔中がぐしゃぐしゃになっていた。

「そう言ってよいのなら・・・・彼女の死に顔はとても穏やかだったよ。
 自分はやるべき事をやり遂げた、これで愛する人と再会できると、小さな笑みまで浮かべていた。 さすがに親として、ちょっぴり妬けてしまったねえ」
 おじいさんは最後に一度だけ、メイドロボの髪を優しく撫でて、扉をゆっくりと閉めた。

「さて、私の話はこれで終わりだ。お前さんのような子どもには退屈な話だったかな、すまんな」
「そ・・・・んなこと、ないです」
 ボクは自分の顔が涙でぐしゃぐしゃなのをなるべく隠すように、おじいさんの後を付いていった。「選くん、だったかな。私はお前さんのところのメイドロボにあったことはないから、そのメイドロボにも心があるなんて安請け合いはしないよ。でもねえ、ないと思うよりは、あるかもしれないって思った方が、楽しいじゃないか。違うかい?」
 おじいさんはぽんぽん、とボクの頭を大きな手で軽く撫でてくれた。多分、あのメイドロボもこんな風に頭を撫でられていたのだろうと思うと、なんだかくすぐったいような気がした。

「それから、ひょっとすると・・・・お前さんのところのメイドロボって言うのは、ああいうタイプなのかな?」
 ふとおじいさんが指さした方を見ると、なんと窓の外からこっちをのぞいている人影があった。紺色の髪に黒い瞳。うちのお節介メイドロボだ。
「あっ、お前・・・・なんでこんなところにいるんだよ?」
 店のドアを開けてそう尋ねると、メイドロボは困ったような表情を見せた。こいつがこんな顔をする所なんて初めて目にしたので、ボクはびっくりした。今日は本当にびっくりしてばかりだ。

「その娘なら、お前さんが店に来る日は大抵そうやって、店の様子を伺っていたようだったぞ。お前さんは気づいていなかったみたいだがね」
「お前、ひょっとしてオジサンに命令されたのか!?ボクのことを見張れとかなんとか」
「いっ、いいえ!旦那様には勝手に出歩くなとひどく叱られました」
「なら、どうして・・・・」
 メイドロボは困ったように顔を伏せた。いつもの素っ気ない態度とは大違いだ。こいつがうろたえるところなんて見たことなかった。
「じ、実は、このところ選さまの帰宅が遅いので、選さまの身の安全を確保しなければならないと思ったのです。だって選さまは・・・・私の大切なマスターですから」

 ああ、そうか・・・・
 ボクに叱られると思ってしょげているようなメイドロボの姿を見ていると、ボクはなんだか今までの自分がすごくガキっぽいやつのように思えてきた。
 誰も自分のことを好きでいてくれないなんて、勝手にすねて、勝手にいじけて・・・・
 すぐそばに、こんなにもボクのことを心配してくれる人、いやロボットがいたんじゃないか。
 このお節介焼きに「心」があるかどうか、ボクにはよく分からない。
 オジサンもオバサンも、やっぱりボクのことを厄介者としか見ていないのかも知れない。
 でも、それでも構わないような気がする。
 ロボットに心なんてないって思うよりも、あるかもしれないって思っていた方がいい。
 誰にも愛されてない、誰も好きじゃない、自分のことが好きじゃない。
 そんなふうに思うより、「そんなことない」って思った方がいい。
 だって、その方が楽しいじゃないか!

「あの、さ」
「は、はい!なんでしょう、選さま」
「すごく基本的な質問なんだけど、きいてもいいかな?」
「はい、なんなりと!」
「君の名前・・・・なんて言うんだっけ?」

 あーあ、なんて間抜けなんだろう、ボクは。
 我ながら呆れてしまうボクに、メイドロボはにっこりと微笑んで言った。
「はい、HMSZー235・ティアと申します」
「ティア、か・・・・・・。じゃあ、帰ろうか、ティア!」
「はい、マスター!」

 ボクはおじいさんに頭を下げた。
 そうしてティアと帰りかけて、ふと気になったのでおじいさんに訊いてみた。

「ねえ、おじいさん!おじいさんの娘さんの名前、なんて言うの?」

 おじいさんは少し驚いたように目を開いて、それからすごく優しい目でこう答えた。


「マルチ。HMXー12・マルチさ」


おわり



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