ONCE UPON A TIME・・・・

written by RIN



              序



 きんっ・・・・

 きんっ・・・・・・

 きんっっ・・・・・・・・

 世界が歪む。

「ちから」が溢れる。

 この世ならぬ場所に満々とたたえられる無形の力が、「彼女」の中に流れ込む。

(だめ・・・・溢れては、駄目・・・・・・)


 必死にこらえる「彼女」の中に、「ちから」は容赦なく注ぎ込まれる。
 背骨が軋む。指先が痺れる。頭の奥底が錐でも差し込まれたかのように激痛を訴える。

 きんっ・・・・きんっっ・・・・・・きんっっっ・・・・・・・・!

「いやぁっ!」

 少女の叫びと共に、それは起こった。
 目に見えない巨人の鎚が放たれたように、土蔵の壁に大穴が穿たれ、土と藁とが飛散する。バラバラと破片が舞い落ち、砂煙を上げる中、「彼女」は冷たい床に突っ伏していた。か細い肩はふるふると震え、髪をかかえた両手は恐怖のために指がひきつれている。
 ぎりぎりと指をねじ込まれた髪は、丁寧に結い上げられているが、その髪の色が決定的に常人と違っていた。老婆でもないと言うのにほぼ銀色に近い髪は、壁に穿たれた大穴からの光を微かに反射して、得も言われぬ輝きを放っている。

「なんじゃっ、どないした!?」
「またじゃあ!またお嬢さんがやらかしはったわぃ!」

 どやどやと土蔵に駆けつける人々の言葉を、「彼女」は戦きと共に聞いた。
 まただ。またやってしまった。自分の持つ不可思議な「ちから」が解放される度、それは決して彼女にいい結果をもたらしはしないのに。
 「ちから」が彼女に与えるものは、人々の恐怖の眼差し。不安げな顔、非難の声。そして、人外の妖かしを遠巻きに見守る冷ややかな空気だけだというのに。

「なんちゅうこっちゃ、お屋敷で一番丈夫な土蔵に、こんな大穴が・・・・」
「恐ろしや、おそろしやぁ!」
「ああっ、若旦那さま!お妹さまが、またこのような・・・・」

 彼女をまるで手負いの獣か何かのように遠巻きに眺め、決して土蔵に踏み行って来ない人々の言葉に、彼女はびくりと顔を上げた。蝋石の頬は罪悪感に凍り付き、柘榴色の瞳は最も見たくない彼の人の姿を映した。

「兄さま・・・・私、わたし・・・・・・」

 なす術のない彼女を認めるや、彼は躊躇なく大穴から土蔵に足を踏み入れた。どよめく観衆をよそに、彼は少女の傍らに跪き、震える肩を強く抱いた。その暖かさ、力強さに、張りつめていた糸は途切れた。

「う・・・・・・うわぁああぁぁぁ・・・・・・・・・」

 がんぜない幼子のように泣き崩れる少女の涙で絣が濡れるのも厭わず、彼は哀れな妹の華奢な背をいつまでも撫でさすった。

「・・・・・・・・・・・琴・・・・・・・」



                     壱


 琴は、姫川の長女として、二人の兄の後に生を受けた。

 生まれたときから病弱で、とりわけひどい偏頭痛を起こしては家人の胸を痛めさせた琴だったが、幸い姫川の家が摂津(現在の大阪)でも有数の呉服問屋であったことが幸いした。
 当時・・・・ようやく明治という時代を迎えたばかりの庶民にとっては、医師にかかることはおろか、薬を手に入れるだけでも困難であった。にも関わらず、琴は手厚い医師の看護の元、まごう事なき箱入り娘として育てられた。
 次男の利吉(りきち)は既に暖簾を分けて立派な店を構え、跡継ぎである浩吉(こうきち)も父親の勝吉(かつきち)を助け、使用人から頼られる若旦那ぶりを発揮している。今更可愛い一人娘を嫁に出すこともあるまいと高をくくった両親はむしろ、よろこんでこのか弱い娘を溺愛した。

 もとより琴は他家に嫁に出すなどおぼつかない「白子」であった。

 白髪と見まごう銀の髪は、見る角度によって薄く紫がかって見えることもある。そして朝の日差しに消え入りそうな白い肌。ハッと人の目を惹きつけずにはいられない、神秘的な柘榴色の眼差し・・・・ アルビノ、という言葉はまだ知られてはいなかったが、こうした突然変異を持って産まれた子どもはある時は吉兆として、またあるときは不吉の前兆として畏れられもした。
 大店の大旦那である姫川屋斉衛門勝吉は迷信俗説の類を一笑に付す人物であり、親から受け継いだ店をここまでにしたのも、ひとえに近代的思想を取り入れたおかげだと豪語していた。明治の御代が始まると同時に、誰よりも早く髷を落としたというのがなによりの自慢である。
 そんな勝吉が、琴の身の回りで怪異な現象が起こるという話を聞かされても信じなかったのは、むしろ当然と言えた。

「なに、琴の茶碗がひとりでに割れた?瀬戸物というのは欠いたり割ったりするものや」
「いえ、それがただ割れたのではないですじゃ。なんちゅうかこう、粉々に砕けよったじゃ」

 琴は昨夜から体調が優れないと、奥間で伏せっていた。昼食に供した七分粥もほとんど食べ残し、それを下げに行った際、琴の茶碗が粉々に砕け散ったのを見たのだと、年老いた使用人は勝吉に言った。

「源五、お前も耄碌したのう。そんな風に未だに徳川様の時代を引きずっておるから、文明開化から取り残されるのやぞ」
「なんと申されますか、大旦那さま!不肖この源五、先日大旦那さまに言われたとおり、すっぱりと髷もそり落とし、長瀬という立派な姓も頂戴しましたところです!それに、琴さまご本人が申されるですじゃ。ご自分で碗を壊してしまった、と・・・・」

 老人の言葉に勝吉は思わず噴き出した。あの温厚で、蚊も叩きつぶせずに逃がしてしまう琴が、癇癪を起こして碗を軒先にでも叩きつける様を想像してしまったのだった。
 しかし老人は頑なに、琴お嬢さまが頭痛を訴えると同時に、手も触れていない茶碗が木っ端微塵になったのだと主張した。

「そんな面妖な話が有るわけがなかろう」

 勝吉の一言で片づけられたその椿事が、椿事で済まされなくなってきたのは、それから程ない頃であった。

「姫川の一人娘は狐つきだそうだ」
「夜な夜な油を舐めては、梁まで軽々と飛び上がるそうじゃ」
「神通力を使って、お女中の腕をへし折ったそうじゃ」

 そんな口さがない噂が街でまことしやかに囁かれるようになるに至って、いよいよ勝吉は事態を重く見始めた。琴の悪評を流布したのは、もちろんの事、源五爺ではない。源五以外にも琴の身の回りの世話をする使用人がいる以上、その中で琴の周囲で起こる怪異を目撃したものがいることは間違いがなかった。
 勝吉は敢えて使用人を責めはしなかった。
 疑心暗鬼になり、疑わしいものを解雇にでもすれば、噂がさらに広まることは火を見るより明らかだった。其れに何より勝吉自身、可愛い一人娘の琴が狐つきでもなければ、奇怪な神通力を用いて物を壊すなどと言うことはあり得ないと固く信じていたからであった。

「浩吉を呼んでおくれ」

 勝吉は若旦那であり、自分の片腕でもある長男の浩吉を呼んだ。今年十五になる琴とは八つ離れている長兄は、父親の目から見ても立派な青年に成長していた。浩吉は父の血を受け継いで、古くさい因習や迷信を否定する合理的な考えの持ち主だった。其れに何より、浩吉は琴を父親以上に溺愛していた。
 勝吉はこの頼りがいのある長兄から、琴が少し虚弱なだけの普通の娘であるという証言が欲しかったのだった。しかし、意外にも浩吉は父の言葉に顔色を曇らせた。

「どうしたね、まさかお前までもが可愛い妹を中傷するというのやないだろうね?」
「それは・・・・・・」

 浩吉は言葉に詰まった。
 昨夜、伏せっている琴が心配で、様子を見に行ったときの衝撃的な記憶が、彼の脳裏に去来していた・・・・



                  貳


 きんっ・・・・

 きんっ・・・・・・

 まただ。
 琴は寝床の中で身を震わせた。
 既に周囲は静まり返っている。明治の御代になったとはいえ、街灯の設置はまだほんの一部の話であり、夜は基本的に闇と静寂だけが支配する世界である。
 しかし、その闇の中に、無気味な金属音だけが断続的に響いていた。
 いや・・・・あれは金属音などではないと、琴は直感した。あれは私の頭の中にだけ響く音。「あれ」が始まるとき、源五爺は何も聞こえなかったと言っていたもの。

 きんっ・・・・きんっっ・・・・・・

 音は次第にはっきりと、そして圧倒的な物となって少女の中に満ちてくる。
 それはいうなれば、何か得体の知れない力が自分の体の中に強制的に流れ込んでくる感じだった。
 まだ大丈夫・・・・このくらいなら、まだ我慢できる・・・・
 少女はホッと胸をなで下ろした。胸の奥に不快な感じはあるが、切羽詰まった感じではない。まだ実際に「溢れる」までには間がある。
(でも・・・・いつかは溢れてしまう)
 それが琴の身体一杯に充満し、行き場を失ったとき、「ちから」は琴の身体からあふれ出す。溢れ出た「力」は目に見えない破壊の力となる。「ちから」が流れ込んでくる早さ、そして溢れだした力の大きさは、日を追うごとに強くなっていくように、琴には感じられた。

「琴・・・・」

 蚊帳の外から声をかけられたとき、少女は飛び上がらんばかりに驚いた。
 しかし声の主が浩吉であることに気づき、ほぅと小さな吐息をついた。しかし日も落ちてから兄が自分の寝屋に来るなど珍しい。ひょっとしてまだ暮れ二つ(午後一〇時頃)にもなっていないのだろうか。今日は一日伏せっていて時間の感覚がずれていたのかもしれない。

「兄さま、どうかなさったの?」
「いや・・・・このところ体調が優れないようだから、もしもうなされでもしていたらと心配になったんだよ」

 優しい兄の言葉に琴は目頭が熱くなるのを感じた。
 自分のような役立たずの妹に対し、兄も、そして父も母も、どうしてこのようによくしてくれるのだろうか。次男の利吉も、仕事のいとまを見つけては、可愛い妹の様子を見に来てくれるほどだ。
 自分はみなに愛されている。けれど、その愛情に報いるどころか、自分のために妙な噂まで立てられて、いずれお店にまで迷惑をかけるかも知れない・・・・
 聡明な少女は、自分の持つ得体の知れない「ちから」が周囲の興味を引きつつあるというという事実を熟知していた。
 家人や源五爺は口さがない風評をできる限り琴に知らせずにいようと努力していたが、人の口に戸は立てられぬものである。自身が狐つきと風評されていることは、すでに琴も知るところだった。未だ精神医学の萌芽すら持たぬこの時代にあって、人知を超えた力は妖かしのそれであり、神あるいはもののけの仕業とされる。

{分裂病という言葉が出来るまで、近世の分裂病患者は一様に狐つきと呼ばれた}

 という言葉があるが、手も触れずに物品を破壊する異能力を持つ琴が、狐つきと噂されるのは、ある意味無理からぬ事でもあった。

「いや・・・・気分がいいようならいいんだよ。起こして済まなかったね、琴」
「兄さま・・・・・・」

 兄は優しい声でそう言うと、その場を立ち去りかけた。本当は噂されていることの一端なりとも、妹の口から直接聞こうと思っていたのだが、床に伏せる少女の姿を見るに、浩吉はそれ以上無理強いできなかった。だが・・・・

「う・・・・・・あ・・・・・・ぁ、あ・・・・・・・・・・」

 蚊帳の中の影が揺れた。
 浩吉は妹の異変にすぐに気づき、顔色を変えた。元々寝たり起きたりを繰り返してきた琴である。癪の発作でも起こしたのかと、浩吉はバッと蚊帳をまくり上げ、華奢な少女の身体を抱き留めた。

「琴、琴!?どうした、苦しいのか?」
「う・・・・あ、あぁ・・・・・・兄さま、駄目・・・・・・私から、離れて・・・・」

 琴の身体がガクガクと瘧(おこり)のように痙攣していた。しかし言葉はちゃんと発している。ただひどく怯えた光を柘榴色の瞳に宿し、少女は兄に「離れて」「逃げて」と繰り返した。

「何だ、なにから逃げるっていうんだ?琴、大丈夫だ、私がついて」
「だめ、いや・・・・・・あふれ・・・・る・・・・お、さえ、ら、れ、な・・・・・・・・・・・」

 どんっ!

 突如、琴の両手に押しのけられ、浩吉は尻餅をついた。その瞬間、浩吉は有り得べからざるものを目の当たりにした。

 しゅごごごごごごごっ!

 琴の胸元辺りに発生した渦のようなものが、風を巻いた。
 真空の刃を持って駆けめぐるカマイタチのごとき「それ」は、強烈な疾風で蚊帳を取り込み、それを無惨なまでに切り裂いた。人の目には見えない妖かしの力が、脆弱な蚊帳を微細な破片に切り刻んだ。

「な・・・・・・・・・な、なにが」

 風がようやく止んでから、浩吉はそれだけ口にすることが出来た。なにがなんだか分からない。今目の前で起きたことが現実なのか幻なのか、いや、現に蚊帳は見るも無惨な残骸となって、部屋中に散乱している。
 そして、その残骸の中に倒れ伏している銀髪の少女・・・・

「ことっ・・・・琴、ことっ!」
「兄さま・・・・・・お、怪我は・・・・?」
「私は何ともないっ、それよりお前こそ・・・・」
「私は・・・・大丈夫です。もう全て溢れ出てしまったから・・・・・・でも、またいつか・・・・・・」

 このやせっぽちの少女が何のことをいっているのか、浩吉には理解不能だった。だが幸い、琴は外傷らしい外傷も負っていないようだった。床に寝かせると、少女はほどなく安らかな寝息を立て始めた。髪が少しほつれていたが、それを除けば何の変哲もない、幼い少女の姿でしかない。
 だが、さっきのあれは・・・・あれが源五爺の言っていた事なのだろうか?
 本当に琴の中に眠る妖しい神通力なのだろうか。まさか・・・・いや、まさか?
 疑問は解けるはずもなく、浩吉は深いため息をついた。



                  参


 最初は琴自身、気づかなかった。
 いつもの偏頭痛とは違う、と言った程度の認識しかなく、溢れ出た力も大した物ではなかった。
 ふと気がつくと置いてあった簪(かんざし)が折れていたり、硯の端が削れていたりと言った程度だった。しかし実際にそれが己の頭痛と関係があり、ましてや自分の中から漏れ出た異能の力が引き起こしたなどとは、琴には知る由もなかった。そう、あの夜までは。

 それはある夜のことだった。琴はいつもよりひどい頭痛に悩まされていた。

(痛い・・・・あたま、いたい・・・・でも、我慢しなくちゃ。父さまや母さま、それに浩吉にいさまに心配をおかけしてしまうもの)

 しかし、頭痛は収まるどころかひどくなっていった。
 きんっ!きんっ!という不快な音が琴の頭の中を駆けめぐり、目の裏が真っ白になるような錯覚さえ覚えた。
 奇妙な感じ。
 まるで「なにか」が自分の中に流れ込んできて、それが行き場を失って暴れる感じ。

(駄目・・・・まるで人に慣れない馬の手綱を引いているよう・・・・抑え切れ・・・・ない)

 あふれる!
 純粋に肉体感覚として、琴はそう感じた。
 身体に充満していた不可解な「ちから」が自分の中から放たれた瞬間、琴はハッと目を見開いた。
 ぱんっ。

 その時、琴の視界に手鏡があった。
 十歳になったとき、父の勝吉が買ってくれた、漆塗りの高価な物だった。黒い漆の表面に描かれた鉄線(クレマチス)にぴしりと大きなひびが入った。そして次の瞬間、琴は目に見えない力が可憐な花を粉々に砕くのを目の当たりにした。

「!」

(こわした・・・・私が、こわした・・・・)

 琴は己の見たものを信じたくなかった。震える手を伸ばし、粉々に砕けた手鏡の破片をつまみ上げた。夢でも幻でもなく、それは目に見えない不思議の力によって破壊されていた。そしてその力は、間違いなく琴自身の内から溢れ出た「なにか」だった。

(私の中に流れ込んでくるあの「ちから」・・・・それに、私いま、ちからをこの鏡に向けたわ)

 最初に覚えた感情、それは純粋な恐怖だった。
 信じようと信じまいと、それは現実だった。自分の中から溢れ出た、得体の知れない力が手鏡を壊した。一瞬、目に入った手鏡に琴は「ちから」を意図的に向けたのだ。
 ほかにどうしようもなかった、溢れるものを止められなかった。いいわけは何とでも出来る。しかし、それは優しき少女に残酷な現実を見せつけていた。それは、琴が持つ不思議の力で、琴が手鏡以外の何かを、誰かを傷付けることが出来る、という事実。
 そして琴自身が望もうと望むまいと、「ちから」は容赦なく流れ込み、いつか再び「溢れる」であろうと言う残酷な事実だった。



「そんな・・・・・・そんな、琴にまことそのような神通力が・・・・?」

 浩吉から昨夜の出来事を聞かされた勝吉は、苦悩の色を浮かべた。
 と同時に、この事は女房には知らせずにおこうと思う。女房は勝吉に優るとも劣らず、琴を可愛がってはいたが、いかんせん夫や息子ほどには心の強くない女である。大事な一人娘が「狐つき」になったと早合点し、愛情転じて琴をどのような目にあわすやも知れない。

 かつて諸国を放浪していたという源五爺の話によれば、「お狐つき」となった村娘は毎夜毎夜意味不明の言語を語っては人々を惑わせ、ぴょんぴょんと部屋中を飛び跳ねては行灯の油を舐めたのだという。現代であればヒステリー、あるいは分裂病や多重人格と言った病名を当てられて然るべき哀れな村娘に、祈祷師が行ったご祈祷はそれは恐ろしいものだったと言う。
 火責め、水責めは言うに及ばず、ろくな食事も睡眠も与えずに連日連夜、まるで咎人のように護摩壇の前に縛られた娘を責めさいなむのだという。
 そのような目にあわされれば、虚弱な琴はひとたまりもあるまい。それに、琴が狐つきだと決まったわけではない。だが、このまま琴の悪評を放置していれば、いずれ店の信用にまで影響を及ぼしかねない・・・・

「どうでしょうか、どこか空気のよいところに琴を静養に出しては・・・・」

 言いにくそうに浩吉は答えた。
 大店の若旦那として、浩吉は店の信用、そして使用人の身を預かるという責任と義務がある。琴を厄介払いするのは気が引けるが、店が傾けば使用人が路頭に迷う。
 本当なら今も妹のそばにいてやりたい。
 あの不可解な力の原因を突き止め、その呪縛から妹を救い出してやりたいと思う。
 それでなくても心優しいあの少女は、自分の病弱さで家族に迷惑をかけていると考えがちなのだ。そんなことは決してない、家族の誰もがお前の身を案じているのだよと声をかけ、その小さな身で背負い込もうとする苦悩を少しでも分かち合ってやりたかった。

「う、む・・・・湯治場にでもいって静養させるか・・・・」

 思いは長兄と同じなのだろう、苦渋の表情で勝吉がそう言った矢先であった。源五爺が血相を変えて飛び込んできた。真っ白な髭を震わせ、驚愕と焦りを一杯に表現しながら、老人は琴が土蔵に閉じこもってしまったのだと言った。

「なんだって、琴が!?」



                肆(し)



「琴!?琴、中にいるのか?返事をしておくれ!」
「源五、一体なんだって琴は土蔵になぞ!?」
「へぇ、それが皆目・・・・ただ閂のかけ方を私めにお尋ねなされまして、小番頭が気づいたときにはお嬢さまはもう土蔵の中に・・・・」

 土蔵の扉は堅く閉ざされ、閂ごとぶち破るのはかなりの難事である。誰か身の軽い小僧を天窓から忍び込ませましょうかという源五爺の言葉に、浩吉はかぶりを振った。

「いや、待ってくれないか・・・・まず琴の話を聞いてみるよ」

 浩吉は閉ざされた扉の向こうの妹に届けと、大音声で叫んだ。

「琴、聞こえているかい、琴!私だよ、浩吉だ!」
「兄さま・・・・・・・・ごめんなさい」
「なにを謝ることがあるものか。兄さまや父さまはお前を心配しているだけなんだよ。そんな土蔵の中は暗くて冷たいだろう?せっかく治りかけていた風邪がぶり返してしまうよ。さぁ、ここを開けておくれ」
「それは・・・・できません」
「どうしてだい?訳を聞かせておくれ!」

 扉の向こうの声は、今にも消え入りそうに弱々しかった。浩吉は妹の声を聞き取るために、扉の隙間にぴたりと耳を当てた。

「だめ・・・・なの。また・・・・・・溢れてきそうなの。段々、抑えられなくなってきている・・・・」

 妹の言葉に浩吉はハッとした。
 昨夜、琴が神通力(?)を用いたときも、同じようなことを言ってなかっただろうか?
 妹が、琴が不可思議な力を奮ったのは事実だ。信じる信じないではなく、浩吉は昨夜、身を持って味わった。そして彼の見る限り、その神通力はあの少女の思いのままに奮える類のものではないのだろうと、浩吉は推察した。

「わかった、もっとよく話を聞かせておくれ、琴。兄さまには教えてくれるね?」

 浩吉は人払いをし、渋る父も説得して一人土蔵の前に残った。
 浩吉はゆっくりと時間をかけて、「何か」に怯える琴に語りかけた。
 そして、驚くべき事実を知った。
 半年ほど前から始まった怪異な事件の数々。
 そしてそれが琴の中に流れ込んでくる、得体の知れぬ「ちから」によって引き起こされていたという事。「ちから」の流入は琴にも止められず、ただあふれ出す力が人を傷付けないように、どうにか手近なところにある物品に「力」をそらして、誤魔化してきたこと。

「でも駄目。溢れる力の量はどんどん大きくなるし、力をそらすのも難しくなってきているの」
「琴・・・・・・」
「今度こそ・・・・今度こそ誰かを傷付けてしまうかも知れない。源五爺かもしれない。母さまかもしれない。父さまかも、に、兄さまかもしれない・・・・誰も私のそばにいてはいけないの」
「・・・・・・だからここに籠もったと?」
「はい・・・・・・・・・・・・」

 いずれは出ます、と少女は気丈に言った。

「琴は・・・・ここで修練いたします。この気味の悪い力が勝手にあふれ出さないように、誰も傷付けることがないように・・・・・・」
「そんな、無茶だよ。琴は体が弱いんだ、そんな無茶をして、もしもの事があったら」
「・・・・・・構いません。私なんてどうなっても」
「バカを言うな!」

 どん!と浩吉は固めた拳で扉をうった。頑丈な扉はみしりとわずかに軋んだだけだったが、浩吉は構わず幾度も幾度も打ち付けた。

「お願い、兄さま。琴の我が儘を聞いて下さい。私はひょっとしたら、昨夜、兄さまを殺めていたかも知れないの」
「!・・・・・・・・・」

 しゃくり上げる妹のすすり泣きを耳にして、浩吉はそれ以上なにも言えなかった。
 自分の苦悩など、琴の苦しみに比べればなにほどのこともなかった。だくだくと血を流す拳の痛みもものの数ではない。琴は、あの小さくか弱い少女は、それ以上の苦しみにずっと一人で耐えてきたのだ。自分でもどうしようもない異能の力で、いつか大切な何かを傷付けてしまうかも知れないと言う恐怖と戦ってきたのだ。

「判ったよ、琴・・・・・・今夜だけは琴の思い通りにするといい。でも、約束しておくれ。明日は出てきてくれると」
「それは・・・・・・」
「琴の苦しみや不安を、私は少しも知らなかった。でも、今は知ってる。お前一人苦しむのを、兄さまが黙ってみていられると思うのかい?そんな神通力ごときで、お前を見捨ててしまうとでも、琴は本気で思っているのかい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「私も協力するよ。琴は狐つきでも化け物でもない、私の大切な妹だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「古今東西の文献をひもとこう、南蛮の医者にも見立ててもらおう。お前が神通力を操る術を修練するというのなら、私も応援しよう。お前が自暴自棄にならず、決して諦めないのならば、道はきっと開けるはずだ」

 少女は答えなかった。
 だが耳をそばだててみると、微かにしゃくり上げる声に混じって、「ありがとう・・・・ございます・・・・・・」という声が聞こえた。


 浩吉は妹との約束どおり、その夜は事の次第を見守ることにした。
 俄には信じられないことばかりだが、ほんのわずかでも琴が心を開いてくれたという事実だけを支えにしようと思った。
 しかし、浩吉の思いは虚しいものとなった。
 次の日の早朝、「ずしんっ」という凄まじい音と共に、琴の籠もっていた土蔵の壁に信じがたい大穴が開いていた。蔵の中で呆然とうずくまる少女の姿に駆け寄ると、琴はがんぜない幼子のように兄の腕の中に泣き崩れた。
 ほどなく、琴はそのまま意識を失った。
 三日三晩、少女は深い眠りについたまま、目を覚まそうとはしなかった。




                 伍


 夢を見ていた。

 見慣れない景色、見慣れない人たち。どこか異国の風景だろうか、とも思ったが、異装に身を包んだ人々はどう見ても日本人である。

(あれは・・・・・・私?いえ、違う、私はここにいるんだもの)

 西洋風の建物から出てきたその少女は、琴によく似ていた。髪を結い上げておらず、西洋人の着るような洋服に身を包んでいるが、その顔立ちといい、髪の色、目の色といい、琴にうり二つである。
(でも、私じゃないわ・・・・私は、あんなふうには笑えない)

 少女は春の日差しに負けないほどの明るい笑顔を満面に浮かべていた。
 自分はあんな風に素直に笑えない。
 いつ体の中から奇怪な力が溢れ、周囲の人に迷惑をかけてしまうか分からないのだから。琴によく似た少女の笑みは、傍らを歩く長身の青年に向けられているようだと、琴はすぐに気づいた。

「よっし、じゃ今日も張り切って練習だぜ、琴音ちゃん」
「はいっ、藤田さん」
「うん、いい返事だ!」

 黒い洋服を着たその人は、どこか浩吉の面影を宿していた。
 顔は浩吉には似ていないが、少女を優しく包み込むようなその雰囲気がとてもよく似ていた。青年と少女は建物の裏に回り、芝生に座り込んだ。青年は手にした鞄から球のようなものを取りだし、少女の前に五つほど並べる。

(なにをするのかしら・・・・)

 これが夢の中の風景だというのも忘れ、琴は二人の様子に注目した。球を前にした少女は、目を閉じてやや俯き、何か必死に念じているようだった。

 きぃぃぃぃぃぃいいいぃぃ・・・・・・・・・ん

(あっ)

 琴は驚愕した。
 少女の周囲の空気が一瞬、揺らいだように見えた。
 そしてこの聞き慣れた金属音・・・・・・「ちから」が満ちてくる不快な感覚。

「おおっ・・・・いいぞ、琴音ちゃん。その調子だ」
「は・・・・・・い」

 琴は己の目を疑った。
 金属音が静かに止んでいった、と思った矢先、少女の前に置かれていた球が一つ、また一つと宙に浮かび上がっていったのだ。それは確かに琴の持つ異能の力と同様の神通力だった。しかし、あの琴に似た少女は力を暴走させることもなく、自分の意志でそれを使っている・・・・・・

(あんなことができるなんて・・・・)

 少女はそれから五つの球を自在に動かす練習を続けた。青年の方は、少女の顔色をうかがい、少しでも過剰に力が溢れそうになると少女を制し、休憩を取らせた。
 少女はこの青年を心から信頼していると見え、青年の言うことには素直に従った。

「今日はこのくらいにしておこう。ずいぶん息も上がってるようだしな」
「は、はい・・・・・・ありがとうございます、藤田さん」
「なに改まってんだよ。ここまで力を使いこなせるようになったのは、琴音ちゃんが頑張ったおかげだろ。オレは大した事してねーよ」
「いえ・・・・藤田さんがいてくれなかったら、私、こんなに頑張れなかったと思います。自分のことを信じてくれる、支えてくれる人がそばにいてくれたから、私は頑張れたんです」
「へへ・・・・そう言われると照れちまうなあ」

 そんなことを語らいながら微笑みあう少女と青年を、琴は暖かな気持ちで見守っていた。
 青年があの娘を受け入れてくれているのが無性に嬉しかった。
 自分と同じ力を持つ少女が、その力を暴走させることなく、自分の意志でそれを操ることが出来るという事が、他人事とは思えぬ程嬉しかった。
 ひょっとしたら自分にもあんな事が出来るようになるかも知れない。力を使いこなすことが出来れば、もう兄や父母にも心配をかけたり、迷惑をかけることもなくなるかも知れない。それは琴にとって福音とも言える希望の光のように思えた。

「あの、藤田さん・・・・」
「ん?」
「あの、明日は日曜日ですよね・・・・あの、もし藤田さんさえよろしかったら、なんですが」
「うん?別に予定はねーけど」

 少女は蝋石の頬を赤く染め、青年の耳元で何か囁いた。
 内気な少女が決死の思いで青年になにを伝えたのか、琴には聞き取れなかった。いつしか視界は春霞のようにぼやけ、正体を失いつつあった。ああ、自分は夢から覚めるのだと琴は悟った。

(私によく似たひと・・・・どうかお幸せに・・・・・・)



「あ・・・・・・」
「琴!こと、ことっ!よかった・・・・・・目が覚めたんだね」

 浩吉はうっすらと目を開けた妹に必死に呼びかけた。
 あの土蔵事件以来、実に三日三晩昏睡状態にあった琴を、浩吉はほとんど眠りもせずに看病していた。しかし少女には自分が三日も眠り続けていたという事が分からないのだろうか、兄の姿を認めると、「にこっ・・・・」と無邪気な笑みを浮かべた。

「こと・・・・?」

 浩吉はこの無垢な笑みにむしろ不安を抱いた。
 幼い頃から体が弱く、またその事を家人に済まないと思い詰めてきた気弱な少女らしからぬ、それは一点の汚れも持たぬ聖女の笑みだった。よもや少女の幼い命は自らの最期を悟り、つかの間の輝きを取り戻したに過ぎないのではないだろうか。
 少女はそんな兄の不安をよそに、浩吉の手をきゅっと握ると、夢見るようにこう言った。

「兄さま・・・・わたし、夢を見たの」
「琴?」
「私にとてもよく似た娘がいたの。私と同じ顔をした、私と同じ力を持った女の子・・・・でもね、その子は私と違っていたの。あの力を上手に使いこなしていたのよ」
「こと・・・・・・」
「だからきっと、私にも出来るわ。うんと修練を積めば、きっと父さまや母さま、それに兄さまたちにももう心配をかけなくても済むようになるわ・・・・」

 浩吉は少女の瞳が朦朧となりかけていることに気づいた。
 少女の言葉は兄に語りかけていると言うよりは、譫言のようだった。浩吉の手を握る少女の手からは徐々に力が抜けていき、白い顔は刻々と血の気を失っていった。

「だからもう・・・・心配しないで。ああ、それにしてもあの娘は一体なんだったのかしら」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「あれは『いま』じゃない。きっともっともっと先の事・・・・ひょっとすると・・・・」

 そう言って少女は浩吉を見つめた。
 少女の顔は、浩吉がこれまで見たどの笑みよりも、明るく清らかな笑みを浮かべていた。

「ひょっとすると・・・・琴の・・・・」

 それが、少女の最期の言葉だった。



                     結


 明治のはじめ、不可思議な神通力を持っていたとされる少女・琴の記録は残されていない。
 時代は徳川の因習から脱し、西洋化の波が訪れていた。科学や文明の恩恵を知った人々は、古い伝承や土着の知恵を悪しきものとし、それらを駆逐していった。狐つきと噂され、神通力を奮うとされた少女のことなど、肝心の少女が逝去してしまっては、三月と立たぬ内に忘れ去られていった。
 千里眼を持つと評判になった女性を福来教授が調査研究し、日本において最初の超心理学の先駆けとなるも、学会からの総スカンを食らって学会を追われることになるのは、後年のことである。

 余談ではあるが、無事に父の跡を継いだ浩吉の次男に当たる姫川清太は、日清戦争の頃の特需景気に便乗して新事業を興すべく、蝦夷(北海道)の地に渡っている。
 琴から始まって幾世代目か、再び姫川の家系に超能力を持つ少女が生まれたのは、実に一〇〇年近くたってからであった。
 あの日・・・・少女・琴が夢の中で自らと同じ血を受け継ぐ琴音の姿を見たのは、果たして琴の持つ未来視能力(プレコグニション)であったのか・・・・今となっては真相は薮の中である。


                    おわり




あとがき

 どうも、さすらいの暗黒作家・RINです。(一度使ってみたかった)
 今までマルチSSしか書いたことのない私めが、なんとなんとの琴音SSに挑戦です。
 てゆーか、琴音SSって言ってもいいのでしょうか、これ??
 しかも時代考証めちゃくちゃ怪しすぎるし。読んだ方の中には相当数、「これおかしーんぢゃねーの?」とか感じる方がいらっしゃると思いますが、まあ笑って許してつかぁさい。
 まあ、最初から予想できたことですが、ああいうラストになってしまったのはやむを得ないという事で。最初は琴音ちゃんは琴の直系の子孫という設定だったんですが、無理があるじゃろ、てことでああいうことになってしまいました。でも、彼女は一応未来に希望を見いだして逝った、と言う事でハッピーエンドだと思って下さい。てゆーか、思え。(あっ、失礼)
 あと、琴音ちゃんは琴の生まれ変わり?という予想が容易に立つでしょうが、それについてはノーコメント。作者的には否定も肯定もしませんことよ。それと、浩吉と浩之は全然似てません。名前が似ているのは偶然なので、「この二人も実は生まれ変わり?」とゆーのは、きっぱり否定します。
 でわでわ、このSSでほんの一時でも皆様が楽しんでいただけたことを拙に希望して・・・・

                               RIN


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