ある日の藤田家。
「ず、ずびばぜぇぇぇぇん!」
マルチが泣き声で謝る。
「あ、いや、そんなに泣くなよ。そんなに重要なもんでもないんだし、な」
謝られている側の浩之は、マルチの頭を撫でて、何とかなだめようとする。
しかし、マルチはなかなか泣き止まない。
「で、でも、頼まれたことを忘れてたなんて、メイドロボ失格ですぅ〜」
「だから、別に急ぎじゃないんだから、そんなに気にするなって」
話は昨日に遡る。
浩之はマルチに、ある手紙をポストまで出してくるよう、頼んでいたのであった。
しかし、マルチは今まで、そのことをすっかり忘れていた。
先ほど浩之に手紙のことを尋ねられて、やっと思い出したのである。
「ううっ、何とお詫びしてよいのやら……」
ほとんど土下座状態のマルチ。頭がすりきれそうなほど何度も低く謝り続けている。
対する浩之は、ソファーに座ったまま、困った顔でそれを見ていた。
「あーあー、詫びなんていいって」
そう言ってから、浩之はあることを思い付いた。
その手には、出してもらうはずだった手紙がある。
「……そうだな、どうしても詫びたいってんなら、ちょっと頼み事したいんだが」
「え? は、はいっ! 私、何でもします!」
浩之の言葉に、マルチが食いつくように顔を寄せた。
「あ、ああ、この手紙、今から出してきてくれや」
浩之は手に持っている手紙を、マルチの手に渡す。
マルチは、まばたきひとつ。
「え? 手紙を……ですか?」
マルチの言葉に頷き、浩之は笑顔で言葉をかける。
「ああ、超特急で頼む。いいな?」
「はいっ! すぐに、行ってきますっ!」
汚名返上のチャンスを与えられたマルチは、浩之から手紙を受け取ると、慌しく玄関に向かう。
「行ってきますっ!」
「足元に気をつけろよ〜」
出ていくマルチを玄関から見送った浩之は、ほっと一息ついて、居間へ戻った。
☆☆☆
「お疲れ様です」
苦笑して出迎えてくれるマリオ。
どうも、一部始終を見ていたようだ。
「ああ、ちょっと疲れたかな」
浩之も苦笑して、言葉を返す。
そして、よっこいしょ、とソファに腰を下ろした。
「マリオ、お茶入れてくれるか?」
浩之の頼みに、湯呑みに茶を注ぐマリオ。
「はい、どうぞ」
「おう、サンキュ」
湯呑みを受け取り、それを口にする。
「……うーん、ぬる過ぎず熱過ぎず。さすがだ」
思わず浩之がつぶやく。それほど、そのお茶は美味かった。
煎れ方はいいのは当然だが、最近のマリオは茶葉のブレンドもやり出して、実に本格的であった。
「ありがとうございます♪ 今日は宇治茶をベースにしてみたんですよ」
「うん、美味い美味い」
笑顔で話すマリオに、浩之も連られて笑顔になる。
しかし、ふと先ほどのマルチとのやりとりを思い出し、表情を暗くした。
「……しかし、マルチにも困ったもんだな」
ズビズビと茶をすすりながら、浩之はひとりごとのようにつぶやいた。
「……あ、あの、マルチ姉さんのミスは、あまり気にしないようにした方が」
浩之の言葉を気にしたのか、マリオがそう話しかける。
しかし、浩之はその言葉に首を振った。
「いや、ミスはいいんだよ」
その言葉に、マリオは目を点にさせた。
「え? ……じゃ、何が?」
「ミスの後、謝りどおしなのがちょっとなぁ。気にすんなって何度言っても、泣いて謝ってばかりだ」
ミスのことではない、とわかったからか、マリオの表情がいくぶん緩んだ。
「それはマルチ姉さんの性格ですから……」
「ま、そりゃそうなんだよな。泣き顔も可愛いって思うから別にそれほど気にしてないけど」
浩之のその言葉に、なぜかマリオが言葉を失った。
口をぱくぱくさせて、やっとのことで声を出す。
「な、泣き顔も可愛いって……」
「ん? どした」
驚いた顔のマリオを見て、浩之が尋ねた。
マリオは、少し顔を赤らめ、モジモジしながら浩之に対し口を開く。
「浩之さんってサドっ気があったんですねぇ……」
言われて、顔を真っ赤にする浩之。
そしてブンブンと首を振って、マリオの言葉を否定する。
「ち、違う! マルチが妹みたいに思えて可愛いって、そういう意味だって!」
「いえ、自分を偽らなくても結構です。私は、サドもマゾも否定しませんから……」
「違うって!」
「いいんです、愛する形は人それぞれですから」
顔を赤らめて、恥じらうマリオ。
もはや浩之の言うことなど聞いてないモードである。
浩之は、そんなマリオに鋭い視線を投げかけた。
「あのなぁ……いい加減にしないと、しまいには泣かすぞ」
ピタ、と恥らうポーズのまま、マリオの動きが止まる。
そして次の瞬間には、普段の顔に戻っていた。
「冗談です。私、泣かされたくはないです」
「そうか、わかればよろしい」
ふう、と息をつく浩之。そして茶を飲もうと湯呑みを持ったが、中は空だった。
その様子を見たマリオが、急須を浩之の湯呑みに持っていく。
「お茶、お代わり入れますね」
「ああ」
湯呑みに茶が入るのを見ながら、浩之はふとあることに気付いた。
「そういや、マリオの泣き顔って見たことないよな」
「ええ、見せた憶えもありませんよ」
急須を傾けたまま、マリオが答えた。
「マルチのはしょっちゅう見てるけど……お前は泣かないのか?」
茶が入り終えた様子を見て、浩之は湯呑みを手に持ち、そしてマリオに質問した。
マリオはまず急須を手元に置いてから、浩之の質問に答えた。
「人前では泣きませんよ。悲しい時は、一人で泣いてます」
「一人でって……」
浩之はマリオの言葉を聞き、茶を飲もうとしていた動きを止め、マリオの顔を見つめた。
「そう……昨日も、一昨日も、その前の日も……」
遠い目をして、寂しげな笑みを見せるマリオ。
「暗い部屋で、寂しくすすり泣いていたんです……」
浩之は驚いた顔で、マリオに問いかける。
「なっ……お前……そんな、毎日悲しいことがあるのか!? 誰かにいじめられているとかっ?」
「そうなんです……。私、いつもあんなことやこんなことを……」
(誰なんだっ!? 俺の可愛いマリオをいじめるのは!?)
怒りの余り、湯呑みの中のお茶をこぼしそうになった。
浩之は何とかその怒りを静めようと、そのお茶に口をつける。
……その時、マリオが真顔で告白した。
「浩之さんに毎日毎日セクハラされて、私、いつも泣いてるんです……」
「ぶはっ!?」
いきなりの言葉にお茶を吹き出してしまう。
その様子を見て、マリオの表情が普段の笑顔に戻った。
「……というのは冗談です。泣いてなんていませんよ」
「冗談だぁ?」
浩之は顔をしたたる茶を拭おうともせず、マリオに聞き返した。
「ええ。正真正銘の冗談です」
マリオはケロっとした顔でさらりと言い切った。
そして取り出したハンカチで、浩之の顔を拭う。
「マリオ……お前、悪趣味な冗談言うんだな」
マリオに顔を拭ってもらいながら、憮然とした表情で浩之は呟いた。
セクハラしてるのは事実であるだけに、一瞬ではあったもののかなり本気にした浩之であった。
「……笑えません?」
首を傾げるマリオに、思わず語気を荒げてしまう浩之。
「笑えんわっ! 誰がお前をそんな性格にしたんだっ!」
「ええと、人格プログラムは七瀬さんが構築しましたけど、冗談を言うあたりはオリジナルに似せてあるって言ってましたよ?」
「オリジナル?」
聞き返す浩之の言葉に、マリオは頷いて、
「私のモデルの綾香さんです」
……と答えた。
名前を出されて、浩之は綾香のことを想像し、頷く。
「……確かにあいつなら、これくらい言うかもしれん」
「ですよねぇ」
浩之たち2人は妙に納得してしまった。
☆☆☆
ちょうどその頃、どこかの山中にて。
「ふぇっくしょん!!」
急な綾香のくしゃみに、一緒にトレーニング中の葵がびっくりする。
「ど、どうしたんですか綾香さん。風邪ですか?」
「あ、あー何でもないわよ。ちょっと鼻がムズムズしただけ」
鼻をこすりながら、綾香は答えた。
「そうですか。それなら安心です」
「んー、でもなんか、悪口を言われた気分。好恵あたりが陰口叩いてるのかしら」
綾香がそう言った途端、近くの茂みからガサガサッと何者かが現れた!
「失礼ね! 何で私があんたなんかの陰口を叩くのっ!!」
「好恵!?」
現れたその人物は、坂下好恵その人であった。
「……よ、好恵さん……何をしてるんですか?」
坂下を見て驚く葵。
……それもそのはず、好恵は迷彩服を着込み、顔にも迷彩、頭には木の枝がくくりつけてあったのだ。
誰が見ても、怪しいことをしてるのは明白であった。
「べ、別に、ななな何も、怪しいことなんてしてないわっ!! わ、私もトレーニング中だったのっ!」
「ふぅぅぅん? とれぇにんぐ中ねぇぇぇ」
ニヤニヤ笑いながら、綾香は坂下の言葉に疑問の声をあげた。
「し、失礼なっ、別に綾香と葵が気になるから、迷彩服着込んで影からこっそり見てた、なんてことはないわっ!」
好恵は真っ赤になってまくし立てた。
「好恵……。図星突かれた時に誤魔化すつもりで逆にバラしちゃう癖、全然治ってないわね」
「うっ……そ、そんな……。私は、別に……」
綾香に指摘されてしどろもどろになる好恵。
そんな彼女を見かねて、葵が助け船を出した。
「あ、あの好恵さん、偶然会ったのも何かの縁ですし、一緒にトレーニングしませんか?」
「え? え、ええ、そそそそうね、偶然会っちゃったんだもの、しょうがない、一緒にやりましょうかっ!」
助かったとばかりに、好恵はその提案に乗る。
(あーあ、葵もお人好しなんだから。こーいう時は容赦なくからかうのが楽しいのに)
誰に見せるでもなく、綾香は肩をすくめた。
「そうだ、山を降りたら浩之たちをからかいに行こうかなっ?」
一人呟く綾香。浩之やマリオのことを思い出してニヤニヤと笑っている。
「綾香さん、それじゃ3人でトレーニング再開しましょう」
「はいは〜い、了解♪」
葵の言葉に綾香は笑顔で答えた。
「何を一人で笑ってるんだか……変な奴だ」
坂下がポツリと洩らすと、綾香はいやらしく笑って好恵の肩を叩いた。
「ふっふっふ、大丈夫大丈夫。ストーカーみたいなことをやる人よりはまともだと思うからぁぁぁ」
「さ、さあっ!! いくよ2人ともっ!!」
綾香の声を聞こえないフリをして、坂下は走り出した。
「あ、好恵さん待ってくださ〜い」
続いて葵が走り出し、綾香も遅れないよう2人についていくのだった。
「うふふふー、下山後が楽しみだなぁ♪ マリオに浩之、待ってなさいよぉ〜」
☆☆☆
「ぶえっくしょおいっ!!」
豪快にくしゃみをかます浩之。
「ど、どうかしました、浩之さん?」
浩之の急なくしゃみに、マリオは驚いている。
浩之は鼻を擦りながら、心配ない、といったように手をあげた。
「い、いや、別に。噂でもされたかな?」
その言葉に、マリオが真顔で返す。
「噂をされるとくしゃみをするという、非科学的で根拠の無いあの迷信のことですね」
「非科学的……か。そう真っ向から否定されると何も返せんが……」
マリオの言葉に苦笑する浩之。
その時。
「ふ……ふぇくちょん!」
急に、マリオも可愛いくしゃみをした。
「マリオもくしゃみするんだな……」
浩之は妙に感心してしまう。
「……私たちメイドロボがくしゃみをするのは、純粋に吸気口にゴミが入った時だけですよ」
ポケットに入れてあるティッシュを取り出し、マリオは鼻をふきふきした。
吸気口と言ってはいるが、単に鼻の穴のことである。
「ほぅ」
「……でもおかしいですね、センサーではゴミは感じられなかったのに……」
「やっぱり噂されてるんじゃないのか?」
ニヤリと笑って、浩之が口を出した。
「非科学的な物は信じられませんよ」
マリオはムッとした顔で浩之に言い返した。
対して浩之は笑顔で話す。
「いいじゃないか別に。信じたって」
「非科学的な物を肯定してしまうのは、私たちの存在意義に反しますっ」
語気を荒げてマリオは答える。
その様子に、浩之は少し考えこむ。
「ふぅーん、存在意義ねぇ……。じゃ、メイドロボはみんなそう思ってるのか?」
「ええ、当然です」
キッパリと言い切るマリオ。
「ただいまです〜。お手紙、今度はちゃんと出してきました〜」
玄関からマルチの声が聞こえてくる。
そして、マルチが笑顔で帰ってきた。
その笑顔は、使命を達成した充実感から来るものだろうか。
「お、マルチ。いいところに帰ってきた」
マルチの顔を見て、浩之はニヤリと笑った。
「???」
マルチは、よくわからないといった表情で、浩之とマリオの顔を見比べる。
浩之はそんなマルチに、質問を投げかけた。
「お前は、『噂をされるとくしゃみする』っていうのを信じるか?」
浩之の言葉に、マルチは大きく頷く。
「はいっ、信じます! だって、私も何でもない時によくくしゃみしますからっ」
その返答を聞いて、ニヤニヤしながらマリオの方を向く浩之。
「だってよ、マリオ? さっきキッパリ言い切ったのは誰だったかなぁ〜?」
得意顔で浩之はマリオにそう言った。
「そ、そんなっ……」
愕然とするマリオ。
ジェネレーションギャップならぬ『ロボテーションギャップ』にショックを受ける。
クラクラとめまいに似た感覚を覚えるマリオ。
しかし何とかそれに耐え、マリオは立ち上がった。
「え、えと、科学の粋を集めて作られた私たちの存在意義はですねっ」
マルチに自説を説こうとするマリオであったが、しかしそれはマルチには届かず。
マルチは、ポンと手を叩いて浩之に話しかける。
「そうですっ。あのですねっ、さっき隣りの猫さんが顔を洗ってたんで、明日は雨になりますよ〜」
「おう、そうかそうか」
何気ない会話であったが、この追い打ちアタックにより、ヒザをついてしまうマリオ。
「わ、わたしたちのぉ、存在意義はぁ〜」
ヘナヘナと座り込んでしまう。
そんなマリオの頭を、浩之はポン、と軽く叩いた。
「マリオ。非科学的だからって信じないってのはダメだぞ」
手を置いたまま、浩之は優しく話しかける。
「世の中には、まだ科学で解明出来てないことがいっぱいある。それらを『非科学的』とひとくくりにして信じないでいると、もう人間は進歩なんて出来なくなってしまうんだ」
「浩之さん……」
浩之の手の温かみを感じながら、マリオは浩之の顔を見つめる。
「人間たるもの、柔軟に物を見れないと生きていけない。そして、人間と共に生きるメイドロボもしかりだ」
「浩之さん……。それは……」
「ん?」
マリオの言葉に、浩之は顔を寄せて聞き返した。
そんな浩之に対し、真面目な顔で質問するマリオ。
「それは、私に迷信を信じろ、と言っているんですか?」
「まぁ、要約すればそういうことだ」
マリオの頭を撫でながら、浩之は答えた。
(何故だろう……。心が落ち着く……)
頭を撫でられ、マリオはその安らぎの感覚に心奪われそうになる。
しかし、ぷるぷると首を振って、浩之の手と一緒にその感覚を振り切った。
「か、考えてみますから」
それだけ言って、マリオはバタバタと台所へ逃げていった。
「……何なんだ?」
マリオが去った後を見て、不思議がる浩之。
「さぁ……どうしたんでしょう」
マルチもまた、台所の方を見て首を傾げた。
「ど、どうしたんだろう、私……」
台所は逃げ込んだマリオは我に返って考えた。
「今までに感じたことのない感覚……温かくて、他に何も考えられなくなりそうな、そんな感覚だった」
浩之に撫でられていた部分に、自分の手を当ててみる。
しかし、今は何も感じない。
マリオはいつのまにか熱くなったモーターを冷やすべく、深呼吸して空気を取り込んだ。
「すぅ……はぁ……すぅ……」
何度か繰り返して、落ち着きを取り戻す。
そして先ほどの未知の感覚のことは、メモリの片隅に追いやることにした。
「原因は解明しなくても……普段の仕事には支障ないよね」
独り言を呟きながら、マリオはそろそろ迫った食事の用意をすべく、準備を始めるのだった。
☆☆☆
ある日の朝。
「マリオ〜。茶くれ」
朝食を終え、近くにいたマリオにお茶のリクエストをする浩之。
「はい、今入れますから」
茶葉の入った急須にお湯を入れ、取り出した湯呑みにそれを注ぐ。
その時。
「あっ……」
マリオが声を上げた。
「なんだ、どうした?」
浩之はすぐ、マリオのそばに歩み寄った。
「ホラ、見てください」
嬉しそうな顔で、マリオは湯呑みを指差す。
「ん?」
浩之がのぞき込むと……。
湯呑みの中に、茶の真中に立つ茶柱があったのだった。
END
あとがき
ども。李俊でおま。
ようやく、マリオの心に関わる話になってきたかな〜という感じです。
『ただのコメディ』ではなく、『コメディではあるけれど、最終話を見据えた、伏線を張りながらーの展開』に持っていける手応えを感じております。うしっ。Σo(≧∇≦)
次回は綾香も絡ませてくんずほぐれつ……もとい、話を展開させたいと思ってます。
あと、物語の鍵を握る七瀬君も。
これからの展開はどうなるのかっ!?
自分でも細部は全く考えてませんっ!(ォィ
まぁ、大まかな筋書きは考えちゃいますが……まぁそんなもんはあって無きがごとし。
んでは次回にご期待あるべし。では〜。
(BGM:行殺・新選組サントラ)