朝。
「浩之さん、朝ですよ〜。起きてくださぁ〜い」
「むにゅ〜。あと5分〜」
ゆさゆさと揺り起こされ、浩之はまどろみの中、この気持ちいい時間の延長を請う。
「そろそろ起きないとダメですよ〜」
声を掛けられても、まったく起きる気配がなく、もぞもぞと動くだけだった。
布団を頭から被り、全く起きようともしない。
「うーん、もう少し待ってくれ、マリオ〜」
「え〜と、マリオさんはいないんですよ〜」
ガバッ。
「わわっ……」
いきなり起き上がった浩之に、マルチが驚いている。
「あれ? マルチ?」
寝惚けた顔で、マルチの顔を見る浩之。
どうも、マリオがいない、と言われたことを確認するために起き上がったようだった。
「あ、そうか。昨日のアレ……」
だんだんとはっきりしてくる意識の中で、浩之は昨日の出来事を思い返していた。
マリオが原因不明のフリーズを起こしてしまい、今は長瀬主任に預かってもらっているのだ。
現在家にいるメイドロボは、マルチ一人。
以前はそれが当たり前だったのに、マリオがいないことで寂しさを感じてしまう浩之であった。
「すまないなマルチ、一人しかいないのに世話させちまって」
浩之に声を掛けられ、マルチは首を振って笑顔を見せた。
「いえ、最近はマリオさんのお陰で楽をさせてもらってましたから、久しぶりにやる気が出ます!」
ぐぐっと両コブシを握り、気合を入れるマルチ。
そんな彼女を見て、浩之は苦笑した。
「あんまり力入れるなよ……。そういう時に限って、飯焦がしたりするんだから」
浩之にそう言われて、マルチはハッと何かに気付いた。
「ああ〜〜〜〜〜〜! ご飯の用意の途中でしたぁぁ〜〜〜〜!!」
そう言ってバタバタと部屋から出ていく。
「おいおい……」
浩之はげんなりした表情で、布団に顔をうずめた。
「朝くらいはまともに飯食わせてくれよ……」
昨日の夕食がラーメン1杯のみだっただけに、浩之の現在の腹はかなりハングリー状態であった。
☆☆☆
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。
その時、浩之は台所で朝食を取っていた。
おかずは、少し焦げた目玉焼き。一応、食える範囲のコゲである。
「私が出ますね〜」
マルチがパタパタとスリッパの音を鳴らし、玄関へと出ていく。
「誰だ? 長瀬のおっさんのわけはないだろうし……」
考えながら、箸を動かし続ける浩之。
ほどなくして、マルチが戻ってくる。
「あかりさんでした〜」
「あかり?」
浩之が振り向くと、あかりが台所に入ってきていた。
「おはよう、浩之ちゃん」
クマ模様の手提げバッグを持ち、あかりは笑顔で挨拶をした。
それに対し、浩之はぞんざいに左手を上げて挨拶。
「よう、今日はどこにお出かけだ?」
浩之がそう聞くと、あかりは苦笑しながら浩之の横の椅子に座る。
「おでかけって、今日は大学の講義でしょう?」
「確かに俺はそうだけど、お前は?」
「私も同じ講義なんだよ。だから迎えに来たんだけど……」
そう言ってから、あかりはキョロキョロと周りを見回している。
「どうした?」
浩之が聞くと、あかりは見回しながら答える。
「あ、うん、マリオちゃんの姿が見えないな〜と思って」
「ああ、マリオなら現在入院中だ」
浩之は食べ終わった茶碗を置いて、あかりの疑問に答える。
入院、という言葉を聞いてあかりが目を見開いた。
「ええっ! どこの病院!?」
あかりの真っ正直な反応を、気だるそうに左手を振って打ち消した。
「アホゥ。メイドロボが病院行くか。長瀬のおっさんに預けてあるんだよ」
「あ、そうか」
浩之に言われて、我に返るあかり。
……言われなければ、そのまま病院に見舞いに行きそうな感じだった。
「……どこか悪いの?」
「部品の故障みたいだって言ってたけどな。そのうち戻ってくるって」
マルチから食後の茶を受け取って、それをすする浩之。
「そうなんだぁ……。けっこう、心配なんでしょ?」
あかりは少し笑みを見せながら、浩之の顔をのぞきこんだ。
「別に。そんなこたぁない」
ちょっと顔をそらして、浩之はあかりに答えた。
しかし、あかりは身を乗り出して、なおも聞く。
「そう? 浩之ちゃん、顔に心配でしょうがないって書いてあるよ?」
「……マルチが寝てる間に落書きしたんだろ」
浩之のその言葉に、マルチは泣きそうな顔で弁明する。
「はぅ〜、私落書きなんてしてませんよぉ〜」
「あぁ、いいのよマルチちゃん。今のは浩之ちゃんギャグだから」
マルチをなだめるあかりを横目に、浩之は茶をすすりながら、憮然とした表情で話す。
「…マリオの心配をしてるのはマルチだけだ。俺が心配してるのは食事がちゃんと食えるかってことぐらいだよ」
だが、言われたあかりはそんな浩之を見て、口元を緩めていた。
「ふう〜ん、ホントにそうなのかな〜?」
「なにヘラヘラ笑ってるんだよ」
「別に〜」
浩之の言葉にも、その表情は変わらなかった。
まるで、「全てお見通し」という顔。
浩之はあかりに見つめられて、なんとなく居心地の悪さを感じていた。
その時。
プルルルル…。
「あ、電話」
あかりの口からその言葉が出るとほぼ同時に、浩之が立ち上がる。
そのままスタスタとコールし続ける電話の方へ向かって、台所から消えた。
「…浩之ちゃん、素直じゃないんだから…」
テーブルに両ひじをついたまま、あかりは浩之を見送る。
その顔には、まるで小さな子供を見つめる母親のような、そんな笑みを浮かべていた。
「はい、藤田です」
電話に出た浩之の耳に聞こえてきたのは、予想した通りの声であった。
『やあ、浩之君。マリオの故障箇所が特定できたよ』
長瀬の声は昨日より多少トーンが落ちている。
徹夜明けだ、ということが容易に想像できた。
「…ホントですか?」
『ああ。故障箇所は目のCCDカメラ。こいつを交換してちょちょいっと調整すれば、明日にでもそっちに帰せると思う』
「そうですか…やっぱり原因はゲームですか?」
『それについては、そっちに行った時に説明するよ』
「わかりました」
『それじゃ』
浩之が返事をするやいなや、プツッと切れてしまった。
「まあ、ひとまず安心ってところだな」
受話器を起きながら、浩之はふう、と一息。
「よかったね」
「そうだな…」
背後からの声に、頷く浩之。
しかし、ハッと気付いて後ろを振り向く。
「……お前!? いつのまに!?」
後ろには、あかりが笑顔で立っていた。
「マリオちゃん、すぐ帰ってこれるんでしょ?」
「…聞いてたのか?」
浩之の問いに、あかりは横に首を振る。
「聞いてないよ。でも、浩之ちゃんの顔に書いてあるから」
あかりは浩之の表情を見て、すぐにマリオが大丈夫だということを見抜いていた。
その顔を見て、苦笑する浩之。
「ったく、お前には敵わないな」
ぺし、とあかりのおでこを叩く。
「えへへ」
浩之に叩かれて、怒るどころか、ますます笑顔になるあかり。
「さて、マルチにも教えてやるか……って」
戻ろうと一歩踏み出した浩之は、扉の影から生えている白いアンテナを見つけた。どうもマルチがそこに隠れているらしい。
マリオのことが心配で、聞き耳を立てているようであった。
「マルチ〜。隠れて聞くんなら耳も隠せよ〜」
「わわわっ」
言われてマルチは、ワタワタと慌てて台所に戻っていく。
「はははっ、転ぶんじゃないぞっ」
浩之とあかりは笑って、その様子を見ていた。
☆☆☆
翌日。
長瀬は、マリオを伴って藤田家を訪れた。
客間で浩之はマリオと共に、長瀬から今回の経緯の説明を受けていた。
「やっぱり、予想した通りだったよ」
「やっぱり…って何がだよ」
浩之の言葉に、長瀬はひとつ頷き、口を開いた。
「説明しよう」
「マルチやセリオ、つまりHMX−12と13の試作メイドロボ2人は、全てオーダーメイドの試作品で作ってるんだ。部品の一個一個が高性能の固まりで、故障も極端に少ない」
長瀬の言葉に、浩之は頷いた。
「それはわかる。マルチが異常を訴えたことなんてほとんどないからなぁ」
「対してマリオは、HM−12、13といった量産メイドロボの部品を使い、コストの安い部品で高性能を引き出すために作られたカスタムメイドロボなんだ。つまり、故障率は通常のメイドロボと同じ率になる」
「だとするとどうなるんだ?」
長瀬は、浩之のその問いに答えず、説明を続ける。
「今回、マリオはゲームをずっとしていたよね」
「ああ、俺が頼んだら朝から夕方までずっとやってた」
「ということは、画面を長時間、見つめ続けていたことになる。君が同じことをしていたら、どうなるかな?」
浩之は少し考え、答えた。
「目が疲れるな」
「そう。マリオにもそれと同じことが起こったんだ」
長瀬はそう言って、出されていた茶を一口すすった。
「同じ?」
浩之が聞き返すと、長瀬はひとつ咳払いして逆に質問する。
「藤田君、君はパソコンのモニタが焼き付いてしまうという現象を知ってるかな?」
「それくらいは知ってるぜ。それを防ぐために、スクリーンセーバーがあるんだろ?」
「その通り」
浩之の言葉に長瀬は、まるで生徒に教えている先生のような笑顔で頷く。そして次の句を告げた。
「……しかし、マリオにスクリーンセーバーは付いていない」
その言葉に、浩之は身を乗り出す。
「目のカメラの部分に、画面が焼き付いちまったってことなのか?」
「そういうこと。カメラを取り替えたらすっかり治っちゃったよ」
実際には、OSの調整等、色々と細かいことをしてはいるのだが、長瀬はそのあたりは省略して説明した。
浩之は、気が抜けたみたいに、ソファーの背もたれに背中を預ける。
「なんだよ…。だったらマルチと同じカメラを付けといてくれよ」
「いや、そうもいかない。マリオは量産機の部品のテスト機でもあるんだ」
「じゃあ、また同じようなことが起きるぜ?」
浩之の心配の声に、首を振る長瀬。
「それは心配ないよ。ある秘密兵器を開発しておいた」
「秘密兵器?」
浩之の言葉には答えず、長瀬はごそごそと胸のポケットをまさぐり、そこからある物を取り出す。
「それは……」
「何に見えるかね?」
悪戯っぽい笑顔を見せる長瀬。
彼の手の上にある物を見て、浩之は答えた。
「どうみても眼鏡に見えるけど?」
「ああ、眼鏡だよ。ただし、普通の眼鏡じゃない」
普通じゃない、と言われて、浩之は考え込んだ。
「ということは……着けると変身ヒーローになれるとか?」
浩之のその言葉に、呆れる長瀬。
「あのねぇ…。これは、焼き付き防止のための特殊なフィルターを使っている、メイドロボ専用の眼鏡さ」
そう言って長瀬は、細いフレームで出来たそれをマリオに差し出す。
ずっと黙って座っていたマリオは、それを受け取った。
「とりあえず、掛けてみなさい」
長瀬に言われ、「はい」と返事をしてマリオはその眼鏡を掛けてみる。
「どうだね?」
長瀬の言葉に、浩之は大きく頷いた。
「いいと思うぜ。理知的な感じがして、すごく似合ってる」
「今の言葉、マリオへ向けたもんなんだけどねぇ……」
長瀬は浩之をジト目で見る。
「あ、いやその……どうだマリオ?」
ごまかそうとマリオに話を振る浩之。
「別にこれといった変化はないですけど……」
「ま、そうだろう。長時間、画面を見続ける作業の際にはそれを使うように」
「はい、わかりましたっ」
長瀬に言われ、笑顔で頷くマリオ。
その後、浩之は、長瀬をマリオとマルチと一緒に玄関まで見送った。
「さてマリオよ……」
長瀬が出ていった後、浩之はマリオに振り返って、話を切り出した。
浩之の表情はいつになくマジだ。
「はい、何でしょうか、浩之さん」
前と変わらぬ笑顔で、マリオが答える。
「その……眼鏡、いつも掛けててくれないか?」
「は?」
浩之の言葉を聞いて、マリオの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。
「いや、その、眼鏡姿が可愛いのでいつも掛けてて欲しいな〜と……」
「却下します」
浩之が全て言う前に、ムッツリした顔でマリオが返答する。
「ええ〜? いいじゃないか、別に掛けてて不都合あるってわけじゃないだろ?」
さっきのマジな顔はどこへやら、情けない顔で懇願する浩之。
「いいえ、浩之さんがもっといやらしい目で見るという不都合があります」
つーん、とマリオはそっぽを向く。
「くぅぅぅ……男の夢がぁぁ」
実際どれだけの男が眼鏡を掛けさせたがるかはわからないが、とにかく、浩之にとってはそれは絶対的な男の夢であった。
がっくりとうな垂れる浩之。見かねて、マルチが声を掛けた。
「あ、あの……私でよければ掛けてもいいですよ?」
「え? い、いや……マルチは眼鏡掛けてもしょうがないだろ」
浩之のその言葉には、『眼鏡を掛ける必要がない』という意味と、『眼鏡を掛けても大して萌えない』という2つの意味が込められていた。
「そ、そうですよね……意味がないのに、眼鏡を掛けてもしょうがないですね」
「そういうことなら、私も普段は掛けててもしょうがないですよね」
マルチの言葉に、マリオが便乗する。
哀れ、浩之の男の夢は、無残にも砕かれたのであった。
「眼鏡は男のロマンなんじゃ〜〜〜」
浩之の虚しき叫びがこだました。
☆☆☆
「浩之さん、朝ですよー。起きてくださぁい」
「むにゅ〜。あと5分〜」
ゆさゆさと揺り起こされ、浩之はまどろみの中、この気持ちいい時間の延長を請う。
「そろそろ起きないと遅刻ですよー」
声を掛けられても、まったく起きる気配がなく、もぞもぞと動くだけだった。
布団を頭から被り、全く起きようともしない。
「うーん、もう少し、もう少し〜」
「え〜と……浩之さん、この下着、似合うと思いますか?」
ガバッ。
「あ、起きた」
いきなり起き上がった浩之を、マリオが笑顔で見ている。
「あれ? マリオ……お前、下着姿じゃないの?」
浩之は寝惚け顔で、マリオを見つめた。
マリオは別に下着姿などではなく、普通の服にエプロンをつけた普段の姿だ。
彼女は、笑顔で手に持っている物を差し出す。
「はい、これが下着です」
それは、浩之のトランクスだった。
「は?」
わけがわからない、浩之。
「ですからぁ、この下着、浩之さんに似合うと思いますか?」
いたずらっぽい笑顔で、話しかけるマリオ。
どうやら、起こすための引っ掛けだということに浩之は気付いた。
「くそ〜。朝からなんか損した気分だ……」
「そうですか? いつもよりは、得だと思うんですけどね♪」
じぃ〜と浩之を見つめるマリオ。
その顔を見て、浩之はあることに気付いた。
「……眼鏡?」
マリオは、いつものポニーテール姿に加えて、眼鏡を掛けていた。
「どうですか? 朝起こす時限定ですけど、それでよければ掛けててもいいですよ?」
ウィンクしながら、マリオは浩之にそう告げた。
浩之にも異存はない。うんうんと何度も頷く。
「お、おう! それでいいぜっ!」
「でしたら、起こしたらすぐ起きてくださいね〜♪」
「おっしゃあ!」
浩之はTシャツを脱ぎ捨て、トランクス一枚になった。
「な、な、なっ!? 何脱いでるんですかぁぁぁぁ!」
パァァァァン!
マリオは思わず、頬を引っ叩いてしまう。
「何って……起きたら服着替えるのは……当然……じゃないのか……?」
そう呟き、がっくりと倒れる浩之。
マリオはハッとして、浩之を抱き起こす。
「ああっ! す、すいませぇ〜〜〜〜〜ん!」
薄れゆく意識の中でマリオの顔を見つめる浩之。
『萌え萌えだぜっ』
親指をぐっと突き出し、次の瞬間、意識を失っていた。
ちゃんちゃん。
あとがき
「まりお たおれる」後編をお届けいたしました。
やっぱり前後編に分けるとダメですねぇ、テンションとかいろんなものが違って、雰囲気を同じくするのに四苦八苦します。
文量も違うし……。
次回はライトな話でいくつもりです。
ではまた〜。