現在は夕刻の時。
「ふぁ〜。今日のバイトは不調だったぜぇ〜」
疲れた声を発しているのは藤田浩之。
外出先より帰宅した彼は、だるそうに玄関の扉を開けた。
彼の言うバイトというのは、正式なアルバイトではない。
昼からやっていたパチンコのことである。
彼の生活習慣は日に日に堕落していた。
マリオが説教したくなるのも(第四話参照)もっともなことである。
「浩之さん、お帰りなさいです〜」
玄関で靴を脱いでいると、パタパタとスリッパの音をさせてマルチがやってくる。
エプロン姿で片手には菜箸(さいばし)を持ち、一目で料理中だというのが判る姿だった。
「おう、今日の飯はマルチが担当か?」
「はい〜」
「じゃ、マリオは何してるんだ?」
マリオのことを聞かれ、マルチはちょっと困ったような顔をした。
「それが…」
浩之が居間に入ると、そこではマリオがテレビと睨めっこしていた。
そのテレビには、浩之が最近遊んでいるRPGの画面が映っていた。
彼女は正座をして姿勢正しく座り、ゲーム機のコントローラを握っている。
「マリオ…何でゲームなんてやってるんだよ」
背後から声を掛けられ、マリオは意識を画面の中から戻した。
振り返って浩之の姿を確認すると、笑顔を見せた。
「…あ、浩之さん。お帰りなさい」
「お帰りなさい、じゃないってぇの…。何でゲームなんてやってるかって聞いたんだが」
腰に両手を当てて、子供に注意するような口調で浩之はマリオに問う。
しかし、マリオは不思議そうな顔をする。
なぜ不機嫌なのか判らない…といった感じだ。
少し間を置いて、マリオが答えた。
「あの…。浩之さんが頼まれたことをそのままやってたんですが…」
「俺が頼んだ?」
言われて考え込む浩之。
ほどなくして、今朝の出来事を思い出した。
「そう言えば、朝プレイしてて、トイレに行きたくなって…」
「その時に、浩之さんに『しばらく戦闘して、経験値稼いでいてくれ』って言われました」
浩之のつぶやきにマリオが付け足す。
「おーおー、思い出したぜ」
(そういや、その後パチンコ行こうと思って、そのまま出てきちまったな…)
マリオが遊んでいると思ってしまったことを、少しすまなく思う浩之。
…しかしその時、ハッとあることに気付いた。
「…ってお前、俺に頼まれてからずっと今までやってたのか!?」
「はい。けっこう楽しかったですよ」
笑顔で答えるマリオ。
浩之は画面を確認して、少しあきれたような声を出した。
「楽しかったですよって…。お前、これじゃレベル上げ過ぎだぜ…」
頼んだ時は30程度だったレベルが、今はすでに70までになっていた。
最終ボスも楽勝で倒せるレベルである。
「いけませんでしたか…?」
申し訳なさそうな顔をするマリオ。
そんな彼女の表情を見て、浩之は慌てて言い繕う。
「い、いや。いけないってわけじゃないさ。いらん経験値稼ぎの手間が省けたぜ」
ホントは少しやり過ぎであるのだが、忘れて出掛けてしまった自分の方が悪い、と思い直す。
浩之は本心を隠し、マリオに笑顔で答えてやった。
『顔で笑って心で泣いて』…少し大袈裟ではあるが、そんな感じであった。
「そうですか。よかったです」
浩之の言葉で、マリオの笑顔が戻る。
…しかしその時、壁の時計が目に入ったマリオは、ふとあることに気付いた。
「…もしかして、マルチ姉さん、一人で晩御飯の用意を?」
「あ、ああ。台所にいるぜ。今日はスパゲッティにするらしいけど…」
浩之の返答を聞いて、マリオは開けた口に手を当てる。
『ついうっかり忘れてた』という感じのポーズだ。
「すいません! 私手伝いもしないで…」
「あ、いや、別に一人でも作れるだろうから別にいいって」
「いえ、今から手伝いますっ」
勢いよく立ち上がったマリオ。
…しかし。
「あ、あれ? 何か…バランスが…あれれ?」
マリオは立った状態を維持出来ず、カクン、と両膝を落としてしまった。
急に様子がおかしくなったマリオに、浩之は心配な声を掛ける。
「マリオ!? どうした、どっか悪いのか?」
「わ、わかりません…。ただ、その…外部の情報が…うまく…」
自分の変調を何とか説明しようとするマリオだったが、そこまで言ってガクンと動きを止めてしまった。
「お、おい! マリオ!」
浩之はマリオの側に立って声をかける。しかし、その声は彼女には届かない。
浩之から見た限りでは、立ったまま眠ってしまったかのように見えた。
もちろん、メイドロボである以上、そうではないことはわかってはいたが。
「おい、マリオ…」
浩之が声を掛けたその時…、グラリ、とマリオの身体が前に傾いた。
膝をついたままのバランスの悪い状態だったからだ。
「おっと!」
とっさに、浩之が手を出してそれを支えた。
何とかマリオが倒れこむのを防ぎはしたが、とっさのことだったため、彼女を正面から両手で抱きしめるような形になる。
「こ、これは…」
浩之は驚いていた。
「や、柔らかい…」
そう。
マリオを抱きしめている浩之は、彼女の身体の柔らかさに驚いていたのである。
家に来てから、マリオに触れることを拒まれていた浩之。
ここに来て、ハプニングのためではあるがマリオの身体を抱くことができ、浩之は神に感謝した。
クンクンとマリオの髪の香りを嗅いでみる。
(あぁ…いい香りだなぁ…)
シャンプーの残り香か、マリオ自体が発する香りかはわからないが、浩之は深呼吸をするようにその香りを肺一杯に吸い込んだ。
マリオはまるで眠っているかのように、目を閉じて動かない。
(それにしても可愛い…。いや、綾香をモデルにしてる時点でそんなことは判り切っていることではあるが…)
ふと、マリオの唇に目が行く。
浩之のすぐ目の前に、マリオの唇がある。
(こっ、これは…。もしや、絶好のチャーンス!?)
マリオのアクシデントなどどこへやら、浩之の意識はどれくらいイケナイことをしようかということで一杯になっていた。
息を荒くしながら、浩之は自分の唇をマリオの唇に近づけていく。
(あともう少し! あと数センチ! 俺の心は熱く萌えているぅ〜!)
すでに単なるスケベオヤジと化している浩之。
しかしその時、浩之の頭の中に、マリオが以前言った言葉が思い出された。
『私たちの心を大事に、してくださいね』
ピタ、と浩之の動きが止まった。
(俺、何かスゲェ悪いことしてるな…)
急に冷めた頭を2、3度振る。
すでに、イケナイことをしようという気は消えていた。
「すまん、マリオ」
返事が返って来ないだろうことはわかっていたが、そう言わずにはいられなかった。
(しかし、このまま抱きしめたままずっといるわけにもいかねェし…)
浩之がそう考えた時、カラン、と背後で物音がした。
「ん?」
マリオを抱いたまま、浩之は首だけ後ろへ向ける。そこには…。
「ひ、ひろゆきさん…」
マルチが呆然と立っていた。
さっきの物音は、どうやらマルチがオタマを落とした音のようである。
「ま、マルチ。あのな、これはな…」
何とか誤解のないよう、努めて笑顔を見せようとする浩之であったが、当のマルチは、浩之の言葉が届いてないようだった。
「…マ、マリオさんとそういう関係だったなんて、知りませんでした…」
「あ、あのな、誤解すんなよ」
「でも、でもでも、でもでもでも! 例え関係があるにしてもです!」
全く聞き耳を持たないマルチ。顔を真っ赤にしたまま、すうっと一息つく。そして…。
「そういうことは、電気を消してやった方がいいと思うんですぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
マルチは後ろを向き、そのまま脱兎のごとく走り去る…と思いきや。
ズダァァァァァァァァァン!
あまりにも動揺していたマルチは、自分の足で自分の足を引っかけて豪快にコケていた。
床に情熱的なキッスをかましたマルチは、ブレーカーが落ちたのか、ピクリとも動かない。
「おいおい…。どうしろってぇんだよ…」
動かないマリオを抱いたまま、これまた動かないマルチを見つめ、浩之は途方に暮れる。
そんな時、ある言葉が浩之の頭に浮かび、彼はそれを口にした。
「…だめだこりゃ」
☆☆☆
「…どう思う?」
「さぁ…。私にはさっぱり…」
横に寝かせたマリオの側で、浩之とマルチは考え込んでいた。
絶望的な状況も長くは続かず、ほどなくマルチはブレーカーが戻り、元の状態に戻っている。
しかしマリオの方は、全く回復の兆しすら見えない。
とりあえずは寝かせてみたものの、浩之たちには対処方法が思い付かなかった。
難しい顔をして、マリオの傍らに座っているしかなかった。
「電池切れ…じゃないんだよな?」
「はい、昨日充電した分が残ってるはずですし、少なくなれば警告が出ますから」
ハタ目には眠っているように見えるマリオの顔を見つめ、マルチは説明を続ける。
「…今回みたいに、いきなり動かなくなるなんてことは普通はないんですけど…」
「てぇことは故障か…。とはいえ、俺には原因がさっぱり…」
普段と違うのは『半日ゲームをやっていた』ことくらい。
だからといって、ゲームをやった程度で故障するのだろうか?
「…考えててもしょうがない、長瀬のおっさんに電話しよう」
彼はマリオを預かった時に、何かあれば電話するようにと長瀬に言われていた。
マリオをマルチに見ててもらい、浩之は電話をするべく玄関まで出る。
「ちゃんと出てくれよ…」
メモを見て電話のボタンを押しながら、ひとり呟く浩之。
番号を押し終え、掛かるのを待つ。
プルルルル…と呼び出し音の後、ほどなくして長瀬の声が聞こえた。
『はい、長瀬ですが』
「もしもし? 俺、藤田ですけど、マリオが動かないんです」
『マリオが動かない? フリーズしてるのかい?』
「そうなんです、いきなり動かなくなっちゃって…。どうすればいいですか?」
『わかった。僕らが今から行くから、マリオにはなるべく触れずに待っていてくれ』
「わかりました。寝かせたままにしておきます」
『うん。じゃ、今から行くから』
「はい…お願いします」
浩之が受話器を置いたすぐ後。
ピンポーン。
玄関の呼び出し音が鳴った。
「誰だよ、こんな時に…」
浩之は苛立たしげに玄関に下りて、扉を開ける。
「済まないけど、今ちょっと取り込み中…」
そう言いかけて、浩之はギョッとした。
「やあ、御邪魔するよ」
扉を開けるとそこには、さっきまで電話で会話していたはずの長瀬が立っていたのだ。
「早っ!? な、何で…」
言いかけてハッと気付くと、浩之は長瀬に不信の目を向ける。
「もしかして、家の外に張り込んで俺たちを監視してた、なんてわけじゃ…」
「馬鹿を言っちゃいけない」
普段は見慣れない背広を着込んだ長瀬は、浩之の言葉を一蹴する。
「マリオからサテライトサービスを通して、SOS信号が来たんだ」
「SOS?」
「うん。それでこちらに来たんだが、家の前についた途端に君から電話があったというわけだよ」
手に持った携帯電話を見せながら、長瀬が浩之に説明する。
「…だったら家の近くにいるとか言えばいいじゃないですか」
「別に伝える必要性がないと思ったからさ。電話を切って、こうして直に説明すればいいからね」
「はあ…」
長瀬の言葉に生返事を返した浩之は、長瀬の後ろに見たことのない男がいるのに気付いた。
歳は20代半ばくらい。整った顔立ちは、どちらかというと女っぽいイメージを与える。
だが表情は不機嫌そうで、浩之の目からはあまり人付き合いのよさそうな人間には見えなかった。
「えっと…。そちらさんは?」
浩之の言葉に、長瀬は男を手招きして横に呼んだ。
「紹介がまだだったね。彼は…」
「『HMX−14 マリオ』の開発に関わってます、七瀬と言います」
長瀬が紹介しようとするのを遮り、七瀬は自分で名を明かした。
「あ、どうも…藤田浩之です」
「主任、早くマリオのチェックをしたいんですが…」
浩之の自己紹介には構わず、七瀬は長瀬に確認を取る。
「ああ、そうだったね。浩之君、案内してくれないか」
「は、はあ。わかりました」
七瀬の無愛想さにとまどいながらも、浩之は2人を家の中に入れて、マリオの寝ている居間まで案内してやった。
☆☆☆
「ハードエラーが出てます。トラップに失敗して、動力が停止したみたいですね」
マリオにノート型の端末を繋いで検査していた七瀬が、長瀬に向かってマリオの停止原因を告げる。
長瀬の方はといえば、浩之とマルチに最近のマリオの行動について、メモを取りながら聞き込み調査をしていた。
彼は七瀬の方を向いて、ほっとした顔を見せる。
「そうか、それなら深刻ではないね。一安心ってとこか…。メモリ等には異常は?」
「スタックエリアもレジスタエリアも正常です。ちゃんと保護されてます」
そんな技術者2人のやり取りを、浩之とマルチは『?マーク』を顔に出して見ていた。
「ハードエラーって?」
訳の判らない浩之が質問すると、長瀬が2人に判るように説明する。
「部品の故障などの機械的なエラーのことだよ。エラー処理プログラムがまだ不完全だったから、エラー処理に失敗して動力が緊急停止、ってところさ。記憶装置にも問題はない」
「直るんですか?」
心配そうに聞くマルチに、長瀬は笑って答えた。
「そうだね、該当部品を交換して、エラー処理プログラムを組み直しすれば大丈夫だろう」
「そうなんですか〜。よかったです」
ほっとして胸を撫で下ろすマルチ。
その時、マリオの検査を終えて機器を片付けた七瀬が、立ち上がって長瀬に告げる。
「主任、車を家の前まで持ってきます」
「ああ、わかった。よろしく」
七瀬は長瀬の返事を聞くと、すぐに外へ出ていった。
「まぁ、今日のところはマリオは預かっていくよ。直り次第、連れてくるから」
長瀬は向き直って、浩之にマリオを連れ帰る旨を告げた。
それに対し、マジな顔で頷く浩之。
「頼んますよ…」
「私からもお願いします〜。マリオさんがいないと寂しいです」
マルチも涙目で頼みこんで、長瀬は困った笑いを浮かべた。
「ははは、そう力を入れて頼まなくてもきっちりやるよ。七瀬君も優秀な技術者だから安心していい」
七瀬のことが話に出て、浩之はふと長瀬に質問してみる。
「…あの七瀬って人、いつも無愛想なんですか?」
浩之の言葉に、少し考える長瀬。
少ししてから、その口を開いた。
「ああ…。確かに笑わない方ではあるけど。でも、普段はけっこう話せるいい奴だよ」
「でも、何か俺、避けられてるみたいなんだけど…」
最初の自己紹介以外、浩之と口を聞こうとしないことが気になっていた。
もっとも、会って数十分しか経ってないから、ある意味当然と言えば当然ではあるが。
「マリオのことでピリピリしてるんだよ。彼にとっては娘同然だからね」
苦笑して答える長瀬に、浩之は納得したようだった。
「そうっすか。それならいいけど」
「君と話が合うと思うけどね。今度、機会があれば話してみるといいよ」
長瀬がそう言った時、七瀬が再び姿を現した。
その手には、何やら布に包まれた2本の棒を持っている。
「主任。車の準備ができたんで、マリオを乗せましょう」
「ああ、わかった」
頷くと、長瀬は立ち上がり、マリオの元に歩み寄った。
七瀬もマリオの側に来ると、手に持っていた物をマリオの横に広げる。
どうやら担架みたいなもののようだった。
「じゃ、七瀬君は頭を」
「はい」
「せーの…。はいっ」
長瀬が足、七瀬が頭を持ち、掛け声と共にマリオを担架に乗せた。
「なんか、救急隊みたいっすね…」
側で見ていた浩之が、そう呟いた。
その浩之の呟きに笑う長瀬。
「ははは、ある意味そうだけどね。これはメイドロボのサポートセンターのマニュアルにも書いてある、ちゃんとした処置法だよ」
「主任、持ち上げますよ」
「あ、はいはい。せーの、よいしょ!」
七瀬に促されて、長瀬は担架を持ち上げる。
まるっきり救急隊員のごとく、2人は表に停めてある車へマリオを運んだ。
車も救急車のようなワゴン車で、後部座席が取り除かれてベッド状になっている。
マリオを乗せ、長瀬が助手席、七瀬が運転席に乗り込んだ。
「じゃ、なるべく早く直すから…。マルチ、それまで浩之君の世話を頼んだよ」
窓を開け、見送りの浩之とマルチに声を掛ける長瀬。
「はいっ、任せてください!」
マジな顔で答えるマルチに、浩之は心配そうな顔をする。
「おいおい、あんまりリキむなよ。力入れると失敗しやすいんだから…」
「ははは…」
そんな2人のやり取りに、長瀬が笑う。
その時、七瀬が声を掛けて、いつまでも続きそうな空気を壊した。
「そろそろ行きますよ」
七瀬の言葉に、長瀬が頷く。
「うん、わかった。…それじゃ、明日か明後日くらいまでには連絡入れるよ」
長瀬が浩之にそう告げると、浩之は真剣な表情で声を掛けた。
「頼みます…。七瀬さんも、よろしくお願いします」
浩之の言葉に、七瀬は声を出さずに軽く会釈して返す。
「それじゃ」
長瀬が手を振ると、車が走り出した。
浩之はそれを立って見送り、マルチは右手をブンブンと振って見送る。
暗くなって点けていた車のランプは、すぐに見えなくなった。
「そういや、マルチはあの七瀬って人と面識あるのか?」
家の中に入ろうとして、ふと浩之はマルチに聞いてみた。
「あ、点検の時に何度か会いましたけど…」
「その時はどんな感じだった? やっぱり無愛想だったか?」
浩之の問いに、マルチが首を振る。
「いえ、ちょっとだけしか話しませんでしたけど、優しい感じの方でしたよ〜。今日はマリオさんが心配で、他に気を配ってられなかっただけだと思います」
「そうか。…そうだよな、手塩に掛けた娘が倒れたとあっちゃあ、無愛想にもなるってもんか」
マルチの言葉で、ようやく納得した浩之。
玄関に戻り、サンダルを脱ごうとした時、彼の腹がぐぐぅと音を上げた。
「ああ、何か腹減ったな…。そういや、まだ飯がまだだったな」
「ああ〜〜〜〜〜〜!」
いきなり素っ頓狂な声をあげるマルチ。
側で大声を出された浩之は、急なことでびっくりしている。
「な、なんだ、何がどうした!?」
当のマルチは、慌てた様子で履いていたサンダルを脱ぎ、玄関を上がる。
「スパゲッティが、そのままなんですぅ〜〜!!」
「へ?」
そのままなんです、と言われてもすぐにはわからない浩之。
「マリオさんのことですっかり忘れてましたぁ!」
構わずバタバタと台所に走っていくマルチ。
そういえば、どことなく焦げくさい臭いがするような気もする。
「もしかしてマルチ、お前…」
マルチを追いかけて、浩之も台所へ向かう。
そこでは…。
コンロに掛けられたフライパンから、モクモクと黒い煙が立ち昇っていた。
マルチが来てから何代目であろう、そのフライパンはケシ炭となったスパゲッティと共に、見事に殉職を果たしていたのである。
…よく火事にならなかったものだ。
「またやらかしたか…」
「す、すびばせぇぇ〜〜〜〜ん」
浩之は結局、しばらくしてから夕食のラーメンを食うことになる。
「うまいぜ、このラーメン…」
「あうぅ、ずびばせぇ〜〜〜〜ん」
☆☆☆
さて、こちらはマリオ輸送中の長瀬と七瀬。
胸ポケットからタバコを取り出して、それに火を点ける長瀬。
あまり見ない銘柄のその煙草を一口吸って、煙を窓の外に吐き出す。
七瀬が嫌煙家なのを知っているので、多少気を使っているらしい。
もっとも、七瀬の方はといえばタバコの臭いを嗅ぐだけでもイヤなのだが。
案の定、今も臭いを嗅いでしまい、しかめ面をしている。
「……どうだい、七瀬君。浩之君にあった感想は?」
一息ついた長瀬が、運転中の七瀬に話し掛けた。
七瀬が浩之に対しどういう感じを受けたか、興味があるようだった。
「……長瀬さんが普段言うほどの好青年には見えませんでした」
しかめ面のまま、七瀬が答える。
そのしかめ面がタバコの煙のせいか、浩之に対するイメージのせいかは、外からは伺い知れない。
「まぁ、普段は遊び倒しているグータラ大学生だからなぁ。初対面だけじゃそうなるか」
長瀬は笑いながら、タバコの灰を灰皿に落とす。
そんな長瀬の笑いを遮るように、七瀬は声を荒げた。
「初対面だけじゃなくて、中身もそうでしょう。点検の時にマリオに聞いた話からもわかります!」
「おいおい、何を怒ってるんだい」
「……いえ。少し気が立ってるだけです」
七瀬が落ち付いたのを見て、長瀬が手のタバコをまた口に運ぶ。
「マリオが心配なのもわかるけどね。……浩之君は、なかなかすごい男だよ。彼ほどの男はそうはいないさ」
「そうですかね? 僕にはただの汚らしい大学生にしか見えませんでしたけど」
どうも、七瀬は浩之に対してあまりいいイメージを持たなかったらしい。
「汚らしいって、七瀬君…」
「何ですか?」
七瀬の問いに、長瀬はにこりと笑って答えた。
「汚らしいのは僕達の方じゃないか? 七瀬君は最後に風呂に入ったのはいつだい?」
「茶化さないでください! 確かに最後に風呂に入ったのは3日前ですけど……」
「ははは、僕は1週間前さ」
「僕が言いたいのはそういうことじゃなくて…」
笑う長瀬に、七瀬は思わず横を向いて訂正しようとする。
そんな七瀬に、運転に集中するよう、前を向くように長瀬が指で前を指差した。
「……大丈夫、そう焦らなくていいさ。彼の良さはそのうちわかるよ」
「そうあって欲しいものですね……」
顔を前に戻しながら、七瀬が祈るように呟いた。
長瀬は手にしているタバコを灰皿に捨て、後ろに乗っているマリオの様子を見てみる。
もちろん、動力が停止しているマリオが動いているはずもないのだが。
「まずは帰ってマリオの点検だ。今日も風呂は入れないだろうね」
「マリオが直れば、風呂なんか入れなくても構いませんよ」
長瀬の言葉に、七瀬が返す。それは偽らざる彼の本心だった。
その言葉に、うれしそうな声をあげる長瀬。
「おうおう、よく言った。開発者の鏡だねぇ」
「何言ってるんですか、マルチの開発時には『1ヶ月風呂に入らない男』という伝説を作った人が…」
七瀬の呆れた声。
それに長瀬が笑ってみせた。
「僕は単に不精者なだけだよ。さすがにマルチ本人に指摘されてその後入ったけどね」
つられて、七瀬も笑顔を見せる。
実際にマルチに言われている姿を想像して、思わず笑みがこぼれたようだ。
「それは入らないわけには行きませんね」
七瀬の言葉に、長瀬は頭をポリポリと掻く。
「そうなんだよねぇ。君もマリオにそんなことを言われないようにね」
「あはは、わかりましたよ」
思わず、七瀬の口から笑い声が洩れる。
長瀬は、そんな七瀬の笑顔を見て、ほっとしたように前を向いたのだった。
(やれやれ…)
長瀬のその声にならない呟きをよそに、車は研究所へと向かっていくのだった。
第六話「まりお たおれる」(後編)に続く…
あとがき
あう〜、全部書ききれなかったので前後編でお送りします〜。
夏コミの原稿も書かなくちゃならないんで、後編は夏コミ後になります…。すんまへん。
今回、シリアス要素を混ぜて書いてみました。
以前までと、若干雰囲気も違うかな…と思いますが。
細かい解説は後編で〜。
では、第六話でまた〜。