ある日の夕暮れ時。
藤田家には、まだ浩之は帰ってきていない。
居間では、テレビを見ながらマリオとマルチが浩之の帰宅を待っていた。

ピンポーン。
「あ、お客様ですかね。私が出ますから〜」
玄関のチャイムの音を聞いて、マルチが立ち上がる。
「はい、それじゃお願いしまーす」
マリオは、出ていくマルチを手を振って見送った。

マルチの姿が居間より消えてきっかり３０秒後。

バタバタと足音。そして誰かが居間に入ってくる。
「あ、あわわわっ！　はわわ〜」
マルチが慌てて戻ってきたようだった。
かなりうろたえた様子である。
「…どうしたんですか？」
そのマルチの様子を見て、マリオが訪ねた。
「そ、その、こ、怖いお兄さんが、商品を買ってほしいって、その、でも私怖くて、逃げてきちゃいましたぁぁぁ」
泣きそうな顔をして説明するマルチ。
その説明を聞いて、マリオは瞬時に理解した。
「セールスマンですね…。しかもヤ○ザ系の…」
（マルチ姉さんじゃ、こういう手合いの応対には苦労するわね）
マリオは、マルチに向き直る。
「判りました、私が出ます」
そう告げると、マリオはすくっと立ち上がった。
「だ、大丈夫ですかぁ？」
「任せてください♪　こういうのに最適なモードを実装してますので」
心配そうなマルチに対し、ウィンクして自信たっぷりに答えるマリオ。

☆☆☆

マリオが玄関へ向かうと、すでに男は座り込んでいた。
見たところ若く、紫色のスーツを着崩して着ている。典型的なヤ○ザのチンピラ風だ。
男はマリオが近付いたことに気付き、品のない顔を笑みで歪ませた。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか」
マリオは表情を出さずに、応対する。
「おう、あんたはちゃんと応対できるんだな。さっきの奴は、ちゃんと挨拶もできなかったぜ？」
男のその言葉に、マリオは深々とお辞儀をした。
「それは申し訳ありません。後で伝えておきますので。…それで、どのようなご用件でしょうか」
マリオの口調はよどみなく、男に対して用件を聞く。
「あぁ、ご主人はいるか？」
マリオが感情のないメイドロボだと思ったのか、男はムダ話を辞めて、この家の主人がいるのか聞いてみることにした。
しかし、マリオの返答は…。
「いえ、私のご主人様はすでにおりますので、新しいご主人様は要りません」
「は？」
一瞬、男は目が点になった。
彼は自分の言葉が『新しい主人が欲しくないか』と彼女に間違って伝わったのだと思い、苦笑しながら説明する。
「いや、俺はセールスをする者でな、この家にご主人はいるのか、と…」
「あなた様はご主人様をセールスする職業なのですか？　変わった職業ですね」
「違う違う、俺はだな…」
男は胸ポケットから名刺入れを取り出し、一枚の名刺をマリオに差し出した。
「こういう者なんだが」
「はあ、名刺屋さんなのですか。あいにく、ご主人様は名刺をお使いになりませんので…」
「違うっ！　名刺に書いてあるだろう！」
度重なるマリオの間違った返答に、男は思わず語気を荒げてしまう。
…しかし、その男の怒りなどものともせず、マリオは何の表情も出さない。
「了解いたしました。ビデオソフトセールスの方ですね」
「そうそう…やっと判ってくれたか」
ようやく本題に入れる、と安堵した男。
しかし。
「はい。ようやく理解できました。ではお帰りください」
マリオは、名刺を男に差し出しながら、そう言った。
「…はい？」
状況がわからない男は、マヌケな返事をしてしまう。
マリオは、そんな男に、なおも繰り返したたみかける。
「セールスの類は結構でございますので、どうぞお帰りください」
「…ちょっとお前な！　失礼じゃないか！」
いきなり『帰れ』と言われ、男は怒った。
だが、マリオは全く冷静な口調で男に応対している。
「私は礼をもってお断りしておりますが…」
「どこがだ！？　失礼にもほどがあるぞ！」
「いえ、先ほどから丁寧にお断りしてます。お帰りください」
「あのなー！」
「野沢菜なら知っておりますが、あの菜という野菜は知りませんです」
ついに切れたのか、男は立ち上がって怒りを浴びせる。
「このっ！！　人をおちょくっているのか！」
男のその言葉に、今まで表情を出さなかったマリオの顔が、初めて変わった。
にっこりと微笑んで言葉を返す。
「ええ、おちょくってます♪」
その笑顔で、完全に男は頭に血が昇った。
「てめぇ！　人をバカにするのもいい加減にしろっ！」
怒声を上げる男に対し、マリオの顔が今度は険しい表情になった。
「ご近所のご迷惑になりますので、その大きな声をもう少し小さくしていただけませんか」
「お前なあっ！！」
「…お騒ぎになるのでしたら、衛星回線にて警察をお呼びしてもよろしいでしょうか？」
切り札を出したマリオに、男は怒りに震えながらも、声のトーンを落として答えた。
「ぐっ…わ、わかったよ、帰るよ！　帰ればいいんだろう！」
男はそういうとスーツケースを持ち、バタバタと出ていこうとする。
マリオはそんな男を見送って、一礼した。
「ご理解いただき、ありがとうございます。またのおいでをお待ちしております…」
「もう来ねえよっ！」
バタン！
乱暴に閉められ、それきりドアは開かなかった。

「マリオさん…すごいですー！　私尊敬しちゃいますー！」
物影に隠れて見ていたらしいマルチが、マリオの側に駆け寄った。
そのマルチに、マリオはニコリと笑いかけ、口を開いた。
「何を言ってるんです、マルチ姉さんがボケナスなだけですよ」
「…え？」
マリオの言葉に、マルチは耳を疑う。
しかし、マリオは言い続けた。
「マルチ姉さんがしっかりしてさえいれば、私などが出なくても済むのです。もう少し精進してくださいね」
笑顔のままで歯に衣着せない言葉をマリオに言われ、マルチは泣きそうな顔になった。
目を潤ませて、謝るマルチ。
「は…はい…ごめんなさいぃぃ」
その時、マリオはあることにハッと気付いた。
そして彼女の瞳の色が若干変わった…ようにマルチには見えた。
「…はっ？　あ、ああっ！　ごめんなさいっ！！」
いきなり謝るマリオ。
「…はい？」
何がどうなっているのかわからず、マルチは戸惑った。
そんなマルチにペコペコと謝りながら、マリオが説明する。
「私、今『慇懃無礼モード』解除せずに話してましたっ！　今の言葉、気にしないでくださいっ！」
慇懃無礼モードとは、マリオに搭載されている機能なのだろう。
しかし、マリオに説明されても、マルチの表情は晴れなかった。
「あ、そうなんですかぁ…。でも、ホントなら私がしっかりしてれば、済んだんですよね…」
「だ、だからそんなに気にしなくていいですってば、マルチ姉さんは笑顔が１番ですよぉ〜」
なんとかフォローしようとするマリオだったが、あまり効果はなかった。
どよーんとした雰囲気で、マルチはしゃがみ込んでしまっていた。
「こんなボケナスメイドロボなんて、どうしようもないですよね…」
「あああ〜！！　気にしないで姉さん〜！！」

☆☆☆

夕食時、浩之はマルチから話を聞いて感心した。
「ほう、それはすごい。マリオ、良くやったな」
浩之に褒めてもらい、マリオは照れた笑顔を見せた。
「えへへー。こういう対処は得意なんですよ♪」
「ホントにすごいですー」
マルチが相槌を打つ。
…どうやら彼女は、何とかどんよりモードから復帰したらしい。
「マルチだったら絶対長ったらしい話を聞かされたあげく、何か買わされるところだな」
しかし浩之の言葉で、シュンとなってしまうマルチ。
「…あうぅぅ、すいませぇぇん」
マリオが、落ち込むマルチの頭を撫でて何とかどんよりモード突入を回避する。

「ところで、その慇懃無礼モード、今度俺も見てみたいもんだな」
浩之が、食後のお茶を飲みながらそんなことを言った。
それに、笑顔でマリオが答える。
「見たいですか？　それなら今度と言わず今…」
「あ、そんな別に今じゃなくても…」
浩之はそう言ったが、その時すでにマリオの瞳の色は変わっていた。
「何をおっしゃるのです、どうせその鳥頭ではすぐ忘れてしまいますでしょうに」
「と、鳥頭！？」
いきなりの言葉にショックを受ける浩之。
マリオはそんな浩之の様子など構わずに言い続ける。
「私やマルチ姉さんのお陰で生活していられますのに、少々態度が大き過ぎると思います。のうのうと暮らしていらして、将来のことを何も省みられない…」
「う、う、す、すまん…」
マリオの言葉に、浩之の表情がどんどん暗くなっていく。
「マ、マリオさん。ちょっと言い過ぎ…」
みかねてマルチが、なんとか止めようとマリオに話しかけた。
だが…。
「黙っていてください。マルチさんはミートせんべいでも作ってらしたらよろしいのです」
「ガーン！？」
あっさり返り討ちにあってしまった。
沈んでいくマルチは放って、再び浩之に向き直るマリオ。
「…それから、最近賭け事でお金を使われているようですが、どうせ下手の横好き、勝つことは大してないでしょうから、辞めてください。大体、学生の本分は学業ではありませんか、もっと大学の講義を大事に…」
続けるマリオに、浩之が口を挟んだ。
「ちょ、ちょっとマリオ、それってただのお説教って言うんじゃ…」
だが、マリオはキッと厳しい視線を浩之に向け、それを制した。
「黙って聞いてください」
「は、はい」
えもいえぬ迫力に、浩之は頷くしかなかった。
「まだ学生だから許されますが、社会人になったらこうはいきません。大体、私に対するセクハラを見ても社会を甘く見ていることが推察できます。私の身体に興味を持たれるのは結構ですが、私の心を無視してただ見てみたい触りたいということのみで動きセクハラされる、このような行為を会社などで行えば即訴えられてしまいます。もっと節度ある行動を取られ、私が誇りに思えるようなマスターになられてくださるよう、私は切に願っているのです」
ズバズバと放たれるマリオの言葉に、浩之の精神はかなり参っていた。
何とか辞めてもらおうと両手をついて謝る。
「すまん、悪かった…。もう辞めてくれ…」
しかし、マリオの言葉が冷たく返ってくる。
「いえ、まだ済んでおりません」
「ま、まだあるのかっ！？」
絶望に打ちひしがれる浩之。
このまま彼は為すすべもなく、マリオの無限地獄を受け続けるのであった。

以後、マリオの慇懃無礼モード（説教）は１時間近く続いたという。
終わった頃には、浩之の精神はズタボロであった。
「かあちゃん…俺まっとうな人間になるよ…賭け事辞めるよ…」
テーブルに突っ伏し、彼は涙を流し続けたのであった。

ちゃんちゃん。