『春風のむこうがわ』

written by 猫玉

「ねえ、知ってる浩之ちゃん? クマは『冬眠する動物』って思われがちなんだけどね、
本当は『冬眠』じゃなくって、『冬篭もり』をしてるんだよ」

いつもの学校の帰り道。
あかりのヤツはにこやかな笑顔で、オレにそんなことを言ってきた。
なんだよ、またクマ話か。こいつも飽きねーなぁ。
「あん? そんなもん、どっちもいっしょだろーが」
面倒くさそうに返事をかえすオレに、
「ふっふっふ、甘い甘い。そこがシロートの浅はかさ。
『冬眠』と『冬篭もり』は、似て非なるものなのだよ、少年」
怪しい博士口調でそう言って、あかりはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「…………」
――ズビシッ!!
「――はうっ!」
……なんかムカついたので、とりあえずデコピンを一発入れておこう。
「……で? どう違うんだよ、『冬眠』と『冬篭もり』」
「あ、あうぅ……」
赤くなった額を抑えながら、半ベソ顔でオレを見上げるあかり。
それでも気を取り直したように、明るい口調で話し始める。
「ええっと……『冬眠』っていうのはね、体温や内臓の動きなどの生体機能を最小限に
抑える、いわば“仮死状態”になることを指すの」
「ふんふん」
「それに対して『冬篭もり』は、“ただただ眠っている状態”のことを指すんだって。だから『冬眠』する動物は春になるまで起きることはできないんだけど、クマは冬の間でも、お腹が空いたら外に食べ物を取りに行くことがあるんだって」
「ほう、なるほどな」
『冬眠』と『冬篭もり』か。
一般的にどっちも似たようなものっていう感じがするもんな。
またひとつクマに詳しくなっちまったぜ。まぁ、『だからどーした』って話ではあるが。
そんなとりとめのない話を続けながら、二人でゆっくりと坂道を下っていく。
『さらさら……』と、目の前を春の風が通り過ぎていく。
四月も半ばになって、ようやく気温も暖かいものになってきた。
「風が……気持ちいいね……」
ぽつり、とあかりが漏らした。
「ああ……そーだな」
いつもと変わらないぶっきらぼうな口調で、オレは答える。
だが……そこに込められた微妙なニュアンスの違いに、あかりはちゃんと気づいているようだった。
いつもと変わらない景色。
あかりとこの街で、幾度となく迎えてきた春の景色。
でも……今年は少し違ったものに見える。
オレとあかり。二人の関係が『幼なじみ』から『恋人同士』になった……
そんな初めての、春の季節。
「……とうとう高校生活も、今年で最後だね」
静かに微笑みながら、小さくあかりが呟いた。
「浩之ちゃんは高校卒業したら……やっぱり大学に進学するの?」
はにかんだような笑顔で、オレに言うあかり。
「んー、まぁそのつもりだけど……オレの頭で入れる大学って、限られてるからなー」
軽くおどけて言うオレに、
「ううん、大丈夫だよ。浩之ちゃん、本当はちゃんと勉強できるんだから」
ハッキリした口調でそう言って、あかりはにこやかな笑顔を見せた。
まったく……毎度のことながら、その自信はどこから出てくるんだかな。
思わず苦笑するオレに、
「また四人で……同じ大学に行けるといいな。雅史ちゃんと、志保と、そして……」
「…………」
「そして……浩之ちゃんと」
あかりは少し恥ずかしそうに言って、赤い顔で俯いた。
「大学だけじゃなくて……これからも、ずっと、ずっと……」
微かに頬を染めながら、小さく言葉を紡いでいくあかり。
そんなあかりの肩をそっと抱き寄せながら、
「一緒にいられたら……いいよな」
オレはぼそり、と呟いた。
ぱっと顔を上げるあかり。
少し驚いたように目を大きくして、オレを見つめている。
プイッとそっぽを向くオレ。赤くなった顔は見られたくなかった。
「……うん!」
本当に嬉しそうな声で、あかりが頷く。
オレが横を向いてしまっているので、顔は見えない。
だがその声から、あかりの幸せそうな笑顔が手に取るように分かった。
ううっ、我ながら恥ずかしいセリフだぜ。赤くなった顔が元に戻りゃしねー。
人間、慣れないことは言うもんじゃねーなぁ。
……ま、たまにはこんな日があってもいいか。気分もいいし……な。
そんなことを思っていると、
「お〜〜い! あかり〜〜! ヒ〜〜ロ〜〜〜〜!!」
坂の上から、いつもの騒がしい声が聞こえた。
「ま、待ってよ、志保ーー……」
その後ろから、これまた聞き慣れた声がついてくる。
オレとあかりは顔を見合わせて、クスリと笑いあう。
そして二人同時に振り返って、
「志保ー、早くしないとおいてっちゃうよーー?」
「おい雅史ー、サッカー部が志保ごときに負けてて、どうすんだよーー!!」
大きく手を振りながらそう言った。
――新しい季節の始まり。
オレ達四人の、高校生活最後の年が始まろうとしている。
去年の春は色々なことがあった。
様々な人と出会い、別れ……オレ達は確かに成長していった。
この春、オレはどんな出会いをするんだろう?
どんな出来事が、オレを待っているんだろう?
それはまだ、今のオレには知る由もない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
それは……
「行こう、浩之ちゃん!!」
オレの手を引っ張って、あかりは志保たちの方へと走り出す。
――それは、オレの側にはいつでもこの騒がしい仲間たちと……
そして、この大切な『恋人』がいてくれるということ。
「……ったく、しょーがねーなぁ!!」
オレはあかりと並んで、いま来た坂道を駆け上っていく。
どこまでも澄みきった青空。ふわりと浮かんだ白い雲。
春の眩しい陽射しは、まるでオレ達の新しい門出を祝福しているかのように、
とても優しくて……とても暖かだった。 (おしまい)

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