はぐれ刑事 柳川派

written by 李俊

「あのー、柳川さん」
『なんだ』
初音の呼びかけに、電波の向こう側にいる柳川が短く応えた。
「いつまで、こうやっていればいいんですか?」
『俺がいいというまでだ』
柳川のその返答に、初音がちょっと困ったような声を上げる。
「で、でも……。ちょっと、恥ずかしいんですけど……」
『我慢しろ』
懇願するような初音の言葉も、ズバッと却下されてしまった。
「……ううっ」
初音は羞恥で、今にも泣きそうな顔だ。
『……あまりブツブツ言ってると、犯人に怪しまれる。交信は最低限に』
「は、はい……」
『では、交信終了』
プツッ……と、初音のもみあげに隠されている超小型の通信機から、
回線を閉じた音が聞こえた。
「……うう。恥ずかしいよぅ……」
初音は、ランドセルを背負ったまま、その場に立ち続けるのだった。

    ☆☆☆

時は数日前に遡る。

「……というわけなんですよ。
 そこで、初音さんに協力をお願いしたい、とそういうわけです」
長い説明を終えた長瀬は一息ついて、目の前にある湯飲み茶腕を手に取り茶をすすった。

柏木家の居間。
そこには、柏木家の面々……千鶴、梓、楓、初音と、柏木耕一。
そして、隆山署の刑事である長瀬と柳川がテーブルを挟んで座っていた。
「……私は気乗りしませんね。初音を捜査の囮にする、というのは……」
柏木家の当主である、長女の千鶴が発言する。
長瀬の説明では、現在多発している女子小学生連続拉致暴行事件の犯人を捕まえるべく、
それらしい(笑)初音を囮にして捕まえたい、ということであった。
やはり姉としては危険な目に合わせられない、ということなのだろうか。

「……しかし、我々としても苦しいんですよ。
 発生するような場所はある程度絞り込んでるんですが……。
 犯人は可愛い小学生がいないと全く行動をしないんです。
 とはいえ、本物の小学生を囮にするわけにもいかず……」
長瀬がハンカチで額の汗を拭く仕草をしながら、そう弁明する。
……だが、実際には大して汗が出ているわけではない。
「……そうしばらく悩んでましたところ、柳川君から、
 『柏木初音さんなら小学生っぽいし犯人は必ず食いつく』
 と、そう言われて、なるほどと」
「なるほどじゃありません!
 失礼ですよ、高校生の娘に小学生っぽいとは……」
長瀬の言葉を遮り、千鶴は怒気を込めてそう言い放った。
その時、隣りに座っていた次女の梓が顔を背けた。
そして「プッ」と口から洩らし、何でもなかったかのようにすぐ前に向き直る。
……しかし、その顔は笑いを我慢しているのが丸判りであった。
楓と耕一は、一応真剣な顔で話を聞いている。
そして、話に上がっている当の四女の初音といえば……。
居心地の悪そうな、恥ずかしそうな顔をしてうつむいていた。

「ああ……これは失礼しました。
 ですが、一応『可愛い』と誉めてはいるつもりでしたが……」
「可愛いとか可愛くないとか、そういう問題じゃありませんっ!
 他を当たってくださいっ!」
千鶴は一層、怒気を強めて叫ぶ。
……一方、隣りの梓はといえば、うつむいてプルプル震えている。
「ですが、初音さんほど小学生姿が似合う方も居ませんが……」
「そりゃあ、確かにバッチリ似合いますけど、それとこれとは話は別ですっ」

「……少し、失礼します」
千鶴と長瀬が言い合う中、梓は口元を抑えながらスクッと立ち上がった。
「梓? どうした?」
「ちょ、ちょっとトイレ」
耕一の問い掛けにもそう短く言ったまま、スタスタと部屋の外へと出ていってしまった。
そのまま梓の足音は、彼女の言った通りトイレの方へ向かう。
そしてパタン、とトイレのドアが閉まる音がした。
一瞬の静寂。……そして。
「だーーーーーーーーーーーーっはっはっはっはっはっはっ!
 くひーくひー、ぶえっへっへっへ! うしゃしゃしゃしゃ!」
トイレから響いてくる笑い声。
それはもう、居間にいる全員にも笑っているのが判るくらいだった。

……笑い声が途切れて、また一瞬の静寂が訪れ、パタンというトイレのドアの音。
そしてスタスタという足音が聞こえ、何食わぬ顔で梓がまた居間へ戻ってきた。
……梓以外は皆、気まずい顔で押し黙っている。
いや、三女の楓と柳川は比較的クールな顔をしていたが。

「梓。あとでちょーっとお話あるので、私の部屋に来なさい」
ボソ、と小さな声で呟く千鶴。
それを聞いた梓の顔がサーっと青ざめた。
「あー、ゴホン」
長瀬が、改まって咳払いをした。
もう一度、真面目に仕切り直そうという意思の表れだろう。
それを合図に、他の者たちの顔も引き締まった。
「……無理は承知の上で頼んでおりますけども。
 どうにかなりませんかねぇ。ねぇ、柳川君」
長瀬が、初めて柳川に話を振った。
今までずっと黙っていた柳川が、ゆっくりと口を開く。
「柏木家の方々には、我々もいろいろと迷惑を掛けてますが……。
 そこを水に流してどうか協力していただけませんか。お願いします」
そう言って、柳川は正座したまま、深々と頭を下げた。
それを見て意外そうな顔を見合わせる千鶴と耕一。
そして、その柳川の言葉に最初に返事をしたのは……。
「わかりました。協力します」
初音だった。

「初音!?」
皆の目が初音に向けられる。
「千鶴お姉ちゃん、私大丈夫だから」
「ダメよ、そんな……」
そんな危ないこと、と続けようとする千鶴の言葉を制して、初音は言葉を続けた。
「お姉ちゃん。柳川さんも長瀬さんも、この町のために私に協力して欲しいって、
 そう言ってるんだよ。これは、私たちだけの問題じゃなくて、この町の問題だと思うの」
「そ、その通りです」
初音の言葉に合いの手を入れる長瀬。
思ってもみなかった当人の反応に、救いの手を差し伸べられた心持ちだったに違いない。
「はぁ……」
額に手を当て、ゆっくりとため息をつく千鶴。
もはや何を言ってもしょうがない、と思ったのか。諦めた表情を顔に浮かべていた。
「……わかりました。ただ、条件があります」
長瀬の方に向き直り、千鶴はそう告げる。
「条件?」
「その捜査ですが……初音だけではなく、こちらの耕一さん。
 梓、楓、そして私も一緒に参加いたします」
千鶴のその申し出に、長瀬は一瞬面食らった。
「いや、しかし……」
言いかけた長瀬を手で制し、柳川が答える。
「いいでしょう。ただし、あくまで警察の捜査ですので。
 こちらの指示には従ってもらいます。いいですね?」
その言葉に、千鶴は少し間を取って、ゆっくり頷いた。

そして、その後は長瀬と柳川が後日の捜査のための簡単な説明を行った。
それが終わると、二人は署に戻るべく立ち上がる。
「少しお待ちください、柳川さん」
……そこで千鶴が柳川を呼び止めた。
「なんでしょう?」
「少しあなたにお話があります。
 ……梓、楓、初音。先に長瀬さんを外までお送りして」
「わかりました。長瀬さん、先に外に出ててもらえますか」
「ん、ああ……わかったよ」
長瀬は頷くと、梓、楓、初音と共に玄関へと向かった。
千鶴はそれを確認すると、ゆっくりと居間の戸を閉め、声が洩れないようにする。

そして部屋に残っていた耕一と楓に頷いてみせた。
それを見て、今までずっと黙っていた耕一が、初めて口を開いた。
「柳川……。お前、どういうつもりだ」
睨みつける耕一に対し、柳川はクールな表情を崩さず、返事をする。
「どういうつもり、とは?」
「……トボケるなよ。お前が俺たち、いや、柏木家に対して
 憎しみを抱いていたことは知ってるんだ」
「そのあなたが何故、捜査に初音を使おうなどと言うのかしら」
千鶴は立ったまま、耕一の言葉の後に続けて言う。
その目は柳川の動きに警戒を強めている。
柳川が少しでも不振な動きをすれば、彼女はいつでも飛びかかれる体勢にあった。

「……フフフ。何か勘違いしていないか?
 確かに柏木家への憎しみはあるが、今回は単に仕事の都合上、
 初音が必要だと思ったまでの話だ。それ以上の思惑などは全くないぞ」
柳川は、耕一と千鶴を交互に見ながら不敵な笑みを浮かべる。
そして先ほどの丁寧な口調ではなく、挑戦的な物言いで言った。

「どうなんでしょうね。一時の凶暴性は無くなったようですけど。
 まだまだ貴方は油断ならない人……いえ、狩猟者です」
「だから、お前たち全員で参加すると言ったのだろう?
 ならば、それでいいだろう。好きなだけ監視すればいい……」
「……もちろん、言われなくてもそうさせてもらうつもりだ」
「用件はそれで終わりだな? では、失礼するぞ」
「……どうぞ」
千鶴は戸を開け、柳川を部屋の外へと導く。
柳川は、その脇をすり抜け、玄関へと向かうのだった。

    ☆☆☆

日もとっぷりと暮れ、夜の公園には静寂が訪れた。

「……状況変わりなし。初音ちゃん、同じ場所でうろうろしてる」
「それにしても囮のためとはいえ……なんちゅー格好させるんだか。
 野球帽にランドセルなんて」
「だが、悲しいくらいに似合ってるよな、初音ちゃんに……」
「まぁ、それは言うなって。特に本人の前では」
少し離れたところに隠れて、初音の様子を見守っている耕一と梓。

「柳川に動きはないわね……時折通信機で何か喋ってるようだけど。
 楓、あなたから見て何を言ってるかわかる?」
「……ううん。わからない」
こちらは、柳川の動きを見張っている千鶴と楓。
捜査の都合上、あまり近づいてはいけないことになっている。
そのため、あまり詳しい動きはわからない。

今回の女子小学生連続拉致暴行事件は、路上や公園等で少女を拉致、
そして薬を与え自由を奪い強姦する、という極めて卑劣な犯行であった。
犯人を聞き出そうにも少女たちはトラウマからか固く口を閉ざしてしまい、
思うように手掛かりが掴めない状況だった。
また麻薬も絡んでいるため、放置はしておけないと判断した上層部が、
署きっての敏腕である長瀬にこの事件を一任したのである。

現在、柳川の他、長瀬たち警察の者が、囮である初音を中心に散らばっている。
だが、まだ犯人らしき人物は見当たらない。
先の打ち合わせでは、今回の捜査案の立案者である柳川が『必ず犯人は現れる』
と豪語していたのだが、今まで一番遅かった犯行時刻も過ぎてしまった。

「……柳川さん、あの……まだですか」
さすがに長時間経って、初音も疲れてきていた。つい、弱音を吐いてしまう。
『……もうしばらくだ。もう少しだけでいい、我慢しろ』
「は、はい……」
力なく答える初音。
『……初音』
その時初めて、柳川から初音に話しかけてきた。
「……あの、なんですか?」
『何事があっても、警察や俺のことは話すなよ』
「え……? それって、どういう……」
柳川は初音のその言葉に答えず、続けて告げる。
『それから……必ず助ける。辛抱強く待ってろ。いいな』
「……は、はい……」
よくわからないまま、初音は柳川の言葉に頷くだけだった。
その時。
「……?」
背後に気配を感じ、初音は振り向く。
そこには……サングラスを掛けた男が、ぬうっと立っていた。

「キャアァァァァァァァァァッ!」

初音の悲鳴が、辺りに響きわたる。

    ☆☆☆

「今の悲鳴は……初音ちゃん?」
耕一は、耳に届いた初音の悲鳴を聞いて、混乱していた。
なぜなら、帽子を被りランドセルを背負った、小学生の格好をした初音は
変わった様子もなく耕一の視線の先に立っているからだ。
「……違う!」
一緒にいた梓が、一言そう叫び、視線の先に立っている初音に向かって走り出す。
「お、おい、梓!」
つられて、耕一も飛び出した。
「あんた、誰よ!」
「きゃっ!」
梓はがばっ、と帽子を奪い、初音……と思っていた女の子の正体を暴く。
それは、初音ではなかった。確かに似ているが、頭の上のくせっ毛がない。
それに、初音よりは多少大人びて見えるが……。

「……え、えと、私、頼まれて……」
その子は、怖い顔をする梓にたじろぎながら、そう答える。
「初音はどこよ!」
しかし、梓は構わずその子の襟首を掴み、今にも噛みつかんばかりだった。
異変を見てとった長瀬が走ってくる。
「どうしたんだ!」
それを見て、梓は女の子を放し、今度は長瀬に食ってかかる。
「あんた! これはどういうことよ!」
「……え? ……初音さんじゃない? どういうことだ?」
だが、長瀬も当惑している様子で、何かを隠している風には見えない。
その時、思案していた耕一が、ハッと気付いた。
「……柳川だっ! アイツが仕組んだんだ!」
その声に、長瀬が振り返る。
「柳川君が……? そんな……ちょっと待ってください、連絡を取ります」
携帯電話を取り出し、連絡を取る長瀬。……だが、柳川は出ない。
梓はそんな様子の長瀬を放って、耕一に叫んだ。
「耕一、初音の悲鳴がしたところへ行って! 初音が危ない!」

一方、楓は柳川の行方を追っていた。
悲鳴がしてすぐ、柳川が楓たちの視界から消えたからだ。
千鶴は初音の悲鳴のした方向へ向かい、楓は柳川の消えた方向へ向かった。
「……見つけましたよ」
公園の外に出た楓はしばらくして、閉まった商店の影にいる柳川を見つけた。
柳川は屈み、何かを耳に当てている。楓が視界に入っても、動こうとはしない。
「……柳川さん、あなたは一体……」
そう言って近づく楓を見て、柳川はようやく動いた。
……人差し指を口に当て、『喋るな』と口を動かす。
「……?」
楓は警戒しながらも、黙って柳川のそばに近づいた。

    ☆☆☆

「ううっ……」
初音はゆっくりと、目を開けた。
どうやら、古い建物の中らしい。
立ち上がろうとして、すぐ身体が思い通りに動かないことがわかった。
手首に食い込む縄の感触。
……どうやら、後ろ手に縛られているようだ。
「やあ、お目覚めかい、ベイビちゃん?」
ふと、声が掛かる。
初音は声のした方向に目を走らせた……。
そこには、壊れかけた窓に腰掛けるサングラスの男の姿があった。
「あ、あなたは……」
「フフフ、先生とかに聞かなかったかい?
 夜は怖いおじさんが出るから気をつけるんだよって」
男は窓から下り、初音にゆっくりと近づいてくる。
「それとも、今日は警察の人がいるから大丈夫だよ……
 とでも言われたかな?」
その男の言葉に、初音は引っ掛かりを憶えた。
……なぜ、警察がいることを知っているのだろう。
そのことを男に聞こうか、と一瞬思った。
だが、柳川に警察のことは言うなと言われたことを思い出し、口をつぐむ。

しかし、別に聞いてもいないのに、男がベラベラと喋り出した。
……いや、当人は独り言のつもりなのだろう。
初音に聞かれても意味が判らないだろう、と思ってるのだろうか。
「フフフ、情報が筒抜けだとはさすがに柳川も思わなかったようだな。
 犯人は必ず現れる、とか自身満々に言っていたようだが……」
警察内部の情報を知っている。そして、柳川のことも知っている。
そのことから、初音は男が警察内部の人間だということに気付いた。
「囮を使うならば、その囮にさえ引っ掛からなければいいということだ。
 その上こんな上玉が引っ掛かるんだ、俺は運がいい」
ニヤニヤと笑いながら、男は初音のあごを持って自分の方に向かせる。
不安と戦いながら、じっと男の顔を見る初音。
 それを見つめ返し、男はニヤリと口の端を歪ませた。
「フフフ、見かけによらず気丈な子だねぇ。
 しかし、そんな子を泣き叫ばせるのが俺は大好きなんだ」
ぐっ、と初音の服に手をかけたかと思うと……
次の瞬間、ビリッビリッと、下に引き裂いた。
可愛らしい白の下着があらわになる。
「……ひっ……」
恐怖で、初音の顔が歪む。だが、泣き叫びはしなかった。
『必ず助ける』という柳川の言葉を、彼女は信じていたから……。

    ☆☆☆

柳川は、すっと立ち上がり、傍らにいた楓に携帯電話を渡した。
「……なんですか?」
怪訝そうな楓。柳川に対する警戒はまだ解いてはいない。
「電源を入れてリダイヤルすれば長瀬刑事にかかる。
 ……あの廃屋を包囲するように言ってくれ」
柳川は、少し先の廃屋を指差した。
それと柳川を交互に見ながら、楓が聞き返す。
「……あなたは、どうするんですか」
「約束は、守らないといけないからな」
楓に対してのそれは、答えになっていなかった。
だが、楓は柳川の目から、その意思を感じ取っていた。
「……無事に連れてきてください。
 初音に何かあったら、あなたを許しませんから」
「了解したよ。大事な妹だからな」
それだけ言うと、柳川は飛翔し、夜の闇に消えた。

柳川の消えた闇に、一人呟く楓。
「『大事な妹』……それは、誰にとっての言葉ですか?
 ……ねぇ、リネット……?」
一瞬だけ微笑んだ楓だったが、すぐに真顔に戻り、電話のボタンを押す。
「……もしもし、私、楓ですけど……ええ、柳川さんの携帯です。
 公園の外にある商店わかりますか? はい、そうです……」

    ☆☆☆

ぴちゃっ……ぺちゃっ。
男の舌が、初音の首筋を這い回る。
初音はその嫌悪感にも、唇をかみ締め、ひたすら耐えていた。
「……フフ、いいねえ、本当に綺麗な肌をしているねぇ。
 おじさんは君のような幼い子はとても好きなんだ……ハァ、ハァ」
男は興奮して息を荒くしながら、初音の首といわず耳といわず、丹念に舐めまわす。
「ううっ……くっ……」
初音の口から時折、我慢できずに声が洩れる。
「ホラホラ、我慢しなくていいんだよぅ? 声を上げてごらん、泣いてごらん?」
下卑げた笑いを見せながら、初音を弄ぶ男。
時折、初音の髪を掴んで引っ張ったりもする。
そのたび、痛みを受けて初音が声を洩らした。
「ひっ……あうっ」
我慢しながらも、つい、初音の目から涙がこぼれる。

そうするうちに、男は反応の少ない初音に飽きたのか……
その動きを止めて立ち上がった。
「ダメだなあ。もっと反応してくれないと……。
 しょうがない、薬を打つとするか」
そう呟くと、男はポケットから小さな注射器を取り出した。
それを見て、初音は青ざめる。
「い、いや……薬は、いや……」
初音は首を振って、嫌悪の情をあらわにした。
男は、そんな初音に笑いかけながら言った。
「フフ、大丈夫だよ……これは何でも気持ち良くなっちゃう薬なんだ。
 そう怖がることはないよ……楽しい時間が過ごせるよ」
それに対し、初音はズリズリと背後に逃げる。
しかし、すぐに壁に背がぶつかり、怯えた目で男を見た。
「や、やめてください……ぐすっ」
我慢できず、嗚咽を洩らす初音を見て、男は歓喜の声を上げる。
「そうだよ、それなんだよ!
 俺は、君のそういう顔を見たかったんだよ……フフフフフフ」
ジリジリ、とゆっくり初音に寄っていく男。
それは、わざと初音に恐怖を与えようとしているのだろう。

男が近づくたびに、初音はイヤイヤと首を振り、少しでも逃げようと
壁に背をつけたまま身体をずらそうとした。
……その時、初音はふと、あることを思い付いた。
「あっ……あのっ!」
「ん? どうしたんだい?」
「わ、私、本当は小学生じゃないんです!」
いきなりそんなことを言われて、男は面食らった。
「……は?」
「わ、私、本当は高校生なんです! 16歳なんです!」
初音は、これで男が興味を失ってくれれば、と思っていた。
だが、結果はそうは出なかった。
「フフフ、まさかこんな可愛い高校生がいたなんてね。
 ……それはそれで結構じゃないか」
また、ゆっくりと初音に近づいていく男。
興味を失うどころか、ますます興味を持ったようだった。
「……い、いや、いやぁ……」
初音の我慢も、限界を超えようとしていた。
涙を流し、今にも泣き叫んばかりだ。
「ほうら、この薬で気持ちよくなろうね……」
男は、初音の肩に手を掛けた。
その目は興奮で充血しきっていて……。
それを見た初音は、とうとう恐怖に負けてしまう。

「ひっ……い、いやぁぁぁぁ! お兄ちゃぁぁぁぁん!」
初音は、声を張り上げて叫んだ。

「呼んだか」
ふと、男の後ろから声がした。男は驚いて後ろを振り向く。
「だ、誰だ!」
……闇の中から姿を現したのは、柳川だった。
「遅れてすまなかったな。怖かったか」
「柳川さん……」
初音は柳川の姿を見て、安堵したのか涙ぐんだ。
「……や、柳川! な、なんでここに……」
信じられない、といった表情の男。
「お前は、俺の張った罠にまんまと引っ掛かったんだよ。
 わからんのか、上川?」
「な、なに……し、しかし長瀬刑事は別の場所で……」
柳川が上川と呼んだ男は、柳川の言葉を聞いても信じがたい表情をしていた。
「長瀬さんにも、ちょっと騙されてもらったのさ。
 お前を油断させて騙すために、な」
「よ、寄るな!」
男は動揺した声を上げながらも、初音の首に手をかける。
そして、注射器をその細い首筋に向けた。

「ひっ……」
「近づくと、この娘の首筋にこいつを突き立てるぞ」
「……バカな真似はやめるんだな」
柳川はと背広の胸に手を入れ、拳銃を取り出した。
それは柳川が愛用している、小型のリボルバー式の銃だ。
「お、おい! そんなもの取り出してどうする気だっ?」
「……銃の使い道など決まってるだろう?」
カチリ、と撃鉄を起こす音が聞こえる。
小さな音なのに、それがあたりに響き渡るような錯覚を起こさせた。
「初音。少し辛抱していろ」
「……は、はい……」
「ま、待てよ! 本当に撃つ気か?
 俺は人を殺してなんていないし、大した犯罪など犯していないぞっ!?」
上川の言葉に柳川は、ピクリと眉を動かす。
「大した犯罪はしていない、か。
 ……俺はな、薬を使って自由を奪うような奴は、許す気にはならないんだ」
柳川の顔から先ほどまでの余裕を見せていた表情は消え……。
怒りを含んだ、厳しい顔つきに変わっていた。

ゆっくりと、銃の狙いを定める。
……上川の、額に向けて。
「ひ、ひいっ……、こ、殺すぞ! この娘も!」
上川はその銃の狙いから逃れようと、初音を引きずりながら場所をズラす。
それを柳川は銃で追いかけながら、窓際に上川を追い詰める。

窓の外は、ちょうど雲に隠れていた月が顔を出し、光を照らし始めていた。
その光が、窓の上川と初音の影を部屋の中へ作り出す。
……その影が、一瞬消えた。いや、光が遮られたといった方が正しい。

ガシャァァーン!

次の瞬間、何者かがガラスを割り、窓の外から飛び込んできた。
「なっ……」
上川は、一瞬何が起こったのか判らなかったようだ。
確かに、窓の外には足場などはなく、人が飛び込んでくるなど想像がつかないだろう。
……普通の人間ならば。
上川が後ろに気を取られた隙に、柳川は上川の腕を掴み、
薬の入った注射器を叩き落とす。そして、上川の腕から初音を奪い取った。
上川はそのスピードの前になすすべもなく、窓から入ってきた人影……千鶴に、
首筋に当て身を食らわせられ、膝をガクンと落とし、そのまま前のめりに倒れこんだ。

「いいタイミングだった」
柳川はニヤと笑う。千鶴はそれを見て、不機嫌さを露骨に顔に出した。
「……私が入ってこなければ、どうするつもりだったんです?」
「その時は、犯人を殺した警官が一人出るだけのことだ。
 初音はどちらにしろ無事だよ」
柳川のその答えにも、千鶴は納得した様子もない。
下着姿の初音に、悲しそうな目を向ける。
「こんな目に合わせて、何が無事ですか」
「お姉ちゃん……私なら、大丈夫だよ」
心配をかけまいと、初音は笑顔を見せた。
……柳川はその頭をひとつ撫でる。
彼は初音にだけ聞こえる声で、一言「すまなかったな」と呟いた。
そして、あらわになっている初音の肩に背広を掛けてやると、
その背中を押して千鶴の元に押しやった。

……バタバタと足音がして、何人もの人たちが廃屋の中に走ってきたのが判る。
「柳川君!」
部屋の扉を開け、長瀬たち警察の者が入って来た。
「長瀬さん。……彼が、一連の事件の容疑者です。逮捕お願いします」
柳川はそう言って、倒れこんだ上川を示した。
「……上川君? 彼が……。
 そうか、だから今までの捜査は全て失敗していたのか」
「内部の情報が洩れていると思いましたので……。
 それで、少し大仰ですが皆を欺かせていただきました」
柳川はそれだけ言うと、長瀬は全てを察したようだった。
柳川が、犯人逮捕のために確実な手段を取ったことを。
そして、苦虫を噛み潰したような表情で、柳川に告げる。
「うーん、お手柄だと言いたいところだがね。
 これは、後で始末書を書いてもらわないといけないなぁ……。
 民間人を囮に使い、危険な目に合わせてしまったのだからねぇ」
「それは承知してます」
頷く柳川に、呆れた表情を見せる長瀬。
「やれやれ、何か一言でも相談してくれれば、私も他にやりようがあったのに……」
長瀬のその最後の言葉は、誰に言うともなく、呟いた言葉だった。
それに対し、柳川も独り言のように言った。
「私も確信があったわけではないですから」
長瀬は柳川にそれ以上は何も言わなかった。
そのまま部屋の隅にいる千鶴と初音の元に歩み寄り、深々と頭を下げた。

「このたびは、我々の都合で妹さんを危険な目に合わせてしまいまして。
 誠に申し訳ないです。後日、改めてお詫びに参りますので……」
「わかりました。……今後は、このようなことには関わりませんよ」
「ええ、誠に申し訳ない……。誰かに自宅までお送りさせますので、外へどうぞ」
そう言って長瀬は、2人を案内すべく部屋の外へ出て行く。
「はい。行くわよ、初音」
「う、うん……」
千鶴に促されて初音は頷き、部屋に残る柳川が気になる様子のまま、外へ向かうのだった。

    ☆☆☆

深夜。
家に戻ってきた初音は、皆と共に遅くなった夕食を取って、その後お風呂に入っていた。
その時、戸を開けてひょこっと楓が首を出した。
「初音……一緒に入ってもいい?」
「楓お姉ちゃん? いいよ」

……初音が湯船に入り、楓が身体を洗っている時。楓が、話を切り出した。
「ね、初音。柳川さんだけど……。
 あの人、初音のこと気に入ってるんじゃないかな」
「え?」
急なことに、反応できない初音。
しかし、楓は構わずに続けた。
「今回のことも……他にもいろいろあるだろうけど。
 初音に会う理由が何か欲しかったんじゃないかな……」
「……」
楓がボソッと語る言葉に、初音はブクブクと口までお湯に浸けて何も答えない。

そんな初音を見て楓は微笑みながら、自分の推考を述べた。
「初音も、お兄さんみたいでいいな……とか、思ってるでしょ」
ザブン、と初音は頭まで風呂の中に沈みこんだ。
そして数秒沈んでいた後、浮かび上がりプハッと息を継ぐ。
「……お、お姉ちゃん、私のぼせちゃったからあがるね……」
そう言って、初音は湯船から出る。そんな初音を見て、楓は目を細めた。
「うん。……お大事ね」
楓が口元を綻ばせながら、脱衣場に戻る初音を見送った。

    ☆☆☆

後日、長瀬と柳川が菓子折を持って柏木家を訪れた。
長瀬は丁寧にお礼とお詫びの言葉を述べる。
そして、柳川は一連の行動を全て説明した。

まず「捜査情報が筒抜けになっているのではないか」と思い、警察内部の者を疑い始めた。
そこで、わざと囮捜査の計画を明確にし、犯人を油断させることにした。
そして初音を、本命の場所に配置。すぐに移動し、囮捜査の現場である公園に来る。

かねてより声を掛けておいた、初音に似た子を周囲に初音と思わせ配置。
予測していた時間になり、犯人が初音を襲い拉致する。
この時、柳川はすぐに犯人の場所を通信機から特定し移動。
結果、犯人を追い詰め逮捕に至った、とのことだった。

千鶴も不機嫌な顔をしながらも、不問にすることにした。
そして、辞して帰ろうとする長瀬たちに、千鶴は一言、声を掛ける。
「なぜ、初音でなくてはならなかったんですか?」
その言葉は、『なぜ私たちを巻き込んだのか』という柳川への問いでもあった。
柳川は、長瀬に先に外に出るように言って、千鶴と2人きりとなる。
ニヤリと笑い、柳川は千鶴の問いに答えた。

「……お前たちを欺きたかったから……と言ったら怒るか?」

彼の心は、闇の中。


                       〜劇終〜





「はぐれ刑事 柳川派」あとがき
(同人誌掲載のものを少し改変)

お楽しみいただけましたか。
ギャグと思わせといて結構マジに書いてみましたが……。
 
何、いろいろ説明不足だ?
よろしいでしょう、その疑問にお答えいたします。

Q.柳川の中身は、完全に狩猟者(エルクゥ)なの?
A.微妙なラインですにょ。なんつーか柳川であり狩猟者なんですにょ。
  リーフファイト97の柳川が近い感じかと思いますにょ。

Q.何か、続き物になりそうな終り方ですが、続きは書くんですか。
A.先の展開は書く気はないにゅ。単にそーいう終わり方なんだにゅ。
  だけどこれの以前の話として、柳川を主人公とした「まだ癒えぬ心の痕」というお話があるにゅ。
  今回いまいち語られなかった部分も語られてるので、そっちも読んでにゅ。

Q.この話は誰のエンディングからの続きなんですか?
A.基本ラインは柳川シナリオ。耕一は楓と結ばれ、エルクゥの制御が出来ているという感じですぴょ。
  柳川の正体は柏木家にバレてますぴょ。
  「まだ癒えぬ心の痕」も読んでいただくとよくわかると思いますですぴょ。

Q.署きっての敏腕なはずの長瀬刑事が、柳川の思惑には気づかないの?
A.長瀬刑事は、身内に対しては判断が甘いのですぴょ。

Q.貴之が全然出てこないけど何故?
A.貴之君は連続殺人犯として、警察の精神病院に居ます。
  柳川×貴之というカップリングに思い入れがないことも影響してます。

Q.初音ちゃんに似た子が出てきますが、誰ですか?
A.某ちかぼーさんのつもりで出してみました。台詞も1度きりで目立ちませんでしたが。

Q.楓ちゃんが意味深な台詞を吐いてますが…。
A.前世での因縁が関係してますです。詳しくは「まだ癒えぬ心の痕」で…(宣伝しすぎ)

Q.初音ちゃんが舐め回されるシーンで興奮してしまいます。
A.それが若さです。

Q.耕一や梓の活躍の場はないんですか?
A.君の生まれの不幸を呪うがいい。

Q.李俊さんに彼女はいるんですか?
A.……あなたを、殺します。

殺したところで質問終了〜。お・わ・り。


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