「680円になります。」
「ハイ、1000円お預かりします。」 「320円のお返しです。ありがとうございます、またお越し下さいませ。」 そんなマニュアル通りの店員の応対を背に、一人の女の子が、紙袋に包まれた一冊の雑誌を手に、コ ンビニから出てきた。 伊達メガネをかけた、何やら曰くありげな彼女は、周囲に気を配りながら、足早に立ち去っていった。 自宅に戻った彼女は、早速紙袋を開けて中の雑誌を取り出した。 表紙には、クリスマスツリーを背にした若いカップルのイラストが描かれていて、見出しには、 『彼氏とのクリスマスの過ごし方・完全マニュアル』 という文字が踊っていた。 熱心に一つ一つの記事に見入りながら、ページをめくっていく音だけが部屋の中に響いている。 今日は、12月20日。 「ハイ、オッケ〜。お疲れ様でした〜。」 「お疲れ様でした〜。」 まもなく日付が変わろうかという深夜、ようやく仕事から解放される。 帰宅した時には既に翌日だった。 1日中ハードスケジュールをこなした彼女。当然のように心身共々に疲れ果てていた。 が、読みかけの雑誌が気になるらしく、身の回りの雑用を手早く済ませると、リビングのソファーに 腰掛け、ティーカップを傍らに置いて続きの記事を読むのに没頭し始めた。 今日は、12月21・・・いや、22日。 彼女が目覚めたときは既に日は高く昇っていた。たまの休日も、日頃の疲れのせいで寝て過ごすこと が多くなってしまっている。もちろん、時には友達、 − それにしてはいつでも心の中に浮かんだり、夢の中に現れることが多いが − と出かけることもあるし、彼女にはそれが何よりの楽しみなのだが・・・。 朝食兼昼食を済ませると、またあの雑誌を手に取る。 ふと、電話機が目に入ったらしく、しばし視線がそちらを向いていた。 どこかに電話をするのかと思いきや、そのまま考え込んでしまった。・・・というより、何やら思い悩 んでいる様子。・・・そのまま時だけが過ぎてゆく。 記事を読みながら何やらひとりでつぶやき始めた。どうやら、暗記を始めたらしい。 ・・・雑誌の記事を暗記? 不可解な行動だが、本人は至って真剣のようだ。 冬の昼間は短く、そんな彼女の姿は夕闇に包まれていった。 今日は12月22日。 今日もまた深夜まで仕事・・・のはずだったのが、機材トラブルで収録が中止に。 おかげで、普段よりも早く − といっても普通の人ならとっくの昔に帰宅している時間だったが − に帰宅することができた。 何度も読み返しているのでややよれよれになってきた雑誌を手に取ったとき、電話が鳴った。 雑誌をテーブルの上に置き、受話器を取る。 「あ、いたんだ。よかったぁ。」 電話の相手は・・・その友達以上の友達、だった。 「あ、あのさぁ。明日って・・・用事・・・ある?」 明日・・・?明日と言えば・・・。 「も、もしヒマだったらでいいんだけどさ、どこかで食事でも・・・しない?」 明日は・・・。当然のように仕事がある彼女。しかも、その後で仕事上欠席することのできない、クリ スマスパーティーが。・・・出たくもないし、つまらないことがわかりきっているのに、休むことので きない、飾り付けだけの義務的なパーティーに。 「あ、やっぱり用事あるんだ・・・。そっか、残念だけど・・・しょうがないね。じゃ、また電話するね。」 寂しさを隠せない声を残して電話は切れた。 それ以上に寂しそうな彼女。・・・でも、その表情は何かを決意しているようにも見えた。 今日は12月23日。 きらびやかな照明と、テーブルに並べられた数々のご馳走。 息苦しいほどの人、人、人・・・。 普段着ではなく、着飾って、どことなく違った雰囲気の・・・。 「本日は、お忙しい中、当プロダクション主催のクリスマスパーティーにお運びいただき、誠にあり がとうございました。本年もあとわずかとなり、いよいよ・・・。」 司会者の、マイク越しの型どおりの挨拶を合図にパーティーが始まる。 主催側から、来賓からの、何の工夫もない、退屈な挨拶が続く。 彼女もまた、特別な衣装を身にまとい、マネージャー氏と一緒に挨拶回りをしている。 彼女自身も主役の一人には違いないのだが、どこかそわそわしている。挨拶そのものは完璧にこなし ながらも、心はここにあらずのようだ。 宴もたけなわになった頃、彼女は周囲をそっと見渡す。 ・・・彼女の方を見ている人はいないようだ。 目立たないように人気のないドアから出て、会場のホテルの外へ向かい、客待ちしていたタクシーで 自宅へ。 急いで普段着に着替えて、今度は徒歩で駅へと向かう。 駅前はカップルばかり、どの顔も幸せそうだった。 その中を横切る彼女に気づく人は皆無だった。 そして、通りに面したとある店に入っていく。 店内は混雑していた。カップルもいれば、これから家族のところへ帰るのであろう中年の男性、どこ となく挙動の不審な若い女性・・・。 レジの前の列に並び、自分の順番を待つ。 「いらっしゃいませ。ご予約されていた方ですか?恐れ入りますが予約券をお願いします。」 店員の求めに応じて、ポケットから予約券を取り出す彼女。 「かしこまりました。少々お待ち下さいませ。」 「スペシャルパック2、テイクアウトです!」 しばらく待たされる。どの店員もてんてこ舞いといった様子だ。 「大変お待たせいたしました。スペシャルパック2つですね。2100円頂戴いたします。」 「ちょうどいただきます。ありがとうございました!」 もう1軒、別の店にも立ち寄った彼女は、綺麗に包装された箱をもう片手に持って出てきた。 そのまま、駅に向かい、電車に乗り込む。 この時間の電車だが、やはり混雑していた。おしくらまんじゅうをしつつも、両手に下げた箱と袋を 気遣っていた。 ラッシュの車内から解放され、一息つきながら改札口へ向かう。 駅の外に出ると、やはり目に付くのはカップルばかり。そんな姿を横目に、足早に目的の場所へと向 かう彼女。 ふと、頬に冷たいものがあたる。立ち止まって天を仰ぐ。 ・・・雪だ。それだけで、あたりは幻想的な雰囲気に包まれる。 目的のマンションに辿り着く。部屋の明かりは・・・ついている。 それを確認した彼女は、階段を上ってその部屋へ向かう。 ドアの前にたち、深呼吸をする。 思い切った行動をとっているのに、まだ何か決心がつかないかのように。 数日前に暗記したことを思いめぐらせている。 ・・・そして、意を決したかのように、チャイムを押す。 (ピンポーン) 「はいはい、今開けますよ〜。」 中から声がする。そう、彼女がこれからの時間を一緒に過ごす、その人だ。 (ガチャ) 「え?ええっ?・・・ま、まさか・・・。」 驚いている。当然といえば当然なのだろうが。 「あ、あさひちゃん?桜井あさひちゃん?」 今日は12月24日、クリスマスイブ。
−完−
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