あぶのーまる

written by 李俊

「ヒロ、女装して」
「はい?」
 浩之は、思わず聞き返していた。
「……だから、女装して欲しいのよ」
 志保も、言った言葉を繰り返す。

 放課後の教室。そこには、浩之と志保、あかりだけがいた。
 日も傾きかけ、校舎内に生徒はほとんど残っていない。

「俺にヘンタイになれっていうのかよ?」
 浩之はムッとしてそう言い放つ。のっけから『女装してくれ』と言われては、仕方のない返答だろう。
「元からヘンタイでしょ……」
 ボソッと志保がそう洩らした。
「何だとぉ!?」
 浩之は椅子から立ち上がり、志保に詰め寄る。どうも、思い当たるフシがあったようだ。
「何よぉ!?」
 志保も、負けじと食って掛かる。
 雰囲気はまさに一触即発。横からあかりが止めなければ、絶対に喧嘩別れになっていたに違いない。
「浩之ちゃんも志保も、止めてよ〜」
 あかりがなだめたので、浩之は多少落ち着いたようだった。そのまま、スッと椅子に座り直す。
「とりあえず、どういう話か聞かせてくれよ」
 それを受けて、あかりが口を開いた……。

 それは昨日のこと、あかりはひとり、学校から帰るところだった。
 帰り道、あかりはトレンチコートを着てサングラスにマスクを付けている怪しい男に出くわす。
(何だか、嫌な感じ……)
 あかりはそのまま、男のそばを通りすぎようとした。
 ……その時。
「ほ〜らお嬢さん、見てごら〜ん」
 男は、ガバッとコートの前をはだけさせた。あかりは思わず、それを見てしまう。
「…………」
 一瞬の間。ややあって。
「い、いやあああああああっ!」
 あかりは絶叫し、そこから走り去った。
 その男は、コートの下に何も着ていなかったのだ。
 典型的な露出狂である。時は世紀末、こういう事件は増えつつあった。

「それで、その象さんが『ぱお〜ん』て感じで、それでちぢれた毛がウニのようにもじゃもじゃって……」
 少し錯乱気味のあかりを、浩之がなだめる。
「わかったわかった、もう言わんでいい。大体わかった」
「え〜ん、怖かったよ〜」
 あかりの頭を撫でてやる浩之。
「よしよし」
 2人きりの場合なら、ここからラブラブモードに入る2人なのだが。
 今回はそばに志保がいるので、そこから先には進まなかった。……残念である。
「……私の集めた情報によると、他の女子生徒でも最近そういう被害が出てるらしいのよ」
 ちょっと居心地悪そうな志保が、そう補足した。
「ホントか〜? 志保の情報ほどアテにならないモンはないからなぁ」
 あかりをなだめながらも、イヤミを放つ浩之。
 ……志保は、怒りを堪えながら、言い返した。
「今回は確かよ。実際被害にあった人の話とか聞いたんだから」
「はいはい、信じましょう」
 浩之はしょうがない、といった口調で答えた。
 しかし、ふと思い立つ。
「……で、それが何で俺が女装することに繋がるんだ?」
 志保は多少、呆れ顔で答える。
「決まってるじゃないの。女装して、そいつをとっ捕まえて欲しいのよ」
「捕まえるのに、なんで女装する必要がある?」
 浩之の問いに、志保は考えるような仕草をし、口を開いた。
「……実は、前に空手部の男子生徒が1人、捕まえてやろうとそこに行ったらしいのよ」
「ふむ」
「だけど、それらしいのは見つからなかった」
「……単にその日はいなかったんじゃないのか?」
 しかし、志保は首を振る。
「その日も被害はあったわ。つまり、隠れるのがうまいのね……そいつは」
「警察は?」
 矢継ぎ早に質問する浩之。
「一応見回りしているみたいだけど、ダメね。それでも出てるわ」
「ようするに、痴漢行為する場を押さえないとダメだ、ということか」
 浩之は、ようやく事情が飲み込めたようだ。
「そゆこと」
 志保が頷く。
「じゃ、頑張って捕まえてくれ」
 浩之はポン、と志保の肩を叩き、爽やかに笑う。
「ええ、任せときなさい……って違う!」
 勢いで返事した志保だったが、慌てて否定した。
「何が違うんだ?」
「女装して捕まえてって、さっきから言ってるでしょ! こんなか弱い女の子にそんなことさせるつもり?」
「……へえ、か弱いねえ」
 志保の言葉に、ニヤリと笑う浩之。
「……何よ」
 ムッとする志保。
「いや、別に……とにかく、別の奴に頼めよ。俺は女装なんてイヤだ」
「誰も嫌がってやってくれないのよ〜。あんたが最後の砦なのよ」
「俺もイヤだ。志保の頼みなんぞ、100万年経っても聞く気はない」
 浩之はにべもなく断る。
「お願いだからさ〜」
「イヤだ」
 話は平行線のままだ。
 その時、浩之の胸にしがみついていたあかりが、口を開いた。
「……浩之ちゃん、お願い」
 瞳を潤ませて、あかりは浩之を見つめる。
「あかり……」
「お願い、浩之ちゃん」
 その光景を見て、志保は『けっ、アツアツでやってられないわよコンチクショー』と思ったが、口には出さなかった。
「わかったよ、あかり」
「ありがとう、浩之ちゃん」
 かくして、「浩之女装痴漢捕縛チキチキ大作戦」は実行に移されるのであった。

 ……心の叫びを上げる志保。
「なんであたしの言うことはきかないで、あかりの言うことはすんなりきくのよぉーっ!?」
 それは自然の摂理というものである。

☆☆☆

「へえ……。なかなか似合うじゃない」
 志保は、感嘆の声をあげる。
「浩之ちゃん、カッコイイ……」
 あかりも驚いている様子だ。
 浩之は、志保の持ってきた制服を着込み、演劇部から借りたロングヘアのカツラをつけている。
「あんまり嬉しくないがなあ」
 誉められて複雑な表情をする浩之。ポリポリと後ろ頭を掻く。
「いいんじゃない? ちょっと身長は高いけど、ホントに近くで見ない限りバレないわよ」
「足がスースーするんだけどな……」
 浩之は、履いているスカートを見て、そう洩らした。
 スネ毛はガムテープでバリバリ引っこ抜いたようだ。今の浩之の足は、つるっつるである。
「ガマンしなさいって」
 志保がポンポン、と浩之の肩を叩いた。
「はいはい。しっかし、よくこんな大きな制服があったなあ」
「最近特注で作られたらしいのよ。2着作ったらしいんだけど、私が見た時は1着しか置いてなかったわね」
「……黙って持ってきたのか?」
 浩之は呆れた表情。しかし志保は、気に止めなかった。
「しょうがないでしょ。じゃあ、私の着る? つんつるてんになるわよ」
「いや遠慮しとく」
 きっぱり断った浩之だったが、不安そうに自分の制服を見やる。
「だけどさ、ホントに大丈夫なのか? 俺は見えないからわからないんだが」
「あ、廊下の所に鏡あったよね? そこで見てみれば?」
 あかりがそう提案した。
「……そうだな、見てみるか」

 そして3人は、鏡の前まで来た。
「どれどれ」
 浩之は、自分の姿を鏡に映してみた。
「…………!」
 息を呑む。

 ……後に浩之はその時のことを、インタビューでこう答えている。
「いやあ、ホントびっくりしました。思わず鏡にほおずりしたくなるような、そんな感じでしたよ。え? 実際ほおずりしたんじゃないのかって? ははは、そんなわけないじゃないですかぁ〜」

「……浩之ちゃん? なに鏡にほおずりしてるの……?」
 あかりに言われて、はっと気付く浩之。
「あっいやっそのっ! 鏡のこの冷たい感触が気持ちいいなぁ……なんてな〜」
 慌ててそう言いつくろう。
「……やっぱヘンタイね」
 志保は、聞こえないようにボソリと低い声で呟いた。

☆☆☆

 日も暮れて、暗くなった道を3人は歩いてくる。そして、ある曲がり角で立ち止まった。
「この道か?」
「そうそう。ここを、この時間帯に通ると、かなり高い確率で出るらしいのよ」
 浩之が指差した通りは、あまり人が通りそうもない感じであった。
「浩之ちゃん、頑張ってね」
 励ますあかり。
「そりゃ、出てきたらとっ捕まえてやるけどな……出てこなかったらどうする?」
 カツラの長い髪を鬱陶しげに払うと、浩之は2人に質問する。
「だったら出るまで往復しなさいな」
 志保は、至極当然、といった表情だ。
「ムチャクチャだな……」
 ため息をつく浩之。
「いいから黙ってやるっ。いい、捕まえたら大声上げなさいよ。すぐに警察呼ぶから」
 PHSを見せて、志保が念を押した。
「はいはい」
 返事をして浩之は、あかりと志保に教えられた通りに歩幅を小さく、女の子らしく歩いていった。
(……ったく歩きにくいな、もう)
 ぶつぶつとひとり言を呟きながら、浩之は通りを進んで行く。

「さて、浩之というエサにうまく引っ掛かるかな?」
 よっこいしょ、と座り込んだ志保は、心配そうに見守るあかりを手招きした。
「……心配だよ〜」
 泣きそうな表情のあかり。
「大丈夫よ、あいつ腕っぷしはけっこう強いんだから」
「でも……」
 心配そうに、様子をうかがう。
 そんなあかりを尻目に、志保はゴソゴソと鞄を探り、ポッ○ーを取り出した。
「私たちには、やることは残ってないのよ。ホラ、あんたも食べなさいよ」
「うん……(ポリ)」
 突き出されたポッ○ーをかじり、あかりも志保の隣りにしゃがみ込んだ。

☆☆☆

「まったく志保のヤツ……」
 文句をぶつぶつ言いながら、問題の通りを歩いていく浩之。
 大股にならないよう、気を付けて歩く。
「ま、そう簡単には現れないと思うけど……あれ?」
 と、その時。前の方を歩いている人がいることに気付いた。
「ありゃ、うちの学校の制服じゃないか」
 浩之は、注意を促そうと思い、その女子生徒に駆け寄る。
「……?」
 その駆け寄る足音に反応してか、その女生徒が振り返った。
 それは、浩之の見知った顔であった。
「琴音ちゃん?」
 浩之にそう声を掛けられた琴音は、じっと浩之の顔を見る。
「……? ……! ○△□×!?」
 声にならない声。
「琴音ちゃ……?」

 バンッ。

 再度声を掛けようとした浩之の顔に、飛んできた何かがぶつかった。
「ぐはっ!? ……な、何でオロCの看板が顔に!?」
 看板が飛んで来たことより、まだオロナミンCの看板が現存していたことに驚く。
 『おいしいとメガネが落ちるんです』のあの看板だ。
「ふ、藤田さんの、へ、へ、変態〜っ!!」
 逃げるように走り去る琴音。
「あ、待ってくれ琴音ちゃ……」

 バンッ!

 追おうとする浩之の顔に、またも看板がぶつかる。
 今度は、ボンカレーの看板だった。
 『ママ、言うほどモテないのよ』のあの看板だ。
「いっつぅぅ……」
 鼻を抑えてしゃがみこむ。
 ……痛みを堪えて立ちあがった頃には、すでに琴音ちゃんの姿は見えなかった。
「変態って……あ、そうか」
 自分の姿を見て、納得する浩之。女装していることをすっかり忘れていたようだった。
「あーあ、誤解されちゃったな……。志保に何かおごってもらわないと、割に合わねーよ」
 ぶちぶちと文句を言いながら、また、ゆっくりと歩き出した。

☆☆☆

 先へ歩いていくと、曲がり角へと突き当たった。
「出ないよなあ、やっぱり。しゃあない、来た道を戻ろう」
 くるりと回れ右をして、引き返す浩之。
 ……少し戻ると、男の影を見つけた。
「……もしや」
 男はこちらに向かって歩いてきている。姿はコートを着て、サングラスとマスク着用。
「……間違いないな」
 独り言を呟き、ゆっくりと、歩き続ける。もう少しですれ違う……というところまで来た時。
「そこの背の高いお嬢さん」
 男が立ち止まり、そう呼び止めた。
「は、はい?」
 意識して高い声で返事をする浩之。
「ほーら、見てごらん」
 そう言って、男はコートの前を広げた!
「……」
「……」
 しばしの間。ややあって浩之が呟く。
「小さいわね」
「なっ……何ィィィィ!? この20cmの巨砲を小さいとォォォ!?」
 男……痴漢は、その一言でショックを受けたようだ。
「隙あり!」
 その間を逃さず、浩之は男の腕を捕まえた。さすがに下半身には触りたくないようだった。
 腕を捕まえられ、痴漢はハッと我に返った。
「なにっ!? も、もしやお前は男!?」
「そうだよーん」
 驚く痴漢をみて、ニヤニヤと笑う浩之。
「お前、女装なんてして恥ずかしくないのかっ!?」
「痴漢に言われたかないわっ!」
 五十歩百歩である。
 ……腕を振り解こうとする痴漢の動きに、浩之の注意は一瞬上体に集中した。
 げしっ!
「ぐっ!?」
 次の瞬間、痴漢の蹴りが浩之の脇腹を襲った。腕を掴んでいる力が緩む。
 痴漢はその期を逃さず、腕を振り解くと逃げ出した。
「あっ、待てっ!」
 慌てて後を追う浩之。
 よく見ると、痴漢は全裸にコート姿なので全力では走れないようだった。
 しかし、浩之もスカート姿で全力では走れない。
「痴漢だーっ! 痴漢が出たぞーっ!」
 大声で叫ぶ浩之。志保に知らせるためである。
 やがて痴漢の方はスピードがだんだんと落ちて来た。スタミナが切れたのだろうか。
 浩之の手が、痴漢のコートに、今、届く……。
 その時。

「かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっつ!」

 大音声で響く声。
 痴漢も浩之も、つい足を止め、声のした方を見た。
 そこには、セバスチャンが立っていた。
 ただし……。

 浩之たちの学校のセーラー服を着て。

「セーラーセバスチャン、ここに見参! お嬢様に代わって……天誅じゃ!」
 シャキーン!と決めポーズを取るセバスチャン。
「……」
「……」
 絶句して動きを止める浩之&痴漢。それほどインパクトがあった。
「か弱い芹香お嬢様に成り代わり! このセーラーセバスチャンが、痴漢よ、貴様を……たおぉぉぉす!」
 がばあっとジャンプ、一直線に痴漢へ。
「セーラーナッコォォォォ!!」
 動きの止まっていた痴漢に、その魂の拳はあっけなくヒットした。
「うら若き乙女の如き拳でございます」
「……わけわかんねーよ」

☆☆☆

「なあ……なんで俺たちの学校の制服を着てるんだ……?」
 なるべくセバスチャンの姿を見ないようにしながら、浩之はそう質問した。姿を見るとめまいがするからである。
 セバスチャンは持っていたロープで、気絶している痴漢の身体をコートごと縛り上げていた。
「ああ、これでございますか? これは学校の関係者に、無理を言って作ってもらったのでございます」
 どうやら、特注で作らせたのは芹香(とセバスチャン)のようであった。
「……そうじゃなくてだな、なんで制服を着る必要があるのか、ということだよ」
 その言葉を聞いて、セバスチャンは意外そうな顔をした。
「藤田様も着ているではありませんか。女装して痴漢を油断させ捕まえる、そういうつもりだったのですが?」
 セーラー服にヒゲはなかろう、と浩之は内心呆れていた。
 セバスチャンの姿は、セーラー服以外は普段のままである。スネ毛もそのままだった。
「女装というよりただの変態だろ……」
 ただの変態どころの話ではない。大変態である。
「何かおっしゃいましたか?」
「いや何も」

 ぱーぽーぱーぽー。

 パトカーが彼らの元へと走ってくる。
「警察が参りましたな」
「よし、こいつを預けてさっさと帰るか」
 肩の荷が下りた、と浩之は安心した。
 パトカーから、警官が2人降りてきた。
「キサマを逮捕する!」
 ガチャ。
 警官は手錠を掛けた。

 ……セバスチャンに。

「な、ななななぜじゃあ!?」
 動揺するセバスチャン。浩之はその様子をポカーンと見ているだけだ。
「どう見ても変態にしか見えん。それだけだ」
「何じゃとっ!?」
「詳細は署で聞いてやる」
 もう一人の警官が、倒れていた痴漢を見て声をあげる。
「巡査! この人もコートの下は裸ですよっ」
「そうか。よし、そいつも保護しろ!」
 暴れるセバスチャンをパトカーに押し込むと、警官は浩之に敬礼した。
「あなたがこの痴漢2人を捕まえてくださったのですねっ!? ありがとうございました!」
「あ、いえ、その……」
「それでは失礼します!」
 浩之が説明する間もなく、警官はパトカーに乗り込んでしまう。
 ぶろろろろ……。
 走り去るパトカー。

 後には、浩之だけが残された。
「……ふっ……ふふふっ……」
 笑い出す浩之。
 やがてそれは、腹を抱えての大爆笑へと変わる。
「あはははははははははははははは!! くひーくひー! うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
 笑いが止まらない。止めようにも止まらなかった。

 志保とあかりが浩之を発見したのは、浩之が笑い過ぎで呼吸困難に陥りそうになっていた頃であった……。

 今日の一言。
「気をつけよう 夜の痴漢と セバスチャン」

 ちゃんちゃん。


あとがき

以上が、ときめきパーティーセンセーション(1999/6/20)、覚醒夜(1999/7/4)で「なまくら工房」(責任者:刀身さん)より配布された本に書いたSSです。
初めての同人活動(厳密にいえばHP上に出すのも同人活動でしょうが)だったので、色々とネタや演出に悩みました。
まあ、結果はいつも通りの内容になりましたが。(^^;
ちなみに当初は刀身さんが挿絵を描いてくれる予定だったんですが(セーラーセバスを予定(爆))、多忙のためその話は無くなりました。
なので誰か、セーラーセバスを描いてください。(ぉ

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