5 Years After

written by かとぱん

 私は……何をしようとしているのだろう?
 右手には、テレホンカード。左手には、電話番号を書いた紙。
 携帯電話は弥生さんが全て管理しているので使えない……。
 ――ぐっ。
 息を一瞬で吸い上げてとめ、テレホンカードを公衆電話に入れる。
 ぴっ、ぴっ、ぴっ、ぴっ……。
 ……忘れていた電話番号、のはずなのに……左手に握っていた紙を見ないでも、指先は勝手に、簡単に番号を描いてくれる。5年も経っているのに……、もう私の頭のなかでは……余計なものになっていたはずなのに……。

 ぷるるるるるるるるるる………ぷるるるるるるるるるるるる………。

 何でもない無機質な呼び出し音が、私の緊張だけをどんどんあげていく。私の心臓だけがひたすらに鼓動の激しさを増していく。……きっと、他の人から見たら滑稽なんだろうな……。ガチガチになりながら電話をかける格好なんて。

 かちゃ。

 その無機質な音が、わずかに変化の音を立てた。
『はい』
 ……わかってはいたけど、女の人……5年前までは、一緒に、同じ、世界で、仕事を、していたひと。
『もしもし? 誰ですか?』
 私が何も喋らないので、不審に思ったのだろう。いぶかしげに、冷たく言ってくる。
「あの……」
『はい』
 意を決し、その人の名前をいう。
「……………緒方理奈ちゃん?」
『はい?』
「で、ですから……」
 番号を間違ったのかな……。それとも引っ越したかもしれない。
 あれ以来……、エコーズであったきり……、”彼”とは会うことはなかった。
 そして……理奈ちゃんとも、コラボレーションアルバム『WHITE ALBUM』の曲をメインにした彼女にとってのファイナルコンサート以来、一度も、会うことも、電話さえする事も、出来なかった。
 間違っていて欲しい。わずかにそう思った。
『もしかして……あなた……由綺?!』
 でも、彼女の声は、正しいことを証明してしまった。
「う、うん……5年ぶりかな……久しぶりだね」
『……』
「……元気?」
 ああ……、なんて馬鹿なことを聞いているのだろう。いっぱい、いっぱい、違うことを、話したいのに……。
『……うん、元気』
 彼女も、何にとも代え難い妙な口調でそう答えた。
「……そう」
『……』
「……」
 何か話さなくちゃ……。
 何か……。
 何でもいいの……。
 口から言葉が出てきて欲しい……。
『なにか……御用?』
 ――はっ!?
 私は一瞬、どこかへ飛んでいったような錯覚を感じた。
 それを一気に引き戻し、彼女の声は、静かに、諭すように、先を促す。
『突然、5年ぶりに、ここに電話してきたのに理由がないわけないものね』
「……」
 言わなくちゃ……。
 相談したいことがあるの。
 話を聞いて欲しいの……。
『”英二さん”のことかしら?』
 息を一気に飲み込む発言だった。
『ふふ……、それくらいしかここにかける意味がわからないもの』
「……」
 絶対の自信。理奈ちゃんの言葉には、それを感じられた。
 他意を感じないのかな?
 迷わなかったのかな?
 疑わなかったのかな?
 信じているからかな?
 ……”彼”……冬弥君のことを……。
『違うのかしら?』
「あの……今日の2時頃……時間……空いてる?」
『え? ええ、時間は大丈夫。何?』
「それじゃ……、『エコーズ』まで出られるかな……?」
『ええ、いいわ』
「うん……じゃあ、待ってる……」

 かたん。
 ぴぴーっ、ぴぴーっ、ぴぴーっ……

 私たちの気まずい空間を嫌がるようにテレホンカードが吐き出されてきた。

…………………………

 からんから〜ん。

「いらっしゃいませ」
 カップルが寄り添って入ってきた。
(……また違った……)
 ふう、と一息吐き出すと、目の前にある対面側の空席を見つめ直す。
 理奈ちゃんと冬弥君は4年前の11月……そう、ちょうど理奈ちゃんの誕生日あたりに同棲し始めたという話を彰君やはるかちゃんから聞いていた。そして、今でもその同棲が続いているのは、さっき電話をかけて、本人が受けたから間違いないと思う。
 大学はそのまま続けたかどうかは聞いていない。なにせ私も大学に全然行けなくなってしまって、ついには大学を辞めてしまった。
(……冬弥君……理奈ちゃん……今、幸せ、なんだろうな……)
 妙に虚しくなり、またひとつため息を付く。
 ………。
 何もすることがないと、まわりの声が耳を澄ますように聞こえてくる。そのなかで”他称”マスターと入ってきた二人のやりとりが聞こえてきた。
「ふぅ……4月だってのに……なんでこんなに寒いのかなぁ……マスター、コーヒーとサンドウィッチ」
「私にもコーヒーね。それと、マスターお得意のシフォンケーキ!」
「はい、わかりました」
 大学を卒業して、彰君は『エコーズ』のマスター……ではなくて、いまだにバイトをしている。
 本当のマスターは、奥に引きこもって、いろいろと裏方をするようになった。
『長瀬の叔父さん、話すのが苦手だから、僕がお客さんと応対しているんだ』
 でも、それが完全に災いして、今や彰君がマスターと呼ばれるようになってしまった。でも、本当のマスターは、レコードを店内に流しながら、雰囲気を楽しむお客さんの顔を見られたら、それだけでいいらしく、マスターというこだわりは一切ないらしい。
 彰君は、『夢』を持っていた。大学を卒業を控えていながら就職をしなかった真意を直接本人から聞いた。
(僕……ミステリー関係の作家になりたいんだ)
 彼が言うには、ミステリーといっても多種多様存在するらしい。だから、関係、と広く意味が取れる言い方をしたのだろう。そして、この前、ついに佳作として入賞し、作品がその関係の雑誌の来月号に掲載されるらしい。

『夢』が叶った。これは祝福したいと心からおもう。

 でも、彼は『夢』を追いかけるあまり、夢に必要ないものをポケットからいろいろ落としながら、顧みず行ったことにまだ気がついていないのかな?
 夢を叶えた宴のあとに……落としたものに気付いたときには……もう……手に戻らない……。
 ふ、と店の奥にある時計を見つめる。
 ……1時45分。
 何のことはない。私が早く来すぎているんだ。
「ふぅ……」
 自分の前に置かれた、リラックス効果があるといわれる、カモミールと、ラズベリーの葉と、あと……ペパーミントだっけ? がブレンドされたハーブティーから湯気が消えていく。
 あと15分。……待っていられるかなぁ。
 
 からんから〜ん

「いらっしゃいませ」
「……?? ……!!」
 一瞬誰なのかわからなかった。
 驚いたのは、まず髪。……以前の、あの飴色で美しく流れるようなロングの髪を今はショートまで切り落としていた。
 そして服。ブランドもの的確に、しかも自然に『自分流』に仕立て、ファッションセンスの固まりのような服を着込んでいたのに、今の服はそのファッションセンスをフルに生かしている印象は受けるが、あまり見栄えがしないどこにでもあるような服を着ていた。
 でも……それよりも……。
「綺麗……」
 なんて言うのだろう?
 一応5年ぶりだから、5年後の理奈ちゃんの姿形はある程度想像していた。
 でも……今の理奈ちゃんは。
 5年前の魅力はそのままに、さらに「大人の気品」を兼ね備えた、そんな感覚。
 ゾクゾクと体の中を通り過ぎていく冷たさをもっているような。全ての行動やしぐさに、魅力を飛び散らせているような。そんな色っぽさが私に突き刺さる。初めて弥生さんに会った、あの感じに似ていた。
 
 ……怖いくらいに、綺麗……。

 すべてを集約して、そう思ったあの時と一緒。
 ……理奈ちゃんは私を見つけられなかったのか、きょろきょろとまわりを見渡し、程なく互いに目線が合う。すると、口だけをやわらかく微笑ませ、右手を、すっ、とあげた。

…………………………

「……お久しぶりね……、4年と……半年は過ぎているかしら?」
 長い沈黙をうち破るように、理奈ちゃんが、静かに、話しかけてくる。
 私の目の前に座ったのはいいとしても、理奈ちゃんが注文していた、イングリッシュブレックファスト――あんまりすごそうな名前だから驚いたけど、ただの紅茶らしい――を彰君が運んできて、一口啜るまでお互いにあまり口をきかなかった。
 いえ……、それはきっと正しくない。
 私が呼んだ筈なのに。私が話さなくちゃいけないのに。理奈ちゃんは話し出すのを待っていてくれたに違いないのに。
 私が口をきけなかったんだ……。
「ふふ……、貴女は全然、変わっていないわよね……。というより、テレビで良く見ているから、少しずつ変貌していっても気がつきにくいだけかもしれないけど……」
 私と少し目線をずらし、左下のカップの方に目を向ける。
 そんなしぐさが、妙にはまっているように感じる。
「……理奈ちゃんは、変わったよね……」
「うん……。変わろうとしたわ。伸ばしていた髪の毛も切っちゃったしね……」
「どうして……切っちゃったの?」
 あの、綺麗な、みんなが憧れるような……私なんかじゃその美しさを表現できない髪を。
「うん……、うっとおしかったんだ……」
「ええ!?」
 もったいない、と言おうとしたけど、すぐ理奈ちゃんは繋げる。
「昔の私を引きずる一つの象徴、と言えばいいのかしら? アイドル『緒方理奈』の一つの特徴として、長い髪の毛と二つに分けたリボンがあったわ……。兄さん……ではないわね、あの男……”英二さん”が、私に『特徴をつける』一環として、ね……そういう髪型にしていたのよ」
「……」
 兄さん、から、”英二さん”、に切り替えたのは、訳がある。
 理奈ちゃんは、ファイナルコンサートを終えたあと、英二さんがいるマンションから出ていってしまったのだ。
 英二さんからその条件として出されたものは……英二さんとの兄妹絶縁、だった。
 彼女はその後、一年間、緒方の実家へ戻っていたらしいけど(ご両親は英二さんとは仲が険悪のため、芸能界を理奈ちゃんが引退したことも、案外すんなり受け入れたらしい)その後……11月あたりを境にまた出ていくことになる。
「アイドル『緒方理奈』が買ったり、貰ったりしたものとか、”英二さん”から与えられたものなんて、ひとつも持っていかなかった……。絶対に、あの時の思い出の品を持っていきたくなかったの。……一つを除いては」
「一つ……」
「オルゴール」
「あっ……」
「だって……あの時は、まだ”彼”から見たら、アイドルとしての『緒方理奈』だったと思うわ……」
「………」
「でも……置いていけなかった。最初にもらったものだもの……」
「………」
「……で?」
「え?」
「え? じゃないでしょ? 今日は私の思い出話を聞きに来た訳じゃなくて、”英二さん”のことで、何か相談があるんじゃなかったの?」
「あ……」
「まあ、それも貴女らしいけど、ね」
 私が話し出すのを忘れていたことを察知したように、くすくす、と微笑われた。

…………………………

「あ、あのね……」
「ええ」
「えっと……」
「……」
「その……」
「私が当ててもいいかしら?」
「え?」
「”英二さん”の考え方がわからなくなってきました。最近は新人の娘に目をかけてばかりで、私のことをあまり見ていないみたい。彼は本当に私のことを見てくれているのでしょうか? 愛してくれているのでしょうか? ……で、どう?」
「!」
「ふふ……、実は、私が5年前に貴女に思った通りのことを言ってみたんだけど、ね」
「……そんな……私は……」
「図星?」
「……」
「単純ね……。私と一緒だわ」
 すると、またくすくすと微笑う。
「……」
「まあ、そんなに怒らないでも」
「……」
「まず、私の考え方からいうとね。私のことを見てくれているのか、ということに関してはたぶんYes。愛しているかどうかは……、それは貴女の捉え方によると思うけどね」
「??」
「どう話せばいいのかしらね……。さすがに”英二さん”の考え方を理解しているとは言いがたいけど、19年は一緒に過ごしてきたから、少しはわかると思うわ。そうね……、”あの人”はすごいと思うわ。遠く離れてから見ると、改めてとんでもない人だと思う。仕事、恋愛、交遊……生活すべてをそつなく、スマートにこなせる。そういうところは素直に感心できるわ」
「……」
「キャパシティに関してもすごいわ。……そうね、”彼”……冬弥と比べてみましょうか?」
「!」
「どうしたのかしら? 引き合いに出されるのは嫌?」
 冬弥君のことはふっきれているはず……、そう信じて、首を左右に振った。
「冬弥を100とすると、”英二さん”は200、いいえ、300はあると思う。しかも、冬弥は全体的に不器用に振り分けることしか出来ないけど、”英二さん”はその数値をそれぞれに完璧に、しかも正確に当てることが出来るわ」
「……」
「この人のような大人になりたい、って人もいるでしょうね、きっと。でも、冬弥と”英二さん”が根本的に違うものがあるの」
「?」
「冬弥は、例えば私が今以上のことや行動を欲して、もしそこまで冬弥がやることができなくても、そこまでやってくれようと努力してくれる。でも”英二さん”は自分が割当てる数字を絶対に他人には振り回されないの。そう……いくら貴女が今以上の愛が欲しくても、あの人は振り回されないわ……。今は新人さんに目をかけてばかり、と言ったけど、実際は違うと思うの。彼女に仕事に関しては半分、愛情の数値を1割くらい移行しているの。なにせ、その娘のことをわかっていないと、……その娘を愛していないと、あの人にとって、良い曲とか、良い演出なんか出来ないもの。貴女のこともきちんと、今までの半分くらいに減っているけど見てくれているわ。アイドルとしての『森川由綺』のことを。そして、本当の『森川由綺』も、愛してくれているわよ……きっと。今まで、仕事と愛情の割り振り分を貴女が独占していただけよ」
「……」
「5年前、貴女が来たとき、ずっとあの人は貴女ばかり見ていると思っていた。それまで”英二さん”を独占していたのが、私と貴女に半分ずつに割り振られた……それに気がつかなかっただけなの」
「……」
「でもね……。それでも、やっぱり、私は、本当の私だけを見ていて欲しかった……アイドル『緒方理奈』はアイドルの仕事を頑張ってすることによって本当の『緒方理奈』のことをあの人が認めてくれると信じていたから出来たの。でも、彼は、アイドルと本当の私を、やっぱり割り振っていたの。だから、アイドルの私が頑張れば頑張るほど、彼はアイドルとしての私しか見ないようになってきたわ。本当の私を見てくれなくなっていった。本当の私を見つめてくれる人が欲しくなっていったわ……」
「……」
「もし、貴女の前に、今、『由綺』だけを見てくれる人がいたら……”英二さん”との二択になったら……、どう? ”英二さん”を選ぶかしら?」
「……」
「”あの人”は……、私を冷たく突き放っても、絶対に私がついてくると思ってたと思うわ。……そして、結局私もついていった。”あの人”に見捨てられることが怖かった……。でも、冬弥が私の前に現れてから怖くなくなった。結局、あちらがアイドルの私しか見てくれないということは、こっちもアイドルの私としての”英二さん”しか見えなくなったんだと思う。だから、”あの人”が本当の私の中から薄れていくのも……当然だったのかもしれないわ。本当の私を見てくれる冬弥を……自分自身の全てをかけて貴女から奪い取った……、これがあの時の私の解答。でも、貴女はどうかしら?」
「……」
「あっ……もうこんな時間……。それじゃ、私、そろそろ迎えに行かなくちゃならないから……」
「えっ? 誰を?」
「瀬里菜よ。私達の子供。今、緒方の実家に預けているの」
「えっ……?」
「え? 知らなかったの? 私が一昨年に冬弥と結婚したことも? 式にも呼んだんだけど……、貴女、欠席だったわよ?」
「……そんな……」
「……そう。道理で電話でも『緒方』って言ったと思ったわ。それじゃ、瀬里菜が産まれたときの葉書も届いていないのね?」
「……」
「何も返事がないのは仕方がないとは思ったけど……そうなんだ……残念だわ……」
「……」
「これだけは言っておくわ」
「……」
「私……今、冬弥と、そして瀬里菜と一緒で……とても幸せ」
「……」
「そして……私が貴女にしたことは、正しいとも言えないけど、間違ったことをしたとは今でも思っていない……。それじゃ、ね……」
 それだけ言うと、すっ、と立ち上がり、お金を置いて、くるりと後ろを振り向く。
「あ……」
 何故か無意識に手を伸ばしている私。何のために伸ばしているのかすら、思いつかないのに。
 理奈ちゃんを捕まえるため?
 でも、どうして捕まえるの?
 わからない……私はどう考えてもおかしな行動を取っている。
 そう思い、手を引っ込めて、軽く握り拳を作ると、そこをじっと意味もなく見つめた。
 理奈ちゃんは、そんな私の方を振り返ることなく、一直線にエントランスの方に向かい、そして、出ていってしまった。

 からんから〜ん……。

「ありがとうございました」
 そういいながら、彰君が彼女のティーカップを片づけに私の方に来る。
 話を聞いて欲しい。気持ちを聞いてもらいたい。
 そんな思いが口を開かせる。
「……彰君」
「え? 何?」
「冬弥君の結婚式……出た?」
「うん」
「そう……」
「え……? まさか、知らなかったの!?」
 
 ……どうして……どうして……私だけ……?
 私が……アイドルだから……? 偶像だから? マリオネットは何も知ることが出来ないの?
 意志を持つことも、物事を考えることも、心を持つことも……?
 ……それすらもあることが許されないの……? 

「……」
「……彰君」
「え?」
「彰君は……夢が叶って……何か無くしたの?」
「え?」
「……」
「……うん、無くしたと思う。でも手に入れたものもある。結局、僕自体、持ちきれるのは一定だから、大きいものを手に入れるには、それなりのものを落とさないとダメなんだと思う。僕、あまり器用じゃないから」

 私は……偶像の頂点を手に入れた。
 その代償は……、捨てたモノは…………私の心と……冬弥君……だった……?
 私が捨てたの……? 私自身を……? 冬弥君を……? 私が……?
『夢』だけを追いかけて……一生懸命頑張って……私自身で私と冬弥君を捨てたんだ……?
 
 
「あはは……、そうなんだ……?」
「……」
「彰君」
「うん……」
「私……何を間違えたの?」
「由綺ちゃんは、何も間違っていやしないよ。う〜ん、なんて言ったらいいのかな? 今まで、どういう人生を歩んできたか、によって、たとえ、自分にとって成功でも失敗でも、その積み重ねによって今の自分を形成していると思う。だから、何があっても、今の自分がある限り、間違っているなんて思っては駄目だよ。自分を否定しちゃ絶対にダメだと思う。自分を否定していたら、自分自身が拒否反応を起こして、いつしか自分自身を嫌いになったら……、いつも毛嫌いしている人と同居していることになってしまうよ。そんなことをしていたんじゃ、いつか自分が分裂しちゃうよ」
「……そう、だ、よね……でも、でも……っ……私、捨てたくなかったよ……私……自分を否定しちゃうよ……間違ってたって……思っちゃうよ……」
 顔を伏せた。見せたくなかったんだ。
「……由綺ちゃん……」

 からんから〜ん

「あ……いらっしゃいませ」
「由綺さん」
「……弥生さん?」
「……そろそろお時間です。お車においで下さい」
「……うん、わかった」
 私は、すっ、と立ち上がるとにこりと微笑む。
「え?」
「ありがとう、彰君。それじゃ」 
「あ……うん……」

…………………………

「由綺さん……、スケジュールを無理矢理空けては困ります。これから、すぐ、スタジオに向かいます」
「弥生さん」
「はい」
「今日ね……、すごく衝撃の事実を知ったんだ……。私の”お友達”、結婚していたの。子供も産まれてた」
「おめでたいことですね」
「うん……それでね、その結婚式……私も呼ばれてたんだ……」
「……」
「でもね……私、今日知ったんだ……そのことを……」
「……」
「弥生さん……どう思う?」
「どう思う、とおっしゃいますと?」
「笑っちゃうよね……。私が読んだことがないはずなのに、私名義の返信葉書がちゃんと届いていたんだって……」
「そんなことがあるのでしょうか? 相手方が間違えたのではありませんか?」
「うん……相手もね、由綺らしくない、って言ってた……。『申し訳ありません』なんていう書き方してて……筆跡も違うらしいんだ」
「そのようなものを書いたとは思えませんが」
「……そう、やっぱり……、私もそう思ったんだ」
「……」
「弥生さん……、私……、一瞬アイドルを辞める……」
 それだけ言って、私は大声で泣き出した。どんどん出てくる涙に、『人間』を感じることが出来る……けれど……。

 私は操り人形。

 英二さんに。
 弥生さんに。
 スタッフに。
 まわりのみんなが私の手足の糸を持って。
 私だけがステージの上で意志を持たず動かされる。
 ただそれだけの存在。
 私の『ひと』であった涙。
 私の『ひと』であった心。
 私の『ひと』であった彼。
 すべては、私が選んで捨てたもの。

 操り人形になるために。
 
「……到着いたしました」
「うん……ありがとう、弥生さん」
 私は、すっ、と顔を上げる。……さすがにボロボロの顔をしているだろう。
「少々お待ち下さい。今、タオルをお持ちいたします」
 そういうと、弥生さんは車から出ていってしまった。
「……」
 一瞬、逃げ出そうかとも思った。でも、私は逃げなかった。単に逃げられなかっただけかもしれない。――なんだかんだ言っても、英二さんから離れるのは堪えられない。ただ、それだけ………。
「お待たせいたしました」
 弥生さんが私に気を使ってくれたであろう、わずかに温かくした水を染み込ませたタオルで顔をごしごしと拭く。そして、ポシェットに入れてある化粧セットを取り出す。
(……20がお肌の曲がり角っていうけど……本当よね……)
 ――20年あまり変化しない顔を見ていれば、見なくてもいい欠点が見つかってしまって、それが異常に気になってしまうだけなのではないのかい? 化粧なんてしなくても充分綺麗だと思うけどね――
 というのは英二さんの4年前の言葉。
 どうでもいいような、なんでもない会話の一文を『充分綺麗』だけで、ずっと覚えているなんて……。私の記憶力なんて全然大したこと無いのに……どうしてこういうものだけ記憶しているのかな?
「……よしっ……と、弥生さん、お待たせしました」
「はい……由綺さん」
「はい?」
「収録が終わったあと、社長からお話があるそうです」
「……はい」
 私は、何かを振り切るようにして、スタジオ内に入っていった。

…………………………

 かちゃり。
「……失礼します」
「ああ、収録、お疲れさん」
「……はい、……それで、話って……」
「うん……、最近の君だけど……。率直に言うと駄目だな」
「……」
「全然、身が入っていないというか。どうしたんだい? 何かあったの?」
 そういうと、タバコを取り出し、ライターで火を付ける。
 マルボロとか、そういった外国産のものと思いきや、マイセン。全然普通の人と同じようなものを好むところが、なんだか庶民的なものを感じる。もっとも、声を出す仕事をする私は、絶対禁煙を命じられている。もともと吸うつもりもないけれど。
「……」
「今日は特に全然駄目だね。俺もあまり言いたくはないけど、仕事にあまりに差し支えているようでは、ねぇ?」
 妙に笑いを作ろうとしているような、そんな変な顔をしている。
 ここで言うしかない……。
 意を決し、口に出す。
「……幸せそうでした」
「?」
「私の”友達”です」
「……」
「今日、少し、時間を頂いたとき、私、”友達”と会ってきたんです」
「……」
「そこで、彼女が結婚していることを知りました……。最近、子供もできたそうです」
「……」
「でも……、ショックだったのはこれではありません。私、彼女が結婚することを手紙で知らされていたのです……でも、私の名前で、弥生さんが欠席の返信をしていた、という事実です」



『うん……相手もね、由綺らしくない、って言ってた……。『申し訳ありません』なんていう書き方してて……筆跡も違うらしいんだ』
『そのようなものを書いたとは思えませんが』
 わざとなんだろうか……? 弥生さんが隠し事をばらすような発言をするなんて。



「ふ〜ん」
「私は……それすら知る権利がないのでしょうか?」
「ふん……君は、自覚に欠けるようだ」
 タバコを半分も吸っていないのに灰皿にねじり込む。
「え?」
「君は、みんなに夢を与えるべき立場にいるアイドルだ。アイドルはそういう感情を外に出してはいけないことは君が一番知っているだろう? なら、その辺は区別して考えなければならないと思うがね」
「……」
「そんなことはいづみでさえも理解してる。そんな初心者みたいな事を、今更君が言うとは思わなかったな」
 いづみ、は最近緒方プロに所属した、新人の名前だ。
「……」
「そんな私生活と仕事を区別できないほど甘い考え方で今までいてくれたとは……呆れるね、少し失望してしまったな。友達? いいんじゃない? そんなのは放っておいて。弥生さんは君のためにはいい判断をしたと思うぜ? どうせ葉書を見たところで結果は同じなんだからさ、別のところに気を使わないようにした弥生さんの優しさすら感じるね」
「……そうですか……弥生さん、優しいのですね……」
「ああ、理解してくれたかな? 頼むぜ、トップアイドル!」
 そういうと、ポンと肩をたたく。
「ごめんなさい……。私は、アイドルの資格が無くなったようです」
「?」
「弥生さんの優しさが理解できません。英二さんの発言も理解できません」
「おいおい……由綺らしくもない……あんまり俺のことを困らせないでくれよ」
 あはは、と表面上の笑い。彼らしい。
「自分がアイドルであることすらも……、認めたくなくなりました」
「……いい加減にしろよ……」
 ぎっ、と私をにらみつける。そう、これこそ、今の心を素直に現した、表面じゃない、本当の英二さんだろう。脅しの意味も含め、今までの私ならば効果は絶大だった。
 捨てられたくなかったから。彼に。英二さんに。
 でも、今は……。
「私は……歌を一生懸命唄いたかった、ただそれだけでした。私の歌を、みんなに聴いてもらえれば、私はそれだけで幸せだったんです。でも、その「好き」は所詮アマチュアレベルだったのかもしれません。プロになってもほとんどその「好き」は変わりませんでしたけど……、でもそれは、アイドルみたいな曲がお似合いな時期にアイドルになって、恋をするすばらしさや嬉しさ、楽しさ……それこそ、私自身がおかれていた状況をそのまま歌えたからかもしれません。でも。今は。違います。私の心情とは全く正反対になってしまいました。……感情を押さえ込んだ、メロディーにあわせて歌うだけの歌……これは私が今歌いたい歌ではありません」
「だからなんだ? 今のお前にあわせた歌を作れっていうのか? え? 自分勝手な由綺様。じゃあ、俺はなんだ? お前の歌いたい歌だけを作り上げる自動作詞作曲マシンかな、ははは」
「……少なくとも私は、貴方の曲をただ歌うだけのジュークボックスにしかすぎないと思います」
「そうか? 我が儘を言わない分、ジュークボックスの方がはるかにましかもな」
「……そう……ですね……でも……」
「でも、なんだ?」
「もうダメです……」
 涙が出てきてしまう。全身が震えてくる。後戻りは出来ないところまで言ってしまった。もう……戻りたくない。もう戻っても……、私の手には何も残らないのだから。ただの壊れた操り人形だから。ただ、ゴミ捨て場に捨てられるだけの存在しか許されないのだから……それなら、私自身が捨てられても、私が捨てたくないものを、目一杯に抱えていきたい……!!

『結局、僕自体、持ちきれるのは一定だから、大きいものを手に入れるには、それなりのものを落とさないとダメなんだと思う。僕、あまり器用じゃないから』

 持ちきれるのは一定……そして私も器用じゃない。なら……私には大きすぎる偶像を捨てて……、大事な、大事な、本当の”森川由綺”を手に入れたい……っ!

「私は……感情がわからない……人形の心しか持てなくなってしまいました……。愛や恋なんて、どういうものかも忘れてしまいました……貴方から与えられた愛や暖かさでさえ、嘘の塊みたいに感じられてきました……感情なんて、私に必要ないものだったんでしょうか……偶像になっていってしまったんだから。私自身の体温でさえ、私自身で怪しくなってしまいました……。私、本当に生きてるのかな……って。……ときには裏切り、悲しみ、苦しさ、冷たさがあっても、ヒトなら、友情、嬉しさ、楽しさ、温もりを感じられるはず……。でも、私はそれすら感じられなくなってしまいました……」

 動物の特権、人形じゃない特権の一つ、涙が、次々にこぼれる。
 ……これすらも嘘かもしれない。偶像に涙なんか無いから……。
 でも、でもっ……!! この涙が本当でありたいっ!! 私は偶像じゃない!! 『森川由綺』なんだっ!!

「私……、私……、本当の私が欲しいんです。アイドルじゃない、本当の私が……」
「そうか……、それじゃ、ここから出て行け」
 でも、そんな私の訴えも全く介さない様子で、あっさりと言ってのけた。
「アイドルじゃない森川由綺なんて、ただのどこにでもいる女にしかすぎない……。スタジオや、TV局に入る資格どころか、俺のところにいることさえ、おかしいじゃないか、ん? そうだろう?」
「……」
「一般人は、出ていきたまえ」

 やっぱり……そうなると思った。けど、私は……森川由綺でありたい。
 そのままの私を見てくれる人が欲しい……。
 そう……。
 あのとき、アイドルじゃない本当の『緒方理奈』を欲した、彼女自身のように。

「はい……、今までありがとうございました……」

 ぺこり。
 私は、後ろを向いてしまった英二さんに一礼をすると、そこから出ていった。
「由綺さん……、お好きなところへお送りいたします」
 すると、その目の前に、弥生さんが立っていて、そう私に言う。
「……ありがとうございます、弥生さん。でも、私、緒方プロの人間じゃ無くなってしまいました……、送っていただく資格なんてありません……」
 そういうと、弥生さんはふるふるとかぶりを振る。
「アイドルの由綺さんが辞めてしまわれると、マネージャーの私も今は仕事がありません。ですから、一友人である由綺さんを私の車でお送りしたいのです」
 弥生さん……、ありがとう。アイドルでも何でもない私のことを”友人”と言ってくれて……。
「………はい、ありがとうございます。お言葉に、甘えさせて下さい……」
 少し涙が止まらないけど、お礼はとりあえず述べることが出来た。

…………………………

 きぃっ……ぱたん。
「ん……弥生さんか……」
「申し訳ありません。仕事が無くなってしまいましたので、”友達”を送迎して参りました」
「……由綺はどうした?」
「どうしてそんなことをお聞きになるのです、社長」
「……タバコ、吸っていいか?」
「ええ、どうぞ。……ですが、由綺さんの前ではご遠慮いただきたいものです。彼女にタバコは厳禁とおっしゃいながら、それよりも有害な紫煙や副流煙を由綺さんに吸わせるとは、プロデューサーとして失格ではありませんか?」
「……今日はやけに饒舌だな、弥生さん……はは」
「……」
「ふう……、俺、どうして若い女の子には嫌気をさされちまうのかな? はは、オヤジになっちまったか。もう俺も33だしなぁ……」
「なぜそうやって、ごまかすことばかり考えるのですか?」
「ははっ……、どうしたんだ弥生さん? ずいぶんと喧嘩腰だな。感情を表に出すなんて君らしくもない」
「社長も人が悪いですね。……愛している人を泣かされては、私でもさすがにご意見を申し上げたくなります」
「それは知らなかった。弥生さんが同性愛のケがあったなんて、ね」
「嘘を申さないで下さい。私が由綺さんのマネージャーになったときから、すでに気付いていらっしゃったではないですか?」
「ほぉ……」
「そうすれば、私が由綺さんから恋人である藤井さんを引き離す役割を、自然と担うことになるでしょうから」
「なるほどね、それは気がつかなかった」
「……結果、上手く事が運んだ、と思いきや、それ相応、もしくはそれ以上のしっぺ返しを受けることになることを気がつかなかっただけでしょう?」
「……」
「自分を見失ったとき」
「……」
「自分を見つけてくれた人がいるということは、とても素晴らしいことなのでしょうね」
「……」
「5年前も、それは貴方自身でなくてはいけなかったはず」
「……」
「また、過ちを繰り返すおつもりですか?」
「……弥生さん、今日はどうしたんだ? 熱でもあるんじゃないか?」
「ふふ……単純に、職を失うのが怖いだけかもしれません。さらに言うなら……」
「……」
「愛する方が泣いているのに助けてあげることが出来ない私の惨めさを、出来る人に毒づいているだけです」
「……」
「……今夜、これから雨が少し降るそうです」
「……?」
「嫌なことがあったときは、好きなことをすれば、誰しも少しは楽になれます」
「……」
「こんな時間ですし、雨も降るのであれば、ショッピングには行きにくいですね」
「……あ」



『え……っと、森川、由綺ちゃん?』
『は、はい!』
『うん、それじゃいくつか質問させてもらうよ。えっと……趣味が、歌うことと、ショッピング、そして……と書いてあるけど、……はどういったものが好みなのかな?』
『え……っと……、心が温かくなるようなものが……例えば恋愛ものならハッピーエンドになるようなものが好きです、それに……』



「映画……?」
「この時間では探すのも大変でしたが、一軒だけ、彼女の意に沿った作品がありましたよ」
「……」
「私は……」
「!? 弥生さん…………」
「貴方に……頼りたくないっ……私が彼女の助けになってあげたいっ……しかし、彼女が失いつつあるものは、私ではわからないのです……これほど『感情』を感じられないことを疎ましく思ったことはありませんっ……私……なくしてしまったものですから……こういうときに何をすればいいのかわからないのです……」
「……」
「いくら私が真剣に心を傾けても、彼女を愛しているつもりでも……っ、彼女にとっては所詮『良いお姉さん』にしかならない……『愛する気持ち』が理解できていたら……」
 ぽろっ……。ぽろっ……。
「なぜこんなに由綺さんを大事にしようとしているのに、愛してるのに……由綺さんをお助けできないのか……歯痒くて、腹立たしくて……」
「……」
「うっ……うああああっ……うああああああっ……」
 ぽろぽろっ……。
「……」
「憎いです……貴方のことが……っ……由綺さんの全てを満たせる貴方がっ……」
「……ああ、俺なら、いくらでも憎んでくれ。そのかわり、由綺のことを俺が責任持って連れ戻す。今度は『歌いたくない』なんて言わせない……」
「……」
「弥生さん……理屈じゃない理屈、とか、自分じゃない自分ってわかるかい?」
「……意味がわかりません」
「そういう言葉としてはデタラメなものが、何よりも大切なときもある、ってこと。覚えときな」
「……」
「そうだ。憎まれついでに、ここ、最後に戸締まりしていってくれないか? 鍵はそこにひっかけてある。明日まで弥生さんがその鍵を保管しておいてくれ。……いや、もう今日かな、はは」
「……」
「それじゃ頼むよ」
 きぃっ……ぱたん……。
「悪いな弥生さん。由綺は……俺が貰う……誰のものにもさせない。……そのかわり、今日は俺の命の次に大事なスタジオを貸してやるよ、心ゆくまで……」

………………………

『浩之ちゃん、み〜つけた』
『あ、あかり……俺……』
『あのね……今……考えてたんだ……』
『…?』
『私、どうして浩之ちゃんのことをこんなに好きになったのかな、って……』

 どうして冬弥君のことを好きになったか……。私の中に明確な答えはなかった。そんな私の中に沸々とわいてくるものがある。

 好き、って何?

 以前にも、冬弥君に好きな人がいるかどうか聞いたこともある。もし私が自信を持って『彼女』といえたのなら、この質問は出来ないんじゃないだろうか?
 理奈ちゃんに冬弥君を奪われたとき、理奈ちゃんには怒りを覚えた。だけど、それは、冬弥くんを奪われた、というよりも、理奈ちゃんが私にそのことを隠していた、という事だったような気がする。……冬弥君が私をふったことにも何にも疑問を持たなかった。仕方ない、とさえ思っていた。どうして「仕方ない」んだろう? 彼に捨てられた、という考え方もできるのに。私がアイドルで忙しいから? 違う。それなら、理奈ちゃんだってそうだったはずだ。
 ……私が本気で彼のことを愛していなかったからじゃないだろうか?
 そして本気で彼のことを愛することが出来た理奈ちゃんは、彼を……。

 ……私は冬弥君を……本当に好きだったのだろうか?

 もしかしたら……、そこからすでに私はアイドルだったのかもしれない。もうとっくに人を好きになる方法を、忘れていたのかもしれない……。いえ、ひょっとしたら、忘れている、じゃなくて、もともと無かったのかもしれない……。
 それじゃ……、今の英二さんに対しての気持ちも嘘?
 ……わからないよ……。
 
 好きって……何?

 好きって……何?

 ………頭がごちゃごちゃしてきた。
 そんなことを考えている間に、映画は終了し、スタッフロールが流れていた。



「……これから……どうしよう」
 そんなことを自問自答しながら、とりあえず行くところもなく映画館を出た。真っ暗な中ぼんやりと鈍い灯りを放つ時計をちらりと見ると、すでに2時を回っていた。
「ふぅ……アイドルじゃない私って……何もすることがないなぁ……歌以外に本当に取り柄がないんだ……」
 そのとき、わずかに首を俯かせてしまっていることに気付いた。顔を上げてふるふると軽く頭をふる。
「ううん、なければ、これから作っていけばいい! 本当の森川由綺と言えるものを!」
 もう春だというのに冷たい風がひゅうひゅうと吹く。
 そんな中、白い息がもわもわと目の前に広がりながら、自分が出来る一生懸命の空元気を出したとき。
「ああ。はぁ……はぁ……作るのは良いけど、はぁ……アイドルが……いきなりいなくなっちまったら、ひぃ……困るのは俺だけじゃないからな……ふぅ……勘弁してくれよ、な……はぁ……はぁ」
「!!」
 慌てて後ろを振り向く。
 すると、そこには、確かにさっき出ていけ、といったはずの英二さんが息を弾ませながら中腰で立っていた。
「由綺……、はぁ……はぁ……俺もさ……ふぅ……もう歳なんだからさぁ、ふぅ〜〜っ……あんまり走らせないでくれよ……ふぅ……」
「誰も……」
 追いかけて欲しいとは言っていません。そう言おうとしたけど出来なかった。私が英二さんと知り合って初めて、髪を振り乱して格好悪い惨めな英二さんを見たからだ。
「はは……ふぅ……追いかけて欲しいとは言ってない、だろ? ふぅ……でも、俺が追いかけたかったんだ……。ここまで自分を押さえられないことなんてなかったぜ? 全く罪づくりな女だよ、由綺は……全くな……」
「……」
「由綺!!」
「?! は、はい!!」
「アイドルの森川由綺を『プロデューサー緒方英二』にくれ!!」
「……」
「そのかわり、今から未来にかけて『本当の緒方英二』をお前にくれてやる!」
「え??」
「悪い条件じゃないと思うぜ、どうだい?」
「は? え、えっと……」
「?」
「すみません、もう一回」
 単純に意味不明だった。
「……うーん、決めたつもりがダメだったか? まあいい。『アイドル森川由綺』は『プロデューサー緒方英二』が貰うから、『本当の森川由綺』を探すのを『本当の緒方英二』が手伝いたい、ということだな」
「ずいぶん、勝手ですね」
「まあ、な。これも性格だ。もうこの歳になっちまったら、変えられない」
「……でも、それでいいです。私には歌しかないから」
 我ながらあそこまで決意を述べた割に、あっさりと折れてしまう。ああ、これじゃずっと英二さんにイニシアチブを握られっぱなしかな?
「英二さん」
「?」
「好き、ってなんですか?」
「は?」
「あ……」
 道理で寒いと思った。
 空から白い結晶がゆっくりと舞い落ちてくる。
「そうだな……、こいつらに答えを聞いてくれ」
 そう結晶に指をさし、いかにも英二さんらしい笑いを浮かべる。
「……英二さん」
「ん?」
「本当の森川由綺から、本当の緒方英二さんにやってほしいことがあります」
「ああ、なんだ?」
「それは……」


…………………………


What’s Love?

 季節はずれの  雪が舞ってきた
 触れるものさえ 夢と思いたかった
 無邪気に微笑む 自分の顔さえも
 忘れてしまった ずっと思っていた

 そんな自分だけの過ちを
 貴方は気がつかせてくれた
 肩に触れる雪が消えていく
 冷たさに気付く前に

 What’s Love?

 今ならわかる 忘れたはずの微笑みを
 置きのこした たくさんのものを掴んで

Not found

 それでもいい 舞う粉雪に 一つの真実(こたえ)があっても

 すべて受けようと 両手拡げた
 でもすり抜けてく 名残雪たち
 一粒だけでも   掴まえたくて
 手を伸ばしたら  こたえがひとつ

 刹那のうちに消えても
 手の平に残る水の跡
 それが全て教えてくれた
 身体の中に溶けるように

 What’s Love?

 今なら気付く みんなと「こたえ」が違っても
 私だけの  a piece of truth

 Find it

 これだけでいい 小さな欠片に すべての真実(こたえ)があるから

        words            :Yuki Morikawa
        composed&arranged:Eiji Ogata


…………………


「へぇ……由綺が作詞ですって。五年ぶりかしら」
「ふぅ〜……ん? あれ?」
 家の近くにあるCDショップに赴くと、由綺がせつなそうに歌っているプロモーションビデオが店内全てのテレビに映し出されている。今回は派手派手しい衣装ではなく、落ち着いたというか、ほぼ普段着のような衣装。この作品で、脱アイドルをめざした、ということかしら?
 さすがに今日販売というだけあって、CDが山のように積み重なっていたが、ちらほらと手に掴んでいく様子がうかがえた。
 まあ、これくらいはやってくれないと、ね。
「おい、理奈。ここに懐かしいものが……」
 がばっ!!
「な、なんだよ。そんなに焦って奪わなくても……」
「さ、さすがに5年前の私は……ちょっと」
「そんなもん?」
「そんなもん!」
「ふ〜ん……ところで、以前作詞をしていた理奈様からみてどうですか、今回の由綺の詞は?」
「うーん……、よくあの男もこの詞を許したものだわ」
「し、シビアだなぁ……」
「でも、これが由綺なのよ。由綺らしさが出てるわ」
「……そうかもな」
「うん……」

 そうね。私は私なりの、貴女は貴女なりの真実。
 それが今。そして明日。

「冬弥」
「?」
「カラオケでも行こうか?」
「おっ……、理奈から言い出すなんて珍しいな。よし、行こうか?」 
「最高得点が低い方が、今日の夕御飯を作ること」
「うわっ……何だよそれ?! ハンデだ、ハンデを要求する!!」
「あ……早く行かないと、瀬里菜を迎えにいく時間になっちゃうわ」
「その辺は大丈夫。瀬里菜は俺達より緒方の実家のご両親の方になついてるから、少しくらい延びたからって」
「……冬弥、言ってて虚しくない?」
「……すごく」

 所詮私たちも小さなかけらだけど、これが答え。

「大丈夫、緒方理奈は歌わないから」
「全然ハンデになって無いじゃないかっ!!」
「今日はえびちりでいいわ」
「……聞いてないし……」

 I find ”it”

「早くいきましょう」
「はいはい、じゃ、今日は卵や」
「えびちり」
「結局理奈が食いたいだけなんだろ?」
「そう」
「……」

 Don’t forget ”it” forever……



あとがきのつもり

 かとぱんです。
 ホワイトアルバムという、今までのLVNSとは企画、シナリオライターも違い、テーマもハートフルを全面に打ち出したToHeartとは違い、傷心を柱にしたこの作品。その感覚をSS書きとして掴むため書き始めたのがきっかけでした。
 その後、ひょんなことで掲示板に提出し(そのときは『あの娘の憂鬱美咲編』を落とした時だったな……(ぉ))、いつのまにやら書きつづってしまったこの無理矢理SSもついに完結(^^
無理矢理SSというだけあって、まとまりないですね(爆死
 
 今回のSSは危険なこと結構してますよね。
 理奈ED後というのはまだいいとしても、由綺をわんわん泣かせたり、弥生さんの感情をめちゃくちゃ出したり、英二と弥生さんの会話には状況を把握する言葉を削除したし(……由綺視点だからってことで削除したんですよね……)そしてとどめに由綺の詞とか書いてしまった俺の詞……マジやばい……ここまで読んで下さっている由綺ファンの皆さん、本当に申し訳ありません。彼女の詞はあんなレベルではないとおもうんですが、俺の力量不足です。m(TT)m
 でも、これは俺がそうしたかった、こうした方が自然かな? というものがあった上でのことであることも、ご理解下さい。

 あと……どなたか、是非!!!!
「24歳藤井理奈のショートヘア」のCGを描いてください!!!!
 うを〜〜、これは俺も滅茶苦茶見たい、見たい、見たい〜〜!!(書いた身分で(^^;;
 我が儘で自己中心的なお願いとはわかっていても、自分に絵心がないので、いかんともしがたいのです。
 描いてやるから、ありがたく思え! っていう、本当にありがたいお方、ってどこかにいらっしゃらないかな……。

 今回のこれも俺の全力を出しました。
 ここまで読んでくれて幸せ!!
 できれば、読んだよ〜、などということをBBSとかメールで言っていただけるとすごく嬉しいんですが……そ、それに感想なんてくれちゃった日には、嬉しすぎて涙が出ちゃうんですけど……贅沢?(^▽^;

 さて、次は何を書くかな〜。
 本当はギャグを書きたいのですが、頭に思いつくのはシリアスストーリーばかりという、柔軟性に欠けてるかとぱんでした。
 それでは!
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